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2017年アニメ振り返り(話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ5選+α)

@nomu1214
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2018-01-03 12:12:21

 間に合いませんでしたorz(ご挨拶)

 というわけで、あけましておめでとうございます。今年も何卒よろしくお願い申し上げます。

 僕が勝手に設定した「3日ルール(3が日に間に合えば実質セーフ)」に従い、昨年末にやりそびれていた2017年のアニメ振り返りをしたいと思います。いつもはtweetしてるだけだったのですが、せっかくprivatterを始めたので、前々から楽しく拝見していた「新米小僧の見習日記(http://shinmai.seesaa.net/article/455612748.html)」さん主催の「話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ10選」のフォーマットをならいつつ、そこまで本数を見れていないので、勝手に5選に限定して記事を書いていきたいなと思います。

ルール
・2017年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。


① けものフレンズ 第3話 「こうざん」

 昨年のアニメ界を席巻した本作。それぞれに尖った要素がありえないほど絶妙に配合された奇跡のような作品であった。その中でも、最もバランスが良かった回だと思う。
 この回でも、CGを生かした大自然とその中に佇む文明の廃墟の描写や、個性と楽しさと狂気に満ちたやり取り(キャラがたちまくっているトキ&アルパカ、何度も死にかけるサーバル、最後の最後にちゃぶ台をひっくり返すあべおねえさんetc.)は健在。そして何より、その両者を繋げるストーリー。生態によって分断されつつも、厳しい世界の中でフレンズたちが保ち続ける善意が、かばん・サーバルとの出会いの中でそれぞれの形・成果を生み出していく(その果てにあの最終回があるのだろう)という物語が強固に作品を支えている。誰かが呟いていた記憶があるが、特にこの回、強い孤独の中で生きていたトキ&アルパカがついに仲間と出会うラストは本当に美しいものだったと思う。


② 小林さんちのメイドラゴン 第5話「トールの社会勉強!(本人は出来てるつもりです)」

 滝谷君の「オタク形態」は初出の時(1話)にはギャグとして描かれた。しかし、この回で、滝谷君が家で普段生活している時の姿がその「オタク形態」であることがわかる。逆に言えば、これまで「通常形態」とみなされてきた姿の方こそ、滝谷君が社会の中で他者と共に生きるために擬態した姿なのかもしれない。
 だとすると、そんな滝谷君の姿は人間社会で生活するために人に擬態している作中のドラゴンたちの姿と重なって見えてくる。この回でトールが様々な形で人間のことを理解しようともがいていたのと同様に、滝谷君もまた他者を理解しようともがいてきた過去があったのかもしれない。集団の中で生きるための擬態も、他者を理解するための苦闘も、分かりやすい異物たるドラゴンに限られるものではないのだ。
 だからこそ、最終回で小林さんはトール父に対し「(人間とドラゴンが共に暮らすことは)とっくにできている」のだと宣言できたのだと思う。人間だとかドラゴンだとかに関係なく、他者と共に生きることは社会生活を営む全ての存在がすでに当たり前のように行っていることなのだから。


③ リトルウィッチアカデミア 第8話 「眠れる夢のスーシィ」

 本作らしい楽しさと狂気とパロディを詰め込みつつ、個人の人格形成と内面心理にこれ上ないほど分かりやすく、かつ深く切り込んだ、僕の見た中では間違いなく今年のベストエピソード。
 日々芽生えるあらゆる可能性を、心の中の裁判所でその都度審理し、死刑にしたりしなかったりする中で、繰り返し取捨選択され再構築されていく人格。言い換えれば、日々内面世界には様々な方向へと変化する可能性が生まれており、裁判官の判断のちょっとした変化により、いつでも人は変わることができる。そうした変化に開かれた人格のあり方がこの回で示されたと言えよう。
 僕が本作全体を見て一番に感じたのは「人は変われる」ということであり、人を変えられる何かこそが魔法なのだということであり、アッコと出会って変わっていった人々の思いの集大成があの最終回だと思っている。だとすると、そうした変化のミクロな根拠・前提を示したのがこの回だと言うことができるかもしれない。


④ プリンセス・プリンシパル 第6話「case18 Rouge Morgue」

 民衆の世界、というか下層民の世界を描くのは難しい。特に、本作のような「上からの改革」を志向するような作品だと、ともすれば改革の対象たる下層民の世界は一面的に描かれ、専ら主人公たちの改革を享受する受け身の存在として描かれがちである。
 そんな中で、この回は下層民の世界を多面的に描写し、クソみたいな世界でも一抹の喜びや楽しみ、文化があることを描くことができた稀有な事例だと思う。最低なDV親父でも、たとえかなり歪んだ形だとしても、娘への愛情はある。死体処理場という底辺中の底辺な職場でもここが丁度いい、落ち着くのだという人々がいる。しけた通りのしけたパブでも、スタウトだけはイケてる。そうした一筋の希望が冷たい世界の風に結局押し流されていく様も含めて、底辺の世界を冷静に、しかし同時に暖かく見守る視点がこの回にはあったと思う。
 そして、こうした視点を担保するのが、父を憎みつつ見放すこともできない「弱い」ドロシーというキャラクターだと思う。他の回でアンジェを介して描かれる下層民の世界がわりと一面的に描かれる傾向が強いこととの対比が興味深い。これもまた1つの「壁」なのだろうか。


⑤ ラブライブ!サンシャイン!! 2期第11話 「浦の星女学院」

 この回、これまでAqoursの応援に徹してきた浦女の生徒たちが主導して閉校祭を提案し、逆にAqoursの面々がそれに乗っかる形となる。また、Aqoursの特権であったEDに名も無き生徒・OG・その他が乱入する。こうして、物語を牽引する主役・特別な存在としてのAqoursの地位は掘り崩され、Aqoursの活動から何かを得てきた周囲の「みんな」がAqoursと並び立つ主役・普通でありながら特別な存在へとなっていく。
 さらに、そんな普通・特別の境界を越えていく「みんな」の姿を見て、主役に配されているはずなのに物語内で何度も「お前は主役・特別にはなれない」と宣告されてきた普通怪獣千歌は、一見して普通に見える存在の中にある特別を見つけていき、拗らせた普通コンプレックスから解放されていく。かくして、かつて千歌やAqoursが何かを与えてきた「みんな」から、今度は千歌・Aqoursが色々なものを受け取っていく局面が訪れる。
 こうした主役/モブ、期待される者/する者、与える者/与えられる者という境界をぼやかしていく本作の姿勢、浦女や内浦という個人と世界の中間を設定することにより、相互に何かを与え合えるような「みんな」との関係を再発見していく本作の姿勢が僕はとても好きだった。それは、本家ラブライブにも確かにあったが、「みんな」が世界へと膨張し、μ’sメンバーの心を圧迫していく中で見失われてしまったものだったから。思えば、僕の昨年最初のアニメ視聴は1/3のNHKラブライブ劇場版放送であり、最後に視聴したのは12/30のサンシャイン最終回であった。僕にとっては文字通り2017年の丸々1年をかけて向き合ってきた作品だったと言えるかもしれない。


その他

 最後まで入れようか迷ったのが『New Game!!』2期6話。この回のキービジュアルの話に見られるように、日常を営む仲間集団を、クリエイターとしての個人と、仲間の外に広がる社会の両面から問い直していく視点(そしてそれを可能にする会社・職業人という設定)を取り入れることで、変化へと開けた日常系を描けたのは本作2期の大きな意義だったと思う。

 『メイドインアビス』は全部素晴らしくて選べず。というか、あれは深夜アニメでやっちゃいけないクオリティなのではないか(笑)。個人的にはボンドルドさんが好きなので、2期を楽しみに待っています。

 個人的には『サクラクエスト』もすごく気に入っているのだが、見直してみてやっぱり各話単位でどうこうという作品ではないなあと感じた。「結局のところそこに住んでる人々の意識が変わらなければ街は変わらん」とか、「その鍵になるのが、『外部』と『過去』を手掛かりに、今のここの現状を見直し、未来の姿を構想していくこと」といった、作品の底に流れる価値観が僕は好きでした。


以上、昨年のアニメの振り返りでした。まだまだ見ていない作品も多いので、また機会があれば拾っていきたいなあと思います。2018年もよい作品に出会えることを楽しみにしております。


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野茂
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