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ルリユールの足音 2

全体公開 13322文字
2017-10-30 23:03:35

ヨハンさんをむちゃくちゃ書きたかった。

「じゃあ、レソランはここで」
そう言って、エヒャの向かいの席に、スープの入ったカップを置いた。
そしてすぐに雨に濡れた稲穂のような髪をした少年は、さっさと配膳の手伝いに戻ってしまった。
レソランは苦虫を噛み潰したような顔で、カップをにらみつける。そしてちらりとサムに視線をやるものの、サムは気づいているだろうに、素知らぬふりで赤い髪をした少女を手伝っていた。
視界の端で、カップや皿を落としそうになっている少女から、食器をすべて落とすことなく受け取っているサムに、日ごろの生活がうかがい知れる。
きっと、あの赤い髪の少女は皿を一度も割ったことがないに違いない。
主に、サムの反射神経のおかげで。
つくづくよく気の回る子だと、エヒャは顔には出さずに感心した。
レソランの視線にも、きっと気づいてはいるのだろう。
ただ、プライドが高くてなかなか素直になれないレソランを、手助けする気がないだけなのだ。
レソランは荒っぽい言葉遣いをするが、レソランの親であるこの工房を仕切る親方は元は貴族の出だ。そのため、なんのかんの言いつつ、レソランはいいところのお坊ちゃんで、育ちはいい。
人柄は悪くないのだが、如何せんレソランは不器用だしプライドが高い。素直にエヒャにいろいろ聞けるわけもなく、エリート意識のプライドがつんけんした態度に出ている。
今まで忘れていた旧友の人となりを一気に思い出し、エヒャは苦笑を唇に浮かべた。
(現金な)
今まで思い出さなかったくせに、と自嘲しながら、眉根を下げて腰を浮かせた。
「私の前では嫌ですよね。ヨハンさん、席を交代してくださいませんか」
サンドイッチの細長いパンを見て、そういえばこんな文字があったな、とにらめっこを繰り返していた、隣に腰を下ろす男に声をかける。
レソランは見るからに顔を慌てさせた。
商人と言われるほうが納得しそうな学者の男は、緑の目をきょとんとさせて、レソランをみた。
「・・・なんか問題があるのかい?」
首を傾げる男に直球に尋ねられれば、レソランは眉根を寄せ、なんでもない、と席についた。
視界の端でサムが小さく息をついているのを見ながら、すいません、と苦笑してエヒャは腰を下ろした。
そう言えば、レソランの態度はますます頑なになったようだった。
眉根を寄せて、黙ってサンドイッチに手を伸ばす。
おそらく、エヒャに一番聞きたいことを聞けなくなっていくだろう。
そのことに安堵のようなものを覚えながら、理性が笑顔の裏で次にどう行動すべきかと計算を始める。
(ああ、まったく)
レソランとエヒャは学生時代の友人だった。
だったというのは、エヒャが問題を起して何も言わずに彼の前から消えてしまったので、それはだいぶ昔の話になるからだ。
あの当時と比べて、レソランは頬の肉が削げ落ちたと思う。
痩せたのではなく、子ども特有の丸みがなくなったのだ。肩もがっしりとしたような印象を受ける。
記憶の頃よりは、目の前の男はだいぶ大人になっていた。
エヒャは苦笑を浮かべながら、ひやりとする理性の中で、ごめんなと謝った。
(離れていた間に、こういう人間になってしまったんだ)
かつての旧友を懐かしく思う。
気の回る少年のやさしさに、心が和む。
だが、それとは別に、冷えた理性が、どうするべきかを囁いてくる。どういう表情と態度をとれば、レソランがどう動くのか。聞きたくないことを聞かれないためには、どうしたらよいのか。
すべて計算できてしまう自分が、ひどく目の前の友人であった男とは別の生き物のようになってしまったようだと思った。
勘違いしているような態度で、すべてを把握しながらあえて演じる自分を、エヒャは滑稽だと自嘲する。
だがそれも、そうなってしまった自分も今更だ。
エヒャは勇者に仕えることを選んだのだ。
当たり前の幸福などいらないと手を離した。
当たり前の幸福も、友人さえも捨てて、自分は勇者に仕えることを選んだ。
それには後悔もない。自分は勇者に心の底から忠誠を誓っている。
今の自分は、それなりに幸福だと断言さえできる。
(でも。)
だから、エヒャは正直、レソランに会いたくはなかった。
彼の前から消えた理由など、とても口にはできない。聞いたら、レソランはこのまま好きな仕事に従事することができなくなってしまう。
端的に言えば、この図書館に存在を消されてしまうだろう。
エヒャが消えた理由は『勇者』が関与することで、エヒャは『赤色蝶』に身を置くからだ。
「そういえば、エヒャさんは、どんな仕事をしているの?」
シャオマオの隣に座ったティリスが、何気なく問いかけてくる。
『司書』の訓練の中には、一般人として親しみやすく振舞う訓練もある。常人らしく溶け込めるように、という訓練の賜物だとは、ここにいる誰もが思うまい。
エヒャは静かに笑って、口を開いた。
「はい。枢機卿猊下のもとで働いております。私は『赤色蝶』ですので」
その言葉に、反応し、にやりと笑ったのはヨハンだった。
「なんだ、君は『勇者狂い』なのか?」
侮蔑とも取れそうな言葉に、ティリスがちょっと!と声を上げた。
しかし、そうですね、とエヒャはあっさりと同意した。
サムが遠目に目を丸くしている。
向かいに座るレソランは、ただじっとこちらを見ていた。
『赤色蝶』は、勇者のために、を信条とする集団だ。勇者のためであるならば、彼らはどんなことでもする。それが拷問であろうとも、人体実験であろうとも、勇者からならば彼らは喜んで身を差し出す。
ラトウィッジ猊下、とアベルディ・ラトウィッジが呼ばれるのはそのためだ。彼は、『赤色蝶』の長であり、彼の姓であるラトウィッジ家はこの国の創設に大きくかかわると同時に、勇者を信奉する一族でもある。
とくに彼の存命中の母は、本当に『勇者』に『狂って』いる。
この国の勇者信仰の中心は間違いなく彼らだ。『赤色蝶』は図書館の司書の実働部隊を指すので、それ自体の人数はあまり多くはないが、それでもラトウィッジ家が抱える信者の数は計り知れない。
エヒャとてその信者の一人だ。
信じている。
愛している。
だから、エヒャは自分が仕える勇者に殺されても、文句はない。
むしろ、自分を殺せるのはあの方のみなのだろう。
そう思えば、愛おしくないはずがない。
(そう。唯一、俺を、殺せる相手。俺を止めてくれる人)
殺されることに喜ぶような人間は、狂っているで間違いない。エヒャとて自分が正常だとは思っていない。
だが、もうエヒャはずっと、自分の血により受け継がれる魔法が疎ましくて苦しくて仕方なかったのだ。
あまりにも、強すぎて。
エヒャの魔法は、エヒャには身の余るものだった。
魔法が暴走すれば、だれも止められない。
それはエヒャでさえ。
だから、その魔法すら打ち破って、あまつさえ自分を殺しかけた『勇者』に、エヒャは救われてしまったのだ。
(このひとなら、おれは、おれは・・・)
自分が敗北したときの感動は、きっと永遠に忘れられないとエヒャは思う。
にこり、と面白そうに眺めるヨハンにエヒャは笑みを返し。
「ですので、私がいかに勇者様が素晴らしいかについて語りだすと長いんですが、ヨハンさんはお聞きになります?」
げっとヨハンが口元をひきつらせたので、冗談ですよと穏やかに笑う。
いつかあの人に殺してもらうことを願っているなどとは、口が裂けても言えない。
(俺は、狂っている。それでいい)
穏やかに笑いながら、自分という生き物を改めて受け入れていれば、強い視線を感じて、向かいに目を向けた。
そこでは、気に入らなそうに、エヒャを見つめる男がいる。
エヒャは困惑したように首を傾げて見せた。
そうすればすぐに視線は離れていく。だが、その視線に咎められているような気がして、エヒャは苦い気持ちになるのだった。
「ところで、『血族魔術』の保有者の君の魔術は一体どんなものなんだ?」
これまでの話の流れを切るようにしてヨハンがそう問いかけてくる。
この質問には、レソランもおい、と顔をしかめて声を上げた。
切れ長目の瞳は、そうしてすごむと迫力がある。いつもにこにことしているわけではないので、怖い印象を持たれがちだが、レソランはそれなりに美丈夫である。
「いい加減にしろ、ヨハンニティウス」
レソランが怒ってみせるのは、きちんと理由がある。
基本的に、魔法使いの間では、『血族魔術』に関する話題はタブーなのだ。
かなりデリケートな問題として、魔法使いはあまり触りたがらない。
そもそも魔法使いは自分の魔法については口にしたがらないものなのだ。戦闘を想定しているというのもあるが、自分の手のうちを知られてしまえば、相手に攻略されかねないからだ。
それに『血族魔術』の保有者は特に自分の血による魔法を口にしない。それは保有者自体が少ないというのがあるが、基本的には遺伝による魔法は恐ろしいものが多いからだ。絶対数が少ないが、魔法自体が強力なのである。
だから『血族魔術』を欲しがるものも多く、人さらいに遭いやすい。また命を狙われやすいという点もあり、何重苦を背負えばいいのだというレベルの宿命を背負っている。
そういった理由もあって、基本的に魔法使いはお互いの魔法について触れないのが礼儀となっている。
レソランのすごみに、緑の目をした男は目を吊り上げた。
「そうだ。俺はヨハンニティウス・イツハーク。この世の未知に対して妥協しろというのか?学者にそんなことを言うのは無理があるな!」
商人のように通る声で返した男に、さすがのエヒャも目を丸くした。
(ヨハンて、ヨハンニティウス・イツハークか!あの!)
隣に座っていた男がそんなにすごい人物とは思わず、エヒャはまじまじと眺めた。
彼の名は非常に有名だ。解読不能だった古代語をいくつも解読し、『血族魔術』に関する彼の著書は、どの学院でも教科書に使われているほどだ。
そんなにすごい人だったのか、と内心でエヒャは驚く。
「学者とて礼儀を払えと言っている。魔法を研究しているというのなら、最低限の礼節は持つべきだろう」
レソランの言葉に、ヨハンは眉根を吊り上げた。
エヒャの視界にあわあわと二人の男を見比べるサムが視界に入る。
「お前たち魔法使いはいつもそうだ。礼儀を払え、礼節を、などと。そうして魔法の口を閉ざす口実を並べ立てて秘匿する。恥ずかしいと思わんのか!どうして未知を解明して前へ進む道を閉ざすんだ」
その声音には、無念や悔しさがにじんでいた。
きっと、多くの魔法使いにそう言われているのだろう。この男は、言動から察するにそんなに礼節を軽んじる人間ではないのは、エヒャとてわかる。
おそらく身分の高い人間だったのだろうということも、そのきれいな食べ方からわかっている。元の育ちはそんなに悪くないはずだ。きちんと謝罪もできる人間であるようだし、何も礼儀自体に文句を言っているわけではないだろう。
ただ、彼は研究者だからこそ、魔法使いのそういった慣習に、苦い思いをしたに違いない。
たくさんの悔しい思いをしてきたのだろう。
だからこうも激昂する。
(・・・すごいな)
それはヨハンが、真剣に研究に向き合っている証拠だ。
そこまでの情熱は、エヒャにはない。
それを思えば、ヨハンという男は、少々エヒャにはまぶしかった。
エヒャも魔法使いだ。
だが、『司書』であり、『赤色蝶』で、勇者を信奉し、その庇護下にいるからこそ、なんとも思わない。むしろ、研究者はよく会う人種なので、ヨハンの気持ちもよくわかる。
けれど、とも思う。
きっとただの魔法使いのままだったら、エヒャは自分も魔法を秘匿するだろうと思った。
「学者が解明せずとも魔法は進歩するからだ。大体、聞き方ってものが」
その通りだ。
魔法は魔法使いが一人で進歩させるもの。魔法使いはそう思っている生き物だ。
(まあ、一般人は魔法を使えないのが多いから、魔法使いがそう思考するのもよくわかる)
さすがににらみ合う二人に、おろおろするサムとアンジェリカが哀れになってきたので、どう止めようかとエヒャが苦笑していれば。

「うるさいわよ」

ぴしゃりと、ティリスがひややかに言ってのけた。
「あなたたち、少しは冷静になったらどうかしら。冷や水をかけられないとわからない?白熱するのは結構だけど、それはお客様がいらっしゃるときにすることなの?あなたち、おいくつ?」
とげとげした言葉に、空のような青い瞳がひんやりとした目で男二人を見据えていた。
ほがらかで愛想が良い分、笑顔を消したティリスは、ずいぶんと印象が変わる。
レソランとヨハンは二人して口をつぐみ、無言でにらみ合った。
「ヨハンは確かに無礼なことをしたのだから、エヒャさんに謝るべきよ。この国で、出自や血を問い詰めることは無礼なことと知っているでしょう?」
「む・・・確かに一理ある」
ヨハンは顔をしかめたままだったが、素直にうなずいた。
「レソランは、あなたが怒る筋合いではないわね。あなたも魔法使いなのかもしれないけれど、無礼なことをされたのは、エヒャさんであって、あなたではないわ。余計な首を突っ込んだことは、エヒャさんに謝るべきね」
ティリスはずいぶんと頭がいいのだと、エヒャは彼女の認識を改めた。
冷静にお互いの話を聞き、どこがどう悪いのかを正確に論点としてまとめている。
(話を聞くのがうまい)
彼女の美点に苦笑した。
だが、正論は、時に人を追い詰めることもあるのだと、きっと彼女は知らない。
「エヒャさん、すまなかった。たしかに俺は無礼なことをした」
いえ、ととなりのヨハンに笑い、向かいに座るレソランに眉根を下げて見せた。
「懐かしくなりました。昔もよく、レソランはこうして私の代わりに怒っていたな、と」
事実は事実なので、目を伏せた。
その言葉に、レソランが苛立ったのがわかった。にじませた苛立ちに、睨み付けられていることも。
わかっていたが、気づかないふりをした。
(消えた理由も話さないのに、のうのうと昔の話なんてしたら、きっと)
「・・・っ」
つ、と視線を上げれば、目の前の男は、驚いたような、ひどいものを見たような。
泣きそうな、顔をしていた。
(傷つく)
知ってたよ、と内心で悪態をつきながら、エヒャは困ったように笑う。
「それより、私はヨハンさんがあの、ヨハンニティウス・イツハークだって知りませんでしたよ。もし会えると知っていたら、あなたの本を持ってきてサインをしてもらったのに」
あーと大口を開けて、サンドイッチを口に突っ込もうとしていたヨハンは、目を丸くした。
ばく、と大きな一口でもぐもぐと口を動かして咀嚼し、ごくりと喉を動かす間も、目を丸くしてキラキラと輝かせていた。
「・・・て、照れる・・・」
す、と視線をそらす男に、エヒャは何言ってんだこのひと、と喉元まで言葉が出かかった。
てれてれと目元を赤くして、賛辞に照れる姿を、エヒャは信じられない思いで眺めた。
ヨハンニティウス・イツハークの名は有名だ。
それはこの男が、古代語を解明したから、というだけではない。
この男は、いくつもの通説を打ち砕いている男なのだ。『血族魔術』をはじめとして、医療分野と魔法におけるエキスパートだ。
生体と魔法分野でこの男以外に偉大な男はいまい。そう言っても過言ではないほど、この男は権威もあるだろう。
だというのに、そんな男が。
(て、照れる・・・?)
飽きるほど賛辞など聞いているかと思っていたが、そうでもないらしい。
一時はヨハンの著書は『禁止目録』の候補にさえ上がっていたというのに。
「へーヨハンさんってすごいんですね」
給仕を終えたらしいサムが、温かいカップをいくつも持ってレソランの隣に座る。
なるほど、ここではそういった知識のある人は少ないらしい。
だからヨハンもこんな反応なのかと、エヒャは苦笑した。
「ええ。彼の著書は、ポルタでは教科書に指定されるほど必読です。おかげで私もずいぶんと読みました。もっと年かさのいった方かと思っていたので、驚きましたよ」
改めて目を丸くするサムが、良い香りのするお茶を差し出した。エヒャは礼を述べて受け取る。
「そのおかげで何とか暮らしていけるのさ。とはいっても、本で得た収入は本に消えていくんだが」
はは、と力なく笑うヨハンに、エヒャはこの際だと、聞いてみたかったことを口に出してみることにした。
この男が成し遂げた偉業の中で、もっとも代表的なものの一つ。
それをなぜ成し遂げてしまったのか。
ずっとずっと、聞くことができたらと思っていた。
「・・・私、あなたにずっと聞いてみたいことがありました。『血族魔術』の『エスタブリッシュアイ』についてです」
エスタブリッシュアイ?とサムが首を傾げたので、エヒャはあえて『血族魔法』の一つですよ、と解説することにした。
意識していると思われないように。
固執していると見られないように。
「『エスタブリッシュアイ』、別名を、支配階級の眼、とも言われている『血族魔術』の一つです」
「自分以外の他人を視界にいれただけで、そうと意識させずに屈服させ、従え、支配する魔眼・・・」
レソランが低い声でそうつけ足したのに、エヒャはにっこりと笑って見せた。
目の前の男は、静かにエヒャを眺めている。
「・・・君も、読んだんですか?」
「馬鹿言え。貸したのは俺だ」
そうでしたっけ、とエヒャはとぼけて見せた。
しまった、と思うも、もはや出てしまった言葉は取り消せない。
しかし、と思い直す。
レソランは、エヒャがどんな『血族魔術』を使うかまでは知らないはずだった。
だが、頭のいいレソランのことだ。勘づいているかもしれないと笑顔の下でひやりとする。
(気づかないでくれ)
笑顔の下の皮膚で、流れる血がどくりと騒ぐ。
祈りは届くはずもない。気づくはずもない。
それでよいのだけれど、でも、とエヒャはまごついていた。
「・・・そんな魔法、ありですか?」
顔をしかめたサムが、目を眇めて恐ろしそうな顔をしていた。
そうですよね、とエヒャは同意する。
「もともと、なんかの宝石の比喩だとか、魔族の誰かだとか、基本的な通説はその二通りでして、その二つを打ち砕いて、『エスタブリッシュアイ』を、人間の『血族魔術』だ、という定説を作ったのがヨハンさんでして」
サムは口をあんぐりとあけて、サンドイッチをほおばっていたヨハンを眺めていた。
ヨハンは手についたソースを舌でなめながら、ん、と頷いた。べろり、と親指の腹をなめて、視線を上へと向ける。
「そうそうあれなー。いやあ、面倒だったよ。ジョエ語だって古典語の一つなのに、それよりさらに古い時代のジョエ語の起源とされる文字にそのことが書いてあって・・・それが古ジョエ語なんだが、それを読み説いてみたら、遺跡に保存してある、なんて書いてあるから、探したら本当に保存された人間の眼球が見つかって・・・。魔術検証を重ねたらそれが広域支配の術式だっていうんだからなあ・・・まあ、眼球に組み込まれていた術式が解けただけで、眼球しか見つかっていないわけだし、精密な人体と魔術回路の関係がわかっているわけじゃないんだが」
サムにはちんぷんかんぷんなのだろう。すぐに聞いてないし、と言いたげに半目にさせている。
「どうせなら人間の頭部ごと残してほしかったな。じゃないと神経と『血族魔術』による魔法回路の仕組みがわからない。まあ、それよりも、ジョエ語のさらに古い時代では、『エスタブリッシュアイ』の実在が確認されていて、それが血による魔法で、眼球に組み込まれた魔法による支配だとわかっていたことのほうが興味深いんだがな。おかげで、古代に対するなぞは深まるばかりだ」
へえ、とサムは適当に相槌を打ってもぐもぐとサンドイッチを食べ始めた。彼にとってはとことん興味がないことに違いない。
エヒャは苦笑して、そのときのことを聞きたかったんです、と穏やかに伝えた。
「あれは、たしかに偉大な発見でした。ですが、同時に恐ろしい発見でもあったはずです」
それを読んだときの気分を思い出して、エヒャは喉が干上がりそうだった。唇を思わずなめて口を開く。
「発見した事実を、見て見ぬ振りも、それこそ隠匿だってできたはずです。なのになぜ、あなたは、そんな恐ろしい事実を、発表したのですか」
あれを読んだ時の気分は、最悪だった。
今でも鮮明に思い出せる。その本を読み終わったときの気分を。
その作者の名前を、エヒャは脳みそに叩き込んだのだ。
あのときほど、エヒャは。
人を殺したいと、思ったことはないからだ。
「恐ろしくは、なかったですか」
そんな力の事実を知って、という意味を含めた。
実際、『エスタブリッシュアイ』は知っていれば知っているほど、恐ろしい代物ではある。
例え知っていたところで、その魔法に打ち勝つ方法などないからだ。
操られているほうは、操られているという意識がない。命令されれば、自分に納得する理由を勝手に作成し、命令を実行することに違和感がないようになっている。
意識せずに屈服させる、とはそういうことなのだ。
無意識レベルでの支配。
だから死ね、と命令されれば、勝手に自分に納得する理由を自分で作る。そして自分は死ぬべきなのだと思い込んで、勝手に自害させることも可能なのだ。
視界にいれている人間を、一様に操ることができるという魔法。
血で継がれる、恐ろしい呪いのような力。
これまでは、それはただの伝説だった。
あるかどうかもわからない、幻のもの。
けれど、ヨハンがそれを人間のものだと証明してしまったせいで、実在する恐怖となった。
とはいえ、生きた『エスタブリッシュアイ』の保持者はいまだ発見されていない。
だから、エヒャは聞いてみたかったのだ。
魔法は秘するもの。
証明などするべきではないもの。
証明してしまえば、魔法使いから恨みを買い、殺されることだってある。
それは、怖くはなかったのかと。
(あなたは、殺される覚悟があるのか)
エヒャは思い返すように、殺意に似た寂寞を、ただただ眺めた。その学者が吐き出す答えを、猛獣のように待っている。
笑う顔の皮膚の一枚下では、ぐちゃぐちゃと飢えたように音を立てていた。
なにも、静かではなく。
いくら訓練しても、騒音ばかりが血を騒がせている。
「・・・、それこそ、バカを言わないでくれ」
と、ヨハンは困り切ったように頭を抱えた。
(え)
弱り切ったような苦々しい顔で、ヨハンは頭を抱えている。
「俺はもともと、人間の目かもしれないなんて馬鹿な仮説が漂っていたから、そんなわけあるか、魔物の特性か何かに決まっていると、それを決定的に証明するために文献をあさっていたにすぎないんだ」
ちょうどそのころ、魔物の生態研究もしていたし、と小さな声で付け加える。
「まさか本当に『エスタブリッシュアイ』なんてものが、『血族魔術』で、人間に受け継がれるものだなんて、誰が思う?そんな魔法があったら、国だって支配できかねない」
まぐ、とそれまでおとなしく聞いていたサムは、でもそれ、と冷静に突っ込んだ。
「この国じゃむりですよね?だって、視界にいれた人を操るんでしょう?この国は、全体の7割が建物ですし、ごちゃごちゃして、視界を遮るものが多すぎますし」
いや、とヨハンは苦々しい顔で、口をへの字に曲げている。
「その魔法が、支配効力がどこまで及ぶのかが問題だ。そもそも『支配階級の眼』という名がついているぐらいだ。『支配』は、遮蔽物に止まるようなものではないだろう?この国の『勇者』の支配は、おおよそ7割だといえるのだから」
サムは首を傾げた。おそらく、勇者の支配という意味がわかりかねるのだろう。
それは信仰にも似た、眼には見えない力だ。
この国で暮らしているものの多くは、おそらく『支配』などと言われても、理解できないに違いない。
音もなく、ヨハンは息を吐いてうつむいた。
「俺だって、あのとき、公表するかどうかを迷った。むしろ、そんな恐ろしいことを見つけてしまった自分は、学者をやめるべきではないかとさえ思った。頼むから、こんな『血族魔術』の保有者がいないでくれと、心の底から願った」
ぎゅ、とヨハンは強く目をつぶった。何も見たくないと主張するような姿は、小さな子供に似ている。
エヒャはあまりにも意外な答えに、拍子抜けしてしまった。
むしろ、あのような恐ろしいことを公表するような男だから、きっと。
(もっと、図太くて、性格が悪いか、変わり者かと・・・)
困った挙句、どうして、とエヒャは視線をそらした。
「なら、どうして握りつぶしてしまわなかったんですか?あなたの説には、都合が悪かったでしょう?」
あなたなら、握りつぶすことだってできただろうと、エヒャは言外に告げる。
ぎ、とヨハンは力強い緑の目で、エヒャをにらんだ。白い歯をむき出しにして、心外だとでも言うように、眉を吊り上げる。
「俺は」
ヨハンのその眼に、気圧された。
「学者だぞ」
緑の若葉のような眼が、わずかな怒りと情熱を灯して、エヒャを見ていた。
「どれだけ自分に都合が悪かろうとも、事実は事実だ。それを曲げることはできない。不都合だからと事実を曲げるのは、学者がすることではない。いくら自分には不都合な事実でも、受け入れなければならないのが学者だ」
はーと思いため息をついて、ヨハンは肩を落とした。商人のようでいて、どこまでも自分の道に邁進する男は、自分の内側を眺めるように視線を落とした。
「大体、俺が見つけなくたって、俺以外の誰かがいずれたどり着いていたんだ。まあ、まだ保有者も見つかっていないし、詳しいことは何も分かっていないし、むしろあんな定説、打ち砕かれて、やはり魔物のものでした、とかが最高なんだけどな・・・」
はーあ、と机に突っ伏す男が、あまりにも意外で、エヒャは言葉を失ってしまった。
騒音のような殺意はなりを潜めて、すっかり霧散してしまっている。
(学者だから・・・)
この男の生き様は、学者ということにその身を捧げている。
学者だから、事実を曲げない。
学者だから、事実を隠匿しない。
かくあるべしと定めたありようを、覆すことなく、そこに生まれる恐れもはねのける。正しいとか、間違っているとか、きっとヨハンの歩く道はそういう次元ですらない。
そう言ったことは後からやってくるはずだ。けれどそのあとから来る評価を、恐れながらも受け入れるのだろう。
(殺される、ことも)
ふと、この男は、死ぬその瞬間まで未知を解明しているのではないかと、エヒャは思った。
「でも、この国でなら、いくら研究しても大丈夫ですよ」
サムの朗らかな声に、エヒャはふと我に返った。
(そうだ。こんなことは、『司書』の範囲を超えてる・・・)
しまった、と思うも、すでに遅い。焦りを顔に出さないようにするので、エヒャには精いっぱいだった。
サムがにこやかに、笑って続ける。
「だって、勇者様がそれをお許しになって、守ってくださるのですから」
ああ、その通りだ、とエヒャは干上がりそうな喉の奥で同意した。
(ああ、こんなことで感情を揺るがすなんて)
まだまだ未熟だと、エヒャは小さく息を吐いた。
「・・・それが勇者の『支配』だっていうんだ」
机に突っ伏したまま、そうして嘆くようにこぼしたヨハンに、エヒャは苦笑した。
(俺は、あなたを守るべき側の人間なのに)
なのに、殺意を覚えるなんてどうかしてるとあいまいに笑顔の下に感情を隠す。
「ヨハンさん、ありがとうございました」
へ?とヨハンは、困り切った顔を持ち上げた。
(俺は、あなたのような方が、『エスタブリッシュアイ』について、研究した方でよかった)
『エスタブリッシュアイ』という恐ろしい未知を、確定づけた男。
エヒャを、恐ろしいと確定づけた学者。
けれどその男がいるのは、すべてを許す勇者が君臨する国。
(いや、残念なのかもしれない。もし、あなたがもっとひどい男であったのなら)
「非常に勉強になりました」
笑顔で言った言葉に嘘はない。
サムの言う通り、この国では勇者がすべてを許している。ヨハンでさえ、殺されることはない。
だからこれでいいのだと、エヒャは目を細めた。
「・・・サム、そろそろ準備しろ」
レソランは低い声で、無表情にそういった。
その声に、エヒャは素早く顔を上げる。
サムは、はあい、と慌てて残りの食事を飲み込み、席を立つ。
自分の感情にのまれすぎて、エヒャは周囲の観察を怠っていた。無表情になったレソランが、どういう感情に至っているのかがわからずに、しまった、と苦い思いがわいてくる。
「エヒャ、工房を見学したいのだろう。俺たちは、先に行って準備をしている」
はい、とエヒャが返事をすると、表情の読めなくなった顔で、レソランは立ち上がった。
さっさと背を向けてしまうかつての友人を、どうしたものかと思っていると、後ろから、どすんと衝撃がやってきた。
「うわ」
後ろから伸びてくる細い腕に、エヒャの肩の上にひょこりと紫の目をした小さな顔が乗っかる。
「シー・・・・シャオマオ」
つい癖で、普段の名前を呼びそうになり、すぐに偽の名で呼び直す。シャオマオは、あだ名でもあり、猫のような身軽さのため、猫ちゃんという意味で呼ばれていた。
ようやくなついた猫のような少女は、こちらを振り返ったサムと、顔も向けないレソランを眺めている。
「・・・殺気はだすな。うっかり俺が動いてしまいそうになる。そうしたら、主人も黙ってはいない」
耳元でささやかれれば、エヒャは苦笑せずにはいられない。
近くの横顔を見て、彼女の目を通して見ている主人を思う。
シャオマオとエヒャが仕える主人。小さな主人は、シャオマオの目を通してすべてを眺めている。
「ああ、すまないね」
そう言って謝れば、構わないとでも言うように、すり、と頭をすり寄せる。そうする彼女は、本当に猫のようだ。
野性じみた動きは、彼女に自分は人間でないという意識が強くあるせいである。それを思えばあまりその動作を許すべきではないのだが、壊れていた彼女がようやくいろいろなことに興味を持ち始めたところで、余計なことはしたくなかった。
「魔法は、すごいんだな。この国は、俺の見たことないものだらけだ」
感想をそうして伝えられるようになったのも、ようやくなのだ。
元々奴隷として連れてこられた彼女は、ひどく人間味を欠いていて、思考さえろくにできないほど壊れていた。人形のように意志もなく、ただ命令を待つだけの機械のようだった当初を思えば、かなり人間らしくなったといえる。
そんな状態だった彼女を図書館で保護し、エヒャに任されて、ようやくここまで来たのだ。
色々な人間と触れ合わせてみようと、また勇者様の提案もあって今日のような社会見学が実現している。楽しそうにくるくると表情を変える彼女に水は差したくなかった。
だから、殺意をちらつかせてしまったことがひどく申し訳なかった。
(俺は未熟だな・・・)
彼女はもともと、剣闘士と言われる戦うための奴隷で、その小さな体に似合わず、かなり強い。ながらく戦うためだけに生かされていたせいか、殺意に敏感だし、体が先に動いてしまう。
「やっぱりエヒャさんがいいのね」
ひっついたままのシャオマオを温かい目で見ているティリスに、エヒャははっとした。
「シャオマオ」
いつまで引っ付いているつもりだ、と名前を呼んで訴えると、彼女の顔が置かれた反対側からぺしぺしと小さな手で頬をはたかれる。
「シャ、」
「れそらん。あいつは、こわい」
シャオマオの小さな申告に、エヒャは動きを止めた。
「あべるさまと似てる。こわい」
エヒャが目を丸くして、彼女に続きを聞こうとした瞬間。
「エヒャ」
レソランの低い声で、エヒャは動きを止めた。
「早く来い」
青い目が言葉とは裏腹におだやかに向けられている。言われてすぐに、エヒャは立ち上がった。シャオマオは邪魔することなく、体に回していた手を離してそばに立っている。
ただ、彼女は控えめに服の裾をつかんでいる。それを視界の端に留め、エヒャはにこりと微笑みを浮かべた。
「それでは、お先に失礼しますね。シャオマオ、お礼を」
「ありがとう」
最近ようやく覚えたその言葉とともに、レソランのもとに向かう。
またね、と手を振るティリスや、ヨハンに軽く頭を下げて、エヒャはシャオマオの肩に手を置いた。
そうすれば細い体が、エヒャにすり寄ってきた。
その動作の痛ましさに、エヒャは思わず眉根を下げてしまった。


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