@kyuri_akita
誰にでも、秘密はある。
それは明かすものでもない。明かされないから秘密であって、どこかに明記することもしてはいけないものなのだ。
口にすることさえないもの。
だからこそ重たく、手足はその秘密の枷に動きを鈍くされている。
(でも)
秘密の枷は、時にその重さを軽減させることもできるものなのだ。
誰かと共有してしまえば、その重さは分割される。
分割された重みは愛しさだ。
それだけ心を傾けられていることの証である。それは理解すれば心地よく、レソランはその重みが嫌いではなかった。
人に言えないことが多くある。
多く、降り積もっている。
レソランのこれまでの人生は、手足が引きちぎれそうな重さの枷が巻き付いている。一つや二つでは足りないほどの。
けれどそれも、レソランに寄せられた心の重みだ。心はまるで軽くなく、重たい枷のようなものなのだ。
重すぎて、歩き出せもしないほどの情を持っているし、与えられている。
レソランはそれを差し出してくる相手を、無下にはしなかったからだ。どれもこれも、己の糧になるからと、その枷をあえて受け取っていた。
『汝、すべてを糧とせよ。その糧は、やがて知識となり、花開く』
小さなころから、そう教えを受けている。すべてが己のためになると言い聞かされていたし、それは間違いではないと思っている。
「それじゃあ、シャオマオ君、おいで」
サムが機械の準備をしながら、そう声をかけた。
壁際に立って、自分が『買った』少年がずいぶん大きくなったもんだと思いながらその様子を眺めていた。
とはいえ、そんな表現をするとサムは嫌な顔をするので、口にはしない。
サム曰く。
『あんたは僕を助けたんですよ。どんな形であれ』
らしい。
頭に巻いていたタオルを取り去れば、あまり好きではない自分の金髪がさらりと視界に入った。
視界に髪すら入らなかった当時を思えば、ひどく髪が伸びたと思う。そろそろ切らねばならないな、とぼんやりと視線を彷徨わせる。
(そういえば、髪を切ったほうがいいと、サムが言っていたような気がする・・・)
サムはレソランのもとで働いているが、レソランはサムを弟子などとは思っていない。
そもそも、謄写も影写も、魔法使いでなければできないことなのだ。魔法使いでないサムは、本来ならばこの仕事には従事することができない。
サムはレソランが自分を助けたというが、それは間違いなのだ。
抱えた秘密に押しつぶされそうで、その枷があまりにも重たくて、どきにも行けなかったとき、レソランは深い森のような目をした少年に出会った。
その少年は、あれこれとレソランに世話を焼いた。根が良い少年は、レソランに枷の軽く仕方を覚えさせた。
だから、助けられたのはレソランのほうだった。レソランは、ただの弟子を手元に引きとったりなどしない。
レソランの視界の中で、サムは机のような機械の前で、あれこれと説明をしていた。
机四つ角には柱が立っている。それは机の頭上に机と同じ大きさのガラスでできた長方形のガラスケースを支えていた。
四つの柱には、それぞれ丸いガラス瓶やら、照明やら、様々なものがついている。それには黒いインクが入っていたり、歯車がついていたりしていた。
「この中にね、本を入れるんだ」
頭上のガラスケースの中には、砕かれた黄昏石が混ざった液体が満ちている。他にもレーヴ草を煮越したものと、さらには本に応じて様々と調合せねばならない液体だ。
その液体に本をつけ、机の上に、白い紙を広げる。
「この紙の上に、魔法陣を描くんだ。これが、すごく大事で、正確に魔法陣が書けないと謄写が失敗しちゃうんだよ」
黒いインクを専用のペンに詰め、魔法陣を描き出す。
魔力が詰まった特別なインクだ。死海雲と言われる黒い石を砕いて、魔力を鉱石にしてそれも砕いて混ぜる。
そうすると鮮やかな黒い色で、魔力のこもった美しいインクになる。
これらのすべては本来ならば使用者の持つ魔力で行う作業だ。
けれどサムは『魔法使い』ではないから。
魔法として魔力を使うことができない。
それでも、いつか本を作りたいと夢を語っていた少年の夢を叶えるために、すべての機器はレソランが開発した。
もちろん、魔力のない人々が本を製作する作業に従事できるようになれば、よりたくさん生産できるだろうという打算もあった。
だが、レソランはサムの夢を叶えてやりたかったのも事実だった。むしろ、その理由のほうが割合としては大きいだろう。
ただ、夢などないレソランにとってはその夢が、あまりにも美しく見えたから。
枷だらけで夢を見ることもなかった。けれど、その理想を語る姿があまりにもきれいだったから、レソランもその夢を叶えてみたくなったのだ。
サムはそばにシャオマオが見ていることも忘れたように、深緑の目をきらめかせてインクを走らせていた。きれいな円を書き、そこにいくつも必要な呪文を書き込んでいく。
その集中力に、驚いたように、となりに立っているエヒャが息をついていた。
顔は動かさずに青い目だけを向ければ、エヒャは軽く目を見張っていた。
しかしすぐにレソランの視線に気づき、顔を向けてくる。
エヒャは困惑したような表情を作り、あいまいに笑って、どうしたのかとでも言いたげに、首を傾げた。
白々しいその動作を見て、苛立つこともなく、レソランは冷静に。
(ずいぶん、長い時間が経っていたんだな)
と。
そんなことを思って、魔法陣に的確に印を加えていくサムに視線を戻した。
『赤色蝶の、アウル・エヒャです』
そう言って旧友が、素知らぬ顔をして挨拶をしたとき、レソランは何を言っていいかわからなかった。
よりにもよって、『赤色蝶』などと。
そんなものに、なってしまっていた。
その事実に、愕然とした。
そんなものになっているだなんて、と目を見張った。
それは外部から来た人間は、みな『勇者狂い』だと口にする役職だ。
(・・・、ばかだ)
お前なぞが、勇者のために命を捧げられるのかと、なじりたいような気分に陥りながら、レソランはぼんやりと立っていた。
にこやかに笑う赤い目の男は、かつて泣き叫んでいた自分の友人ではない。そつなく笑う姿は、まるで別人のようだった。
エヒャ、という男は。
晴れた日の、緑陰のような男だった。
明るく晴れた空の下で、木の影が作り出すように、涼やかに笑っていた。
けれど。
かつての、晴れた日の緑陰のように、涼やかに笑う姿はどこにもなかった。
だから、そのそつのなさが、きっと訓練の証なのだろうと思えば、ひどく。
見るのさえ、ためらうような。
そんな悪いものを目にしているような。
そんな気分にさえなった。
(・・・声も出ない)
『赤色蝶』になるために、どれだけ洗脳されたのかと思えば、ひどくめまいを覚えるような気さえした。
(俺は、勇者に殺されるのが、あたりまえで、つくすのが当然だ)
ずっとそのように言われてきた。
だが、この国以外で生まれ育った者たちからしたら、それはおかしなことにさえ見えるのだろう。
それを理解してしまっているレソランは。
まるで途方のない距離に置いて行かれたような気分にさえなって。
(何も、言えやしない)
レソランにとっては当たり前のこと。
だが、と少しの狂いなく振舞う姿を、遠目からレソランは眺めていた。
(おまえは、ちがうだろう?)
問いかけた言葉は、音にならない。
届くはずもない疑問。
だが、それも当然なのだ。
レソランはエヒャと秘密を分かち合わなかった。
この重さをもってくれと、エヒャは手を伸ばさなかった。
今更枷が一つや二つ増えたところで、レソランはどうにもなりはしないのに。
(いや、)
遠い昔を思い出して、インクの香りに我に返る。
目線の先では、サムが魔法陣を描き終えていた。
その次に、何も書かれていない本を魔法陣の上に置く。机の上に置いた白い紙の四方を留め、照明を頭上のガラスケースに向ける。
シャオマオに少し離れて見るように指示し、書き終えている魔法陣に最後の一線を書き加えた。
(・・・それも、遠い昔のことで)
二人で笑いあっていたあのころ、きっとレソランも手を伸ばせばよかったのだ。
サムに、枷をさらしたように。
エヒャにも、レソランに巻き付く重たい枷を見せてやればよかったのだろう。
(今更だ)
ふわ、と視界に柔らかい光が走る。
漂う魔力に、レソランは顔を上げた。
サムは少しも笑わずに、魔法が発動する様子を眺めていた。
何ごともなければ、そのまま魔法陣は浮かび上がって、頭上のガラスケースにいれている本と同じ文字を机の上の白いページに刻みだす。装丁さえもきれいに映し出すそのさまは、インクが踊り、機器がやかましくがしゃんと音を立てながら行われる。
異変に気づいたのは、レソランだけだった。
レソランは反射的に、体を壁から離していた。
まずい、と気がせく。このままではまずい、というのが、レソランにははっきりとしていた。
「サム!離れろ!」
声に反応してサムの深緑の目がレソランを捕らえた。
レソランは伸ばした手で、サムの首元を引っ張った。ぐえ、という声は聞こえなかったふりをして、自分の体で包む。
がた、がた、と不自然な音がする。
シャオマオは、目を丸くしていた。
でもレソランは、彼女は大丈夫だということも、わかっていた。
があん!とひどい音がした。ばきん、とガラスのひどい音がして、目をつぶっていた自分の目に、ずぐり、と何かが入ってきた感覚がした。
「レソラン!?」
ずき、と体中に何かが刺さったのはわかっていた。どおん、という部屋を揺らす音が収まると、レソランはゆっくりとサムから体を離した。
片目が開けられなかった。視界が赤く、ちらちらと赤く光る蝶が舞っている。
(・・・、せっかくの眼が)
ぼんやりと眼の異常を確認しながら、自分がかばったサムにけがはないか確認する。
サムは顔を真っ青にしながら、レソランを見上げていた。自分よりも小さく細いからだにけがはなく、レソランは小さく息をつく。
「けがはないか」
一応そう聞けば、サムはがたがたと体を震わせながら、レソランの顔を見上げていた。
「れ、れれ、れそらん・・・」
なんだ、と落ち着かせるように静かに問い返せば、彼は自分の右目に触れた。
「め、めに、が、ガラスが・・・」
ああ、入ってきたのはガラスの破片だったのかと、自分の右目に触れる。手で触れれば、ぬるりとした感触と、でっぱりが確認できたので、そのままガラスの欠片を抜こうかと思って、自分の弟子に視線を落とした。
「ガラスを抜く。グロテスクだからあっち向いてろ」
「そ、そういう気遣いじゃないよね!?今!!そうじゃない!!」
自分の弟子はいつもよく口が回るし、気も回ってうるさいとレソランは顔をしかめた。
「俺は忠告した」
はあ、と聞きわけがない弟子から顔をそむける。
「そうじゃない!そうじゃないよ!レソラン!!」
うるさい弟子から顔を背け、ずるりとガラスの欠片を抜いた。ぼとり、と血のようなぬめりも合わせて目を伝っていく。
おそらく赤い涙が滴っているに違いない。
瞼にも傷ができてしまうな、とぼんやりとレソランは赤くなった手を眺めた。
(血から赤いもの抜いたら涙なんだった)
それを教えてくれたのは、美しい魔物だった。
関係のないことを考えながら、眼球も損傷しているようで、赤く光る蝶がちらちらと視界に漂っている。おまけに片目は完璧に見えていない。
しまったな、と思っていれば、すまない、と無感情な声がした。
「・・・僕のせいか」
聡明な方には、ことのいきさつがすべて見えているようだった。
「とんでもございません」
レソランは静かに否定した。
謄写を行う器械は、無惨に爆発していた。ガラスケースは砕け、本もぐしゃぐしゃになっている。木の机は裂け、斜めに割れていた。
そのうえあたりには机の残骸らしき欠片が散らばっていた。レソランも爆発の余波で、体中にガラスや木の破片が刺さっている。
だが、そばにいたシャオマオには傷一つない。傷のない体の中で先ほどと違うのは、その眼が紫ではなく、青い目をしているという点だった。
理知的な色を宿したその方は、顔を曇らせている。
そんな顔をしなくていいのに、とレソランは首を傾げた。
「あなたは何をなされてもよいのです。あなたさまの、したいようになさってよい」
レソランはサムを背にかばい、そう告げた。
普通なら爆発などしない。そう作られている。
だが、その設計の中に、高密度の魔力が入ることまでは計算されていなかったのだ。高密度の魔力が入り込んだことで、魔法に不具合が起きた。
ただ、それだけのことだった。
シャオマオに宿る青き目の貴人。
その人がここにいたからこそ起こってしまった事故だ。
レソランの一族があだなし、この国を作り上げた王ともいうべきお方。
「書館の勇者様。膝もつかぬ姿で失礼いたします」
この言葉で、彼の方は、レソランの正体に気づいたらしい。
本人でないからだろうか。いつもよりは表情が豊かに動いている。彼は少しだけ苦々しい顔をして、お前、とレソランを眺めた。
「・・・蝶々か」
「・・・」
その言葉に、レソランは口元に弧を描くことで応じた。
音もなく、シャオマオを通してレソランを見ている貴人は息を吐いた。何の呆れだろうかと探るものの、まあ、どうでもよいかと置いておくことにした。
その呆れが、蝶々の元締めであるアベルの存在がかすかにあることへのものだというのなら、考えても仕方ないことだからだ。
アベルの影がいるのは当然だろう、とレソランは顎を伝う血の涙がぽつりと地面に滴ってゆく感触に、目を細めた。
『勇者狂い』といわれる『赤色蝶』。
それをまとめ上げるアベルディ・ラトウィッジが、どうして勇者をどこの誰とも知らぬもののもとへ送り込んだりできると思うのか。勇者が何をするにしても、アベルが確実にどうとでもできる場所にしか送り込まないに決まっている。
「・・・おまえ、名前は?」
そうしてぼんやりと思考に沈んでいれば青い目の方に問われたので、静かに答えた。
「レソラン・ヒュールダーです」
「そのあとに、アベルの名前が付くんだろう」
すぐに本当の名前は、と聞かれ、ごまかしきれないかと、背後を見やった。
後ろでは、サムが背中に張り付いていた。顔こそ向けないから表情はわからないが、背中に貼りつかれているのは分かっている。
またサムの知る秘密が増えるな、とレソランは顔を曇らせた。
「サム、あとで記憶を変えてやる。お前が望むなら、だが」
そう一言言い置いて、レソランは本当の名前です、と言った。
「ヒュールダーは、一族の役職名です。レソラン・ヒュールダー・ラトウィッジが本当の名です。ですが、我ら一族の役職ゆえ、ヒュールダーと名乗っております」
そう、レソランは勇者に尽くし、勇者に殺されても当然の血を引いている。
『ラトウィッジ』という家の血を、かなり濃く。
継いでいる。
アベルディ・ラトウィッジはレソランの叔父にあたる人だ。そのため、幼いころから、自分の祖父にあたる男がしてきた大罪を延々と聞いて育っている。なぜと問うまでもなく、勇者をどう扱うべきかは思考する以前の問題だ。
自分たちは神に選ばれているものを、愚かにも自分たちの手で作りだそうとした、とんでもなくバカな一族なのだ。
そしてそれが事実でしかないから、恐ろしいことである。
だからその血を引いているレソランも、罪をあがなわねばならない。
「・・・君は、アベルの息子か?」
顔を微妙に歪めながらそう問われたので、まさか、と笑い飛ばした。
人形の体だが、精巧に出来すぎているアベルは、生殖することも可能らしいとレソランは聞いたことがある。だが、日夜勇者のためにと身を粉にして働き、異常な敬愛と信愛を勇者にだけ捧げている男が、子供など作れるはずもない。
性愛などがアベルにあるのなら、間違いなく目の前の小さな貴人に向いているに決まっている。
「甥にあたります。父は、異母兄にあたりますので、アベル様との面識はございますが」
青い目をした貴人は、不思議そうな顔をして、顔を傾けた。
「僕をこうした男なら、すでに僕が殺している。その血を引いているとは言っても、君たちが直接害をなしたわけでもない。なのに、君ら蝶々はなぜ、そんなことをする?」
その言葉をエヒャがいる前で聞くのは、残酷だろうと、レソランは思った。
だがそれも今更だった。
レソランは司書ではない。だからアベルの部下の、実働部隊としての『赤色蝶』がどういう信条で動いているのかはわからない。
(エヒャが選んだことだ)
そんなレソランが答えられることは、『当たり前だから』という回答のみだ。
ずっとずっと、それが当たり前だと言われてきた。だから、そんな疑問こそ、レソランにとっては意味がわからない問いだ。
(けれど)
ラトウィッジ家の人間としては質問の意味がわからないと思うのが当たり前だ。
でも、と思う心がある。
青い目の貴人は、そんな回答がほしいわけではないのだろう。
エヒャとて、蓄えた知識ゆえに、思ったことがある。
勇者に殺されるのは、当然だ。
だが、なぜ、自分は『当然だ』と思うのかと。
疑問に思ったことがある。
「・・・人は、弱いので。我らは、あなたのために尽くすと同時に、あなたに縋っているのです」
『蝶々』の中心人物である祖母は、気が狂っている。祖母こそ、そのような問いをしたところで、何を言っているの、と言って終わりだろう。
だから、レソランは、どうしてなのかを調べ、知ったうえで、結論を出した。
「あなた様が気負う必要など何もないことなのです。我らは、あなた様に何かを求めているわけでなく、ただ、偶然から生まれる理不尽や不幸、また幸せですらも、何か知らの理由がほしいだけですので」
『蝶々』は、頭のおかしい集団と思われている。実際、狂信じみているのだから、間違ってはいない。
だが、一方的に信仰を持つことで、救われる心もある。
勇者のために、とはいうが、この勇者は何も求めてはこない。
圧倒的な存在にかしずくだけで受けられる庇護もある。この国は、そうして回っている。だから、神にも等しい扱いを人はすることで、ある意味では受け入れにくい存在を受け入れているのだ。
人は弱いから。
自分とは違いすぎるものを、素直には受け入れられない。
そうして圧倒的な異物がいるからこそ、どんな異種族もこの国は、受け入れることができている。
だからある意味、勇者信仰は、その反動に等しい。
さらにもっといえば、この国があらゆる人間を受けいれすぎている反動でもある。
勇者に尽くすことが常識のこの国では、あまりにも多様な人間がいすぎる。勇者がそれを良しとしているとはいえ、多様な人間がいればいるほど、文化の摩擦は起こるし、争いも起こりやすい。
だからどの国も共通の、女神に選ばれた『勇者』に対する信仰で、人々の心の摩擦を減らしている。文化の相違は仕方がないと受け入れられるように、絶対的な異物を信仰という形で受けいれられるようにしているという側面もある。
それらの研究すらこの国ではして良いことになっていた。『図書館』という国は、あらゆることを阻害しない。そのういう国だ。
否定もしなければ、肯定もしない。それが『図書館』だ。
(だからヨハンも、あのような、別の国であれば、迫害されて殺されるような研究内容すら、放っておかれている。否定もしないが、肯定もしない。正しいと国が認めなければ、どうとでも言い切れるからだ。たとえ、どんな証拠があったとしても。この国では、どうとでも消すことができる)
そういう国なのだと、レソランは痛いほどに自覚している。
とはいえ、どんな研究内容だろうと許しているのは、根っこの部分では、文になれば『書館の勇者が喜ぶ』という理由だからだろう。危機意識はそこそこあるが、図書館側に危機感はあまりない。それは図書館にはかなりの戦力がそろっていることもあるだろう。
だが、その危機すら、学者同士で論争してくれ、というスタンスだ。つまるところ、図書館側の『危機』と世間一般での『危機』はずれているとしか言いようがない。この国では、研究で他国がどれだけ滅びようとも、あまり関係はないからだ。
ふうん、と納得したようで、探るように、目の前の貴人は首を傾げた。
「・・・君は?」
問われて、レソランは反射的に目を丸くしてしまった。
とはいえ、片方は目が開きすらしないのだが。
「君は、どうして蝶々で、僕にそんなことが言えるんだ?」
「・・・・・・、」
純粋にそう問われて、レソランは答えに詰まった。
色々ある、というのが正直なところだ。だが、一番の理由は、くだらなくて、夢見がちで、なんともちっぽけな理由だ。
それを口にしてよいのか、レソランには判別がつかなかった。
答えに窮していれば、ふら、と細い体がよろめく。
「勇者様!」
反射的に駆け出したレソランに、彼はおとなしく支えられた。
「ああ、この体を壊すわけにはいかない。残念だ」
す、と顔を上げた青い目が、レソランを捕らえた。細い手は、静かにレソランの頬に触れる。
「傷跡は残ってしまうな。君、人間だもの。きれいになるのは目だけだね」
本当になんでもお見通しなのだな、とレソランは苦笑した。
ふわ、と温かい力の奔流を感じた。きっとこの方がレソランの瞼を治しているのだと思いながら、静かに見下ろしていた。
小さな体だと思う。本物を遠目で見たときも、レソランはそう思った。
すう、と彼女の瞼が落ちる。触れていた手は力が抜けてだらりと落ちた。あまりにも細い腕は、手折られた百合のようだ。
レソランは静かに抱きかかえると、後ろを振り返った。
そこには、目を丸くして硬直するサムと、赤い目をした男が、信じられないものを見るような顔をして立っている。
「サム」
呼びかければ肩を跳ね上げて反応した。その様子に苦笑し、手招きをした。
「この子を、寝かせてやってくれ。お前の部屋の空いているので構わないから」
いつものように話しかければ、ぐわ、とサムは泣き崩れた顔で目を吊り上げた。
「れ、レソラン!なんでいっつも!なんで!あんたはそうなんだ!!」
言葉とともに、感情がせきを切ったようにあふれだしたサムは、その眼からぼろぼろと涙をこぼした。
顔をぐちゃぐちゃにして、顔を赤くしながら泣いている顔は、お世辞にもきれいとは言えない。けれどレソランは、意図して泣かせたいわけではないが、サムの泣き顔は割と好きだった。
「俺なんかかばわなくていい!あんた傷だらけじゃないか!どうしていっつもそうなんだ!」
肩をいからせて怒りながら泣いている。そういう姿を見ると、レソランはいつも何と言えばいいのかわからなくなってしまう。
けれど、そんなサムのあやし方を、レソランは長い付き合いで身につけてもいた。
「・・・なんかっていうな。俺には、大事なものなんだ」
ぽん、と頭をなでてやれば、深緑色の目は、泉のように濡れていた。
この子どもは、レソランよりも大人なようでいて、まるで原石のようにうつくしい。涙を指先で拭えば、不安そうな顔をしてレソランを見上げた。
「あと、俺の目は両目とも義眼だから、目は取り換えればいいからあんまり問題ない」
慰めるためにそう付け加えたが、そういうことじゃない、と声を荒げられた。サムは本当に難しいしうるさいと思いながら、レソランは自分より小さな頭をなでる。
「・・・サム、いつも言っているだろう。お前は、俺の夢なんだ。お前が、俺にいろんなことを教えてくれたんだ。だから大事にしたいんだ」
な、と苦笑すれば、サムはむすっとした顔で、両手を差し出した。
「ほんとむかつく。あんたのそういうところ、本当にむかつく。あとで洗いざらい吐いてももらうからな!あと!髪切りにいけ!また忘れてたろ!」
サムは小姑のようなことを言って、レソランの指示通りにシャオマオを両手で受け取れば、ぷんすかしながら部屋を出ていった。
また後でうるさいことを言われるのかと思えば、面倒だなと思う心も捨てられない。捕まる前にどこへ逃げようかと頭の端で思考し始める。
部屋に取り残された赤い目の男は、目を丸くしてレソランを見つめていた。
「・・・」
それに気づいて、なんと話しかけてよいのかわからず、レソランは視線をそらした。
エヒャの目は、赤い。それは血を固めたような、美しい赤色に変わっている。普段ならばもう少し茶色がかっている眼は、今は血の名を冠する宝石のように赤く変わっていた。
「・・・あの子の、そばに行かなくていいのか」
そう問えば、なんですって、と震える声で、返答があった。
「言うに事欠いてそれですか?レソラン、君、知ってたんですか。何もかも。僕のことも。この眼も」
震えた声で言葉を連ねられる。
イエスともノーとも言えず、レソランはくは、と溺れた後のように息を吐き、視線をそらした。ぎゅ、と掌を握りしめる。
「おまえこそどうして知らなかったんだ。俺が、蝶々だと。赤色のくせに」
まるでお互いに皮膚に切り傷をつけているようだと、レソランは顔があげられなかった。
お互いに刃を突きつけ合っているような、ひどい空しさがあった。
(ちがう)
こんなことがしたいわけではないのに、と握りしめた手に力がこもる。
だが、意図せず開いた口は、なじるような言葉をこぼしだす。
「俺はラトウィッジ家の血を引いている。他国で、恐ろしいものとして扱われ、ひたすら自身を恐れているから蝶々になったお前とは違う」
俺は、と金髪に遮られた視界の中で、地面にできた血だまりを眺めた。
(ああ、髪)
こんなことを言いたいわけではないのに、と思いながらも、言葉は止まらない。
「蝶々に『なった』んじゃない。元からだ。勇者様に隷属し、敬愛し、信仰し、作られた箱庭で漂うだけの蝶々で、いつで握りつぶせるものだ。生まれたときから、そう決まっている」
それが自分の人生なのだと、ずっとレソランは思っていた。
だから夢もなく、理想もなかった。レソランの未来は、決まりきっているのだから。
「・・・赤色蝶と、どうちがうというんです」
レソランが視線だけを向ければ、眉根を寄せて、にらむような顔をしたエヒャがいた。
「どうしてあなたは、赤色蝶にならなかったんだ。どうして、」
隷属したままなんだ。
ささやくような声を、レソランは耳にした。
話すべきか、話さないべきか、レソランは迷った。
理由はたくさんある。たくさんのことをレソランは知っている。それは枷の重さに等しい量だけあった。
(言って、どうする。何もかも、今更なのに)
だが、今更だからこそ、何もかも話してもよいのではないか、という気になった。
意を決して顔を上げれば、エヒャは悔しそうな顔をしながらうつむいていた。
(言ったら、おまえは)
どう思うだろうかと、レソランは鈍い頭で考えた。
レソランはサムほど気が回らない。
エヒャほど人心掌握の訓練をしていない。
だから、わからなかった。
す、とエヒャが視線を上げる。
再会してから交叉しなかった視線が、真正面からぶつかり合った。
そしてエヒャは、覚悟が決まったように。
赤く輝く瞳で、レソランを見据えた。
「レソラン、」
名前を呼ばれて、なつかしさに、どうしようもなく寂しくなった。
ああ、変わってしまったのだとかつてが惜しまれる。
立ち向かうような、にらみつけるような顔を、レソランは知らない。
そんな表情ができたのかと、レソランは立ち尽くした。
(いや、ちがう。時間が経ったんだ)
気が付けば、長い、長い時間が経っていた。
そんなことさえも、気づけないほどに。
長い、時間だった。
「・・・お前が暴走したあと、アベル様に、おまえを一度見てほしいと進言したのは俺だ」
学生時代、エヒャはその眼の力を暴走させた。
暴走した結果、エヒャは己の感情に飲まれた。なぜ自分だけがこんな力を授かったのかと、理不尽さにこの世を呪う気持ちがあふれだした。
結果、多くの生徒たちがあらゆるものを破壊しだすという状況に陥った。
世界さえも破滅に導くことのできる力だと、レソランはその時に理解した。
まさか、エスタブリッシュアイなどという伝説級の代物だとは思いもしなかったが。
「そのあとにお前を残すか残さないか決めたのは勇者様だ。ただ、俺が『願う』代わりに、命を賭けてほしいと言われてしまってな。アベル様に言われて断れるわけがない。だから、司書になるタイミングがなかったというのもある。・・・お前が暴走した後、俺は飛び級扱いで卒業して遠くへ行っていた」
主に情報収集が目的の、スパイのような生活を送っていた。命令を受けて人身売買組織を追っていたときは、その途中でサムに助けられてしまい、挙句彼を買ったりもした。
悪い経験ではないし、自分の見聞を広める上ではだいぶ身になるものが多かったと思う。
ばたばたと階下が騒がしくなる音がレソランの耳に届いた。目を一瞬だけ扉に向けるものの、エヒャは気づく様子がない。
「・・・それに俺は、『赤い色』の称号を戴くまでもないんだよ」
ふわ、と赤く光る蝶が、レソランの手の甲に止まった状態で姿を見せた。まるで盾のように大きく翅を広げる姿は、幻想的というより、気味が悪いものだと言われたことがある。人の顔よりも大きな赤い蝶は、手の甲だけでなく、周囲にひらひらと漂っていた。
たくさんの大きさの蝶が、ひらひらと舞っている。
レソランは右手の甲で止まるように翅を上下させる蝶を、見せるように手を伸ばした。
「これが、我らが一族の技術の結晶だ。美しいか?気味が悪いか?」
眼球の代わりに埋め込まれる義眼の魔法と心臓に植えられた茨の魔術。
それは白き翼と茨を持った魔物から移植された魔術と、罪深き一族が作り出した結晶だ。
そんなことを、しなくていいとアベルは言ったそうだ。
でも、これを決行したのは、好々爺じみている自分の父なのだ。
「俺は、この国を愛している。そのために犠牲になってもいい。元から蝶々ならば、べつに役職になる必要ないはないとおもった」
勇者のそばにいる、色素のない顔をした美しい白い翼と茨の魔物が、アベルの実の兄だとレソランは知っている。
アベルの妹のマリアは、怪物になってしまった兄を愛すあまり、この国の礎として、図書館を守るための魔法陣に自らを捧げた。
何も防げなかったアベルの異母兄である父は、アベルの行うことに協力し、また勇者信仰のためにラトウィッジ家に眼球を奪う習慣を作り出した。
それらをレソランは知っている。
傷を受けて、たくさんの人が傷ついて行動した結果なのだと。
義眼の自分と血をつながる子供たちをみたアベルが、子供たちに悲しみを背負わせるのはおかしいと思っていることも。
知っている。
ままならないすべてのことを知っていた。人間の感情ばかりはどうにもうまくゆかず、複雑に絡み合っている。
「・・・この蝶々は、お前が大きくした」
蝶々が、手の甲から飛び立ってゆく。そしてふわふわと浮遊した後、エヒャの肩に止まると、大きく翅を上下させた。
すう、とエヒャの眼の赤みが消えていく。エヒャは何かをされている自覚があるのか、肩に止まった蝶に視線を向けた。
「蝶は花の蜜を吸う。それと同じに、蝶は蜜を吸うんだよ」
最強の人工兵器と、なぜ勇者の従える白い翼と茨の魔物が言われるのか。
単純に強いだけではない。
この蝶と、同じような力を持っているからだ。
「な、に・・・」
ふ、とエヒャの瞼が落ちた。がくり、と膝の力抜けて、倒れそうになるのを、大きく踏み出して手で支える。
「・・・お前の眼は、ほんとうに、うつくしいよ」
かつて、エヒャの赤い目を見たときに、レソランはそう思った。恨みつらみで泣きわめく少年の赤い眼は、ほんとうにきれいだと。
蝶がひらひらと、エヒャの肩から離れていった。
力の抜けた男の体を見下ろしていれば、ぎい、と扉が開く音がした。
振り返れば、ヨハンがぶっちょう面をして不機嫌そうに立っていた。その後ろには、アンジェリカも内部をみて顔をこわばらせている。
レソランは思わず苦笑した。
「ヨハン、手を貸してくれ。アン、ここを片づけるのを、手伝ってくれないか」
はい!と元気に返事をするアンジェリカを、はあーと思いため息をはいたヨハンは止めた。彼女が室内に入るのを止めて、室内を指さす。
「レソラン、気味が悪いその蝶を引っ込めろ」
真剣な顔をして言われたそれに、レソランは久しぶりに何を言われたのか分からずにぽかんとしてしまった。
アンジェリカは低い声で言われた言葉の意味がわからずとも、ヨハンの真剣な様子に、レソランとヨハンの顔を見比べている。
「・・・ああ、うん。すまない。そうだったな」
レソランが小さく呪文を唱えれば、ふっと幻想の蝶は姿を消す。
「アン、ここは後でいいから、もう一つベッドの準備をしてくれないか」
アンジェリカにそう言えば、彼女は首を傾げつつうなずいて、走り去る。
「・・・なんでそれを出したんだ。誰か殺す気か」
ヨハンの厳しい視線に、レソランはなんといってよいかわからず、視線を伏せた。
ヨハンはいつだって正しい。レソランは彼の話を聞くたびにそう思っている。
彼はレソランに施された魔法のすべてを知っていた。レソランはヨハンに他の魔法使いに色々と聞くべきでないと諫めはするが、レソランの魔法はすでにいろいろと明かしている。
「・・・そんなつもりではなかったんだ」
言い訳のようになってしまった、と反省してうつむいた。
ちがう、そうでなくて、とレソランはヨハンに視線を向ける。
「いや、ちがう。えーと・・・すまない。すまなかった」
「・・・」
ぎり、とヨハンは顔をゆがめた。
そしてためらいなく部屋の中に入ってくる。
「1か月はここで食事するからな!」
そう宣言して手を貸してくる男に、レソランは呆れのため息を吐いた。
「おまえ・・・アンの食事に味をしめただけじゃないのか。勝手にしろ」
そう言えば、そうする、とヨハンは無邪気に笑う。
「金はもちろん払う」
「好きにすればいいだろ。大体、結構金あるんだから、家政婦でも雇えばいいじゃないか」
ヨハンが代わりにエヒャを担いだので、レソランは室内に視線を向けた。
「掃除はあとでいいじゃないか。いや、だってそしたら一人で食事するしかないだろ?」
そうする、と同意してレソランはヨハンとともに室内を出た。
「おまえ、知らないのか。食事はみんなでするほうがうまいんだぞ」
少年のような顔で笑顔を向ける男に、ああ、そうですか、と視線をそらした。
「どうでもいいけど、包帯巻いてくれ。目に。さすがに目だけは回復できない」
体の傷は蝶を出した段階であらかた塞がったが、眼は自前でないので自己修復できない。
「俺がやると、ぐちゃぐちゃになるが、いいのか?」
まじめな顔でそう言われ、サムにお願いしようかな、と迷うレソランだったが。
「お前がぐちゃぐちゃにしたらサムが直してくれるからいい。蝶の件については許してくれ」
「・・・魔力であれ、生命力であれ吸収する蝶か・・・本当にぞっとする」
レソランに埋め込まれている蝶の魔法はいわゆる『エナジードレイン』というものだ。基本的には生命力を奪う魔法だが、あの蝶は魔力までも吸収して己の力に変換することができる。
たくさんの力を見境なく吸う蝶は、力を得れば得るほど数を増やす。
レソランの蝶は、すでに数えきれる数ではない。
「あっエヒャさんに、結局なんの遺伝魔法なのか聞いてないな・・・」
そうこぼすヨハンに、レソランは少し考えた結果。
「むしろお前が正解を見つけて、これだろう、と当てなくてどうする。遺伝魔法の識別方法が分かれば、事前に暴走したときの対策も考えられる。医学的には必要だと思うが」
それだ、という顔をしたヨハンは、さっそくあの文献にあったとか、この文献を調べねば、とぶつぶつ言い始めた。
これでしばらくは大丈夫だろうと、レソランは小さく息を吐いた。