@kyuri_akita
【じりじりと焼けつくような暑さに、目の前の石を眺めた。きれいに削られた石には、呼び慣れた名前が刻まれている。】
「・・・ム。サム」
【焼かれて物言わぬ骨が、その石でふたをされていた。そこから立ち上る亡者の気配を遮断するようだと、うつむいたまま、静かに思っていた。】
「サァーム!!!」
「ひい!?」
名前を呼ばれて、彼は追っていた文字列から反射的に顔を上げた。
抱えていた本から目を離したすきに、パタン、と本が閉じる。
その音を聞いて視線を落とせば、きれいに閉じている本に、ああ、とがっくりと肩を落とす。
「サム!!」
「はーい。ただいま参ります!」
自分を呼ぶ声に、彼は閉じてしまった本をやわらかなベッドの上において、階段を駆け下りた。
木でできている室内は、サム以外の人間はいなかった。多くの人数が生活できる大部屋に、個人なエリアはベッドの上だけだ。久しぶりに本を図書館から本を借りたので、休憩時間にうっかり読みふけってしまった。
休憩時間を過ぎていただろうかと思いながら、階段を駆け下りる。すると、作業室もある入り口に何人かが集まっていた。
「サム、自己紹介を」
そう彼に命じたのは、白髪で眼鏡をかけた老人だった。いつもにこにことして穏やかそうに見えるが、この工房を取り仕切る親方だ。
そばにいるのは、親方の息子のレソランだった。年を取った親方を支える傍ら、サムの指導をしてくれている、大柄な男だった。
レソランは、どちらかといえば、大工というほうがしっくりくるだろう。白いシャツの上からでもわかる均整の取れた肉体は、とても室内で細かい作業をする人間には見えない。
肉体労働者にしか見えないのだが、そう見えてこの国一番の難関学校であるポルターダ学院を卒業している。通称ポルタと呼ばれる学院を卒業していれば、この国で就職活動に困ることはないといわれるほどだ。そもそもポルタの試験の半分以上は魔法が使えなければならないので、入学すること自体が恐ろしく難しい。
ポルタを卒業したレソランは、見た目からは想像できないほど、精密な魔法を扱えるのだった。
そんな彼はきれいな金色の髪をしている。だが、あまりにも鮮やかな髪の色が見た目にあわないと気にしていつも白いタオルを頭に巻いていた。
サムはてっきりレソランに自己紹介をと親方に言われたのかと思い、今更、と、思ったが、レソランはサムのほうに視線を向けていなかった。珍しく険を含んだ視線を向ける彼の視線を辿った先に、初めて客人がいることに気づく。
「いえ、この場合は私からするべきなのでしょう」
そう言った男は、静かに微笑んだ。
精霊が好むと言われるこげ茶色の髪をした男は、赤みがかった目を細めた。
こげ茶に赤みがかった目は、精霊が良く好むと言われる色だった。赤い髪を好む精霊たちは、赤い目をそれよりも好んでいるため、愛を向けられるという。
誰なんだろう、とサムが思考する前に、その男が着ている濃紺の制服で、思わず背筋を正した。
(こ、この人、『司書』だ・・・!)
白いワイシャツに、袖口のゆったりとした濃紺のジャケット。首元にしめるネクタイは、色やラインでその『司書』の階級を表している。
首から下げている皮ひもは、その先に移動用の職員プレートをぶら下げているに違いない。
すごい人が来た、と身構えると、その『司書』はゆっくりと頭を下げた。
「はじまして。私はアウル・エヒャです。このたびは、『赤色蝶』として参りました」
「うわあ・・・」
思わず声を上げれば、レソランのぎっとした厳しい視線が飛んできたので、慌てて口を閉じた。
しかし、声を上げるぐらい許してほしいと内心で抗議をしつつ、はじめましてと返した。
「サム・スパインです」
サムはそれぐらいしか名乗ることがない。自分のくすんだ金色の髪も、緑がかった暗い目も、あまり珍しいものではなかった。
製本職人です、と名乗るほど長い間仕事をしているわけでもない。サムは最近やっと、見習いを卒業できて、謄写をすることができるになったばかりだ。
サムは、製本工房に住み込みで働いている。彼の工房のあるビブリオテカ国は、国土の7割を図書館が占めるという、一風変わった国だ。そのため、国の土地の大部分を占める図書館は大変複雑なつくりをしているが、どこもきちんと図書館内は屋根が張られている。
図書館と言っても、本を貸し出すだけでなく、研究者が住み込み、議論も行われているし、研究も日夜行われていた。そのため、図書館内は大規模な町のようになっており、いくつかのスペースに分けられている。ちなみに本の貸し出しをするスペースを城内、と呼び、それ以外の住居エリアや学者街は城下、と呼ばれている。
サムの勤める工房は、比較的城内に近い位置にあった。
仕事柄、城内に行くことも多いし、司書を目にする機会は多い。それに『城内』と、そんな呼び方をしてはいるが、この国の本は誰でも借りることができる。
自ら区別しているわけではないが、それでもやはり『城内』に勤めるものは立場が違う。
とくに『司書』は、図書館で働ける資格のある優秀な人材だ。図書館の抱える学校に入学しなければならない。司書の資格を得てから、さらに採用試験を受けなければならず、この資格を取るにも一苦労だが、さらに採用に受かるのも一苦労だ。
ビブリオテカで一番難関と言われるポルタを卒業しても、合格率は半分ほどである。採用試験を合格し、司書になったとしても一年ほどの研修を行う。
この入った後の研修も過酷で、研修生のうちにやめていく者も後を絶たない。多いときに全体の5割から6割になると言われるほどだ。
それらの壁を乗り越えたものだけがなれる『司書』は、狭き門な分、給金もすごい高い上に、門を突破した分の好待遇が約束されていた。
だから毎回の募集人数はすごいことになっているらしい。
ともかく、『司書』は図書館で働く人間の中でも別格であり、唯一勇者に仕えることができる仕事なのだ。
そんなすごい人から頭を下げられたら、おもわず声ぐらい上がるだろうとサムは体を固くする。
「ほっほ・・・『赤色蝶』ですとな・・・」
親方がその言葉に反応して、にこにこと笑う。エヒャは、はい、と静かにうなずくと、懐から白い封筒を取り出した。
「ラトウィッジ猊下からのお手紙を預かっております」
(ら、ラウィッジ猊下からの手紙・・・)
ぞわ、とサムの背筋に悪寒が走る。思わず手を握りしめると、レソランは呆れたように息を吐いた。
むしろ平気な顔をしているレソランが理解できない。ラトウィッジ猊下がどんな方か、この人だって知らないはずがないのだ。
(図書館をお作りになった方だぞ・・・)
この国の原型を作り、勇者に仕える第一の側近だ。
あまり他人のお言葉をお聞きにならないという、かの勇者が唯一話を聞く人物だという。彼は勇者が人々を守りたいというので手を貸していると言っているのは有名な話だが、それにしたって建国を成し遂げている人物の一人だ。
彼はあらゆる技術を他国から奪われないように保護し、また研究に関してはかなり寛大に扱うとも聞いている。その手腕たるや、異種族も多い図書館をまとめ上げている時点で、とんでもないものだということがよくわかる。
親方は眼鏡の奥で、目を細めると、首を傾げた。
「・・・あの子は元気にしておられるのかね」
「あの方の『眼』をつれてきたのは、あなたに会わせるためだと、猊下はおっしゃっておりました」
「『赤色蝶』を名乗らせている時点で、まあ、そんな気はしておったわい・・・レソラン、あとは任せたぞ」
わしは手紙があるでの、とエヒャにちらりと視線を向ける。
「私は構いませんよ。いくらでもお待ちします」
そうか、というと親方は奥へ引っ込んでしまった。
サムはなんなんだ、と立ち尽くしていれば、レソランははあーと重たい息を吐いた。
「エヒャ、お前の自己紹介じゃない、そばにいるその子の自己紹介をサムにしてもらわないと困るだろう」
レソランは腕を組み、にらみつけるようにエヒャにそう言う。
普段から厳しい顔をしているレソランだが、初対面の相手にとげとげとした態度をするほど子供ではない。エヒャに対する態度にサムは首を傾げていると、すみません、とエヒャは苦笑した。
彼は体をずらして、後ろにいた子供を見せる。
エヒャに縋りついていたその子供をみた瞬間、ぞわ、と鳥肌が立った。
(え、なん・・・)
とてつもない魔力の塊がそこにいるかのような、圧縮された力の塊のような、そんなものを目にした気がして、くら、とめまいがした。
しかしそれは錯覚に過ぎなかった。
めまいはすぐに消え去り、動作さえも静かなエヒャが背後に視線を向けている。
「ほら、自己紹介をして」
おずおずとエヒャの前に出たのは、子どもというほど幼くはない少年のようだった。
短い黒髪に、目は紫色をしている。白いワイシャツなのか、ワンピースなのか判断のつきかねるものを着て、下は短いズボンをはいているので、性別がわからない。
細い足が枝のようだった。全体的に痩身だが、そのなかで唯一異質なのは、首に巻かれた鮮やかな青いリボンだった。
首をすべて巻くかのようなリボンは、後ろで結ばれている。そのリボンのせいでまるで飼い主のいる黒い猫のように見えた。
「・・・はじめまして。シャオマオです」
ぺこり、と頭をさげたその少年が、名前から東方の出身者だと知る。
どうも、とサムはお辞儀を返し、自己紹介されて、これからどうするのだと、レソランに視線を向けた。
「この子に、製本している作業現場を見せてくださいませんか」
レソランの代わりに答えたエヒャは、穏やかに微笑んでいる。対してレソランは反比例するように顔をしかめた。
「えっと・・・」
レソランが指示を出さないことには返事を出せない。どうしたものかとレソランとエヒャを見比べていると、レソランははあ、と重いため息をついた。
「サム、昼のあとに作業をその子に見せてやれ。先に昼だ。アンジェリカに声をかけてくる」
レソランはのそりと厨房に消えてしまう。
いつもなら大声で的確な指示を飛ばすレソランだが、なぜだが今日は覇気がない。困惑しているような、怒っているような、いつもは大人なレソランが、まるっきり子供のようだった。
「サム君、すませんね」
そう言ってエヒャは苦笑した。
何のことかと首を傾げると、レソランですが、と前置きをしてくれる。
「昔、友人だったんです。ただ、色々あったのに、何も言わずにいなくなってしまったので、嫌われてしまったんですよ」
すいませんねえ、君に居心地悪くさせてしまって、と気を回すエヒャに、サムは慌てて首を振った。
「いえそんな!むしろ、レソランがあんな風になるの、見たことないので、ちょっとびっくりしただけです。あの、呼ばれただけで、何がなんだか・・・」
ああ、そうですか、とエヒャは静かに微笑んだ。
笑っているというのに、どこか影がある。見た目の色彩に反してなぜか明るい印象を持てない男だと、サムは思う。
「実は、この子は私の養い子でして、ラトウィッジ猊下がお使いついでに社会見学をしたらよいと、この工房を紹介してくださったんです」
「ああ、そうなんですね」
司書の人が来たから何ごとかと思っていたエヒャは、ほっと息をつく。
「僕は謄写しかできないんですけど、それでも大丈夫でしょうか」
「ええ、問題ありません。むしろ、修復や影写になってしまいますと、少々技術が高等すぎてわかりにくいものでしょうし。この子は、まだこの国のことをよく知らないので、色々なことを見せてやりたいのです」
シャオマオと名乗った少年は、名乗ったきりうつむいていた。見た目の年齢は15、6歳ほどかもしれない。だというのにこの国をよく知らないというのは、この国に来たばかりということだろう。
何も話さない姿に、サムの心は少し傷んだ。この国に来る人の多くは、たくさんの事情を抱えてくるので、そんな人々には暮らしやすいこの国を、もっと知ってほしいと思う。
「あの、もしよければ、隣の仕立て屋も見学していかれませんか。となりも知り合いなので、話してみればさせてくれるかもしれません」
わ、と花が咲くようにエヒャは笑った。
「本当ですか。よかった。是非お話していただけると助かります」
喜ぶ姿は、暗い印象を払拭させるには十分だった。元来この男は、こうして明るく笑うのだろうとサムは思う。
「サム、アンジェリカがすぐ昼にするって。・・・エヒャ、お前、昼は」
すぐに戻ってきたレソランは、顔も向けないままエヒャにそう尋ねる。
「私は大丈夫です、ただ、シー・・・シャオマオには昼食を食べさせていただけませんか」
エヒャは顔も向けないレソランに苦笑しながら申し出る。
レソランはその言葉にちらりと視線を向けた。
「・・・どこかで食べてくるのか」
「いえ、私はシャオマオに付き添っていなければなりませんので」
それは昼食を抜くということだろうか、とサムは思った。おそらくレソランも同じように思ったのだろう。
だが、顔をしかめてエヒャをにらみつけると、レソランは苦い顔をして口をつぐむ。
いつもははっきりとものを口にするレソランの態度に、サムは首を傾げた。嫌いなら嫌いとはっきり口にするタイプで、むしろ好きなものほど何も言わないタイプなのを、サムはよく知っている。
(んん?これはもしや・・・)
と、思っていると、厨房のドアからこっそりと顔をのぞかせるアンジェリカの緑の目と視線が絡んだ。
サムの視線に気づいたアンジェリカもはっとしたように、ぐ、と親指を立てる。そして中庭の方向を指で示すと、奥に引っ込んでしまった。
(いや、何もわからねーよ)
と、心の中で突っ込んだあと、仕方ないな、とサムは小さく息を吐いた。
「今日の昼はちょうど、近くに住んでいる影写師の方がごはんをたかりに・・・じゃなかった。ご飯を食べに来るので、ついでだから隣の仕立て屋も誘う予定だったんです。一人増えても同じでしょうし、うちの家政婦さんはご飯上手なので、ぜひ食べていってください。エヒャさん」
そう言うと、レソランは顔をそらした。けれどサムは、レソランの口角が上がっているのを見逃さなかった。きっと今は笑いそうになる顔の筋肉と戦っているに違いない。
この上司は案外分かりやすい。ただ、いろいろと優秀なので、素直に感情が表現できないだけなのだ。
え、とそんなレソランを視界にいれていないエヒャは、困惑したように、眉根を下げた。
「いえ、そこまでお世話になるわけには・・・」
「いいって言ってるんだから、食べればいい」
そこで後押しをしたのは、静かに話を聞いていたシャオマオだった。
「でも」
シャオマオの言葉に、エヒャは困ったように肩を落とした。黒い髪をした少年は、自分よりも背の高い男を静かに見上げた。
「って、言ってるから言っただけだ。きっと見たいんだろう、色々と」
言っている意味は分からなかったが、それはエヒャを納得させるには十分だったようだ。
わかりました、と静かに肩を落として、ふにゃり相好を崩す。シャオマオに向けるその顔は、たいそう緩んでいた。
ただ、その顔に少々、サムは違和感を覚えた。
まるで自分よりも目上のものに向ける視線のような、尊いものに向ける視線のようなそれは、サムは見覚えがある。
それは、養い子に向ける視線にしては、熱を帯びすぎていた。恋とは違う、その視線は城内におわす方に、市民が向ける眼と似ている。
あるいは教会で祈りを捧げる信者のような。
それは正しく、赤色蝶が、勇者に向けるような。
そんな視線に似ていた。
(いやでも、この子は勇者様じゃない)
かの勇者はもっと背が低いし、眼も空色をしている。髪も光に反射して青く光るし、何より、こんなに子供のような雰囲気を纏ってはいない。
この国の勇者は、見た目こそ子供だが。
一介の大人以上に大人らしい雰囲気をしている。
「じゃあ、ティリスに声をかけてきます。レソランは、アンジェリカに声をかけてきてください」
とはいっても、アンジェリカはドアに張り付いてこちらのやりとりを聞いているに違いない。言わずともわかっているだろう。外へ出ようとして、サムはふと足を止めた。
「シャオマオ、くん?君も仕立て屋、見にいってみる?」
一応声をかけてみれば、無言で目を大きくしてきらきらと輝かせた。
その反応があまりにも幼く見え、サムは自分と同じほどの年齢かもしれないという意識を改めた。あの勇者より身長はあっても、実際の年齢は分からない。もしかしたらサムと変わらないように見えて、かなり年下かもしれないと内心で苦笑した。
「私もお供しても?」
エヒャがそう申し出るのに、もちろんです、とサムは頷いた。
そちらのほうが話は早いに決まっているので、ちょっと行ってきますと店を出る。
外に出れば、さすがに街中で工房をチラチラと伺う人が見えた。司書が出てくると一様にそ知らぬふりをするが、この街の住人は取り繕うのがへたくそである。
こちらに関心があるのを隠しきれていない。
まったく、と息を吐きながら、隣の仕立て屋のドアをのぞいた。
「みてごらん」
シャオマオにドアの前を譲ると、中で幻想的な光景が広がっていた。
広げた布が、ふわふわと浮いている。その上に的確に線を引く、一人の少女。線のあとを蛇がなぞるように食らえば、布が裁断されていく。
裁断された布は、大きな帽子をかぶった小さな人の形をした妖精が受け取る。そして帽子をかぶった妖精は、ふわふわと宙に浮く瓶から、糸を作り出して服を縫い始めた。くるくると服の周りをまわるように裁縫をする姿はダンスをしているようで、楽しげに見える。
その様子は幻想的で夢のようでありながら、きちんとしたルールが存在していた。
的確に布を裁断できるからこそ、妖精は力を貸す。
もちろんただで手伝っているわけではない。
彼らには、甘いお菓子と、暖炉の上にいっぱいのミルクを与えねばならないのだ。
「・・・すごい・・・」
小さくつぶやいたシャオマオは、きらきらと目を輝かせながら、興奮したように無邪気に笑っていた。
幼い子供のようにドアに張り付くシャオマオに、サムは思わず苦笑した。すごいというシャオマオの気持ちはよくわかる。
ガラス越しに見る魔法の鮮やかさは、いつ見ても幻想的だ。
ただ、魔法を使うのにも血がにじむような努力と、細かなルールを厳守せねばならないことを知っているサムは、ガラス越しだからこそ美しいのだと理解していた。
つかえない人から見れば魔法はなんでも可能にする、それこそ夢のようなものだと思われがちだが、きちんと築かれた伝統と因習を踏まねばならぬものである。便利なように思えて反面、長い呪文が必要であったり、対価を差し出さねばならなかったり、簡単なものではない。
こうしてきれいに見える魔物と妖精の付き合い方も、一筋縄ではないかないのだ。お互いに共存して、助け合いを実現するには、付き合い方を学ぶまで先人の長い時間がかかっている。
(妖精やら魔物やらに愛されたら悲惨だもんな)
魔法を知る人間ならば一度は聞いたことがある、魔物や妖精は感情があるのか、という命題にも等しい問い。
その答えを、実はレソランから聞いたことがあった。
レソランは実際に会ったことがあると言っていた。
その眼で。
妖精や魔物に愛された人間を。
見たことがあると、酔っぱらったときにちらりと耳にした。
「・・・シャオマオくん、呼び鈴を引っ張ってごらん」
垂れさがるドアの横にある紐をさすと、シャオマオは小さくうなずいて、紐を引いた。
リーン、となった鐘の音に、中にいる少女が顔を上げる。そしてこちらに視線を向けた。
びく、と、シャオマオが体を揺らす。一歩引いたシャオマオに首を傾げていると、カラン、とドアベルを鳴らして、少女が姿を見せた。
「あら、サム!そちらは?客様かしら?」
ティリスは、明るい空色のような眼をしている。黒く長い髪はひとまとめにしてポニーテールにしていた。作業用のまえかけをしたまま出てきたティリスから、なぜかシャオマオは視線をそらせなくなっている。
サムは首を傾げつつ、昼さ、と声をかけた。
「こっちは、司書のエヒャさん。そんでこっちはシャオマオ君。二人がうちの工房を昼のあとに見学するんだ。今日、ヨハンさんもうちにきて食べるからアンジェリカがいっぱい作るんだよ、ティリスもどう?」
まあ、とティリスは嬉しそうな声を上げた。
「本当?助かるわ、今日はママが昼過ぎに顔を出すから、一人でお昼にするところだったの」
両手を合わせて喜ぶ彼女に、ちょうどよかった、とサムは笑う。
「代わりに、室内をシャオマオくんに見せてあげてくれない?彼、この国に来たばかりなんだって」
「お安い御用だわ、どうぞ、中へ入って」
ドアを開けたティリスはさっさと中へ戻ってしまう。
シャオマオくん、と声をかけても相変わらず固まっている彼に、どうしたものかとサムは戸惑った。
「シーメイ」
その言葉を聞いた瞬間、シャオマオがばっと振り返った。
サムにわからない言葉を発したエヒャは、苦笑している。
「ブーシー。ね、そうでしょう?」
それは東の言葉なのだろうか。サムにはわからないが、シャオマオは無表情になってうなずいた。
そしてティリスのあとに続いて、店内に入っていく。エヒャは肩をすくめて、すいませんね、とつぶやいた。
「あの子にも、いろいろ事情があって・・・だから私が養い子にしたんですけど」
そのいろいろな事情を、サムは聞くことができなかった。
サムだって、もとからこの国にいたわけではない。ゆえあってこの国に行きついたのだ。
(いや、僕の場合は、望んできたんだけれども)
ティリスの店に入りながら、うつむいて思考に浸っていれば、ふわ、と視界の端を何かが横ぎった。
つられて顔を上げれば、サムに続いたエヒャに、妖精がまとわりついていた。
裁断をしていた蛇のような生き物は、エヒャにすり寄り、小さな帽子をかぶった妖精は、エヒャの肩や頭に乗っている。
「あら、珍しいこともあるのね」
ティリスが驚いたように声を上げて目を丸くしている。エヒャは苦笑しながら、ええ、まあ、と濁した。
「シャオマオ君だったわね、はじめまして。私はティリス・エインズワース。ここでパパのお手伝いをしているの。ママは司書だから、あまり帰ってこないのよ」
明るく笑う彼女に、はじめましてと目を細めたのはエヒャだった。
「アウル・エヒャです。きっとあなたのお母様とは職場が違うのでしょうね。残念ながら存じ上げません」
いいのよ、とティリスはからりと笑った。彼女はその眼の色のように、いつもからりと晴れた空のように笑う。
室内は、トルソーと言われる木でできた人の体をした置物に、ドレスが置いてあった。他にもドレス以外に、普段着のようなドレスともワンピースとも区別のつかない服が置かれている。店の奥は作業台になっており、たくさんの布の塊が置かれていた。イメージようか、作業台の上には、スケッチブックも広げられている。
「ね、こっちへきて」
ティリスはシャオマオを呼ぶと、台の上に置いていた瓶を見せた。
中には雨雲のような、黒い綿のようなものが詰められている。それは雷のように、時折中できらきらと光っている。
「これがね、糸になるのよ。それで妖精たちが服を縫うの」
ぶわ、と目をキラキラさせるシャオマオから星でも飛んできそうだと、サムは笑い、妖精まみれになってるエヒャを見た。
「・・・ずいぶんと好かれているんですね」
「・・・ええ、まあ」
ティリスがシャオマオに説明する通り、糸を作り出すのは綿で、それは魔法を使っている。主に妖精の力を借りて服を仕上げるので、店内にはそこかしこに妖精がいた。店中の妖精が集まっているんじゃないかというほど、エヒャの周りには不思議な生き物があふれている。
シャオマオはちらりとエヒャを見ると、指を向けた。
「エヒャの服も魔法なのか?」
「そうよ。まあ、司書の服って、専属の仕立て屋がいて、そこに行かないと買えないのよね。どんな状況でも耐えられるように作られていて、ああ見えて戦闘服並のものなのよ」
「俺が来てる服もまほう?」
そうね、とティリスは笑った。
「大量生産をするために、魔法を使っているの。基本的に一つサンプルを作ったら、そのあとは自動人形と妖精の仕事よ」
そうなんだ、と目を輝かせるシャオマオからまたぞわりとしたものを感じた。
(なんなんだ・・・)
おそらく、これは間違いなく魔力なのだろう。だが、普段は人並みかそれ以下の魔力なのに、なぜだか時折、とんでもなく魔力の濃度が増す。
「ティリス―サムーお昼だよー」
店の奥からアンジェリカの、のんびりとした声が聞こえた。
「お昼ですって。行きましょう」
シャオマオに負け劣らず顔を輝かせるティリスに、サムは苦笑した。
「シャオマオ君はもういい?」
こくり、と頷く黒猫のような少年は、サムのあとにエヒャに視線を向けた。エヒャは視線に気づくと、ポケットから袋とハンカチを取り出した。そして入り口近くの棚の上にハンカチを広げると、袋の中から鮮やかな砂糖の塊を取り出す。
エヒャのそばにいる妖精たちはそちらにちらりと視線を向けた後、エヒャを一斉に見上げた。
『―――――』
聞きとれない音に、サムは目を見張った。
それはいわゆる精霊の言葉だ。喉を震わせて会話するのではなく、体内にあるという魔術回路と妖精器を魔力でつなげて発する音である。魔力で音を構成して、口を使って魔力を発するわざだ。だから喉は動かしていないが、回路をつなげるために魔術的な施術を施さねばならない。
つまり、その言葉を人間が使うためには、魔法のために体をいじらなければならないということだ。
その言葉に、妖精たちはわちゃわちゃと菓子に移動した。
「ティリスさん、すいません。しばらく、このハンカチはここに置いておいていただけますかね」
エヒャが苦笑いしながら伝えた言葉に、ええ、とティリスも困惑したようにうなずいた。
「・・・エヒャさん、あなた、人間なのでしょう?」
ティリスの言葉に、そうですよ、と赤い目をした男は、静かに笑った。
「人間よりは人間らしくはないですが、私は人間です」
怪物でもないし、化け物でもありません、とエヒャは言い放った。
それをにこやかに言う。これが司書なのか、とサムは動きを止めた。
「それ、妖精の言葉よね?私、詳しくは知らないのだけれど、それ、話すのに、手術をしないといけないと聞いたわ」
え、とエヒャは目を丸くした。
「そうなんですか?私は、こういう言語の習得は得意なので・・・知らなかったです」
「げ、げんごの取得ってレベルじゃない・・・」
思わずサムが、エヒャの言っている意味が半ばわからない思いにさいなまれながら声を上げる。
ひどい目をしている自覚はあった。きっと、化け物を見るような眼で、エヒャを見ているのだろう、という自覚がありながら、一度わいた思いが消えない。
「その言葉は、魔術回路と妖精器をつなげる手術が必要なんですよ。それをしない人間なんて・・・」
「いるんだな、これが!!」
突如わいた、明るく低い声に、一斉に視線が声の主に向いた。
そこには、黒い巻き毛に明るい緑の目をした背の高い男が立っていた。
なぜか店の奥から現れた商人のように日焼けした男は、話を聞いていたのか、口元が緩んでいる。
サムはその男の存在を目に留めた途端、エヒャに対する恐ろしさが消え、気力をすべて持っていかれたような気分になった。男が現れただけだというのに、げっそりとした気分になっている。
「いやー、話は聞いた。いかんなあ、サム。自分の常識にないことはありえないなどと!」
ありえないことは、ありえない!と男はまるで商人のように高らかに言う。
始まった、とサムは思いっきり顔をしかめた。
「ありえないことは、未知であるからして、そこには研究すべきことが残っていることだ。知らぬ恐れは知って克服すればよい。この国の宗教のトップがいっているだろう?らとなんちゃらが」
商人のようでありながら、その実、健康的に焼けた肌に似合わないほど研究者気質の男は、司書の前で上司の名前を適当に呼んだ。
そのことにサムは、はあー、と重たいため息をつく。
この男は、自分の研究分野のわけのわからない細かい細胞の名前や古代語のつづりは覚えているくせに、自分の研究以外の興味のないことは全く覚えていない。
「ラトウィッジ猊下です、ヨハンさん」
「ん?そうだったか。まあ、些細なことはいいんだ。問題は、妖精の言語を習得するためには手術をしないといけないはずというサムの思い込みだ。いかんぞ。何ごとも例外はある」
ヨハンニティウス、というのが彼の正式な名前だが、面倒なのでサムはヨハンと呼んでいる。ヨハンは名前の通り、そこそこ裕福な家柄の生まれだが、研究を目的にビブリオテカに来ただけあって、呼ばれ方にも固執しない。
おおらかと言えば聞こえはいいが、つまるところ大ざっぱな性格をしていた。
「いやあ、とはいえ俺も最近、新しい古代語を解読してな!アーレント語と東方の文字が入り混じった石板を解読して知ったんだが、妖精器と魔術回路がつながっている人間は、まれにいるようだ」
聞いていない、とサムの喉元まで出かかるものの、ティリスもシャオマオも、興味深そうに聞いていた。
大体、ヨハンは満足するまで話し続けるので、止めるだけ無駄だと匙を投げる。
「そういう場合は、血族魔術を使える人間にまれにいるらしい」
「血族魔術ってあれよね?親から子へ受け継がれる異能のような、特別な魔法のことよね?」
うむ、とヨハンは頷いた。
「特別な魔法が遺伝で伝わっているものだな。一応、医療的な側面からは、遺伝子に魔術が刻まれているのでは、という通説があるが、実証はされていない。さすがに血族魔術の人間を解剖するわけにはいかんからな」
そりゃあそうだ、とサムもティリスもうなずく。
「で、妖精言語の話だが、血族魔術を受け継ぐ人間には手術を必要とせず、話すことのできる多くいるらしい。それが古代の石板に記されていた、ということは、その時代にはすでにその事実がわかっていたことだ。まあ、むしろ、古代の人間にとっては妖精言語が話せるのが普通だったのかもしれんがな」
とはいえ、とヨハンは顔を輝かせた。
「それを読んだ俺の仮説はこうだ。『血族魔術者に妖精言語を話すものが多いということは、血族魔術は妖精からもたらされたものである。人間と妖精が交わることで、血族魔術が生まれたのではないか』」
子どものように顔を輝かせて宣言した男に、おおー、とティリスはぱちぱちと小さく拍手をした。
サムは頭を抱えて、この人は何をしに来たんだ、と俯く。
「ヨハン!呼びに行ったお前がミイラ取りになってどうする!!昼だ!!」
そんなレソランの怒号が聞こえ、そうだった、とヨハンは両手を合わせた。
「先に昼だ。そこの人、食事でもしながら、ぜひ俺に話を聞かせてほしい」
エヒャは目を丸くしたあと、く、と喉を震わせた。
「ええ、どうぞ」
ヨハンは行くぞ、と勝手に店の奥に消えていく。ティリスはシャオマオを連れていき、サムはエヒャとともに並んだ。
サムは先ほどのことを思い出し、ちらりと赤い目の司書を見上げた。
正直に言って、サムはエヒャが恐ろしかった。
あんなことを言えてしまう、『司書』が、とてつもなく。
けれど、それとこれとは別だ、と拳を作った。
サムの反応で、エヒャを傷つけたに違いなかった。サムが恐ろしいと思っても、それを糾弾するのとはまた別問題だ。
「あ、の。エヒャさん」
サムが振り絞った勇気は、声をかすれさせた。隣に並ぶ男は、なんでしょう?と静かに首を傾げる。
「す、いませんでした。僕が、こわがったばっかりに、あなたに、ひどいことを・・・」
エヒャから言葉がないため、サムはちらりと隣を見上げた。
するとエヒャはびっくりしたように目を丸くしていた。
「・・・ああ、」
すいません、とエヒャは眉根を下げて笑った。
「あまり、そうして謝られたことがないので・・・いえ、大丈夫です。気にしていませんよ。よくあることですし、化け物と言われることも、珍しくありません」
ただ、とエヒャは首の後ろを掻きながら困ったように笑った。
「私は本当に、化け物ではないんです。弱いただの人です」
覚悟があって、そう言い切るのではなく、とエヒャはぼんやりと遠くを見るような目をした。
「私は、自分の力をすべて持ってして、敵わない人間に叩きのめされたことがあるだけなんです。人の心ない言葉でたたきつぶされたのではなく、そう」
サム君は、いい子ですね、と話を飛ばしてエヒャは微笑んだ。
その言葉のすべてが、サムには聞くに堪えないものだった。
この人は、向かってきた言葉も、痛みもはねのけたのだ。それらを乗り越えて耐えきったからこそ、こうして『司書』たりえるのだろう。
その人生は、なんて壮絶だったのだろうと、立ち尽くしそうになってしまった。
「さあ、食事にしましょう」
そうして穏やかに微笑む男の力に少しでもなれればいいと、サムは午後のために、その言葉にうなずいた。