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誰がために記憶は在る 後編

全体公開 ムゲンWARS 2 11113文字
2017-11-28 13:29:15

後編です。堕の魔王、毒の魔王、淵の魔王、蛮の魔王、術の魔王、泡の魔王、戦の魔王、銀鏡の勇者、その他色んな方をお借りしました。とっ散らかっています。

Posted by @san_ph7

 さて、彼が廊下を会議室の方へ歩いていくと、ひとつしかない入り口は魔王でごった返していた。見るものが見れば恐ろしい光景である。何しろ、魔王しかいない。
 顔見知りはいないかと目を凝らす。彼に会議へ出席することを提案してくれた視の魔王の姿を確認できていないが、彼の友人は額にある瞳で会議を遠視しては”出席しているつもり”になることがしばしばあるらしい。もしかすると今日もそうなのかもしれない。
 魔王たちが渋滞している原因は、入り口にどうやら誰かが物理的につっかえているからのようだ。様々な種の魔王が集まる会議場だけに、扉は決して小さくはないのだが、それでも鉤爪のように尖った大きな両手が見事に木枠に引っ掛かっている。誰かが無理やり引っ張ったのかそれとも押し出そうとしているのか、周囲はちょっとした騒ぎになっていた。
 人混み、もとい魔王混みに更に近づく。
「誰だ蒼の魔王を無理やり扉に押し込んだのは。横になって入れば引っ掛からなかったのに!」
「どうすんだよこれ」
 周囲は呆れたり慌てたりしているが、挟まっている当人はそこから動く気がないのか、それともどうしようもないので諦めているのか、ただじっとしている。
「お」
 彼は声を上げた。扉を取り巻いている魔王たちの中に知り合いをひとり見つけたからだ。青い肌をした妖精……のように見える。だが下半身は透明な皮膜が球体を成し、その内部には心臓のように拍動する臓器のようなものが確認できる。
 淵の魔王という。魔界の端、とは妙な表現ではあるが、淵の魔王の世界とはそういうものであると彼は聞いたことがある。この端っこの王には放浪癖があるのだ。ひとり用ゲートを容易に開けられるために世界中を旅して回っている。
 歩み寄り、騒いでいる魔王たちの後ろで話しかけた。
「淵の魔王」
「お? 見た顔だ。覚えてるぞ。災の魔王」
「その節はどうも」
 淵の魔王が自分を襲った勇者について話してきたのは、その放浪中に出会ったときである。彼がふとした拍子に過去を知ることができると告げたので、淵の魔王は彼の能力で自分を襲ったものが何者だったのか知りたい、と尋ねてきた。随分昔に勇者に下半身を吹き飛ばされて以来、記憶を失っているために思い出すことができないのだとも。
 造作ないことだった。糸を手繰るだけだ。しかし、その過去は唐突に途切れた。どうしても読めない箇所がある。助力に添えなかったと告げると、お気楽な魔王は少し落胆した声を上げた。
 こうしたことは以前もあった。記録の途絶した糸の原因は、そこから先が別の世界で紡がれた過去だった場合ともうひとつ、魂の記録ごと削られてしまった場合とがある。彼の見える糸は、本来であれば魂の表面に刻まれる記録なのだ。彼は淵の魔王の状態を見て、勇者に襲われた際に魂も傷つけたため記録ごと失ったのではないか、と考えた。無論、そうした場合にそれを再び思い出すことは、彼が知る限りでは不可能なことだ。
「ねぇ、狂の魔王いる?」
「狂の?」
「淵の魔王は知らないか。獣の面つけた胡散臭い魔王なんだけど」
「胡散臭いやつならいっぱいいるけど、獣の面は見てない」
 入り口を取り巻いている魔王の集団を見渡しても、それらしき人物は見当たらない。今開催の会議には出席していないと考える方が妥当だった。彼は頭を掻いた。ならば他の手段を講じなければならない。
「災の」
 足元から声が上がる。見下ろせば、狐のような姿をした獣の魔王がいた。
「蛮の魔王」
「久しいの。息災か」
 屈んで目線を合わせ、挨拶をした。蛮の魔王はとても古い魔王だ。恐らく彼が堕天する以前より魔界の王として在り続けている。最後に会ったのも本当に大昔のことで、彼はこの小さく可愛らしい魔王が自分を覚えていたことを嬉しく思った。彼もまた、この黄色い獣の瞳が魂のようなオーラを写す特異なものであるということをよく記憶に留めていた。目を細めた蛮の魔王は、やれやれといった風に首を振る。
「なぁに?」
「いや、面倒ごとばかり起きると思ってな。あれを見ろ」
 蛮の魔王は毛むくじゃらの小さな手で向こうを指差した。魔王たちの足の間から、扉に挟まったままの巨大な手が見える。蒼の魔王のことを言っているらしい。首を傾げた。彼は蒼の魔王と接触したことはない。にも関わらず、彼と蒼の魔王との間には光の糸が一本伸びている。
……どういうこと?」
「どうもこうもない。そういうことだ。おいら面倒ごとは御免だ。災の、あれがどうにかなるのが嫌なら、お前がちゃんと何とかするんだぞ」
 それにしても、と蛮の魔王はやはり目を細めて今度は彼の方をじっと見つめた。彼も蛮の魔王を見つめ返す。
「お前も随分面倒なことになっているな。目を潰したか?」
「まぁ、うん。事故でね」
 何を戯けたことを、それが事故なものか、と蛮の魔王は呆れたように彼の鼻梁の当たりをべしべしと叩いた。
「呪いだろうそれは。お前の星に穴が空いとるわ」
 それは――そうなのだが。
 穴が空いているとはどういうことだ。
 発言の真意を問おうと声を上げかけたところで、やっと扉前の渋滞が解消されたのか魔王たちが動き始めた。それから、廊下の奥から牢の魔王が望の魔王を荷物のように脇に抱えてこちらへ歩んでくるのが見えたので、彼は蛮の魔王に子細を聞くことなく会議場へ入室する羽目になった。
 室内はコの字型に机の配置された、特筆すべきことも無さそうな普通の部屋だった。装飾が豪奢であるとか、議長が大柄で威厳があるとか、そういったことはない。そう、議長だ。彼は思い出した。部屋の前方で会議資料をまとめている、冴えない人型の魔族……彼が議長のガーエルだ。傍にはそれを手伝う書記の男ともうひとり、短い黒髪を後ろへ撫で付けた男がいる。
 あんなのいたっけ、と思いながら流れのまま、手近な空席に腰掛ける。見れば丁度堕の魔王の隣である。
「よ。収穫はあった?」
「いや、全然」
 鬼には会ったけど、というと、何じゃそりゃと友人は首を傾げた。
 彼は議場を見渡した。未練がましく狂の魔王を探してみたが、やはりいない。部屋の向こうで嫌に露出度の高い女型の魔王同士が豊満な胸と胸を合わせて何やら言い争いをしている様子であるとか、いつだか迷い込んだ猫だらけの箱庭の主がこちらに気がついたのか控えめに手を振って挨拶してくれたのとかが見える。丁度対面には蒼の魔王が座っていた。
 手を振りながら彼はぼそりと呟く。
「どうしようかな」
「いないでしょ?」
「それなんだよ……困ったなぁ」
 狂気を解くことができる魔王なんて、他にいるだろうか。ちらと隣を見る。少なくとも幻惑系の能力を持っているこの友人が勇者の症状に対処できるとは思えないし、そもそも他に方法を知っているのならばすぐに教えてくれただろう。彼は頬杖を付いた。
 大体気にしなければならないことが多すぎる。蛮の魔王が言っていたことや、真向かいに座っている蒼の魔王。面倒事は嫌だと蛮の魔王は言っていたが、彼だって嫌に決まっている。しかしそういう言い方をしたということは、大凡面倒なことになるのは決定しているようなものだ。しかも何とかしろときた。
 いや、それよりも、カイの狂気を解く何かきっかけを……とじっと魔王たちを観察していると、牢の魔王と目が合った。ひらひらと適当に手を振るとそっけなく視線を逸らされた。囚獄の勇者との関係はまだ知られていない。それこそ、とても面倒なことになるだろう。
「ほい」
 バサリと横から資料が手渡される。彼の席には配布資料が届いていなかったらしい。礼を述べて受け取ると、彼の右隣に座っているのが毒の魔王であることに気がついた。
「お久しぶりー」
 いつだったか、彼女の世界に生えている毒りんごの苗木を分けて貰ったことがある。残念ながら彼の世界の土壌に馴染み過ぎたのか、毒りんごは美味しいアップルパイにしても遜色ない、ごく普通のりんごになってしまった。苗木の顛末を話すと毒の魔王はカラカラと笑った。
 雑談に興じていると、議長が話し始める。が、議場内は特に静かになることはなく、彼はかなり注意深くその声を聞かねばならなかった。今日は何だか参加者多いんだよね、と隣の友人がぼやく。
 彼は会議資料をパラパラとめくってみた。議題は「魔力汚染された土地の改善案と実験結果の報告」と「ゲートを無造作に開けたままにする勇者への対策案」だそうだ。綺麗に作ってある。
 魔力汚染の概要はこうだ。その世界の土地の豊かさは魔力に由来する。通常は世界に対して存在する魔力は1種類、魔王の持つ魔力のみである。汚染とはつまり、異なる2つ以上の魔力が混ざってしまった場合に起きる様々な弊害を指す。また、水が高いところから低いところへ流れるように、魔力もまた濃度の高いところから低いところへ移動する性質がある。魔力の移動はゲートを挟んでも発生し、これが2つの魔界で汚染を引き起こす原因となっている。
 いくつかの事例が資料の中に上げられている。魔力汚染はゲートを繋げた魔界同士で必ず発生するとは限らない。これは魔力同士の相性の問題だとも言われている。また、汚染の内容は土地の栄養過多、枯渇の他にも色々なものがある。
 これは興味深い内容だった。彼の世界には別の世界の魔力と混ざっている土地があるのだ。汚染が起きていないのは奇跡的なことなのかもしれない。
「それで、実施した実験の過程と結果なのですが」
「私からも説明いたしましょう」
 立ち上がったのは席に座っていたひとりの魔王だった。人型の魔王に見えるが、艶やかな長髪の間に折れた角の跡を見つけて、彼はおや、と思った。
「実験は術の魔王様にご助力頂いて、泡の魔王様の世界で実施したものの内容となります」
 ガーエルは立ち上がった人物を術の魔王と呼んだ。一礼すると、術の魔王は資料を片手で持ち、時折もう片方の手でペンをもて遊びながら話始める。
「実施期間については資料ご参考頂きたい。汚染の内容は、”菓の魔王と泡の魔王の間に設置された双方向ゲートより、菓の魔王の魔力が泡の魔王の世界へ流れたことによる泉質変化”となっています。そうですよね」
 呼びかけ、議場の一画へ視線を向ける。泡の魔王はうむ、と元気よく返事をした。大きな長靴を履いた小さな魔王だ。見た目はうさぎのような、猫のような姿である。この魔王が治める世界は全魔界屈指の温泉場となっており、魔王だけでなく勇者も利用に訪れることができる。そしてその性質上、この魔王議界と同じく非戦地帯である。
「わしのところの温泉が、どうしたことかいつの間にか」
「オレンジジュースになっちゃってたんだよねぇ」
 そう続けたのは、泡の魔王の隣に座っていた菓の魔王である。二つ名の通り、お菓子の世界を統べる王だ。
「こう、いたずらしたわけじゃないんだよ。基本的に何かをお菓子に変えちゃうっていうのは無理なの」
 弁明するように菓の魔王は道化のような手を振った。
「特殊な事例ではありましたが、泡の魔王様から前回の議会でご相談を受けまして」
 議長が捕捉を入れる。前開催がいつのことだったのかは知らないが、議長に相談など泡の魔王も相当困っていたのだろう。
 ふと、対面の蒼の魔王が目に入った。ぼんやりとしている。あの魔王に限っては大体そうだとは思うのだが、けれども何だか少し、ぐったりしているような気がする。魔王が体調不良、というのはどうなのだろう。彼は聞いたことがない。
……湯治って、効くのかな」
 このぼやきを耳聡く聞いていた隣の友人がニヤニヤ笑いながら絡んでくる。
「関節痛? おじいちゃんなの?」
「うるさいなぁ、君だって大して歳変わらないだろ。僕じゃないよ」
 精神の不調に温泉が効くかどうかはかなり疑問だったが、それとは別の機会にカイを泡の世界へ連れて行ってもいいかもしれないな、と彼は思った。本体はともかく分身は休息がとれるときにそうすべきだろう。
「蒼の魔王、なんか具合悪そうだねぇ」
 毒の魔王も会議資料の端っこを折り紙にして遊びながら、彼にこっそり話しかけてきた。
「君もそう思う?」
「うん。なんかさぁ、船酔い起こしてるみたいな感じ?」
「魔王風邪じゃないの」
 堕の魔王はそう言った。彼は数度瞬きして、友人の顔を見た。
「風邪ェ?」
「君が来たときも言ったと思うんだけど」
 確かに腹丸出しで風邪でも引いたんじゃないかとは言われたが。
「風邪引くの、魔王が」
「引くのよこれが」
 堕の魔王はちらと毒の魔王の方を見たのだが、彼女は全力で目を逸らした。風邪引いたの、と彼が苦笑しながら問えば、この間の話だけど、と目線だけこちらへよこして答えてくれる。
 直球すぎて逆に胡乱な名称のこの病は、やはりというかその名の通り魔王だけがかかる風邪であるという。症状自体は、発熱、咳、頭痛、吐き気、体のだるさ、関節の痛み等人間が引く通常の風邪とほぼ同じで、ただひとつ決定的に違うところと言えば”魔力の漏洩”ぐらいだそうだ。
「かかるの魔王だけだからね、治療薬なんかもないしさ。そもそも大人しくしてりゃ治るんだけど」
 ご機嫌で看病されてたんだよ、と堕の魔王はひそひそ声で話した。毒の魔王は口をへの字に曲げたが、そのまま彼にあれこれ説明してくれた。どうやら最近ぽつぽつ流行り始めているらしい。
「それなのに今日魔王の集まり珍しくいいでしょ。これもしかすると次開催は魔王風邪流行りすぎて延期の流れかもね」
 何故だか嬉しそうに毒の魔王は笑った。彼らがこそこそ歓談している間も会議は続いていく。
「と言っても、やったことは簡単です。要は温泉に溶け込んだ魔力を集めて再構成してしまう。温泉の中に魔力濃度の低いところをわざと作って――
 毒の魔王と堕の魔王の間に挟まれ、時折ふたりの会話に混ざりながら術の魔王の大変興味深い話を聞き流していた。
――そして、魔力を再構成し、泉質は元に戻りました。代わりに湯の花が砂糖になりましたけどね。エネルギーの変換は容易ですが、これを完全に消滅させることは不可能ですので」
 ふと向かい側の蒼の魔王が気になって目を向ける。何だか先程より具合が悪そうに見える。ただでさえ白い肌が青ざめて……いや、赤らんでいる? やはり風邪なのだろうか。彼は蛮の魔王に言われたことを思い出した。面倒ごとは御免だ。嫌ならお前が何とかしろ……。そう、さも彼にとって蒼の魔王を助けることに意味があるような言い方だ。だが彼は蒼の魔王とは面識がない、はずだ。
 ではこの糸はなんだ?
 いつもであれば糸を握り過去視を行うことで対象が誰なのか知ることが可能だった。彼は今それができない。糸を引っ掴んだ。何も、視えない。
「では次の議題はゲートを無造作に開けっ放しにする勇者について」
 恐らく、この糸の先に繋がっている人物は蒼の魔王ではない。では誰なのか。彼と面識があり、この場所にくることができて、蒼の魔王の外見をとれる能力を持っている――
「そんな馬鹿な」
 彼がそう呟いたのと、対面に座った蒼の魔王がぐらりと傾いて、倒れるのと同時だった。はずみで資料がバサバサと床へ落ちる。禄に議事内容も聞き留めていない魔王が多いせいか、これに気がついたのはごく少数だ。蛮の魔王と目が合う。それみたことか、と言った顔である。
 彼は咄嗟にコの字型の机を飛び越えて、蒼の魔王へ駆け寄った。サッと抱き上げると、
「議長、申し訳ないけど少し席を外すよ」
 そう言って、ガーエルから何か言われる前に彼は逃げるように会議室を出た。
 廊下を疾走しながら彼は考える。
 わけが分からない。何故こんなところにいる。
 彼が抱き上げたはずの蒼の魔王は、いつの間にか桃色の髪を持つ少女へと変わっていた。瞼は固く閉じられて、顔面は蒼白だ。
「何しに来たんだ君は全く……!」
 呼びかけに返事はない。彼女は銀鏡の勇者という。接触した相手の姿をかなり正確に真似ることができる能力を持っている。
 まさかとは思ったが、本当に彼女だったとは。いや、何故もう少し早く思い至ることができなかったのか。呼吸が浅い。魔力酔いを起こしているようだった。魔王が数十人集まる議場である。ひどい魔力濃度の空間だったはずだ。ゲートを開けてどこかへ早く移動させなければ。
 彼女を抱え勢いよく外へと飛び出した彼は、自分がこの世界へ降り立った場所へと、つまり双方向ゲートの設置されているはずの森の奥へと向かうため足を一歩踏み出し――
 突如、ギラリと光る金属の輝きが視界に割り込み、彼は瞬間的に後ろへと飛び退った。
……勘弁してくれ」
 小さな子どものような魔族は、ヒュンと鎌を一度空で振って、その得物の犠牲者が出なかったことを不思議がるように首を傾げた。そして彼を見て、二三度瞬きをした。「何故だ」とでも言いたげである。
 彼は門番だ。仕事をしているだけなのだ。草刈りではない。すなわち、侵入者である勇者の排除が目的であることは察せられる。
 彼は、ここで行使される排除の内容を詳しくは知らない。かつ、腕の中の彼女は勇者とはいえ見知った人間である。放り出すわけにはいかなかった。
「彼女を、元の世界へ返すだけだよ……いいだろ? 通してもらえると嬉しいんだけど」
 返事はない。代わりに、刈り取る者は再び鎌を振り上げた。
 鋭い縦の一撃を今度は横っ飛びに避けながら、彼は周囲に広がる森の中へ逃れようと駆け出した。彼女をゲートにさえ突っ込んでしまえばそれで済むのだ。しかし、少し前もこんなことがあったような気がする。嫌な予感しかしない。
 ヒュンッと頭上を真横に斬撃が通る。背後から追ってくるものの気配を読みながら、視えない位置から飛んでくるそれを避けるのは容易ではない。流石に後ろに目はない。彼は空気中の魔力の濃度や動きを何となく勘で読んでいる。それこそ会議の内容を思い出して、咄嗟に応用させただけだ。
 だが慣れないことをしている自覚はある。こんな芸当をいつまでも続けていられるはずはない。じりじりと追い詰められていく。
「ねー何してンの?」
 突然、頭上から聞き覚えのある声がかかる。上を向いている暇はない。木の幹を傷つけた鎌の一閃からスルリと逃れながら、彼は努めて無感情に答える。
「かくれんぼに見えるか?」
「鬼ごっこだよネ」
 伝令の悪魔は枝の上に器用に腰掛けて、眼下で踊るように幹の回りを追跡し逃走するものたちを眺めた。
「キられてみれば?」
「何を馬鹿な」
 刃の軌跡が前髪をかする。怪我をするつもりもなければ、応戦する理由も実のところない。魔王議会は非戦地帯だ。そして規定を侵しているのはむしろ勇者を連れて逃げ回る彼の方で、この状況も致し方ないといえばまさしくその通りである。
「リスクしかない」
「その鎌はネ、精神に作用する武器なんだヨ。だから勇者キったって死ぬワケじゃない。ちょっと記憶が飛ぶだけさ」
 クスクスと悪魔は笑った。そうは言っても、猛攻が止む気配はない。門番は役目を果たそうと躍起になっていた。頭上の悪魔は直接介入する気はさらさらないようである。
 彼は舌打ちをして、彼女を片腕で抱え直し肩に担ぐと、左手で握った銀の剣を振るった。刈り取る者の表情が驚きへと変わる。
……!」
 力業で振るわれた鎌を押し出す。金属の地を引っ掻くような耳障りな音が響く。鍔を引っ掛けると、それを横薙ぎに弾いた。
「頑張るネ」
「うるさいな」
 体勢の崩れた相手から大きく距離を取る。肩口で銀鏡が呻いた。いくら議場より魔力濃度が薄い屋外とて、このまま彼女をこうした状態にさせておくのは良くないことだ。
「どうするつもりなのカナ?」
 ぐるん、と逆さまになった伝令と目が合う。
「大事なトモダチに何したのかは知らないし、キミの左目がどうなってるのかは興味ないケド、そうだなァ。彼女を放り出すのがイヤだっていうなら、やっぱりこの刃はキミが受けるべきだと思わない?」
「何を言って」
 目前に鎌が迫る。咄嗟に身を捻り剣で受け流しを試みようとしたが、間に合わない。銀鏡の勇者を狙った一撃は無理やり上体をずらした彼の頭部へと直撃する。
 視界が明滅する。痛みはない。
 だが、左目がやけに――熱い。
 二撃目がくる。今度はこれを剣でしっかりと受け止めた。しかし彼には何が起こっているのか分からない。確かに、切られたようだった。だが裂傷は確認できない。
 それどころか、彼は今何故自分がここに立っているのかが分からない。
 ここは――どこだ。
 目の前の相手は誰だ。何故伝令の悪魔がいる。何故彼女を、銀鏡の勇者を庇いながら戦っている。剣を固く握る。明らかに何か異常が起こっている。攻撃を受け流しながら記憶を辿る。思い出せない。
 しびれを切らしたのか刈り取る者の鎌の動きが段々と大きく、苛烈になる。斬撃を弾き飛ばしながら後退させられていく。何故か記憶がない。どこまで分からなくなっているのかが分からない。左目が熱い。
 そうだ、過去を、遡れば。
 彼は、いつものように能力を行使しようとした。そして彼は、それらが封印されていることをすっかり忘れてしまっていた。
 ぶつり、と何かを引き千切るような音がする。視界にノイズが走る。声が聞こえる。
――穴の空いた風船がどうなるか分かりますか。
 閉じた瞼の隙間から大量の赤く不透明な液体を流しながら、彼はほとんど無意識のうちに左目に幾重にもかけられた封印を破った。顔の半分が焼けるように熱い。
 目を開く。夜のような眼窩の底に黄緑色の呪われた月が上がった。
 ぞわり。
 流れ出した赤い液体が地面に落下する度、周囲の魔力濃度が急速に上がっていく。木々が総毛立つ。地面が騒ぐ。空気が澱む。にわかに周囲の草むらがざわざわと風に吹かれて揺れたかと思うと、時を早回しにしたように瞬時に伸び上がり、そして次の瞬間その全てが生気を失い塵になった。
 肺を圧迫されるような息苦しさを覚えて、彼は膝を折りそうになった。自身に何が起こっているのか把握ができない。視界に映る地面は真っ赤に染まっている。
 この状況でも、刈り取る者は躊躇わなかった。動きの鈍った彼の隙をついて鋭い鎌の振りが迫る。
 そこへ、ふたりの間を割るように巨大な戦槌が常識はずれの速度で飛んでくる。着弾点の地面を抉り、衝撃で土埃が高く巻き上がった。
 現れたのは赤銅色の肌をした魔王である。戦の名を持つその王は、誉れ高き戦士の国の長だ。
 突然の闖入者に、彼も刈り取る者も困惑している。
「強きものの気配だ」
「戦の魔王……
 真偽の分からない逸話の数々は、この武勇に名高い王を常に戦いを求める暴君のように語ることさえある。彼は、剣を収めるべきか大いに迷った。この状況の前後が分からないために、そもそもこの魔王と敵対しているかすら判別がつかない。
 そんな彼の心中を知ってか知らずか、魔王は彼の肩に載せられたままだった銀鏡の勇者をヒョイと抱き上げる。ア、とどこかで声を上げた伝令の声も気にすること無く、
「戦えぬものを戦いに巻き込むことはない」
 そう言って、唸る左拳で空間にゲートを開ける。空気を破壊するようだった。派手な破裂音が響いた後、彼はゲートの向こう側にいる何者かと一言二言話をして、それから銀鏡の勇者をゲートの向こう側へ渡してしまう。
「では」
 ことが済むと、恐ろしい笑みを浮かべた魔王は地面から巨大な戦槌を拾い上げた。
「災の魔王。久方ぶりだ。して、この様である。我が求めることが分からない貴様ではないだろう?」
……
 彼は黙って銀の剣を構えた。それを見た伝令の悪魔が、頭上から焦ったように声を上げる。
「チョ、チョっと! キミら分かってんの!? 魔王議界は非戦地帯だヨ!?」
「聞こえん」
 彼は思った。勝てる気など全くしない。しかし、相手には恐らく何か意図があるのだ。でなければ無闇にこのような行動にはでないはずだ。
 じりじりと間合いを計るふたりが静から動へ変わる瞬間――
「す、ストップ! ストップ!!」
 息を切らして議長ガーエルが降ってくる。よろけつつその場に着地すると、双方武器を収めて下さい、と掠れた声でそう言った。
 不思議なことに、これには戦の魔王は素直に従い臨戦態勢を解いた。彼も銀の剣の切っ先を地面へと突き刺す。安堵ともとれるため息をついた伝令の悪魔は、次にじろりと議長に睨まれて非常に罰の悪そうな顔をした。
「一体何があったのですか」
「戦場の匂いを感じたので出てきた」
「戦の魔王さまは分かりますよ、私は貴方を追って出てきたのですから」
 赤銅色の肌をした魔王はしばし考えて、やけに目立つ白い歯を剥き出しに笑ってこう言った。
「しかしそうだな、手負いとひと目で分かる相手を一方的に嬲る趣味はない。ここは『貸し』にしよう、災の魔王。我は議場へ戻るとする」
 ガーエルが止めるのも聞かずに戦の魔王は去ってしまった。後にはぽかんと口を開けたままの伝令の悪魔と、左目から赤い液体を流し続ける彼と、刈り取る者の襟首を掴んだ議長だけが残った。
「事情をお伺いしても? 災の魔王さま」
 彼は幾分か首を傾げて、糸の奔流を遡った。周囲は最早、普通の人間が数分も意識を保っていられないほどの量の重たく澱んだ魔力で満ちていた。彼が深く息を吐くと、僅かに原型を留めていた花が塵と化し、風に吹かれ散った。
 遡りながら考える。恐らく彼は戦の魔王に助けられた。非戦地帯であるという取り決めをあの魔王が知らなかったとは考えにくい。その強さはもとより、戦の魔王は頭のきれる人物である。この一件突拍子もないように思える行動は、誰かからの差し金だろう。例えば彼の古い友人であるとか。取引の材料に何を使ったのかは知らないが、ともかく戦の魔王は”貸し”だと言っていた。彼は少し気が重たくなった。
 さて、思い出せなくなっていた記憶を確認した後、彼は非礼を詫びた。すなわち非戦地帯とされる議界で、未遂とはいえルールを破るところだった点についてである。それから付け加えるように、”前後の様々なことを思い出せなくなっていた”ということも。
「でもおかげで助かった。僕がここへきた目的も果たせそうだし。そうだな、議長。僕は今回のことも含めて君と話をしなければならない……んだけど」
 彼は左目から相変わらず流れ落ちる不透明の液体を片手で拭った。それから周りの状況をあらためて確認する。彼の立つその足元から周囲の植物という植物は、枯れ果てていた。
「魔力汚染だね。ごめん、そんなつもりはなかったんだけど、僕が無理やり封印解いちゃって、アー……。これも話すと長くなるんだ、まぁいいや」
「貴方は」
 彼は残る右目で当惑したままの議長の瞳を捉えた。
「ガーエル、僕はずっと思ってた。彼女に会って話すことを決めたときも、逆は考えたことがなかったんだ。だからあいつが彼に会いにいくと言い出したとき、本当は真っ先に君に話を聞くべきだった」
 ガーエルの表情が変わった。
「教えてくれるかい。君たちが何者なのか」





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