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美酒と嘉肴

全体公開 ムゲンWARS 19391文字
2017-10-09 23:46:54

トレアンドット村焼き討ち阻止企画によせて、一本書かせて頂きました。オリジナル勇者である酩酊の勇者と、酔の魔王が出てきます。

Posted by @san_ph7

1.
「いい酒があるって聞いて来たんだがなぁ」
 ぼやき、男は橙色の髪をした派手な頭を掻いた。
 男が訪れたセレニタ国のトレアンドットという小さな村は、長閑ないいところで、なんでもここで少数作られるワインが市場には出回らないものの、非常に美味しいと旅人たちの間で噂になっている。流れの傭兵のような仕事をしていた男は、ここへ来る前の土地でこの場所のことを偶然聞きつけた。古今東西の美酒を味わうため、そして無類の酒好きであるこの男は、本来の目的を放り出してふらふらとこの村へやってきたのだ。
 ところがどうだろう、彼の視界に映るのは静かでのんびりとした、牧歌的な村の雰囲気ではなかった。村人たちは何やら慌ただしく走り回って、中には武装している若い男たちまでいる。何か大変なことが起こっているようだが、旅人である男には事情が見えない。
 首を傾げる。それから、彼の近くで大慌ての大人たちをどうすることもできずに眺めている子供に話しかけた。
「よお、ボウズ。なんか忙しそうだけどよ、大丈夫か?」
 ぱちぱちと目を瞬かせ、背の高い旅人を見上げる。少年は男が背に剣を収めた鞘を背負っているのをちらと見た。それから好奇と少し恥ずかしさの混じった様子で、男にこう言った。
「おじさん旅人さん?」
「ん。そんなとこだ」
「あんねー、おっかないのが出たんよ。それで、大人はみんな大変なの」
「おっかないのって何だ?」
「けもの」
 少年は山の方を指差した。
 トレアンドットは山間の小さな村である。標高は高くはない。複雑な地形がそうさせるのか山には野獣の類が棲みついており、それが里へしばしば降りてくるのだそうだ。男は運悪く、そんな時に居合わせたようである。武装した若い男たちはこうした事態に備えるための自警団だそうだ。
「したら、なんか手伝えることもあるかもしんねぇな」
「おじさん闘えるん?」
「後ろのこいつは一応飾りじゃないんでね」
 少年に導かれ、男は自警団の男たちの集まる場所へ近づいていった。男たちは最初、もてなしができる状態ではないことを詫びたのだが、彼が闘えると知ると助力を求めてきた。この状況で応じない理由もなかったので男は快諾する。鎮圧に成功すれば酒を飲むこともできるだろうと信じて。
 昼過ぎの陽気な太陽は、素知らぬ顔で頭上に輝いている。秋深まる時期ではあるが、直に日光へ照らされれば汗が滲んだ。聞けば今年の山の実りは例年より乏しい傾向にあるせいか、里人の収穫物を狙い普段はあまり見かけることのない動物たちが降りてきている。そしてそれを追って、野獣たちもまた里へ降りるようになったのではないか、という話だった。聖界で暮らす人々がこうした自然の脅威に晒されることはままあることだ。男も各地を旅しながら野獣や、或いは魔獣の討伐依頼を受けることが少なくない。
 山沿いの田畑の間を移動しながら彼らは歩いた。山側は壁のようにせり上がった崖になっている。崖の上から向こうは森のようだ。田畑のほとんどは収穫が終わっている。落穂を拾いにきたのか鳥をよく見かけた。
 すでに負傷者が何名か出ているためか、若い男達は大分気が張った状態にあった。対して、男は状況に慣れているおかげで緊張はしていない。集団の後部を散歩でもするように付いてくる。すると口慰みか、ひとりの若者が彼に話しかけてきた。
「あんた、随分間の悪いときにきたな」
「んや、逆じぇねぇかな。あんたらは俺がこのタイミングできて助かった、って思ったろ? 俺、そういうの仕事にしながらいつも飯食ってんだよ。だから丁度よかったぜ、きっと」
 へらりと笑う男に、つられて若者も笑った。
「頼もしいわ。こうして自警団なんて組んどるけど、腕っ節が立つのばかりってわけやあないからな」
「ここはんな頻繁に俺みたいなのが来るってこともないんだろ? なら自衛は大事だ。いつでも頼れるわけじゃないなら尚更な」
「せやな。うん、うちにも昔強くて頼れるひとはおってん。旅に出てしもたけど。世間様の役に立った方がええやろって、周りの大人がいうてな」
 若者はちょっと興奮気味に語った。どうやらその「強くて頼れるひと」は村を出てしばらくした後、信託を受けて勇者になったらしかった。勇者の故郷である山間の小さな村は、この知らせに大層大喜びした。何しろ、彼がまだ元気で、そしてちゃんと人の役に立っていることが分かる便りだったから。こうしたこともあって、大人たちはともかく、まだこの若者や子供たちはしばしば帰郷する気さくな兄貴分に、昔から随分憧れを抱いているようだ。
「その兄ちゃんも勇者なんだな」
 セレニタは王族に勇者を擁する国家である。読心の勇者と呼ばれる姫君の他に、この小さな村からも勇者が出ているとは知らなかった。勇者とは、時にその数が国力を表す。嫌な話だと彼も思うのだが、単純な軍事力や、権力として数えられることもある。なるほど、セレニタはそういう意味でも豊かで、そして賢い国だ。彼はもうひとりの勇者の存在を知らなかったのだ。それらをおおっぴらに誇示することがなかった、ということである。
 男がそう言ったものだから、話題は自国の可憐な姫君についてに変わった。両の目を覆い、ひとの心を読むという優しい勇者について、それはもう雄弁に楽しそうに若者は語った。どこまでが本当なのか分からない若者の話を半分ぐらい聞き流しながら、彼は周囲の警戒も怠らなかった。
「いたぞ!」
 集団前方で声を上げた男の声にいち早く反応した男が弾かれたように駆け出す。背に負った鞘からすらりとした刀身が引き抜かれ、集団のその先、田畑の柵を掴んで飛び越える。目の前には、襲ったばかりの鹿を捕食する狼のような姿が3頭確認できる。痩せ細ってはいるが、平地で見るようなものと違い体格のサイズはこちらの方が大きい。
「そらよぉ!」
 そのまま勢いをつけて、刀を振るった。暴風のような一撃により、その場にいた全てが男によって薙ぎ払われる。悲痛な叫び声を上げて山側の崖に叩きつけられた獣たちは、けれどもよろよろと立ち上がりながら彼へと牙を剥いた。
 視線を逸らさず後方からこちらへ駆けつける男たちへ叫ぶ。
「気をつけろ! まだいっぱいいるぞ!」
 複数の遠吠えが山の崖の上から聞こえる。直後、唸り声を伴って何かが崖から駆け下りる音が複数。彼は後ろを振り向かなかった。恐らく、大丈夫だ。人間の悲鳴は聞こえなかった。彼らの身を案じ振り返るより、すべき仕事を片付ける方が優先である。
 彼は刀を地面へと突き刺した。陽光に照らし出されたそれは、刀身が木で出来ている、いわゆる木刀だった。美しい木目と整った造形は、単なる骨董としておいた方がいいのではないかと思わせるほど、一級の美術品のような気品を漂わせている。見る者が見れば、まず実戦向きではないと思うだろう。
「仕事の時間だな!」
 彼はそう言って、腰につけていたスキットルを取り出し、口を開けて中味を一気に流し込んだ。腹の底から燃え上がっていくような感覚。心地いい。これを見ていたのか、先程まで男と話していた若者が思わず声を上げた。
「兄ちゃん何してん!? ちゅーかそれ木刀やん!?」
「集中しろボウズ! 食われたくないだろ!」
 復讐に燃える獣の牙が彼に迫った。彼は最初に肉薄してきた1匹をその場で綺麗に蹴り上げこれをいなす。続いて頭部目掛けて飛び上がったもう1匹を唸る拳で地面に叩きつけた。そして、彼がその木刀を手に取る。瞬間、握った柄の部分から木刀の色が変化した。最後の1匹が彼の腹部を狙い飛び上がったのを彼はすんでのところで横へ回避し、そのまま片手で得物を振るった。
 胴体をスパンと両断された獣は断末魔すら上げずにどさりと地面へ落下する。彼の握る刀は、造形の美しい骨董品から、複雑な木目模様を鈍く浮かび上がらせる鋭い刀へと変貌していた。
 僅かに血を滴らせる切っ先をそのまま先に昏倒させておいた2匹にも突き刺す。間違いなく命を奪ったことを確認してから後ろを振り返った。一部は戦闘を継続していたが、それもすぐに片付いた。彼の一声で襲撃に対する体勢を整える精神的猶予を与えられたかは分からなかったが、少なくとも派手に負傷している者はいないようだった。
 獣の屍が次々にできていく光景を見ながら、彼は先程の若者が柵に背を持たせたまま、座り込んでいるのを見つけた。近づき、よぉ、と肩を叩くと若者はびくりと身体を震わせて男を見上げる。
「あー兄ちゃん、あんた、やっぱ強かったんやな。そんで、酒臭いな! 本当にあんな場面で飲んでたんか。なんちゅうひとや……
「なんだ、ボウズは腰抜けたのか。もしかして初めてだったか?」
 面目なさそうに頬を掻いた様子を見て、若いねぇなどと彼は心の中でひとりごちた。
「ま、初陣怪我がなさそうで何より。立てるか、”勇者殿”」
「からかわんといてや、俺は別になんも」
 若者が立ち上がる際に彼が腰に下げたスキットル、その表面にあしらわれた暗紫の宝石に目を留めたのと、男が何かに気づいたのと同時だった。
「なんかでかいのがくるなこれ。下がってな」
 男は刀を構え、再び崖の方へ相対した。何か、大きなものの気配だ。突如、恐ろしい咆哮が上がり、鳥たちが空へ飛び立った。ざわざわと森が騒ぐ。雲が太陽を遮った。日が陰ってじわりと空気が重たくなり、気持ちの悪い風が吹いた。
 そして巨大な影が男の方へ飛び出してきた。ずずん、と音を立てて眼前に着地したそれは、先程までとは全く比較にならないほどの大きさをした獣である。体高は大人の身長を有に超える。大きな口は、子供を噛まずに一飲みにできそうだ。そして牙を剥き出しにして、男に襲い掛かろうとしていた。
 彼はこれを冷静に見つめていた。彼らが殲滅した群れの親玉だろうか。それにしても、自然環境下でこれだけ極端に大きく育つことはあまり考えにくい。
――まぁ多分だが、魔獣なんだろう。
 寄せ付けやすい土地柄なのか、或いは、これもあまりないことかもしれないが野良のゲートが山に存在して、漏出する魔力によりもともと生息していた獣たちが急速に変化した、ということもある、かもしれない。
 彼の考えをよそに、魔獣は僅かに開いた口の隙間からぼたぼたと涎を垂らしながら、じわじわとこちらへにじり寄ってくる。金の瞳の瞳孔が細くなると、次の瞬間撃ち出された砲弾のように巨躯が駆け、彼に迫った。
「おう! 犬ころごときに名乗る名前じゃあねぇけどよ、冥土の土産に聞いていけ」
 持っていた刀を水平に構え、その薄い刀身を片手ですっとなぞる。最初からそうであったかのように、その刃は赤く光り輝いた。ゆらりと陽炎のように、刀身と景色との間が歪んだ。灼熱を帯びている。
「俺の名は酩酊の勇者。いっちょ地獄の、美人なねーちゃんに伝えといてくれよな!」
 振り上げられた刃が赤く煌めいた。飛ぶような鋭い斬撃に合わせて、全てを焦がす熱風が吹き荒れる――

       

2.
「そこでな! 酩酊さんが『犬ころごときに名乗る名前じゃねぇけどよ』って」
「アキそれ何度目やねん! 天丼なんちゅう回数ちゃうぞ!」
 そう呼ばれた若い男は酒を煽りながら、昼間見た光景を宴の席でしきりに繰り返している。余程興奮したらしい。
 当の酩酊の勇者はというと、アキの横で片手にエールのジョッキを、もう片方にワインのグラスを掴んで素知らぬ顔で交互に飲みまくっていた。褒め称えられるのが嫌いなわけではないのだが、そんなことより酒を味わう方が彼にとっては大事なことなのだ。
 昼間の討伐劇はアキのせいにするまでもなく村中に広まって、危険な獣を退治した酩酊は瞬く間に上等の客人という立場を与えられた。願っていた通りに村で作られたワインもこの通り飲むことができるし、何より偶然通りがかった勇者の助力を得て、村に及んだ危険を退けたことを喜ぶ人たちを見るのが、彼はとても嬉しかった。褒められることよりも、誰かの助けになり、結果何かが守れたのなら彼にとってこれほど嬉しいことはない。そしてそうした宴の席で飲む酒は、何にも代えがたい美酒となるのだ。
 週に一度行われるという集会所の会合は、こんな出来事があっては当然といったところか、まともな話し合いにはならなかった。たちまちただの宴会になって、村中の男や女や果ては子供まで出てきて大騒ぎになった。どこから出てくるのかエールが振る舞われて、酩酊の座った机の前には彼が酒好きと聞いた村人たちからじゃんじゃか酒が運ばれてくるし、素敵なご馳走もある。隣でひっきりなしにアキが武勇伝を――昼間の討伐劇は若干脚色されている――語るので、小さな男の子たちはアキの熱い語りに当てられてはしゃぎ回った。
 そのうち誰かが踊りだして、誰かが楽器を引っ張り出してくる。酔いも回って興が乗った酩酊がおもむろに立ち上がり、手拍子を加えながら歌い始めた。どこか少しだけ遠い異国の香りがする歌だ。最初はちょっと驚いた里人たちも彼の意外に美しい歌声と軽快なリズムに乗って、靴を鳴らして誰も彼も踊り始めた。そのうち隣でうつらうつらし始めたアキの手を取って、彼は人混みの中に押しやる。揉みくちゃにされ、村の若い少女たちと照れながら踊り始めたアキを見て、酩酊は大笑いしながらワインを煽った。賑やかな夜が、更けていった。


 さて翌日。
「うう」
 集会所の椅子の上で転がっていた勇者は頭を抑え、青い顔をして起き上がった。もう彼にとっては恒例行事のようなものだ。二日酔いである。あまりの苦しみに川に飛び込むことさえあるぐらいだ。ただこれだけ歓待を受けて、「二日酔いが苦しいので死にます」はないだろうなと冷静に考えながら、彼はふらふらとした足取りで戸外へ出た。
 山間の村の朝は薄く靄がかかり、まだ空を昇りきらない太陽から発せられる陽光がヴェールのような靄にぼんやりとした建物の影を落とした。冷たい空気は頭痛のする頭を気休め程度には癒やしてくれる。水を求めて井戸を探した。
「だいじょうぶ?」
 屍のようにうろうろしているところを昨晩アキと彼の周りではしゃいでいた子供たちに見つかり、おもちゃを見つけたような顔をして井戸まで引きずられていく。
「随分早起きなんだな……うぶっ」
「ゆうしゃさまもワイン昨日飲んどったけど、礼拝堂の裏手はぶどう畑になっててん。お世話は僕らがやるんやで。せやから早起きなんよ!」
 昨日酩酊の元に運ばれてきた大量のワインとエールは、礼拝堂のそばに立つワイン蔵に貯蔵してあったものであることも、子どもたちは教えてくれた。
 有り余る元気により丁寧なのか乱暴なのか分からない介抱を受け、やっと彼は水を口にすることができた。相変わらず青い顔をして礼を述べつつ彼はこうぼやいた。
「昨日エール以外に水は飲んでなかったもんな……
「エールはお酒やと思うんやけど?」
 その通りである。
 屍状態の身体に鞭打って、揺れる視界と食道をせり上がってくる何かと戦いながら子どもたちに遊ばれていると、集会所から出てくる大人の中に混じってアキの姿を見つけた。力なく手を振ればこちらへ駆け寄ってきてくれる。
「酩酊さん大丈夫……。いや全然大丈夫に見えへんわ、肩貸してな」
 昨日腰を抜かして一太刀もいれることができなかった若者の背中は、二日酔いで弱りきった勇者には何だかちょっぴり頼もしく見える。
「今な、村にお医者さまがきてん。もしかしたらお薬もらえるかも」
「そりゃいいや」
 アキは子供たちに件のお医者さまを呼ぶように伝えた。運ばれた先はアキの家だった。酔い潰れて昨日の勇姿の欠片もない勇者を見て、アキの両親は苦笑しながら部屋をひとつ貸してくれた。白くてふかふかのベッドの上に降ろされる。
 それから手渡されたグラスの水を一気に飲み干して、彼はううとかああとか聞き取れない声で呻いた。
「酩酊さんて、お酒弱いん?」
「酒に弱いっつーか、違うんだわ。これ」
 彼は自分が身につけていたスキットルを取り出して、少し振った。少量だが水音がする。
「の、せいだな。酔うほど、何ていうの、調子よく動けるんだけど、翌日はいつもこうだ。たまったもんじゃねぇ」
 ひらひらと手を振って、顔を埋める。
 酩酊の勇者の能力は、酔いを自身へのバフへと変えることである。つまり、酔うほど強い。スキットルの中に入っている酒は少し特殊なもので、とある魔界で手に入れた酒だ。これを飲むと、普通は段階を経て回っていく酔いがこれだけで限界まで高まる。わざわざ大量に酒を飲まなくても最大限のバフを最初から自分にかけることができるので、彼は重宝していた。ただし、代償に翌日は確実に二日酔いになる。死にたくなるほどに。
 甲斐甲斐しくアキに看病されながら、酩酊は昨日のことを考えていた。周囲の山にもしまだあの大きさの魔獣が潜んでいるのならば、冬が来る前に叩いておいた方がいいだろう。何が原因なのかも気になる。野良ゲートか、それとも他の要因なのか。無論村人たちで対処できるような代物ではない。タダ酒は置いておいて、看病代と宿泊代の恩は返さねばなるまい。酩酊は体調が整い次第、山に入るつもりでいた。
 しばらくすると、扉をノックする音に続いて、子どもたちに押されて蓬髪の男がひとり入ってきた。
「おはよう。この子たちから何か困っているひとがいるって聞いたんだけど」
「センセイ!」
 男はやぁとにこやかに微笑んだ。痩せ型の男は穏やかな雰囲気を持っている。
「おじさんはマーニー。旅の医者みたいなもんだよ」
 あなたは昨日の勇者様だよね、と笑いながら持っていた皮のカバンの中へ手を突っ込んだ。話を聞けば、医者というほどではないが簡単な治療ならできるという程度の腕前らしく、いろんな場所を巡っているのだそうだ。この村には酩酊がくる少し前から滞在している。付け加えて、昨日出た負傷者の面倒もセンセイが診てくれたのだとアキが教えてくれた。
「二日酔いに効くかは分からないけど」
 そう言って、瓶に入った頭痛薬を枕元に置いた。
「勇者様はどこも怪我してないんだね?」
「そや、酩酊さん、昨日の……大分熱かったけど」
 一瞬何のことかと思ったが、そういえば気分がよかったので、過剰に魔力放出して刀に炎のエンチャントを掛けた覚えがある。収穫済みとはいえ田畑に延焼せずに魔獣と周囲が焦げたのみで済んだのは幸いだったなぁ、とやはり彼は心の中でひとり呟いた。
 ぼんやりしたままの酩酊の様子を不思議がって、アキがその両手を取った。うわ、という声が聞こえる。彼も自分の両手をよくよく見てみれば、火傷で水ぶくれをおこした皮膚がことごとく破けていた。存外、柄も熱かったらしい。
「こりゃいかん」
 それからマーニーは、自分が扱う医薬の中ではよく効くと評判らしい軟膏を丁寧に塗った後、彼の両手を包帯でぐるぐると巻いた。
 治療中、彼は何故かマーニーの顔から目が離せなかった。頭痛が止まない頭でぐるぐると考える。どこかで見たことがある。旅の途中で、もしかするとお互い覚えていないけれど世話になったことでもあったのだろうか。それとも昨晩の宴で彼を一瞬でも見かけたのだろうか。既視感はけれどうまく働かない頭のせいで、はっきりさせることができない。
 治療が終わると、マーニーは立ち上がりこう言った。
「今日一日はおとなしくしておいたほうがいいよ」
「言われんでも……動けんわこれ。うぶっ」
 酩酊はこうして今日、まるで役に立たない一日を過ごす羽目になった。


       
 
3. 
 夕方、酩酊の二日酔いがようやっと収まった。不便な両手を使ってのろのろと扉を開けると、女性が夕餉の支度をしている最中だった。気配に気づいたのか、彼女はにこやかに振り返る。
「気分はいかがですか、勇者様」
「アー、ご母堂、世話かけまして。どうもすいません」
 頭を下げ、何か手伝えることはないかと申し出る。彼女は酩酊の両手を見て、それから少し思案した後に、アキと彼の父親を呼んできてくれないか、と彼に頼んだ。テーブルを見れば既に食器の準備は済んでいて、明らかにここに住む家族の人数よりも一人分多い。酩酊は困ったように頭を掻いた。
 戸外に出ればどうやら村は収穫祭の時期らしく、昨晩の大宴会ほどではないが賑やかな雰囲気だ。民家や広場、小さな礼拝堂も飾り付けがされている。夕暮れの小さな村のそこここで美味しそうな匂いが漂ってきていた。
 すれ違う里人たちは皆親切に声を掛けてくれた。アキの父親はすぐに見つかって、世話をかけたことと礼を述べ、それから少し世間話をした。
 山は村人たちの共有地で、木材や草木を刈るために利用していること。口振りから察するに、今回のような事態に山の中で遭遇することはあまりないようだ。恐らく山の深い場所にまで分け入らないせいもあるだろう。ならば彼らが野良ゲートの存在の有無を知るはずもない。本当に異変が起きているかどうか、それらに気づいているのは酩酊だけだ。
 ゲートは聖界と魔界とを繋ぐ空間の門である。本来はこちら側から向こうへ、特定の条件下で行き来することができる代物だ。門を開くのにも条件があり、これは通常勇者ひとりでは行うことはできない。そして普段彼ら勇者が聖界から魔界へ行くには、女神の間を中継しなければならない。
 野良のゲートというのは、そうした中継を挟まずに向こう側へ行くことができる自然発生したゲートだ。何しろ災害のようなもので、いいことはない。ゲートからは魔界の魔力が流れ込んでくるし、或いは魔獣が入り込むこともある。逆に、それとは気づかずにごく普通の人々がゲートにうっかり迷い込んで、戻ってこれなくなったという話もたまに耳にする。
 酩酊は微かな不安を覚えて、今日は誰か山に行ったか聞いてみた。幾人かが収穫祭の準備のために入ったが、昨日のこともあるため自警団も同行させ、何事も起きていないとの答えが帰ってくる。彼は安堵した。
 それからアキを探しに丘の方へ向かった。丘は牧草地になっている。アキは何頭かの牛を厩に戻すところだったようで、こちらに気づくと手を振ってくれた。
 丘からはセレニタの国が見渡せる。眺めのよい場所である。紫色の不思議な色をした空には星が輝き始めていた。
「いい景色だ。酒飲むならこんなとこもありだな」
「酩酊さんの酒好きなんは勇者になってからじゃなくて、元からなんやね……
「変わんねぇよ、何も。やることも、生きてくのも。何かが特別になったりは、俺はなかったな。怪我しにくいかってぇと違うし、できることが増えたように思える分、医者にかからなきゃならん回数は増えたかもな」
 酩酊は両手を見た。どのみちリスポーンすれば治ってしまうのだが、好意を無駄にするようなことは好きではない。
「勇者って大変?」
「”強くて頼れるひと”の話か?」
「んー、それもあるんやけど、酩酊さんも……
 アキは酩酊からちょっと顔を逸した。昨晩のはしゃぎ様を見ても分かることだが、彼は勇者に対して特別に憧れがあるらしい。
「アキお前いくつだ?」
「16」
「俺の国じゃもう成人だなぁ」
 あまり話し過ぎると、たまに帰ってくるという気さくな兄貴分に迷惑がかかりそうだなと彼は思った。アキは年齢はともかく、彼から見てもまだ少し子供っぽさが残っている。本音をいうと、あまり興味を持ってほしくない。勇者なんて望んでなれるようなものではないのだ。信託など大抵は女神の気まぐれである。
「さっきも言ったけどな、勇者になってもならなくても、やることは変わんねぇんだ。俺は昔、自分の国で兵士をやっていた。危ないものから人間を守る仕事だ。信託を受けて勇者になってもそれは同じ。できることが、ほんの少し増えただけだ。それもほんの少し。
 自分を過大に期待するのは禁物だ。怪我するしな。ただし自分を信じられないってのもよくねぇ。できないこと数えるより、何ができるかっていうのを自覚した方がいいし、そうやって自分とよく話し合うことができるやつは、場所を選ばずに自分の力を発揮できる。そういうやつがカッコイイんだ」
 アキが難しい顔をしていると、酩酊は笑ってこう言った。
「別にな、勇者にならなくても強いやつは強いし、何なら信託なんてなくても勇者になることはできるんだって話だよ」
 それから、アキの頭をぐしゃぐしゃ乱暴に撫でる。やめてや、と抵抗する彼を見て思う。きっと、アキの周りにはそうした”カッコイイ”が多かったのだ。そうした大人に、ひどく憧れているのだろう。気さくな兄貴分然り、勇者はその中でも、カッコイイの代名詞のようなものなのではないか。
 それは悪いことではないはずだ。酩酊だって精神の姿勢ではなく、上辺の格好良さを求めて兵士になったような覚えもある。だが、別に見た目やそれっぽさだけを身につけても、アキの求めるカッコイイはたぶん手に入らない。
 乱れた髪を撫で付けながら、アキはしばらく考えてから酩酊に聞いた。
「酩酊さんは、勇者になってから国を出たんか?」
「そうだな」
「それは、できることが多くなったから?」
「少しだけな、少し。まぁ上官と揉めて軍を退役したのもあったんだけどよぉ」
 うっかり昔を思い出したことで、気恥ずかしさを感じて頭を掻いた。
 酩酊の国はすでに滅んでいる。と言っても、故郷であった場所に国自体はまだある。時代の流れだったのだろう。国の名前も、彼の暮らしていた街も随分様子が変わってしまった。大きな争いがあったと、故郷から離れた地で聞いたときには全てが終わっていて、彼は何だか取り残されたような気分になったものだ。
 勇者は信託を受けた瞬間の自分を記録される。死んでもその時に記録された自分として蘇る。世間は女神の祝福であるというが、彼が思うにこれは呪いのようなものだ。酩酊も正確に数えてはいないが、彼の年齢は恐らくアキの両親をとうに超えている。消滅することもなければ、老いることもない。魂の牢獄だ。長く生きれば、楽しいことも辛いこともそれだけたくさんある。彼はこの憂いを酒で吹き飛ばすことにした。美酒を求めるのもそのためだ。
 そういった事実を酩酊はアキに教えることはなかった。ないとは思うが、願わくばこの少年の元へ信託など降らぬように。
 彼はアキと牛たちを追いながら自分の故郷の話をした。東の国の文化はアキにとって馴染みのないものだったのだろう、目をキラキラさせながら彼の話に耳をそばだてていた。
 厩へ牛たちを戻した後、彼らはマーニーを見かけた。彼はひとりで村の中を散策しているようだった。アキがいうには、彼は村長の家を宿に借りているそうだ。しかし、やはりどこか既視感を覚える。マーニー本人に聞いてみようか迷ったが、アキと話し込んでしまったおかげで大分遅い時間になってしまった。
 今日は諦めようと、マーニーから視線を逸らそうとした瞬間、その背後の空間が光が複雑に屈折し歪んだように見えて、彼は思わず振り返った。だが、そこには何もない。
「酩酊さん、どないしたん?」
……いや、何でもねぇわ」
 加速する違和感に胸騒ぎを覚えながら、酩酊はアキと共に帰ることにした。


       ****
 
 
 夕餉を囲んだ後、彼は食事と一泊お世話になることに丁寧に礼を言った。分かってはいたが、旅人に寝床を貸すことに対して彼らはあんまりに躊躇がなかったので、恐らく今夜世話になるのだろうなとは酩酊も薄々思っていた。それから、片付けの手伝いを申し出て断られたり、アキの父親に酒を注がれたりしながら何事もなく夜が更けていった。
 月が高く上がった頃、酩酊はむくりと起き上がった。両手の包帯をほどく。治っている。夕方酒を入れて若干身体能力にバフがかかったおかげもあるが、マーニーの処方した軟膏が余程効いたのだろう。ありがたいことである。
 彼は音を立てぬよう身支度をして、窓から外へ飛び出した。酩酊はもたもたするのは嫌いな方だ。できることはすぐやってしまいたい。こんな時間だが、彼は山へ入ることにした。
 入会地へはちゃんとした入り口がある。だが緩やかな山の斜面は登るほどきつくなり、ひとのつけたであろう道も進んでいくうちになくなった。茂みの中から獣の気配はするが、彼が通りがかるとそれらはすぐ逃げてしまう。
 彼はスキットルの中に僅かに残った酒を飲み干して、感覚を鋭敏に研ぎすませた。漂う魔力の濃い方角へ、足を進める。
 やがて、山の頂上付近で一本の木を見つけた。開けたこの場所からは山の下、つまり村の様子がよく見える。その木の周りには他の植物は生えておらず、不自然な印象を受けた。彼はこれに見覚えがあった。本来、この地方には自生しない種類の樹木だ。顔をしかめてオイ、と声を上げる。
 ふわりと微かに花の香りが鼻孔に届いたかと思うと、生暖かい風が吹いて、酩酊は思わず瞼を閉じた。
「いい夜じゃあないか」
 聞き覚えのある声にやっぱりか、とため息をつきながら目を開けると、その木の幹に背を預けて、異国の服装をした女がひとり、立っていた。手には朱に塗られた杯を持っている。長い髪を後ろでゆるく束ねて、耳の上に花の髪飾りを差していた。目を細めて、嬉しそうにこう続ける。
「そう思わないか? 異国の地の月を見上げて飲む酒は最高だ。この国は気候もいい。おれは秋も好きなんだ」
「おまえ、酔、どうしてこんなところに生えてやがる」
 彼女は人外である。名を酔の魔王という。勇者の宿敵である魔王は、酩酊とは訳あって敵対していない。酩酊と敵対していないだけであって、人間に対して友好的なわけではない。彼女が重んじるのは、自分の世界の住人と、自分の世界を訪れる客人だけである。
「ふむ。知りたいか。とりあえず、ほれ」
 彼女は杯を軽く掲げた。意図を察した酩酊がスキットルを投げてよこすと、口を開けて杯から中身を注ぎ始める。
「お前がここにきたのは、魔獣化した獣の原因を探りにだろう? 原因はおれだ。何、用事が終わったら帰るさ。好きに切り倒してくれて構わんよ」
「今たたっ斬るのじゃ駄目なのかよ」
「用事があると言っただろう」
 注ぎ終わったスキットルの口を締めて酩酊に投げて返す。
「おれの街で女殺して火ィつけやがったのがいてな」
 酔の魔王の話はこうである。酔の国は酒と女の街だ。魔界やときたま聖界から客を招いてはそういう商売をしている。酔は街の長であり、女衒だ。女たちは彼女の大事な臣下であり、娘であると日頃からのたまっている。彼女は街の戒律を犯すものを決して許さない。火付けと盗みと殺しは、言うまでもなくどの国でも重罪だ。そして哀れな無頼の輩は、極刑ふたつぶん罪を重ねた後、酔の世界へ偶然繋がった野良ゲートを使ってまんまと外へ逃げおおせたという。
「じゃあお前、ここにゲートがあるってことは逃げた先は」
 酔は山の下を指差した。
「逃がすなよ! 斬りゃあよかったろ!」
「おう。死人の面ァきちんと拝ませて、同じように殺してやるつもりだよ」
 酔は酩酊の方へ近づいて、胸ぐらを掴みぐいと引っ張った。
「だからな、お前が下手人とっ捕まえてくるってんなら、おれはこのままゲート閉じてすぐ帰るさ」
「まるで意味分からんぞお前ェ……
 けたけたと笑った酔の手を振り払う。酔の言うとおりに逃亡犯を捕まえてくればゲートは閉じられ、突然変異した魔獣が里へ下りるようなこともなくなるだろう。
「お前、ここに俺がこなかったらどうするつもりだった」
 酔は黙ってにやりと笑った。酔のことだ、もっと大事にしたに違いない。呆れ果てた酩酊の前に、ずいと何やら紙が突きつけられる。
「下手人の顔だ」
……なんだこれ、魔界の手配書、なのか」
「野郎うちだけじゃねぇ、あちこち火ィつけて回ってやがる。とんでもねクソッタレだったてわけさ。だがこいつの首、どこの誰だか分からん野郎に渡すわけにゃあいかねぇ。おれがちゃんと殺してやらねぇと、弔いにならん」
 手配書には恐らく魔界の金額だろう数字らしき文字が振られているのがわかる。賞金首だ。酔の口振りからすると”生死問わず”なのだろう。
 手配書。賞金首。火付け。
――どうも引っかかる。何かがおかしい。
「変だ、なんか変だな。でも何が変なのか全然わかんねぇ」
「どうした」
「いやよ、火付けで賞金首でっていうと、聖界にもそういうのがいるんだよ。”ズルヴァン”っていうんだがよ、こいつ勇者の故郷を燃やすタチの悪い放火魔っていうんで有名なんだ。俺ここへ来る前にたぶんそいつがやったんじゃないかって言われてる焼け跡に居合わせたことがあって……あ?」
 トレアンドットのことを聞いたのはここへ来る前のこと。全て燃えてしまった後の街の再建のため、討伐や護衛とは少し違う力仕事を依頼され、彼は焼だされた街に滞在していた。死者も多く、負傷者の救護に医者が足りないと、とにかく街は慌ただしかった。その時の彼の仕事は焼けた家屋の下敷きになった死者を探すことで、こんな虚しいこともあるかとかなり寂しい気持ちになったのを覚えている。恐らく、マーニーもそこにいたのだ。言葉こそ交わさなかったし、あちらも彼のことは覚えていないだろう。
「俺がこの村のことを聞いたのは、焼けた街で怪我した住人からだった。そいつは火傷によく効く軟膏もった医者がいるって話もしてた。なんかいよいよきな臭くなってきたな。下手人がもしかするとふたりいるのか……?」
「おまえ、鼻がいいな。犬ころみたいじゃないか」
 何の話だ、と酔の方を見れば、山の下の方を指差している。
「見ろ――祭りが始まった」


       
 
4. 
 村の一箇所から火の手が上がった。礼拝堂の裏手だ。何事かを言う酔の言葉を聞かずに酩酊は矢のように山を駆け下り始めた。どっちが付けたのかは知らないが、住人はみな寝静まっている。早く知らせないとまずいことになるには違いなかった。
 藪に突っ込み枝で顔を裂くのも構わず酩酊はまっすぐ走った。崖を飛び降りて、轟々と燃え上がるその場所に駆けつければ、
「酩酊さん!」
 アキがひとりの男を地面にうつ伏せに押し倒しているところだった。近づき顔を確認すれば、確かに酩酊の両手を治療した昼間の医者である。
「マーニーだな」
「ああ俺、酩酊さんが窓から出て行ったのが分かって、そんでこんな夜中にどこ行ったんやろって村の中探してたら、センセイが……! それで、俺、わけわからんなってしもて、俺、それで、俺センセイをころ」
「馬鹿、よく見ろ気絶してるだけだ。落ち着けよ、お前は殺しちゃいない。落ち着け!」
 半狂乱になっているアキの両肩を強く掴んだ。視線があったアキの瞳は大きく開かれて、今にも泣き出しそうだった。村にいる間は優しい医者だったマーニーが、目の前で礼拝堂に火をつけようとしている現場をまさに目撃したのだろう。動揺しないわけがない。けれども、このアキの動揺に付き合っている暇は微塵もない。可哀想に思いながら、彼はアキに強く言った。
「落ち着け。まずはよくやった。お前は別に間違ってねぇよ。次にだ、のんびりしてる暇はねぇ、広場に鐘があったな? ぐっすり寝てるとこ申し訳ねぇけど鳴らしてみんなを起こしてこい!」
「酩酊さんは!?」
「俺はもうひと仕事あんだよ。分かったら行け。マーニーのことは心配するな」
 さぁ行け! と再び促せば、アキは顔を乱暴に拭って広場の方へ駆けていく。酩酊はマーニーの着ていた上着を剥がすと、その袖で器用に彼の両腕を縛り上げた。
 立ち上がり、燃え上がる礼拝堂の壁を見て酩酊は吠えた。
「そんでェ! いるんだろ出てこいよ! さっきから臭くて仕方ねぇ! 火付けに使った油の匂いじゃねぇ、女殺して火ィつけたクソ野郎の匂いだ!」
 突如、燃えてもろくなった礼拝堂の壁が崩れ落ちる。熱風が吹く。後ろに飛び退った酩酊の視界に現れたのは、蠢く火柱だ。
「酔の魔王が追手によこしたのが、人間とは」
「おう。俺もあいつはどうかしてると思う」
 火柱は揺らめいて、悲鳴のように軋んだ甲高い音を上げた。
「なぁにが面白いんだよ」
「何、人間は操りやすいのだろうて。酔の魔王が大量の人間を臣下に置いたり、お前のような者を使いによこしたり」
「てめぇがマーニー唆したりってか?」
 火柱は首を傾げるような動作をした。
「唆したのではない。あれは私と会う前より、ずっと火を求めていた。私と目的が一致したのだ。燃やしたいという欲求は何物にも代えがたい。火は美しい。全てのものは、美しくあるべきだ」
……下手人にこんなこと聞くのも無駄だと思うけどよ、何で殺した」
「あの女か」
 火柱は、虚空に大穴をまるで口のように開けた。
「どんな醜悪な女でも、燃やせば美しくなる! 私を拒否した口の減らない女が無様に泣き叫んだまま絶命し! 炎に包まれて美しく燃えていくのを見るのは最高に愉快だったぞ!」
「いい感じにイカれてやがるな」
「私からすれば、全てが燃えていないこの世界は醜悪で、異常だよ」
 全く理解できない。別に対話がしたかったわけでもないが。
 彼は腰に下げたスキットルの口を開けて、中身を飲み干して放り投げた。
「末期の水というわけか」
「だーれがてめぇなんぞに殺されるかボケ、あと末期の水の使い方が違うわアホ。いい加減掛かってこいよオラ!」
 火柱の高く上がる明るい空に、鐘の音が響き渡る。
 生け捕りにしなければならないが、手加減ができるか酩酊は自信がなかった。何しろ、相当頭にきている。炎のせいで火照っているのではない。これは怒りだ。
 背に負った鞘から刀を引っ張り出す。浮かび上がる木目のような複雑な文様が炎の照り返しを受けて鈍く輝いた。その刀身が、手を触れたわけでもないのに灼熱色に染まっていく。
 同時に、酩酊は駆け出した。火柱へ向かって斜めに切り上げる。ところが、手応えがまるでない。そればかりか、切り上げた刀身を手の形をした火が掴んでいた。火柱は揺らめいて、再び悲鳴のように軋んだ甲高い音を上げた。
「聞くが――炎が切れると思っているのか?」
「マジかよ」
 火柱は刀身を掴んだまま、酩酊ごと燃え盛る礼拝堂の方へ突風のような勢いで放った。
 火が回り脆くなった壁をぶち破って、彼は背中から強か打ち付けられた。ばしゃん、と派手な音を立てて彼は床に倒れ込む。水音に気がついて顔を起こせば、アルコールの匂いがした。彼が投げ込まれたのはどうやらワイン蔵のようだった。背後の酒樽は破壊されて、酒でそこら中水浸しになっている。
「勿体ねぇ……!」
 彼は掴んだままだった刀を杖のようにして立ち上がった。立ち上がるのと同時に、蔵の天井が派手な音を立てて崩壊する。熱風をともなった土埃の中に明るい炎が燃え上がったのを確認すると、彼は横っ飛びに飛んだ。直後、彼の元いた場所へ鞭のような炎が振るわれ、蔵に火の手が回り始める。
「最高じゃないか! 酒と共に燃え上がりながら死ね!」
 誰が死ぬかアホと悪態をつきながら彼は並べられた酒樽の陰を縫って走った。次々に酒樽へ炎の手が伸びて、燃え上がり、赤い液体が弾けて床へ零れていく。子どもたちは言っていた。礼拝堂の司祭が亡くなって、ワイン蔵も畳もうかと大人たちが話していたときに、ぶどう畑を潰さないでほしいと子供たちでお願いしたのだと。そうした事情があって作られている大事なワインが、床へぶちまけられていく。無邪気に笑う子どもたちの笑顔が脳裏をかすめて、酩酊は歯を食いしばった。本当は、死ぬほど悔しい。
 服を赤く染め上げながら、彼は蠢く火柱から一番遠い、酒蔵の出入り口まで辿り着いた。だが、すでにそこは焼け落ちて、瓦礫の山になっている。
……何をしている」
 火柱は、困惑したかのようにそう呟いた。彼は、手近にあったワイン樽を――頭上へ両手で持ち上げていた。
「いや、何、こんなうまいワインをよ……一滴も呑まずに、燃やしつくしちまうなんて、そんな勿体ねぇこと、俺は許せん。だから、てめぇも少しは味わっていけってんだ、よッ!」
 彼はワイン樽を火柱の方に放り投げ、床に突き刺してあった刀を素早く手に取る。それは瞬く間に灼熱の光を帯び、太陽のように輝いた。そして、もはや熱線と化した斬撃が樽を一刀両断した瞬間――
 ワイン蔵は爆発した。
 衝撃で吹き飛ばされた酩酊は礼拝堂裏手のぶどう畑を超え、土手を転がり落ちて川に落下した。どぼん! と派手な水音を立てた後、しばらくぶくぶくと泡が水面へと立ち上り、やがてそれも消えた後、
「ぶわぁああぁはッ! あっつかったぁ!」
 火傷まみれの顔を水面から出して、息継ぎをした。
「ゆうしゃさま、何してん?」
「ん?」
 土手からこちらを覗き込むように、朝出会った少年がバケツを抱えてこちらを不思議そうに見つめている。


       

5.
 夜が明け、空がすっかり白み始めた頃。村の広場にはたくさんの大人たちが集まっていた。マーニーは相変わらず気絶したまま縛り上げられ、村の鐘が吊ってある柱に捕らえられている。
 あの後、川から上がった酩酊は焼け落ちたワイン蔵の中で気絶している火柱、もとい黒いトカゲような姿をした魔族を見つけた。頭部と腕が異常に発達していて、胴体は火柱の姿をとっていたときの半分もない。恐らく酩酊が切り上げた火柱は、本当にそこだけは何もなかったのだろう。爆風で炎を身にまとうことができなくなったのか、或いは衝撃で気絶したのかは分からないが、とにかく酔の魔王に生け捕りにしたまま引き渡すことができそうで、酩酊は安堵した。
 炎の回りが早かったせいで、村の人々は礼拝堂の消火を早々に諦めたらしい。しかし幸いにも炎が別の建物へ延焼することはなく、負傷者も酩酊以外には誰もいなかった。
「酩酊さんのおかげなんやけど、その、そんなに凹まんでも……
 アキはベッドに包帯ぐるぐる巻きで寝かされた勇者へそっと声を掛けた。酩酊は、それはもう大いにがっかりした。ワイン蔵を狙って爆発させたとはいえ、あんなに美味しかったワインを1滴残らず蒸発させてしまったのは間違いなく自分の意図である。酔の魔王のことは伏せて、下手人がふたりいたことを大人たちに伝えれば、あんたが死ななくてよかった、ワインはまた作ればいいと笑うし、子どもたちはぶどう畑を守ってくれてありがとうと感謝もしてくれた。この村は優しい人間が多すぎる。火傷に涙が染みて痛い。ついでに二日酔いで頭も痛い。
「ワイン……
「呆れたひとや。ワインならボトルに詰めたのが何本かあるから、怪我が治ったら持ってき、好きなだけ。誰も怒らんやろ。それよりも」
 アキは話してくれた。マーニーは然るべきところに引き渡した後、手配書の照会と本人の確認が済んだら、懸賞金はそっくりそのまま酩酊に進呈してまおうと大人たちが話していたこと。
 これを聞いて酩酊はがばりと勢いよく起き上がった。
「ちょ、ちょっと! 待たんかいな、まだ動けるような身体じゃ」
「勇者は丈夫なんだよ大丈夫だもう治った。賞金は受け取るわけにはいかん。っつーかよ、お前ちゃんと自分が捕まえたって話したのか?」
 アキがぶんぶんと顔を横に振ったので、酩酊は呆れた声を上げた。
「いやいやいや、あれ見つけたのお前だから。俺はなんも関係ねぇ。礼拝堂も焼けちまったし、ワイン蔵も」
 ううと俯き悲しげに呻いてから、ばっと顔を上げて、ともかく賞金はいらねぇ絶対いらねぇ、ワインボトルの方が何十倍も嬉しいわボケと酩酊の勇者が騒ぐものだから、アキは慌てた。
「せやけどその、あれも偶然みたいなもんやったし。こういうのは相応しいひとが受け取った方がええんちゃうかなって」
「おまえ、よしんば俺が賞金受け取っても酒代に消えるだけだぞ……
「ええ、でも、酩酊さんはお酒飲んでパワーアップするタイプの勇者さまなんやろ? せやったら、ちゃんと人の役に立っとると俺は思うねん」
 そう真面目に言い切ったアキを見て、酩酊は場末の酒場で混ぜもの100パーセントの酒を飲んだ時のように渋面を作って、しばし黙った。黙ったあと、ぽかりとアキの脳天にげんこつを入れた。対して威力のないそれに驚きながら、アキはなんで、と呟く。
「おまえな、俺最初に言っただろ。できないこと数えるより、何ができるかっていうのを自覚した方がいいって。おまえ、ちゃんと自分ができたこと分かってんのか。村中燃やされそうになったのを止めたのも間違いなくおまえだ。偶然とかそれしかできなかったとか、行為に相応しいとか相応しくないとか言わないで、ちゃんと事実をよく見ろ」
 そう言って、彼は窓ガラスをコンコン、と叩いた。向こう側には広場が見える。
「ありゃ、お前が捕まえたんだよ」
 アキは数度目を瞬かせて、それから一度だけゆっくり頷いた。


 酩酊の勇者はその次の日にはすっかり元気になった。病み上がりに酒は駄目だろうと言われたので宴にこそ加われなかったが、その代わりに彼にはまたとびきりのご馳走が振る舞われた。
 アキは宴の席でちゃんと自分が見たことの一部始終を話して、酩酊もこれに合わせて賞金の件は辞退する旨を申し出た。それから、これは個人的な希望だが礼拝堂とワイン蔵の再建の費用にしてくれたら、俺も嬉しい、と一言添えて。
 件の魔族は縛り上げて納屋に放り込んであったのだが、夜のうちにいなくなっていたそうだ。「ご苦労」と書かれたメモが置いてあり、見覚えのある筆跡に酩酊は頭を抱えた。事情をうまく説明できる気がしない。だが何かを察したのか、村人たちは酩酊に何も聞かないでいてくれた。確認のため山の頂上にも上がったが、その場所にはもう何もなかった。酔の魔王は約束を守り、ゲートを閉じてくれたらしい。
 その次の日の朝、彼はすっかり懐かれた子どもたちに行かないでくれと足にしがみつかれながら、世話になったと丁重に礼を述べて村を出た。数分して、誰かが酩酊を呼びながらこちらへ走ってくる。
「アキ!」
「酩酊さん、忘れもんや!」
 アキは息を切らしながら、ワインのボトルが入った袋を手渡してきた。
「忘れてた。ありがとな」
「あの、いっぱいは入いらんくて、許してや。それから、その、おおきに」
「礼言われるようなことはしてねぇよ」
「うん、せやけど、おおきに」
 頭を下げたアキの様子を見て、むずむずした顔をした酩酊は、やはりその頭を乱暴に撫でた。顔を上げて、乱れてぼさぼさになった髪を直さないまま、アキは笑った。
「酩酊さん。もし旅の途中でカイの兄ちゃんにおうたら、みんな元気にやってるし、もっと帰ってきいやって言うてたって、伝えてくれへんか?」
「”強くて頼れるひと”か? 勇者の二つ名はなんて言うんだ?」
「囚獄の勇者」
 変な二つ名だなぁと思いながら、酩酊は了承した。それから彼は片手を出して、アキに握手を求めた。しばし固く握りあった後、緩やかに手は離れて、彼は歩き出す。数歩歩いて、それから一度振り返った。
「俺の名は酩酊の勇者。でも、本当の名前はジェンイーだ。もしよかったら覚えててくれ!」
 嬉しそうに頷いたアキに手を振って、彼はまた歩き出した。
 太陽が昇り、空は青く晴れ渡っている。
 天気は快晴。素晴らしい秋晴れの一日になりそうだった。





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