@ayame0601s
「それじゃあ、留守の間よろしく頼むよ」
金曜日の朝、会社の前で私と別れる間際、髭切はそう言った。
今日から三日間、彼はどこかに出掛けるらしい。どこへ何をしに行くのかは分からないけれど、概ね、あのカルト集団絡みの事だろう。膝丸も一緒に出掛けるのかと思いきや、弟はどうやら、私の子守り役として留守番するよう言いつけられたらしかった。
ここ最近、彼らはなるべく、私が一人にならないように気を遣ってくれている。
私がカルト集団から狙われた、あの日からだ。
彼ら、というよりは、髭切が、という表現が正しそうなのだけれど、仕事帰りはもちろんの事、こうして朝まで送ってくれるのだから、なんとも申し訳ない気持ちになる。それと同時に、どこか落ち着かないのも正直なところだった。
あの日から、私の心境がどうにもおかしい。
追われ、捕まる恐怖の中で彼が助けに来てくれたのは、もちろんきっかけの一要因になっているとは思う。安直な言葉だけれど、あの恐怖の中で現れた彼は、救世主のように見えてしまったのだ。
それに、助けに来てくれた事もそうだけれど、繋がれた手と、視界に映った彼の背に、異性として意識してしまったのは否定できそうにない。
その上、ハロウィンのあの夜。
釣られるように、あの夜の事が思い起こされる。ふと真夜中に目が覚めたと思ったら、側で彼が私を見下ろしていたものだから、驚いたものの。そこから先の事を思い出すと、今更のように、顔に熱が集まってくる。
「食事」をするならそれなりに、もっと淡々と済ませてくれたなら良かったのに。
そう思いながら、別れた彼の背を何気なく見送る。
キャメルのトレンチコートに本革のボストンバックを持つ彼は、こうして客観的に見ると、思わず見惚れてしまうような後ろ姿だった。スタイルも、顔立ちも、とにかく全てが整っている。
彼の隣を歩いていると、視線が集まってくるのは否応なしに感じた。男女問わず、皆の視線を受ける彼は、その容貌から「食事」に困った事などないのだろう。
彼が吸血鬼だと知らなければ……例えば、情事の際にそれをされても、まさか血を吸われているなんて思いもしない。
誰も、あの甘く疼くような感覚が、血を吸われている感覚だなんて思いもしないだろう。
だからきっと、彼は今までその方法を取ってきたに違いない。
食事のために、情を交わす。
それが、彼らにとってこの世界でスムーズに生きていける方法であるのは、少し考えれば分かる事だった。
紳士的な振る舞いも、全て食事をし易くするためのもので。相手の心を掴み、スムーズに事を進めるためのもので。
そこに、愛情というものは少しもないのだろう。
だからと言って、そんな事は、私には全く関係ないはずなのに。
ハロウィンの夜の事も、数ある食事のうちの、ほんの一部分に過ぎない。
そう思った途端、胸の奥で、微かに軋む音がした。ほら、私の心境はどこかおかしい。
その音がどの感情から来るものなのか気づきたくなくて、それ以上は考えないように、仕事へと無理やり頭を切り替えた。
あの兄弟と生活を共にし始めて以来、仕事から帰りたくないとは常日頃思っているものの、この日はいつも以上にその気持ちが強かった。
なにせ、帰ったら膝丸しか居ないのだ。
たとえあまり言葉を交わさないにしても、苦手な人とひとつ屋根の下で二人きりというのは、どうにも胃の痛むものがある。
膝丸の、あの迷惑そうな視線を思い出すだけで、内臓が縮み込んだ。けれど向こうが迷惑がっている分、会わないようにしようと思ったら、極力会わないようにできるのだ。
兄がいなければ食事を一緒に取る事はない。兄が居ないとなると、弟はリビングにも居ないかもしれない。それなら、入浴の時間を見計らえばいいだけだ。
自分でも、これでもか、と思うほど、脳内でシミュレーションを始める。部屋から出るタイミング、夕食と入浴のタイミング、もし出会った時の対処法……。
そんな事を脳内で忙しなく思い浮かべながら、職場を出る。髭切の言いつけ通り、一人で帰る時はタクシーを捕まえよう。膝丸と帰るなんて事は、まずないのだから。そう思っていたのに。
職場を出て数メートル先。
可能性を否定していた人物の姿に、足を止める。
そこは、いつも髭切がいる場所だった。ガードレールに凭れるその人物は、兄のキャメルのものとは違う、黒のトレンチコートを身に纏っている。ポケットに手を忍ばせて、行き交う人々を眺めるその姿は兄と被るものがあり、さすがは兄弟、とは思うものの。
まさか、膝丸が迎えに来てくれるとは、思いもしなかった。
これもきっと兄に言いつけられたのだろう。そう結論に至り、留めていた足を前へ出す。
無意識のうちに遅くなりそうな歩調を、意識して調節する。一歩一歩近づく度、緊張で心臓が締め付けられた。私はどれだけ彼が苦手なのだと、自嘲したくなるぐらいだ。
ある程度近づいたところで、膝丸はふと視線をこちらへ向けた。思わず、小さく肩が跳ねてしまうも、取り繕うように会釈する。
私を認識した彼は、静かにガードレールから離れた。一対一の時は恐怖しか感じないのに、こうして日常の風景に存在している彼は、この中で異彩を放っている。
彼の姿形は、やっぱり目を引くものがあった。
どこから見ても整った風貌。黒のトレンチコートが、彼の引き締まった体型を際立たせている。
苦手意識を忘れ、思わず見入ってしまったのも束の間、訝しげに顔をしかめられ、我に返った。しまった凝視しすぎた、と咄嗟に視線を落とし、小走りに近づく。
「あ……お迎え、ありがとうございます」
「外で一人にさせるな、と言われているからな」
素っ気なくそれだけ言い放つと、膝丸はさっさと歩みを進めた。相変わらずな態度だ。そんなに迷惑ならタクシーで帰ったのに……そう思いながら、彼の背を追いかける。
髭切よりも速い歩調に、ついていくのがやっとだった。繁華街という事もあり、この時間帯は人が多い。行き交う人々とぶつかりそうになりながらも、なんとか彼の後を追う。気を抜けば、簡単に引き離されてしまいそうだった。
そしてこの時、ふと気付く。
髭切は、私に歩幅を合わせてくれていたのだ。
目の前を、人が横切る。危うくぶつかりそうになり、足を止めれば、膝丸との距離は更に開いた。その開いた距離を、通行人が埋めていく。
辛うじて見える彼の後ろ姿を必死に追いかけるも、割り込む人や横切る人々が、彼との間に壁を作った。
だんだんと見えなくなるその姿に、待って、とは言えず。
歩みを進めて、人を掻き分けて。
それを何度か繰り返すも、なかなか彼に追い付けない。
私とはぐれた事に気づかず、彼はどんどん先に行ってしまったのだろうか──そう思いながら再び人を追い越そうとすれば、突如、黒いトレンチコートの人と正面からぶつかりそうになり、はっとして顔を上げた。
私と向き合う形で対面したのは、他でもない膝丸だった。
彼も突然現れた私の姿に驚いたのか、目を見開いてこちらを見下ろしている。そしてその後、少し気まずそうに視線を逸らした。
「……すまない」
「え?」
その声は、この騒然とした中にかき消されてしまいそうだったけれど。そして私は、思わず聞き返してしまったけれど。
膝丸は、それ以上何も言わずに踵を返す。そんな彼の後を、今度こそ見失わないようにと、私も足を進める。
先程よりはゆっくりした足並み。私に合わせてくれているのだと、その心遣いが伝わってくる。
まさか、謝られるなんて。それに、戻ってきてくれるなんて。
「あの」
「……なんだ」
「ありがとうございます」
先程よりも近い彼の背に、言葉を投げる。
そんな私に対し、膝丸はほんの少しだけ、顔をこちらに傾けた。
「礼を言われる事などしていない」
車の音や人混みの音と共に、耳に届いたのはぶっきらぼうな返事だった。
けれど、緩められた歩調と先程の行動を思い出し、心がどこか、くすぐったくなるのを感じた。
結局その後はお互い無言で帰り、家に着いても会話なんてしなかった。もう一度お礼を言っても「ああ」の一言で打ち切られ、もちろん夕食を共にする事もなかった。
予想通り、兄が居なければ彼はリビングに居座る事もしない。入浴の時間を見計らってしまえば、この日、会う事はもうなかった。
向こうも、私と極力会わないようにしているのだろう。避けているのが伝わってくる。それは有り難いはずなのに……ましてや自分自身もそうしているのに、何となく心にモヤを作る。全く自分勝手な話ではあるけれど、帰り際に見せてくれた彼の僅かな心遣いが、その気持ちにさせるに違いない。
あの少しの気遣いが、彼への苦手意識をほんの少し和らげた、だなんて。
なんとも単純だなあと、我ながら苦笑した。
一夜明け、迎えた土曜日、彼は朝からどこかへ出掛けたらしい。
休日のため惰眠を貪る私の耳に、ドアの開く音が届く。この部屋ではないのだから、膝丸の部屋から出た音だ。
眠気を訴え、ぼんやりする思考の中、そのまましばらく耳をすませば、続いて玄関の音が聞こえた。
どうやら、彼は出掛けたらしい。
良かった……これで日中は気を張らなくて済む。
その思考を最後に再び寝入った後、次に目が覚めたのは、お昼近くになっていた。寝過ぎだ。しかしいくら休日とはいえ、外出なんて出来るはずはなかった。
あんな事があった後で、一人で外出する勇気もない。
この日は一日中、大人しく家で留守番をしていたのだけれど、日が暮れても膝丸と顔を合わす事はなかった。
いつもは家に居る時間になっても、彼は帰宅しない。
8時、9時と時計の針は進み、11時を示す頃になっても帰ってくる気配がない。入浴を済ませ、寝る準備を始める頃には、日付が変わろうとしていた。
彼は、このまま帰ってこないのだろうか。
いくら顔を合わせないようにしていたとはいえ、流石に心配になってくる。
時計の針は夜中0時を通り過ぎ、1時へと向かっているも、やはり玄関が開く音はしなかった。
もしかしたら、私しか居ないこの家に帰ってきたくないのかもしれない。そもそも、私が心配した所で何も出来ないのだ。
そう結論づけ、水を飲んでから寝ようと、リビングへ降りた際だった。
リビングで水をコップに注いでいる途中、ガチャリ、と玄関のドアノブが音を立てる。
反射的に顔を上げた。ゆっくりとコップを置き、静かに廊下へと足を運ぶ。
リビングから廊下を覗き見ようとすれば、ちょうど目の前を膝丸が通りすぎた。
無事に帰って来た彼に、少なからず安堵感が生まれる。
そんな彼に一応、おかえりなさい、と言おうとしたものの。口から出かかった言葉を思わず呑み込んだ。
彼が横切った途端、ヒヤリとした冷気が肌を刺した。
同時に、血のにおいが鼻をつく。
それは、尋常じゃないほどのもので。
咄嗟に、通りすぎた彼の背に目を向ける。そして思わず絶句した。
彼の歩いた道筋に、血痕が残る。
それは、今も尚、彼から流れ出ているものだった。
「ひ、膝丸さん……!」
無意識のうちに出た声は上ずったものだった。けれどそんな事、今はどうでもいい。
彼が、傷を負っている。
ぽたりと地面へ滴り落ちる血液は、脇腹を押さえている彼の腕から、伝ったものだった。
ただ事ではない。相当深い傷なのだろう。
思わず駆け寄ろうとすれば、膝丸はそんな私を、横目で鋭く睨んだ。
「──寄るな」
地を這うような低い声に、体が強張る。伸ばしかけた手を引っ込め、その場に立ち竦んだ。
膝丸は私を一瞥すると、それ以上は何も言わず、再び足を進めた。
階段をのぼっていく彼の姿が、二階へと消えていく。見えなくなった後も、ただただ呆然としていた。
何も、出来ない。彼は何も望んでいない。けれどこの出血の量、早く手当てをしないと──。
何気なく視線を落とせば、水蒸気が視界に入った。何事かと凝視すれば、それは彼の血痕から立つもので。
その様子に驚愕した。
彼の血液が、気化している。
生じる蒸気は空気に溶け込み、蒸発が終われば、その場所には何も残っていなかった。
膝丸に拒絶され、とぼとぼと自室に戻るも、落ち着いてなんていられなかった。
あれだけ酷い傷を見せられ、ぐっすり寝られるはずもない。
あの出血量……彼は帰ってくるまでに、どれだけ血を流したのだろうか。
「僕達は不死身じゃないよ」そう言った髭切の言葉を思い起こす。深い傷を負えば、もちろん死ぬのだと──灰になって消えるのだと、その言葉が耳の奥で木霊する。
あの時は、灰になって消えるだなんて、想像もつかなかったけれど。
先程の、蒸発して消えた膝丸の血液を思い出す。
命が尽きたら、あの血液のように、体すら跡形もなく消えてしまうのだろうか。
彼は今、無事なんだろうか。部屋で一人、何もしなくても回復するのだろうか──。
そこまで考えて、ふと気づく。ふと、気づいてしまった。
私にただひとつ、出来る事。
私に出来る事といったら、これしかない。そう決心したはずなのに、いざ彼の自室を前にすると、なかなか踏ん切れずにいた。
ドアの前に佇む事、数分。
中からは何も聞こえない。こんなところで時間を無駄にしている場合ではなかった。けれど自分がこれからしようとしている事に、不安から心臓が早鐘を打つ。
深呼吸をひとつ。そして控え目に、ドアをノックした。
ノック音が、廊下に響く。けれど、返事はない。
もう一度、今度は強めにノックする。それでもやっぱり、中からの返答はない。
これは本当に、のんびりしてる場合ではないかもしれないと、ドアノブに手をかけた。
鍵のかかっていないドアは、静かな音を立てながら室内へ吸い込まれる。恐る恐る室内を覗けば、目に飛び込んできたのは、ベッドに凭れて座り込む膝丸の姿だった。
頭を垂れ、ぐったりしているのが遠目からでも分かる。そんな彼の傍らでは、尚も血が流れ出ていた。
流れ、床に染みを作っては蒸発し、その水蒸気が彼の姿を霞ませて見せる。まるで命の灯火まで霞んでいくような錯覚に、焦りが生まれた。
「膝丸さん!」
駆け寄り、声をかけるも、反応がない。呼吸も、しているのかよく分からない。
焦りから、頭が混乱し始める。どうしていいのか分からない。出血がまだ止まらないなんて。
酷い出血の仕方と、動かない彼の姿に顔が青ざめた。まさか、死んでしまったんじゃないだろうか──そう思った瞬間だった。
閉じていた彼の目が、急に開かれる。
突然の事に驚いたのも束の間、伸びてきた彼の手は私のうなじを掴み、強く彼自身へと引き寄せた。引かれるまま彼に倒れ込んだ、そのすぐ直後。
彼は、私の首筋に歯を立てて咬みついた。
「──っ!」
手加減無しに咬みつかれ、鋭い痛みが脳天へ突き抜ける。
彼の歯が、皮に、肉に食い込む。ギリ、と力を入れられ、走る激痛。あまりの痛さから、視界に涙が膜を張った。
このまま殺されるのではないかという恐怖に、呼吸が震える。
彼に強く固定され、逃げられない。そう思ったものの。
突如、彼は口を離し、私を力一杯押し退けた。
強い力で肩を掴まれたかと思えば、そのまま私をはね除ける。その勢いで、床に体を打った。
何が起こったのか分からなかった。首筋は、まだズキズキと痛みを放っている。
見上げれば、膝丸は苦悶の表情で私を見下ろしていた。
苦しそうに眉を寄せ、息を荒げる彼の口元には、鮮やかな赤が差している。
瞳孔の開いた瞳は捕食者のそれで、彼はその目を細めて私を睨むと、大きく舌打ちした。
「近寄るなと、言ったはずだ」
一言一句、重みを含ませながら言い放つ。口元を手の甲で乱暴に拭った彼は、まるで落ち着かせるかのように深く呼吸した。
そして一度強く目を瞑れば、そのまま脱力したように、再びベッドに凭れかかる。
膝丸さん、と声をかけようとした私を制するように、彼は口を開いた。
「出ていってくれ」
たった一言に、たっぷり拒絶を滲ませて。これ以上関わってくれるなと、彼は閉じた目を開けようとしない。
首筋の痛みは、鈍痛に変わる。心臓が脈打つ度、重い痛みが脳に伝わり、頭がかち割れそうに痛い。
でも、それでも。
膝丸の側へと、静かに近づく。
先程殺されそうになったにも関わらず。次は、本当に殺されるかもしれないのに。だいたい、彼の事なんて、苦手でしょうがないのに。
何をやっているんだと、自分を非難したい。けれど、見過ごせるはずなかった。
膝丸の顔から血の気が失せている。それは間違いなく、今も止まらない出血のせいで、このまま放っておいたら、きっと死んでしまう。
膝丸が微かに瞼を上げる。そして睨む視線そのままで、迷惑そうに私を見た。
そんな彼に怖気づきそうになりながらも、一度唾を飲み込んだ後、意を決して口を開いた。
「血が、必要なんですよね? 私の、血を、使ってください」
声が震える。恐怖からなのか、痛みからなのか、もはや何が原因で震えるのか分からなかった。
膝丸は私を見るだけで、何も言わない。
「そ……その傷、治らないんでしょう? こういう時のために、私を飼ってるんじゃ、ないんですか……?」
途切れ途切れに繋ぐ声は、自分でも意図しないほど、泣きそうなものだった。やっぱり怖さが大部分を占めているのだろう。
でも、言ってしまった。もう取り消す事なんて出来ない。
膝丸の反応を窺う。肩で呼吸している彼の目は虚ろになり始め、けれどその視線は、しっかりと私の真意を探るようなものだった。
膝丸は再び目を閉じる。その後、ハッ、と鼻で笑った。
「……君は愚かだな」
彼の瞳があらわになり、その視線に捉えられたのと同時だった。
手首を引かれ、体勢を崩したかと思えば、背中を床に打つ。
その際に首筋の痛みが疼き、一度目を瞑った後に再び瞼を開ければ、私を押し倒した膝丸の顔が視界に映った。
彼のサラリとした前髪が垂れる。普段隠れている右目もあらわになり、その双眼に見つめられ、不意に緊張した。
膝丸はしばらく私を見据えた後、静かな口調で切り出す。
「俺は今、余裕がない」
「……は、い」
「加減などしてやれないぞ」
膝丸の射抜くような視線に、身が竦む。
彼の言葉が意味している事は、つまり、先程の苦痛をまた味わなければいけないという事で。もしかしたらこのまま、私の血液を全て飲み干されてしまうのかもしれない。
怖い。けれど、何故かもう、後に引くつもりはなかった。
これから訪れる事に耐えるように、目を強く瞑った。震える歯を食いしばる。
閉ざされた視界で、膝丸の深い溜め息が聞こえた。
そして彼の手が再びうなじに、今度はそっと、宛がわれる感覚。
強い緊張に襲われる中、首筋に、ひんやりとした感触がした。
咬みつかれるとばかり、身構えていたのに。
彼は触れた唇を、食むように動かす。時折、歯を押し当てられて体が硬直するも、それは甘噛み程度のものだった。甘噛みの合間に這わせられた舌の感触に、体が震える。恐怖とは全く別から来る震え。彼は、ちゃんと加減をしてくれているようだった。
でも、余裕がないのも確かなのだろう。
いつも感じる、あの甘く強い刺激と共に、頭から急速に血の気が引いていく。
このまま、全て飲み干されてしまうかもしれない。
そうぼんやり思いながらも、彼の心遣いのおかげで恐怖心が薄れる中、意識がだんだんと遠退いていった。