@acbh_dmc4
きっと腕の中のこの男は怒るだろう。そして自分の置かれた立場に呆然とするはずだ。
またも時の檻の中に囚われ、私という鎖で繋がれてしまうのだから。
しかし昔よりも格段に従順さを弁えた彼は早々に現状を受け入れるだろう。
そうして素直に愛されてくれればいい。
これから続く僅かな蜜月を無駄にする気は毛頭無い。
いつまでも一緒に在る事は叶わないのだから・・・
気を飛ばした彼を背に、より林檎の力を上げるため、件の神殿へと向かう。
私がここに戻ることは二度とない。
聖域に足を踏み入れ、手の中の林檎を頭上に掲げ、心の中で問いかける。
「エデンの果実よ・・・叡智の林檎よ、私の言葉を聞いてくれ」
手の中の林檎が震える。
まるで女性の暖かく滑らかな肌のように、それは優しい感触を持って応えてくれる。
まばゆい光が全身を包む。
もうこの果実を手にはすまいと思っていた。
自ら禁忌を破ってしまった。破らざる終えなかった・・・
だがきっと、全てが終わったら・・・今度こそこの果実を闇の中へ、静かな墓所へ・・・あの地へ還そう。
****
何度愛されただろう。
意識のあるうちは、ただひたすらあの人に求められ、グズグズになるまで愛でられた。
最早時間の感覚も日付の感覚も麻痺しており、今が一体いつなのかぼんやりと霞む頭では何もわからない。
嬉しそうな顔をして、優しい微笑を湛えながら、愛を囁き、心を掻き回す。
こうして軟禁される前・・・あの子を奪われ激怒して導師に抗議しに行き、彼の手で意識を閉ざされたまでは覚えている。
次に気づくと・・・いや、彼の愛撫で目を覚ますと、そこからはもう離して貰えなくなった。
まるで熱に浮かされたように、瞳の奥に狂気を滲ませて、ただひたすらに俺を攻め立てた。
ナカが擦れ過ぎて痛みを訴えている。
体が辛く苦しい。
もしかしたら逃げ出さなければ、死ぬまで俺はこの責め苦から逃れられないのではないだろうか?
ゾッとする。
あの様子では冗談ではすまないだろう。
先程から導師が戻ってくる気配は無い。
今は昼間なのか、窓から差し込む柔らかな光と、人々の行きかう穏やかな声で判断する。
だるい体を叱咤して起こし、自分の服を探す。
目に付くところには服が見当たらず、洋服ダンスを開いてみた。
そこにも俺の服は無い。
もしかしたら処分されたのか・・・この部屋に閉じ込められ愛され続けるのに、服など必要ないだろうと嗤う彼の顔が脳裏に浮かぶ。
逃げ出したところで彼に自分の居場所は知れてしまうのだろうが、それでも言うなりになどなってやるものか。
クローゼットにかけられていた導師の部屋着に袖を通す。
簡素なシャツとパンツに簡易的なローブを肩に掛け、靴は見当たらなかったので素足のまま部屋を出た。
そんなに広くもない部屋を足早に進み、外へと続く扉に手を掛けた。
自由を求め戸を開く。
勢いよく外へ飛び出し、目でも瞑って感のまま走り抜けよう…道順さえ滅茶苦茶に、己の居る場所さえ見ずに覚えずに居ればきっとあの男から逃れられる。
そう思い、目に映る外界を目蓋で遮ろうとした時、閉じかけたその目に映った光景に、目を閉じるどころか思わず目を瞠った。
ここは、何処だ?
目の前に広がる町並みは、ローマのどの地区にも見覚えはなかった。
そしてそこを行きかう人々も、格好も、言葉も……明らかに違っていた。
―――――逃げ場など、無い。
数歩、よろけるように後じさってへたり込む。
何処にも逃げ場などなく、俺は永遠にあの人に愛でられる人形となる。
ゾクリと肌が粟立つ。
瞬間的に沸き上がった感情に愕然とする。
ここ数日、愛され続けて頭がおかしくなってしまったに違いなく、歓喜に震える己の心を必死で否定しようと震える身体を両腕で抱き締めた。
「ちがう、ちがう…………」
こんなのは、ちがう。
どれ位そうしていたのか、いつのまにか閉じていた扉がギィと開いた。
導師が無言で俺を見下ろす。
「そんなところでへたり込んで…体を冷やすだろう?おいで。お腹が減っただろう。晩飯にしようか」
優しく微笑み、口付けをされた。
真っ白になる思考で、反射的に与えられた彼の舌に応える。
いつもの濡れた音が思考を熔かす。
反抗心はもう萎えている。あの子もいない。きっと、この人によって元の世界に帰されたのだ。
どうにでもすれば良いと半場投げやりに俺は全てを彼に任せる事にした。
「明日、外を歩いてみるか?あまり家の中に籠もりきりも悪いだろうしな」
「……ここは未来なのでしょう?俺が歩き回っても宜しいので?」
「構わんだろう。ここは異国だし、私の過去を知っている者も居ない。昔のように堅苦しく顔を隠す必要はないよ」
「……俺は、ここへ来てどのくらい経ったのですか」
「…3日、ずっと愛し合っていたな」
カッと顔に熱が灯る。
目の前の男はいやに嬉しそうに微笑んでいる。
視線を下げて、出されたスープにスプーンを浸す。
クスクスと笑う目の前の男が恨めしい。いつだって人の心を引っ掻き回すのだから…
なのに不快にはならず、彼の優しい視線が心地いい。
一体俺はどうしたんだ……
食事が終わり、食器を下げられる。
ぼんやりとこれからまた抱かれるのだろうかと、導師を見つめる。
導師が俺の傍まで歩み寄り、俺を抱えてカウチへと移動する。
わざわざ抱えなくても一人で歩けるのに。
そのまま横抱きでカウチへと落ち着き、彼が備え付けのテーブルから本を手に取った。
「ベッドには行かないのですか」
「明日は色々案内するからな。今日は体を休めてやらんと…色々と無茶をさせたからな」
まるで猫でも撫でる様に頬を撫で、俺の頭を肩口に凭れさせる。
導師の手の中の書物を一緒に覗き込む。
世界から切り離されたような穏やかな時間だ。
まるで世界に二人きりのような…血生臭い現実からとても遠く感じた。
「ずっとこうしていたい」
心の声が言葉になってしまったのかと思った。
導師を見上げる。
寂しそうに微笑み、俺を見つめていた。
「お前を、永遠に浚えたら良いのにな…」
「おれ、の…心を知っていて、それを言うのですか…」
「今、心の底からそう思うのだ。苦しい。お前を手放さなければならない事が…こんなにも……」
言葉を詰まらせ、そして苦しそうに眉根が寄せられる。
もし、この男が俺と同じ気持ちでいるのなら……嬉しい。
素直にそう思う。
導師の頬を両手で包み込み、こちらへと向かせる。
ゆっくり、触れるだけのキスを贈る。
至近距離で見つめあい、吐息がかかる距離で嘆願する。
「ずっと…こうして俺を捕まえていてくれれば…戻らずに済むかもしれない」
「エツィオ…」
痛みを堪える様な、今にも泣きそうな顔で導師が微笑む。
コツンと額を合わせ、まるで幼子を宥める様に俺の背を撫でて密かに囁く。
「……そうだな、こうして…抱き合っていれば……」
「………」
その後の言葉を待っても、彼は曖昧に笑って俺から視線を逸らすと、短く嘆息し本を閉じた。
何を考えているのか、導師はずっと俺と視線を合わせず、本の革表紙を撫でている。
その沈黙が、どんなに望んでもこの時間がいつか終わりを迎えてしまう事を伝え、先ほどまで心を満たしていた熱がサァと引いた。
「……なぁ、もう止めよう。どうせ貴方と結ばれることが出来ないなら、こんなことしていて何になる?ただ別れが辛くなるだけだ!」
「……エツィオ、私も…何度そう思ったか、だがお前を諦め切れない。お前に触れたくて、どうしようもない」
「もう嫌だ。俺は…貴方にこんな風に心を搔き乱されるのは」
「すまない…だが……時間を無駄にしたくない。お前を、時間の許す限り愛したいのだ」
「嫌だ!俺をこれ以上振り回さないでくれ!」
導師の腕を振りほどこうと彼の胸に手を当てると、逆にその腕をつかまれてカウチに縫い留められた。
力強く抑え付けられるその腕を押し返すことも出来ず、俺は導師から顔を逸らして強く瞼を瞑った。
奪われるだけなら楽でいいのに…昔のように、自分勝手にただ犯してくれればまた貴方を憎めるのに…何故今頃になって俺を愛したいと、自分だけではなく俺にもそれを求めさせようとするのか。
ズルい。
俺はずっと貴方の愛がほしかった。
それを拒んだのは貴方なのに……
「今更虫がいい話だというのは百も承知だ。だが、それでもお前に認めてほしい。お前も、私を愛していると」
「勝手だ…」
「わかっている。だが、求めてくれ。一時でもいい、私に夢を見させてくれ」
導師の拘束が緩み、彼が俺の胸に顔を埋めた。
彼がそっと俺を抱きしめると、彼の体が震えているのが分かった。
泣いているのだろうか?
そっと彼を見下ろし、彼の頭を抱えるように抱きしめる。
脅える子をあやす様にゆっくり彼の頭を撫でる。
スンと鼻を鳴らして、導師が縋る様に抱きしめる腕に力を込めた。
「……泣いているのですか」
「泣いていない」
すかさず返される反論の言葉尻が僅かに震えていて、思わず笑ってしまった。
それでも導師は俺に顔を上げず、笑ったのを咎めるでもなく、ただそうして俺に抱き着いていた。
初めて導師を泣かせてしまったな、と、何故だか少しだけ嬉しくなり、彼の頭部に唇を贈る。
そうして暫く機嫌を取る様に彼にキスを贈ると、のっそりと不服そうな導師がようやと顔を上げてくれた。
思わず笑んで彼の両頬を両手で包み、わざとらしく親指で目元を擦ってから額にキスをする。
ぶすくれた顔をして見せる導師が可愛らしく思え、顔中にキスの雨を降らせてやった。
「なぁ、エツィオ…」
「愛します。どの道…暫くは帰れないんでしょうから。でも、貴方も俺に夢を見させてください」
「ああ、勿論だ。愛してる」
もくじ