@kyuri_akita
誰にでも人に言えないことの一つや二つはある。
だから秘密があること自体は構わない。すべてをさらすことなど不可能に近いのだから、それは仕方がない。
問題は、それで何かが起こったときに、知らないことによって被害が拡大することがあるという点だ。だから、秘密があるということは実に厄介なものなのだ。
それはときに穏やかな歌のように。
あるいは、どんな時でも差し出される無表情の手のように。
「で、一体どういうことなんですか?」
サムは腕を組んで、自分よりも背が高い男を見上げていた。
見上げているのに、見下ろされている。そんな構図で、男は肩を落として視線をこちらに向けなかった。
彼の美しい金髪は、埃と血でくすんでいる。けがをした彼の右目に巻いた包帯は、ぐちゃぐちゃだった。その状態では、巻いているのか貼り付けているのかわからない。
だったらきれいにやるから、自分にやらせろとサムは包帯をにらみつける。
(あーあ。せっかくの髪が・・・)
彼が面倒くさがるのをいいことに、実は手入れを楽しんでいた。髪は手入れをした分だけきれいになるので、サムとしても楽しいのだ。
せっかくきれいにしたのに、と残念でならない。
しかしそれらを言葉にするときは今ではない。もっと身なりをどうにかしろと説教するのはこの際あとでいいと、サムは一向にこっちを見ない男に視線を向け続ける。
「どういうことっていうか・・・いや、あの・・・」
レソランは困ったような顔をして、実際困っているのだろうが、もごもごと言葉を探していた。
そんなレソランを手助けする気はさらさらなく、サムは彼の言葉を辛抱強く待つ。
シャオマオを寝かせたあと、レソランのもとへ戻ろうとしたら、レソランとヨハンがぐったりとしたエヒャを担いできた。
ヨハンは部屋の片づけをしてくる、と、さっさと出ていってしまった。なので、残っているのはアンジェリカとサムとレソランだった。
ちなみにレソランも片づけをしないと、などと言って逃げようとしたので、サムはにっこりと笑って引き留めた。
(簡単に逃げられると思うなよ)
困ったように眉根を下げて首の裏を掻いたあと、レソランははあ、と重たいため息をついた。
「・・・悪かった。怖い思いをさせて。シャオマオはべつに助けなくても平気だと思ったんだ。あの子を通じて、書館の勇者様が、すべて見ていた。だから、あの子の危機に、勇者様が必ず出てくると思って」
ぶちっとサムの中の何かが切れる音がした。
せんせい、とアンジェリカが悲鳴に似た何かを上げる。
だが、関係ないと、サムはずかずかとレソランのそばに近寄った。
「そこじゃない!そうじゃないですよ!何度言えばわかるんですか!俺は、自分を大事にしろって言ってんですよ!」
レソランは目を丸くして、両手を上げた。
思いっきりにらみつければ、ひるんだようにレソランは体をのけぞらせる。
「目だってそう!替えがあるから大丈夫とか、そういうことじゃないでしょ!あんたが自分をないがしろにしたのが一番頭に来るんですよ、俺は!いっつも言ってますよね!?」
なんで。
どうして、と。
助けられたときから、ずっと。
ずっと、サムは思っている。
この男は、どうして一歩、前へでて両手を広げるのだろうか、と。
「なんで、自分も守れるのに、自分ごと守ろうとしないんですか?あんたには、それだけの力があるでしょう・・・?」
いつも、そう思う。
そしてそう思っては、ぽん、と頭に手が置かれるばかりで。
「すまなかった」
そういう謝罪しか、降りてこない。
「・・・いいですけどねえ。あんたの秘密主義は今に始まったことじゃないですしねえ。それで何度、あんたがけがを負ったってね、どうせ看病するのはこっちですからねえ。いいんですけど!べつに!」
とげとげしく嫌味を言えば、うっとうめいて、レソランは静かに顔をそらした。
「アン、お茶の準備してくれ・・・」
視線をそらした先で、アンジェリカに助けを求めるようにそう伝える。
それで何かが伝わったのか、はっとしたように、アンジェリカは無言で親指を立てた。レソランもきりっとして親指を立てて返事をするので。
(わかりあってんのそこかよ!)
朝方、何も伝わらないと思っていたアンジェリカの動作は、この二人の間では通じているらしい。
そのことにもいらっとしてさらに口元をへの字に曲げると、アンジェリカが慌てて出ていった。
その様子に、ふ、とレソランが苦笑交じりに笑いをこぼした。
「・・・あの機械は、高密度の魔力が入る設計じゃなかったんだ。お前が使うためだけに作ったものだから。だから、あそこにいた勇者様の魔力に反応してしまったんだよ」
静かに事情をなおも語る男は、サムと視線を一向に合わせようとはしない。
怒ってはいる。
頭にきてはいる。
だがそれと、レソランの話を理解しないのとは話が別だった。
「・・・それ、聞いてませんけど。おかしくないですか。あんただって結構優秀な魔法使いでしょう?」
自分の魔力は考慮されていないのかと問うと、ちらり、と眼球だけをサムへと向けた。
青い、深い泉のような、底なしの美しい作り物の眼が、サムを見下ろす。
強い視線だった。だが、サムは髪の間からのぞくような眼から視線をそらさなかった。
「・・・俺の眼は、赤い色をしていた」
かつてを思い出すように、わずかに目を細めたその顔には、憎しみが浮かんでいる。
包帯でまかれようとも、隠れることのない恨みが顔をのぞかせていた。
「叔父の、アベルディ・ラトウィッジによく似た赤い眼だった。妖精や魔物に好かれる目だ」
その言葉が何を意味するのか、わからないサムではない。
かつて、レソランに赤い眼は妖精に好かれるという話を聞いたことがあった。
とある赤い目をした男は、魔法使いの家系に生まれ、妖精たちに好かれ、兄よりも優秀だとほめたたえられたという。
後継者争いになったとき、男は兄がなるべきだと主張した。その国の風習でそうだったように、長子が後をつくべきだと。
だが、そうはならなかった。国の状況が悪化し、戦争となり、兄は戦争の道具のための実験として連れていかれてしまったという。
弟のほうが、優秀であったから残したのだと。
だから赤い眼は昔から妖精に好かれはするが、縁起が悪いと言われているとも、レソランは語った。
「親父は、一人だけ強くあるからいけないのだと主張した。一族のものが皆、優秀であれば惨劇は起こらないと。だから、一族子供はみんな、魔法による手術で幼いころに強制的に魔法を植えつけられ、眼を奪われる。勇者に隷属していることを示す、青い目になる」
みんなが強くなるために。
怒りでサムの顔が引きつった。
だが、それ以上にレソランの眼は、憎悪に輝いていた。
(ああ、あんたも知ってたんだな)
サムは、レソランは憎しみだとか、そういうことを知らない男だと勝手に思っていた。いつも淡々としていて、大人で、基本的には育ちがいい。だから誰にでも手を差し伸べることができる、苦労を知らない男だと思っていた。
だがきっと、そうではないのだろう。
むしろ、苦労を知っているからこの男は手を差し伸べるのだろうとサムは思った。
知っていて差し伸べられる手のやさしさを、サムは痛いほどに理解している。
「あの蝶が、俺が目とともに埋め込まれた魔法なんだが」
サムは、一族しか持たない魔法だと、出会ってすぐに見せてもらったことがある。
レソランは、その魔法の正式名称を口にはしない。別名である『エナジードレイン』や魔法の形である蝶、などという。
「『クローフィ』」
魔法の正式名称を口にすれば、レソランは憎悪をその眼に光らせながらも、顔からはひっこめた。
「そう、それ。それな、エヒャが昔、力を暴走させて、その時に大量に使ったからあんなでかいんだ。今回も、あいつの力が使いっぱなしだったから、力を吸い取る意味で使った。ヨハンには怒られたけど」
ヨハンも『クローフィ』を知っているが、かなりあの魔法を嫌っていた。
そもそもサムに魔法のために体を改造するなんてと文句を一番言うのもヨハンだ。とはいえ、魔法のために体を手術するのはよくないとはレソランも言う。
「ヨハンさんは、あれが人の命を奪うって知ってるからでしょう」
寿命などではなく、人が活動するのに必要なエネルギーを奪う『クローフィ』は、貼りついていれば数時間で人を死に至らしめる。まるで猛毒のような蝶だ。
吸収するものや、量についてはある程度使用者側でコントロールできると聞いたが、それにしても恐ろしい魔法であることには変わりはない。
「そうだな」
お前はきれいだと言ったのに、と薄く笑うレソランは、『クローフィ』を一匹出した。
レソランの影に潜んでいる蝶は、正直何匹いるかわからない。恐ろしくもあるが、その魔法は奪った力を他へと還元できる。使用者だけでなく、他人にも分け与えることができるのを、サムは知っていた。
大きな蝶のために、レソランは手を上げた。
手の甲に止まった蝶を眺めて、レソランは薄く笑う。
その顔が穏やかで、先ほど浮かんでいたわずかな憎悪は見る影もない。
「・・・俺の魔法は、奪う魔法だ。それに、俺の魔力なんてたかが知れている」
あの方を見ただろう、とレソランはひきつるように笑った。
「そこにいるだけで、圧倒されるような力の塊だぞ。俺もさすがにそこまでは、計算にいれていない」
あれであの方は、何匹もの魔物と契約しているから、魔力が抑えられているほうなんだ、と、レソランは蝶を持ったまま笑った。
レソランは、相変わらず自分の秘密を話しただけで終わった。
以降、気を付けるとも言わない。自分の魔法を眺めているときは、大抵感情は落ち込んでいるというのに、笑ってごまかすのが常だった。
その美しい猛毒のような蝶を見ては傷つくくせに、彼はそれをやめない。
「・・・包帯、ぐちゃぐちゃですね」
サムがそう言えば、レソランは煙を払うように手を振って蝶を消した。
「眼は、どうするんですか。すぐ治るんですか?」
いや、とレソランは首を振った。
「ラトウィッジの屋敷に行かないと・・・」
そうですか、と言ってから、サムは近くにあった椅子に視線を向けた。
「座ってください。ぐちゃぐちゃですよ」
びく、と肩を跳ね上げたレソランは窺うように体をかがめてサムを覗き込んできた。
「・・・なんです」
サムがにらみつけると、いや、と視線をそらす。
「怒ってないのかと思って・・・」
はあ?と低い声を上げれば、すぐにレソランは両手を上げた。
「怒ってるに決まってるでしょうが。許してませんよ。いいから座ってください」
はい、とおとなしく座る男を、なんだかなあ、とサムは息を吐いた。
包帯を外し、もう一度くるくると白い塊を作って、髪を持ち上げる。ケガした右目に布が行くように頬に塊を当ててから、くるくると包帯を巻いていく。
「大げさだな」
そう苦笑するレソランに、それぐらいの怪我ですよ、とサムは言った。
「普通の人間は、眼球傷ついたら大けがですし、下手したら死にます」
そうか、と動かずに頷く。
全くこの男は、いつも自己犠牲を厭わない。そんな精神でサムもこの男にあっさりと救われているが、見ているこっちは気が気ではない。助けてもらうときでさえ、サムは思わず、あんたそんなんで大丈夫なのか、と心配したほどである。
自分から死にたがっているような、そんな風にさえ見える時もあった。
時に大事という感情を知らないのではないかとさえ思う。
終わりましたよ、と声をかけても、レソランは動かなかった。
「・・・すまないな」
「だから、」
すまない、とレソランは遮るように続けた。男の頭を眺め、動かないことにサムはいやな予感がした。
「・・・まさか、まだ秘密があるとかいうつもりですか。でも言えないって?」
「すまない」
「あんたねえ・・・」
どれだけ言えないことを抱えこめば気が済むのかとサムは頭を抱える。
(ほんとに、どんな人生を歩んだらそんなに人が言えないことができるんだ)
かける言葉を探していると、エヒャ、と叫びながら、シャオマオが飛び上がった。
「エヒャ!エヒャ!?」
混乱したようにあたりを見回すシャオマオは、近くのベッドに寝かされたエヒャを見つけると、ベッドから飛び降りた。
「エヒャ?」
顔を青くして、静かに目をつむっている彼の胸元に耳を置く。心臓の音を確かめたのか、ほっと息を吐いた。
なにはともあれ、彼らが先だと、サムはエヒャのそばに座り込むシャオマオにあの、と声をかけた。
「シャオマオ君、大丈夫?体は、どう?」
シャオマオははっとして顔を上げると、顔をゆがめてにらんできた。
(えっ)
表情の乏しい彼から怒りに近い何かを向けられたことに衝撃を受けていると、ふしゃー、と猫のように牙をむいた。
「おまえ!やっぱりな!あべるさまとおなじかんじがした!」
「・・・猫より、犬ほうがいいんじゃないのか。よく吠える」
後ろから低い声がして振り返れば、レソランが静かに見下ろしていた。
レソランの煽るような言葉に、シャオマオが顔をゆがめた。そしてすぐに動く。
す、とシャオマオの腕が伸びた。それは明らかに攻撃の意図を持った打撃だった。
だが、突き出された腕を、レソランはひょい、ととって、力の流れを変えて吹き飛ばした。
「『開け』」
レソランの声に反応して、窓が開く。投げられたシャオマオは、そのまま窓から飛び出していった。
「ちょ、レソラン!?」
ふわ、と空中に投げ飛ばされたシャオマオは、宙でくるりとバランスをとった。
ぎり、とシャオマオが悔しそうな顔をしてレソランをにらむ。
しかし、外に投げ飛ばされたシャオマオは、そのまま下へと落ちていく。
「シャオマオ君!?」
慌てて窓に駆け寄れば、三階分の高さから落ちたというのに、シャオマオはきちんと地面に着地していた。
だが、不満そうに立ち尽くしたままこちらを見上げている。
無事であるという事実にほっとしてサムが息を吐く。どう弁解したらよいのかわからぬままあいまいに笑って見下ろしていれば、気にするな、と低い声がした。
「大丈夫だ。あいつは魔法が使えないが、こと戦闘に関してはプロだからな」
だから大丈夫とかそういう問題ではない、と声を上げようと振り返って、サムは言葉を飲み込んだ。
ぶく、とレソランの体や足元の影から、煮込んだスープが泡を立てるように、赤く光る蝶が沸き上がってくる。ぼこぼこと沸き上がるそれは、レソランを覆い隠すほどの量だった。元々、巨大な蝶だ。その数を見るに、部屋を覆い尽くすのではないかとサムは息をのんだ。
レソランは残った片目で、ちらりとエヒャを見た。
人差し指を口元に持っていき、小さく口を動かす。
(う、ご、く、な?)
その口が伝えた言葉に固まっていれば、こんこん、とドアがノックされた。
ざわ、と蝶が部屋中に飛び回る。
声をかける前に、ドアは勝手に開いた。
「レソラン、エヒャくんは起きているかの」
にこにこと部屋に入ってきたのは、親方だった。
「・・・いや、まだ寝ている」
そうかい、と穏やかに返事をした彼は、ためらいなく部屋に入ってくると、白い手紙をレソランに差し出した。
「これを起きたら渡しておいてくれるかの。おやおや、眼もだめだの・・・。蝶もそんなに出して・・・」
手紙を受け取ったレソランは、きょろきょろとあたりを見回した。
相変わらず部屋を覆うほどの蝶が、ひらひらと漂っている。
「・・・でてるか。そんなに」
「片目が壊れて異常が出ているかもしれぬの。いるとも、たくさん」
お前以外いないわけだの、と彼は静かに微笑む。
(俺が、見えていない・・・いや、たぶん、魔法か)
察してしまえば身動きがとれず、サムは黙ってやりとりを聞いているしかない。
「どうだった、あのお方はお見えになったかの」
穏やかに、いつもの調子で言われた言葉の意味が、サムにはわからなかった。
「・・・あんたが仕組んだわけではないんだよな?」
なんのことかの、と彼は首を傾げた。
「あんたならわかったはずだよな。あの方の『眼』であるシャオマオが来ることが。あの方がシャオマオの体を使っていること自体に、とても魔力が集まることも、アンタならわかったはずだろう」
レソランの指摘に声を上げそうになって、サムは慌てて自分の口をふさいだ。
彼はあの事故が意図的ではないかと、そう言っているのだ。
親方は目を丸くしたあと、ほっほ、とにこやかに笑った。
「まったく、よう頭が回るようになったわい・・・」
独り言のようにつぶやいた言葉に、サムは目を丸くした。
「じゃが、残念なことに、わしは可能性しか考えられとらんよ。まあ、そんなこともあるかもしれんの、程度じゃ」
てっきり全面的に肯定するかと思いきや、肩をすくめてそう言うにとどまった。顔を歪めるかとも思ったが、レソランは少しも表情を動かさなかった。
「・・・どうして、可能性でも危険があったのなら、報せなかったんだ?もし間違ったら、サムだって死んでいたかもしれないのに」
声に避難するような響きはない。ただ、言葉の意味だけが彼を糾弾していた。
年老いた男は、穏やかに微笑んだ。
「わしはむしろ、事故が起こればいいと思っておった」
「あの方が、表に出るからか」
そうじゃ、と静かに親方は首肯した。
「我らはあの方とその他すべてを天秤にかければ、あの方以外は切り捨てる。それでよいというアベルの主張はもっともじゃ。けれどの、我らからは会いたいなどとは決して言えぬ。だがそれでも、願わずにはいられない」
会いたいと。
「・・・若い命が犠牲になっても、構わないと」
ほっほ、と親方はすこし愉快げに笑った。
「まあ、『眼』のほうは傷一つなかろうと思っておった。エヒャ君も、赤色蝶を名乗るのであれば、問題なかろう。あとはサムくんじゃが、彼に傷をつけるとは思わなかったのじゃよ。お前がの」
そこで少しだけ、レソランは目を伏せた。
「お前はずいぶん、彼を大事にしておるの。いや、咎めはせん。我らは勇者様に隷属せねばならないが、それだけでは生きていけぬのじゃからの。それだけで生きていくのは、あまりにも酷すぎる」
だがの、と親方は相変わらず穏やかに笑った。
「どうあっても、おまえもわしも、ラトウィッジ家の名を冠するもの。いざとなれば、勇者を選ばざるを得ないのじゃ。それはわかるな?」
言い聞かせるように、そうしてくぎを刺している。具体的には何一つ口にはしないが、サムは親方の言いたいことがうっすらとわかっていた。
(いざとなったら、俺を切り捨てろと、そう言っている)
レソランは俯いて、肯定も否定もしなかった。ただどうしようもないような、さみしそうな横顔をしている。
しかししばらくして、ぎょろり、と残ったレソランの片目が親方をにらみつけた。
その眼に宿る憎悪に、サムはぎくりとする。
「・・・いつから言い聞かせるなんてことを覚えたんだ、あんた。今更善人ぶるな。いいか。俺は俺の眼を何も言わずに奪ったことを許しはしない。俺は俺の判断で生きている」
いざとなったらは俺が判断する、とレソランは言い切った。
(おお、かっこいい)
真剣なやりとりをする二人を前にして、親方に向かって啖呵を切るレソランを不覚にもかっこいい、と場違いに思うサムだった。
「・・・できるものならの。我らの名から逃れることなぞ、できはしない」
ああ、とレソランは頷いた。
「あんたを許さないのは俺の勝手だ。あんたが眼を奪うのも、アンタの勝手だ。他にも、眼を奪われたこどもの憎悪を、アンタは受け続けるんだ。これはラトウィッジだからじゃない」
呪いを生んでるのはあんただよ、とレソランは続けた。
「でももう、あんたはわからないんだろう。この議論はもういい。話し合いにならない。いくら言っても無駄だ。あんたは俺の気持ちがわからない」
だが、とレソランは顔を上げて、年老いた男を見下ろした。
「余計なことはするな。手を出したら、俺はあんた殺して死ぬ」
親方は、理解できないような顔をした。
当然だろう。サムだって理解できない。
(どうして、殺した後に死ぬんだ)
「手紙を渡せばいいんだろう。それはもうわかった。他には何かあるのか」
レソランは無表情に、何ごともなかったかのようにそう言った。
親方は遠いものを見るように少しだけ目を細めた。
その顔が少しだけ寂しそうに見えるのは、サムの気のせいだろうか。
「そうじゃな。・・・もうよいの」
踵を返すと、よろしく言ってくれ、と出ていってしまった。
ばたん、とドアが閉じると、はあ、とレソランはため息をついた。
ぼそりと小さく呪文を呟くと、部屋中にあった蝶が一斉に消える。
「・・・レソラン、」
思わず声をかけると、レソランは何も言うな、と返した。
「盛大に反省している。すまない」
顔を覆っているので、それ以上は言うべきでないと、サムは判断した。
黙っていれば、あのひとはわるいひとじゃないんだ、とレソランがこぼした。
「ただ、かわいそうな人なんだ。たくさん傷ついたのに、勇者様にも救われなかったんだ。だから、俺が見えていないんだ。お前にもショックだったろう。だが、気にするな。勇者様に関連することになると、ああでまともに話ができない」
ひどい親だと、サムは思う。
子どもの眼球を取り出して強くするために魔法を植えつける親など、正気の沙汰ではない。その子供にだって感情がある。
だが、世の中にはこうしてひどい親もいるのだと、サムは知っていた。
幸福ばかりが降りかかる人生などない。誰だって痛みを抱えている。
そのことを、サムはよく知っている。
でも、血のこぼれた傷はやがて塞がり、肉が埋める。それは時間だって必要で、治療することだって必要なのだ。
一ページずつ、本を作るように。
少しずつの時間で、歩いて行くように、足を進めなくてはいけない。
「・・・気にしないですよ」
そう言って、サムは苦笑した。
「俺は、アンタに助けられたんだから」
与えられるものも、与えられたものも、伸ばされる手も、サムは知っている。
だから夢を持ち続けられるのだと、眼を壊した男に笑いかけた。