@shiminus
180115@shiminus
※やや過激な表現を含みます※
稽古場の定時メンテナンス中に篠山さんから連絡があった。
「いま、きみの部屋の前にいるよ」なんて、怪談じみたメッセージがあって稽古場を出てみれば、ホール二階の吹き抜け近くで篠山さんが待っていた。
「不正侵入? デンシる内にですか?」
「そ。まあ乗っ取りとかは毎日のように報告上がってて、運営チームもずっと対策してくれてんだけどさぁ」
このSNSの掲示板で昔から使われているプログラミング言語は、外部のプログラマーがほとんど知らない古くて特殊な言語なだけあって、ほとんど完璧にマスターしているのは篠山さんと僕くらいなのだそうだ。おかげでこうして、システムに不具合があったりしたとき、管理人が直々に僕の元を訪ねてくることも珍しくない。
「法規制もできて、昔よりはずっと可愛くなったのよ? だけど、今回のはそういう連中とは、ちょーっと手口が違うっぽいんだよねぇ」
僕はデンシるの黎明期こそ知らないが、大手SNSに成長し始めた時期からずっとこのラボの設備監督に携わっている。基本的にはラボに篭りきりだが、それなりにデンシる全体のことは把握している自信があるし、全体の管理に関する情報や調査チームの報告などを目にする機会も多い。
「履歴とか調べてみたけど、胡散臭い海外サーバー使ってるわけじゃないし、ログイン頻度が低いユーザーのアカウントに入り込んでるみたいだし。ずっと居座ってるわけでもなく数十分でログアウトしちゃうから、乗っ取られたほうのユーザーも気付いてないことが多いみたいなんだよね」
「何してるんですかね。目立った被害とかないんですか? 乗っ取られたアカウント側から変な投稿があったとか、迷惑メールがばらまかれた、とか?」
「うーん、今の所そういう報告はないんだけど。ただ、なんつーかこいつ、自己顕示欲の塊って感じがするんだよねぇ。ほら、小説やアニメとかで怪盗がさぁ、犯行前に予告状を警察に送り付けたりするじゃん。あれと同じようなこと、こいつはやってんの。手順も文書の内容も全部一緒だから、同一犯だろうって皆言ってるんだけど」
篠山さんから受け取った報告書を見てみると、なるほど同じようなスクリーンショットがずらりと並んでいた。突然ユーザーの個別メッセージボックスにユーザー登録をしていないゲストから「挨拶文」が送られてきて、その数時間後にはアカウントに外部からログインがある。乗っ取られた形跡は一切ないようだが、ログイン履歴を見て気付いたユーザーたちが気味悪がって運営に報告してくる、という流れのようだ。
「……で、その挨拶文っていうのが、これですか」
――こんにちは。ちょっとワケあって、あなたのアカウントへ調査に伺います。なあに、ものの数分で終わる簡単な作業です。お手間は取らせません。報酬も頂きません。あくまで慈善活動ですから。私立探偵Rより。
「大半はイタズラかスパムと思って無視されてるみたいだから、報告された被害者数と実際の被害者数にはかなり開きがあるはずなんだよね。さすがに個別メッセージを運営が勝手に漁ったら怒られるだろうけどさぁ~」
「そりゃそうですよ。笑えない冗談はやめてください」
情報の機密性と安全を売りにしているデンシるが、運営側の都合でユーザーのメッセージボックスを勝手に開けたとなれば確実に叩かれる。信用は築き上げるのに何年もかかるが、失うときはほんの一瞬なのだ。
「……んでね、この怪しい自称・私立探偵Rさんとやら、そろそろこっちでも調べてもらいたいのよ。ここには凄腕の精鋭が揃ってるわけだし」
「えっ……電波戦士たちに調査依頼をするつもりですか?」
「そうだよ。おじさんだって現役バリバリのときにいろいろやったでしょ。文字通り体張って、手伝ってくれたじゃん」
それはそうですが、と呟いたものの、あのときと今回とでは事件の大きさもデンシるそのものの規模も違う。拡張を続けるデンシるの中は、物理的な広さもユーザーの年齢層も、なにもかもが変わってしまった。仮に、登録されている電波戦士を全員集めて一斉に調査に向かわせても、途方もない時間と労力がかかってしまうだろう。
「今回のこれは、庚か辛か……おじさんはどっちだと思う?」
庚(かのえ)も辛(かのと)も、モンスターの分類としては一切使われないタイプだが、電波戦士のシステムが始まった当時はモンスターより頻繁に一覧に登場する依頼群だった。その内容は主にデンシるの運営から直接降りてくる、簡単な演算処理の修正や不具合調査の手伝いで、仕事量や難しさに応じて兄と弟の二段階に分かれていた。最近では運営チームの人手が足りているのか、全く見かけなくなってしまってしまったが。
「仕事量の多さ、危険度、それから得体の知れなさからして、間違いなく庚だと思います。ですが、電波戦士全員に依頼したところで人手不足になるのは確実なんじゃないですか。いっそ外部委託して精鋭を雇ったほうがいいのではないでしょうか」
「……ふーん、おじさんもそう思うんだ?」
「思うもなにも、確定でしょう。不正侵入ですよ。早急に手を打たないと、いくらこっちが万全でも、相手の実力によっては億が一だってありえますし……」
そこで篠山さんはいきなり僕の肩を突いて、僕の背後に向かって明るい声をかけた。
「ありゃ? 穂希ちゃんに新人くん、それに姫様ではありませんか! 討伐からご帰還されたのかな?」
もしかして聞かれたのではないか、と僕は焦った。こんなところで仕事の話なんかするべきじゃなかった。
「篠山さん、何かあったんですか?」
案の定、穂希が不安そうな顔をした。しかし篠山さんは渡りに船、という表情だ。嫌な予感がする。
「そうだ、穂希ちゃーん! いつも頑張っている君に特別な討伐依頼をあげようと思うんだけど、これからお暇ある?」
さすがにまずい。他の電波戦士もいるのというのに、こんなところで言わなくてもいいじゃないか。他のふたりが怪訝そうな顔をしている。
「ちょっと……いくらなんでもそれは贔屓なのでは?」
ところで彼女は、さっき僕が言った提案を本当に聞いていたのだろうか?
「しゃーらっぷ、おじさんは休憩室にログアウトしてなさい!」
穂希はしばらく考えこんでいたが、やがて「頑張ります」と頷いた。
「おっけー、そうと決まれば別室で説明しましょう! ……あ、おじさんは稽古場に戻っててもいいよ?」
「お断りします。ここのラボに影響が出そうな操作を事後報告されるのは御免ですからね」
稽古場の奥に救護室がある。稽古場がメンテナンス中なら使われることなんてないだろう。
遠慮がちに簡易ベッドに腰掛けた穂希の横で、篠山さんは丸椅子に座ってコーヒーカップみたいにくるくる回って遊んでいる。
いくらなんでも荷が重すぎる。彼女は確かにモンスター退治に関してはベテランだが、僕らのように内部システムを知っているわけでもなければ、情報を管理する権限を持っているわけでもない。
「じゃあ早速だけど、依頼内容を説明するね! 君にこれからやってもらう依頼は庚タイプの……つまり、デンシる内に出没したモンスターの討伐、って思ってもらえれば分かりやすいかな?」
「デンシるの中に? 本物のモンスターは現実世界にしか出てこないんじゃないんですか?」
その通りだ。ラボの稽古場で疑似訓練用のモンスターを使うことはあるが、あれは過去に現実世界で確認されたモンスターの情報を基に造られたAI(人工知能)に過ぎない。
「まあ、あくまで比喩、言葉のアヤってやつだけどねぇ。クックック……このへんに関しては、おじさんのほうが詳しいかもよ?」
篠山さんはベッドの脇で付き人みたいに立っている僕と穂希を交互に見比べた。確かに稽古場のモンスターAIの造形や行動パターンをプログラミングしているのは全て僕なのだが。
「……そのモンスターって、どこまで特徴が掴めているんですか?」
「うんうん、いい質問だ。まず、そいつはターゲットの個別メッセージに妙なメールを送り付けてくる。次に、メールを送った相手のユーザーページに、パスワードをこじ開けて勝手にあがりこんでくる。例えるならば、空き巣のようなものかな。ところがこいつは一切なんにも盗らないで、すぐに家を出て行ってしまうのさ。元通りきちんと施錠して、『誰も入ってなんかいませんよー』とでも言わんばかりにね。だけど鋭い人ならピンときて、留守の間に誰かが来たって気付いてしまうのさ。気味が悪いだろう? 侵入される前に変なメールを受け取っているならなおさらだ。盗られたものがなくたって、何を見られてどこを探られたか、被害者一同は疑心暗鬼に恐怖して、やがて我々に泣きついてくる。不正侵入された、パスワードを再発行させてくれ、メッセージや個人情報を見られたかもしれない……ってな具合にね」
穂希の実年齢は知らないが、十数年間毎日デンシるとラボに通っている彼女ならだいたいの事情は理解できただろう。やがて彼女はなにか引っかかるとでも言いたげに、首を傾げた。
「それはモンスターというより、ハッカーなのではないですか?」
「おお、よく知ってるね。我々だって本心ではそれと認めて、サイバー世界を守る特殊警察さんたちに調査をぜーんぶ丸投げしたいんだよ? だけどね、この厄介者は幸か不幸か、一切のユーザーデータを盗んだり、改ざんしたりしていないのさ。現実世界では知らない奴が家に入ってきたら、その時点で『住居侵入罪』が成立するけど、サイバー世界ではそれができない。そんな法律が通ってしまえば、ネットカフェのパソコンからログインしたり、新しい携帯からデータを引き継いでログインしたり、なーんてことが一切できなくなっちゃうからね」
彼女が言いたいのはつまり、この侵入者はサイバー空間のみで適用できる法律には一切抵触していないから、被害届が出せない、ということだ。結局は運営チームや急ごしらえの対策班で自衛していくしかない。情報漏えいなどの被害がなくとも、精神的ダメージを受けているユーザーは実際にいるのだから。
「そのモンスター、デンシるのどのへんにいるんですか? さすがに全領域を探すとなったら、私ひとりじゃ到底無理ですよ」
「ぎくり。さっきから痛いとこばっか突いてくるなあ! いやあ、流石に、今から君にこの広いデンシるワールドをしらみつぶしに調べてこいなんて、鬼畜軍曹みたいなことは言いませんってば! 心配ご無用! ただね、君にはしばらく待っていてもらう必要があるんだよねぇ。具体的には、他の依頼を断って、いつでもこのラボに飛んでこれる状態で待機していてもらいたいってことなんだけど……君に不自由を強いることがあるとすれば、それくらいかな?」
これには穂希だけでなく、さすがの僕も耳を疑った。
「篠山さん! 彼女はモンスター討伐の優等生ですよ。確かに電波戦士の登録数は増えてきましたが、実働は討伐ランキング上位層のたった数パーセント、彼女が討伐に行かなくなれば、世界はモンスターだらけになってしまいます」
「うーん、おじさんの言うことは大げさだと思うんですけど。だけど私もあまり、その……いつ呼ばれるかも分からない状態で、他のモンスター討伐に全く行かずに待つっていうのは困ります」
「あららー、やっぱりダメだった? うーん、我ながらいい案だと思ってたんだけどなぁ! 例えばさ、モンスター退治に使ってた時間にラボへ来て、後輩の指導をするとかさ? あと、いろんな掲示板に顔がきく穂希ちゃんなら、それとなーく変なメールを受け取った人がいないか調べることとか、そういう簡単なお手伝いだけでもしてもらえないかなーって、思ってたんだけどなぁ~!」
「そういうのは、できなくはないですけど……」
「ちょっと、篠山さん?」
「うーん、やっぱりモンスターと戦うほうが楽しい年ごろなのかぁ。しょーがないなー。こうなったら運営チームに寝ずの見張りを交代でやらせて、なんかあったらそこのくたびれたおじさんに体張ってモンスターと戦ってもらって……」
「ああ、もうっ、行きます! 私がやります! ただ、私にだって仕事を忘れてデンシるの中でゆっくりする時間が必要なんです。それを保障してくれるなら引き受けますし、他の討伐依頼も全部断ります」
まんまと篠山さんの強行策に踊らされて、さすがの穂希も少し苦い表情をしていた。
「水曜日は僕が出ます。稽古場が一日中メンテナンスで閉鎖しますし、彼女にもオフの時間は必要でしょう」
「えっ、おじさんはお休みいらないの? うちの会社はそこまでブラックじゃないよ?」
「別の日にお休みをいただきます、お気遣いどうも。相棒のときなら稽古場の運用方法も緊急対応も熟知しています。今までだって週休二日はこなしてきましたし、掛け持ちしたって問題ないでしょう?」
そんな話をしていたら、タイミングよく休憩室の扉が開いた。褐色のショートヘアの少女が顔を出して、予想外の来客に目をパチクリさせている。
「やあやあ、ときちゃんじゃないか。いいところに来たね!」
篠山さんに声をかけられて、ときはもじもじと会釈した。今日の衣装は橙系に統一されたシンプルなもので、短いパンツの裾からはほっそりした脚をのぞかせている。
「……あ、ごめんなさい。なにか、お話し中でしたか?」
「うんにゃ? 君んとこのおじさんに掛け持ちアルバイトしてもらえないか交渉していたところさ。それより、おじさんに何か用があったんじゃないの?」
きっと定時メンテナンスの作業を終えて、責任者の僕に最終チェックを頼みにきたのだろう。
「確認なら後でしておくから、先に戻って休んでいなさい」
「あ、はい。えっと、……失礼しました」
静かに扉が閉まって、さっきまで黙っていた穂希が驚いたように僕を見上げた。
「ええっ、今ので終わりなの? おじさんって本当にときちゃんのパートナー? 冷たすぎるよっ!」
「うん? 僕らはいつも通りのやりとりをしたまでだが……」
「そうだそうだ! 穂希ちゃんももっと言ってやんなよ。女の子にはもっと優しくしなきゃいかんのだぞ!」
「冷たくなんかありませんってば」
説明するのも野暮ったいが、僕らにだって固い絆というものがある。もっとも、それを証明させるシステムを作ったのは篠山さん自身だし、彼女はそれを分かっていて便乗しているだけなのだろうけれども。
「……さて、話をまとめてもいいかな?」
あまりにも前に進まない。柏手をひとつ打って、逸れてしまった話題を元に戻した。
「穂希ちゃんは篠山さんからの依頼を正式に引き受ける、ということでいいかな? 基本的には呼び出しがあるまでは普段通りラボか、デンシる経由で連絡がとれる場所で自由行動だが、しばらくは他の依頼を引き受けられなくなる。ただし、水曜日は僕が代わりに出る。完全に僕らとの通知を遮断して自宅でゆっくりしてもらってもいいし、仕事とは別でこっちに遊びにきてくれても……」
「しつもーん! 水曜日に別の討伐依頼を引き受けちゃだめですか?」
なるほど、優等生らしき質問だ。なにしろ今回の庚の依頼はどう動くか分からない。数日で犯人の居場所を特定して追跡できればいいが、下手をすれば何週間も何か月も犯人にたどり着けないかもしれない。そうなれば彼女という強力な戦力が長期間飼い殺しになってしまう。
「はっはっは、元気が有り余ってるみたいだねぇ、大いに結構! しょーがない、そんなに出たいと言うのなら、特別に許可しよう。水曜日だけは、翌日に持ち越さない範囲で討伐に行きたまえ!」
「やった! じゃあ、今回の依頼は、水曜日だけが契約外ってことだね。一週間分しっかり退治しに行かなくっちゃ!」
僕は正直驚いた。相棒の電波人間が怪我をすぐに治してくれるとはいえ、穂希のやる気と体力はどこから来るのだろうか。
「……ということは、明日はモンスター討伐にお出かけしてもいいんですよね?」
僕は休憩室のデスクに置いてあるデジタル時計を一瞥した。今日は火曜日だ。
「いぇす、いぇす! 今日と明後日は現地確認とかやってもらいたい作業の説明をするからね。だけど今日これから説明していく重要な記憶(データ)を、水曜日の討伐先で落としてきちゃダメだからね?」
「はーい、気を付けまーす」
どうにか話はまとまったものの、また彼女の突拍子ない思い付きでどんな指示を受けるか分からない。僕はヒヤヒヤしながら、穂希と一緒に作業の説明を聞くため稽古場を出た。
***@Peac0ck1b15
偶然の幸運が重なって、その日は定時で会社を出ることができた。ミスをしては僕に押し付けてくる同僚も、冗漫な世間話で集中力を削いでくる上司も、明日にプレゼンが控えている企画の準備で忙しく、その件に関しては完全に部外者である僕に構う暇すらなかったようだ。どうせなら毎日ああいう企画に振り回されていて欲しいのだが。
いつも降りる最寄のひとつ手前の駅で降りた。辺りは静かな住宅街で、スーパーから大きな袋を抱えて出てくる主婦たちの姿がまばらに見えるばかりだ。……久しぶりに冒険してみようか。
公園の隅にあるベンチに座って、ゲーム機を起動させると、寝ぼけ眼のしのぶが飛び出してきた。
「ふあ~あぁ~、ぁあううぅ……ひょう、めい? きょうは、ひゃちく、ひなかったの?」
「おはよう。今日は他の皆が社畜になってくれたから大丈夫だよ」
まだ外が明るいうちに会社を出るなんていつぶりだろう。夏の間なら退社が遅くなっても外はずっと明るかったはずだが。太陽の光を浴びている時間より蛍光灯やパソコン画面からの不自然な明かりを浴びている時間のほうが長いなんて、頭では分かっていてもやはり体には悪いのだろうと思う。
電波人間のゲームの中では、外に飛び交う電波の中に暮らす電波人間たちと出会い、仲間にするシステムがある。しのぶと出会ったのは家の近くにある公園だった。大型店舗や町中でも彼らの暮らす電波はたくさん飛んでいるが、ああいったところではなかなかじっくり話がしずらい。明らかに仕事帰りのくたびれたサラリーマンといった格好の僕が周りを気にせず外でゲームができるのも、木の陰に隠されたベンチがたくさんある公園のほうがなにかと好都合なのだ。
「わあ、ここに来るのは久しぶりだね。そうそう、このあたりに同じ顔の双子がいるんだよ。火の玉アンテナで紫色のさ……そうめい覚えてないの?」
ゲーム機の外に出て僕と一緒にあちこち見て回れるしのぶはいいが、ボックスで出番を待っている他の仲間たちにちょっと申し訳ないような気がして、ゲーム機はしょっちゅう持ち歩いている。外で開く機会はめったにないものの、同じゲームのプレイヤーとすれ違えば記録が残るから、彼らもゲーム機の中で見ず知らずの人のパーティと仲良くなっているのかもしれない。
公園の周りに暮らしている電波人間たちとひと通り話をしたところで、端末のバイブレーションが鳴った。家族グループのページが開いて肝が冷えたが、相手は弟だった。十近く年の離れた弟で、老いてから授かった息子とあって、僕より溺愛されているらしい。そんな彼も思春期になって母への態度が冷たくなってきたらしく、最近になって母はまた僕に余計なおせっかいと小言を送り付けてくるようになった。弟の成長は喜ばしいことだが、こっちにとばっちりがくるのはあまり嬉しくない。
――そう兄、今週の土日空いてる? 泊まりで遊びに行きたいんだけど!
「朱夏、うちに来るのか」
聞けば、週末に僕の家から近いイベントホールでVRアイドルのライブがあるらしい。チケットの売れ行きは知れているが、弟は熱狂的なファンだ。確か、シグナレス8とかいうグループ名だったか。
「なになに、しゅかが来るの? じゃあ、おうちでいっぱい遊べるね!」
快諾の返事を送ったところでしのぶが食いついてきた。弟も電波人間のゲームはよく遊んでいるし、彼のパートナーとしのぶは面識もある。通信対戦でも対戦と関係のない取っ組み合いでもコテンパンに負けるしのぶだが、懲りず絡みに行っては相手の二属性アンテナにねじ伏せられるのを繰り返して人間ふたりを困らせるのが恒例となっている。
「しゅか、いつ来るの? お昼かな、夕方かな?」
「あっちは確か午前まで授業があるはずだから、それから電車に乗れば夕方くらいに着くだろう」
「やったー、じゃあみんなでご飯だね。そうめいの黒こげ料理、楽しみだな!」
「……しのぶ、まともな人間は黒焦げ料理なんて食べないんだよ」
「うそだぁ。だってそうめい、いっつも黒こげとらーめん食べてるよ?」
「うん、それは僕が、あんまりまともじゃないからであって。それに黒焦げ料理をおいしいっていうのは、しのぶくらいだと思うよ」
さすがに成長期の弟に不味くて不健康な食事はさせられないか。今のうちに食費を節約しておいて、当日は外食にしよう。僕はゲーム機を閉じて、家まで歩いて帰ることにした。
明るいうちに帰宅できたことを口実に、散らかしたまま出てきた部屋を片づけることにした。明日はゴミの日だから丁度いい。机に出来上がっていた空き缶の林をなぎ倒して、袋の中に放り込んでいく。どんどん綺麗になっていく様子を見るのも爽快だ。本当は常に片付いているほうが、もっといいのだろうけれど。
積み荷のなくなったローテーブルを綺麗に拭いて、本棚の端に押やられていた洒落た木製のペン立てを置いてみる。同じ褐色で木目調のテーブルにあつらえたようにぴったりで、なんともいえない達成感にますます気分がよくなってきた。その調子で次は床に散らばった紙屑拾いに熱中して、洗濯を始めたことにはよく分からない鼻歌まで歌い始めていた。
「ね、そうめい、なんかいいことあった?」
「うん、仕事が定時で終わったこと、とかかな?」
洗濯機が回っている間にデンシるの掲示板をチェックしようとログイン画面を呼び出した。昨日の夜に僕を短い時間ながら興奮させたリレー小説は、SUZAKUさんが寝オチしてしまったらしく未完のままだった。きっと今夜にでも続きが更新されるだろう、と気持ちを切り替えて、再び昨日もらった自分の作品へのリプライ画面に移動する。
「そうめい、なんかあっちのほうが騒がしいよ?」
フレンドになっているユーザーのプロフィール一覧を眺めていたら、しのぶが楽しげにアンテナをくるりと回した。悪戯好きのしのぶのことだ、きっとなにかしらのトラブルを嗅ぎつけてそわそわしているのだろう。僕は面倒事なんて御免だが、フレンドさん同士が作風や好きなキャラクターのことで喧嘩しているとなれば、同じジャンルで創作活動をしているこっちに流れ弾が飛んでくるリスクもある。他人のいざこざに首を突っ込むつもりはないが、遠巻きに眺めるくらいはしておこう。
「えっと、あれは確か……吹雪姫さん?」
確か相互フォローになっている人だ。複数のアカウントを持っているが、半年ほど他愛ない雑談やゲームの話で盛り上がっているうちに全てのアカウントと相互関係になっている。彼女が持っている「領域」は複雑だ――学校の愚痴をこぼすリアルアカウント、創作活動とゲームの話をする表アカウント、それから、よほど信頼ある他人にしか見せたくない作品を置くための裏アカウント。
「ねえそうめい、あのエリアって、姫の裏アカウントだよね。なんであんな怖い顔して飛び回ってるの?」
「……さあ?」
なるほど、ものすごい形相だ。例えるならば、大事な会議の開始時間に家の寝床で目覚めてしまったときのような。あるいは上司から借りた重要データの入ったディスクを家の中で失くしてしまったときのような。ただ、彼女は義務教育真っ只中の学生だからそんな社会人あるあるなんて言ったところで理解されないだろうけれど。
「誰か、誰か来て、泥棒よ! 侵入者よ!」
ヒステリックな叫びに僕らは思わず跳び上がった。吹雪姫が両手の扇で風を起こしてさらなる速さで領域の中を飛び回っている。彼女の裏アカウントは鍵がかかっていて、つまり彼女からの信頼を得た人物でなければ書き込みを閲覧できないのだ。通りすがりに作品を見た心無い輩に罵倒されたり、作品を別の掲示板に無断転載されるなんてことはまずない。そんなアカウントの中で侵入者なんて、どういうことなのだ。
まさか、不正侵入?
「しのぶ、僕らも加勢しよう。なんだか嫌な予感がする」
あまり他のユーザーの個人ページを覘く趣味はないのだが、もし彼女が本当に泥棒を追いかけているのなら放ってはおけない。腕輪状になっている電子ジュエルを操作し、クラス・チェンジする。薄紅の衣装と半透明のマント、柄の細い三又の槍をしっかり確かめて、姫の領域に一礼してから踏み込んだ。
泥棒らしき男は吹雪姫の領域の奥深いところにいた。かなり過去のページまで遡ってしまったらしい。姫が投稿した記事は一人称がみんなバラバラだ。僕だって思春期の頃に日記に「俺」だの「私」だのと書いて、あとで読み返したときめちゃくちゃ恥づかしかったが。
「見たわね? 私の世界を、勝手に見たわね!」
「やれやれ熱心な姫様ですねえ☆ もしかして私のファンなのでしょうか?」
「馬鹿言わないで、早く出ていって! ここで見たものをよそで喋ったら、叩き潰してやるんだから!」
男は投稿記事のインデックスにぶら下がったまま、涼しい顔をして右の耳穴をほじっていた。
「見てませんよぉ、見てませんったら☆ つばめ王子様と砂浜デート妄想とか隣のクラスのみっちゃんに彼氏ができて悔しいとか、そんな投稿は 一 切 見ていませんったら☆」
「ッ……! ……勝手に、見てんじゃないわよ! この、イカサマ変態、泥棒野郎がぁ!」
激昂した吹雪姫が両手の扇を交差させるように振りおろし、領域内に大雪が吹き荒れた。電波戦士の攻撃は現実世界に出現したモンスターには確かに効果的だが、デンシる内で使うのはご法度だ。攻撃の性質によってはデータやシステム全般にエラーを引き起こしかねないし、下手をすれば他の領域も巻き込んで通信障害の原因にもなってしまう。いくら泥棒に煽られているとはいえ、看過できたものではない。
「吹雪姫、落ち着いてください!」
しのぶに竜巻を起こしてもらい、暴れている姫を後ろから羽交い絞めにした。電波戦士といえどもとは未成年の女の子、そこまで力は強くない。……もっとも、現実の世界でそんなことをすれば、捕まるのは僕のほうなんだけれど。
「なっ、デメキン様? は、放して!」
「吹雪姫、抑えてください。デンシるの中で攻撃技を使うのはマズいです。規約にも書いてあったでしょう?」
「だめなの! あいつだけは絶対に許さない! あいつ、私の作品を馬鹿にしたのよ! 氷漬けにして粉々に砕いて、永遠にデータの海に葬ってやるんだから!」
その後も吹雪姫は延々と泥棒へ罵詈雑言を浴びせ続けた。どうにかこうにか両腕を捕まえて攻撃を封じたものの、ヒールのあるガラスの靴でつま先を踏まれてしまい、あえなく僕は撃沈した。様子を見ていた泥棒はつまらない映画でも見せられているような表情で、ほとんどよそ見ばかりしていたが、再び吹雪姫が飛びかかってくると察してさらに過去のページへ逃亡を始めた。
「いやっ、ダメ! そっちは見ちゃダメだってば! お願い、やめてぇ!」
悲痛な叫びが領域内を震わせた、その瞬間――。
「おっと、やばいなぁ、思った以上に早く見つかっちゃったかもね☆」
過去ページの読み込みが止まり、泥棒は壁のようにそびえるばかりの書き込み欄の手前で急停止した。領域の片隅で虹色の波紋が広がって、中から白い軍服を纏った凛々しい顔の青年が現れた。吹雪姫は攻撃の姿勢を取ったまま、呆気に取られたような表情でこの様子を見ていた。
「吹雪姫さま、失礼いたします。私はデンシる運営課監視部門の者です。こちらのアカウントで不正な操作がなされたことを確認しまして、急遽やって参りました」
格式ばった敬礼を見て、僕はやっと思い出した。この男は掲示板のあちこちを巡回している監視AIのひとりだ。本来なら掲示板で誹謗中傷の書き込みがあったときや不適切な画像、違法動画のアップロードがあったときに出動してくるアバターのはずだ。みんな同じ姿と背格好で分かりづらいが、エリアごとに担当しているアバターが複数いて、ときおり荒れている掲示板に大人数で押しかけてくることもある。さすがにこんな険しい顔が何十人もやってきたら、掲示板を荒らしているほうもたまったものではないだろう。
「あ……あら、運営の兵隊がここになんの用かしら? 貴方は掲示板の見回りが本業でしょ? いくら監視係とはいえ個別アカウントに入ってくるのはいかがなものかしら?」
「まことに申し訳ございません。今しがた、こちらで『泥棒!』という発言を確かに聞きまして、不躾ではございますが緊急事態につき、同課の権限を行使しこちらに馳せ参じた次第にございます。何卒、ご容赦を……」
「ふん、まあいいわ。そうよ、あいつよ。泥棒がきたのよ。私の秘密のページを勝手に読んでたわ。さあ運営監視のなんとやら、さっさとあの無法者を捕まえてメタメタのギッタギタにして頂戴!」
「おおっと☆ もしかして僕のことかな?」
泥棒は観念したように両手を挙げる仕草をしたものの、その表情はまだ余裕そのものだった。ところが白い兵隊は表情ひとつ変えないまま、懐から赤銅の鍵を取り出した。
「いいえ。あの者は一切、不正とみなされる行為は致しておりません。むしろ問題を起こしているのはあなたのほうではありませんか?」
「えっ……?」
彼女の驚きの声と僕の声とが重なった。
「あの者は正式な手順でログイン手続きを行っております。ひとつのアカウントを複数のユーザーが管理することはさして珍しくもありません。ただ、その同一アカウント内や鍵アカウント同士の内密な会話ほど、通常の掲示板では起こりえない複雑なトラブルが発生しやすくなることもまた事実です。現にあなたは、偶然鉢合わせた別のユーザーに対して暴言を吐きました。立派な人権侵害です。よって我々は、あなたという個人ユーザーに対して警告を発する必要があると判断し……」
「ふざけないでよ! 私はあんな知らない男とアカウントを共有した覚えなんてないし、承認だってしていないわ! 討伐を終わらせてログインしてみたら、先にあいつがこの領域にあがりこんでいたのよ? 正式な手順なんてあるもんですか! あなた運営のくせに、一体ここへ何しにきたっていうの? 乗っ取りとか過激な書き込みとかを監視すんのが仕事なんでしょ? 持ち主の私が不正だって言ってんだから不正に決まってるじゃない! なんであの泥棒を捕まえないで、泥棒に入られた私に文句言ってくんのよ!」
僕は兵隊の言葉になんとなく納得したものの、吹雪姫は頭に血が昇っているせいもあって理不尽にしか聞こえなかったようだ。あんなカチコチの言い方では子どもに理解されなくても仕方ないが、やはりAIは言い方が他人行儀でどこかよそよそしいから苦手だ。
「あのぅ、運営課の方ぁ~☆ そろそろ私、ログアウトしようかな、なんて思っているのですが、よろしかったでしょうかぁ?」
吹雪姫が何か言いかけたが、AIは無表情に「それはあなたに決める自由があります」と返しただけだった。やはり彼は入場できるIDをパスワードの組み合わせを引き当てて、偶然に吹雪姫の裏アカウントに入り込んできただけだったらしい。
「あっはは、さすが運営課監視部門様は解っていらっしゃる☆ 麗しいお姫様、せいぜい私への漫罵の数々を反省していただきますように☆ こう見えて私、繊細な心の持ち主なんですよ? それではアディオース、ばいなら☆」
泥棒……もとい、男はその場でくるりと回って溶けるように消えてしまった。それより問題は、男に逃げられ挙句に運営の兵隊から警告を受けてしまった吹雪姫のほうである。
「今回は警告のみにとどめますが、次回また同一のトラブルが続くようであれば、該当アカウントの一時停止措置を……」
「うるさいうるさいうるさーい! 能なしの運営なんて頼った私が馬鹿だったわ。ここは私の領域よ! 私がルールなの! 泥棒も捕まえられない運営が、偉そうな口きいてんじゃないわよ!」
ようやく足の甲の痛みが治まった僕は再び胸騒ぎがして吹雪姫を止めに入った。この状況であのAIになにかしようものなら、間違いなく彼女のアカウントは全部まとめて「凍結」送りだ。
「姫、落ち着いて! もう侵入者は帰りました。この兵隊もなにもしないで帰ると言ってくれています。今すぐパスワードを再発行してもらいましょう。どうか、……どうかお気を確かに、姫様!」
「放して頂戴! 最低よ! こんな惨めで屈辱的な目に遭って、どうして黙ってなきゃいけないっていうの?」
姫の体から凍りつくような冷気が漂う。魚をモチーフにした衣装の僕も、ボディカラーに風の気質を持ったしのぶも、氷や冷たい空気は苦手だ。耐えきれず手を離すと、吹雪姫は領域内に氷点下の豪風雪を巻き起こした。暖かな色合いの世界がみるみる間に白く凍てつき、姿を変えていく。
「あの、運営監視……なんとかさん、止めるのを手伝ってもらえませんか? これも、緊急事態ですよね?」
白い制服が雪の中に消えないうちにと、僕は声を張り上げた。ところが兵隊は警告という役目を終えたのをいいことに、さっさと踵を返して虹の向こうへ消えてしまった。
本当に、何をしに来たんだ!
「大人はいつもそうだわ! 私たちの悲しみも胸の痛みも知らないくせに、分かったふりして我慢を強要するのよ。『つらい、苦しい』って声を上げるのは、みっともないことだって。口先ばっかりで、私自身とはちっとも向き合ってくれないじゃない!」
振り乱した金の長髪が翼のように広がって冷気で固まっていく。美しい白い肌が、枯れ枝のような褐色に染まり、怒りに見開かれた目だけが橙色に血走ってギラギラと生気を燃やしていた。
「消えて! 全部消えテ、跡形もなくなってシまエ! ……ソうよ、なニもかも消エちゃえばイいのヨ! 私は私を認めてクレル人間だけガ欲シイ、あとハなんにモ要らナイわ。全部ぜーンブ、消しテしマッテ……欲シイモノダケ手ニシテ、イギデイグノヨ……!」
一体なんだ。何が起きているんだ。領域の中が、極地の夜のように暗く冷たくなっていく。氷柱が下から伸びてきて、剣山のように夜空を貫いていく。彼女のアバターに姫の面影はなく、気付けば大きな腹を重たげに引きずって這いまわる、巨大な蚕の成虫が奇声を上げて泣いているだけだった。
「そ、そうめい……ここ、やだ……寒い……」
震えるしのぶをマントの下に匿って、僕は震える手でスピアを構えた。こんなの、人間じゃない。
仮にここが現実世界の町中だとすれば、こいつは間違いなくモンスターだ。異常気象を引き起こし、環境を書き換えてしまう危険かつ大型の――
「……そうだねぇ、これはおよそ丙タイプってところかな?」
ガシャン、と硝子が砕けるような音がして領域内が一気に明るくなった。今度は誰だ――これ以上トラブルに巻き込まれるのは御免だ。
「おや、そこに誰か、……まずいな、先客かな?」
どきりとした。どこかで見たことがあるのだが、相手の名前が思い出せない。赤朽葉や茶色に近い色に染めた、革の衣装。筋肉質な首元と腕を彩る金の装飾品。衣装は地味だが持っているライフル銃には派手な緑と水色の装飾がなされている。デンシるの知り合いやフォロー仲間に、こんな派手好きな壮年の男性アバターなんていただろうか?
「……ああ、失礼。私は掲示板全域のプログラミングと不具合修正を担当している管理人ピーコくんだ。先に断っておくが、私はAIなんかじゃないからね。仮想世界の外側でも、ちゃんと生活をしている、血の通った人間だよ」
ピーコくんと名乗った謎のおじさんは、挨拶もそこそこに銃を手にとって領域の片隅にあった氷の針山をひとつ撃ち砕いた。警戒していた蚕の化け物がこれを見て再び怒りの声を上げた。
「参ったなぁ、ユーザー管理の範疇を超えて領域の上書きをしているのか……ときが動けないとなったら、……いずもを借りるか……?」
こぶし大の氷の破片がすさまじい勢いで飛んでくるのを踊るようにかわして、ピーコくんは全く関係のない独り言を続けた。僕はといえば相性最悪なので早々に離れたところにある氷山の陰に隠れて、とにかく氷が飛んでこないように祈るばかりだった。
「……ああもう、なんだってあの二人が別のエリアを探しに行ったタイミングでこんな不具合に見舞われなきゃならないんだ! だからAI兵を使うのはやめとけって、運営チームには先月も言ったっていうのに……はあ、頭が痛い……」
ピーコくんはぐちぐちため息を零しつつも、九つあるライフル銃を扇状に広げて照準を合わせた。鮮やかな銃身が並ぶと、まさに孔雀ことピーコックそのものだ。
「……しかしまさか、庚のモンスターより先に、領域内で丙のモンスターを見つけることになろうとはね。これはこれで前例のない案件だ。さっさと資料をまとめて報告書を上げないと」
銃が一斉に蚕のほうを向いた。攻撃を全てかわされた蚕が左右不揃いの翅を広げ、冷たい突風を巻き起こす。しかしピーコくんは表情ひとつ変えず、全ての銃へ発砲の指示を出した。
「構わん、撃て。なにかあればこちらで対処する」
巨大なブリザードと、銃から連続で放たれる熱風とが入り混じり、領域の上空にはみるみる間に積乱雲が立ち昇った。僕はただ呆然として、氷と火のぶつかり合いを眺めているだけだったが、やがて領域内に吹き荒れていた雪が止んで、寒さが和らいだことに気が付いた。ピーコくんの攻撃が効いているようだ。
「ガ、グゲゲ……ゴナイ、デ……ギエデ、ナグナレェ……ゲ、グオォ……」
「こりゃあまずいなあ。しばらく凍結させて応援を……いや、だがこの状態が続いて……精神になにかあっても……やっぱり荒療治、かぁ……」
ピーコくんはライフル銃を一度収めて、腰当てからピストルを一本取り出した。黒褐色の本体に金の細工がされている。熱風ですっかり弱っている蚕がそれを見て、鈍い動きで後ろを向いた。とても攻撃の前触れには見えなかったが、ピーコくんは容赦なく銃を向け、蚕の翅の付け根を目がけて一発撃った。銃声と同時に、少女の甲高い悲鳴が響く。
「ちょっと、さすがに攻撃しちゃだめですってば! 電波戦士ですよ? あんな姿になっても、元は僕らと同じ人間なのに!」
僕が止めるのも構わず、ピーコくんは動きを止めた蚕の隣までつかつかと歩み寄り、桃色の体液が流れる傷口に銃をほとんど密着させて再び引き金を引いた。つんざくような悲鳴。熟れた果物が爆ぜるように、傷口から体液がびしゃりと跳ねて男の腕と銃を濡らした。
「どうも、このへんじゃないみたいだな。はて、どこだったか……」
もはや殺人鬼だ、悪魔だ。元々の人間の姿を知っている僕からすれば、こんな極悪非道なことはない。いくら管理人とはいえ、仮想空間の中とはいえ、つい今しがた「血の通った人間」と名乗っておいてするような所業じゃない。
「管理人さん、やめてください! その子はまだ若いんです。世の中の理不尽にまだ耐性がなくて、ちょっと爆発しちゃっただけなんです。もっと、その……苦しまないように、どうにかしてやれないんですか?」
僕はたまらずピーコくんの腕にしがみついた。蚕はどろりとした体液を流しながら、少女の声で悲痛な泣き声を上げている。こんな目に遭って、中にいる吹雪姫が無事とはとうてい思えない。
「ん、君は確か、滅多にラボに顔を出さない……えっと、キンギョ君だったか?」
「デメキンです」
「そうか。じゃあデメキン君、彼女を救うつもりなら正直に答えてくれないか。彼女の電子ジュエルはどこにある?」
「えっ、と……?」
「電子ジュエルだよ。電波戦士ならクラス・チェンジしたとき必ず衣装のどこかにひとつ宝石が付いているだろう。ひときわ大きくて虹色に光ってるやつだよ。本来の姿を知っている君なら知っているんじゃないか?」
「王冠です。確か、ちょっと右に傾けて頭の上に載せていました。王冠のちょうど真ん中に……」
僕が言い終わるより早く、ピーコくんは怯えきった蚕の眉間に銃を突きつけ、三発目を撃った。
――王子様、私たちずっと一緒よ。死がふたりを別つまで、このお城で幸せに暮らすの。
真っ白な光に飲み込まれた領域の中で、知らない声が反響を繰り返す。福音が鳴り響き、遠くから喜びに沸き立つ人々の声が聞こえてくる。
――地上に生きる全ての人々を見下ろす神よ、私たちをお護りください。この先どんな困難が待ち受けていようとも、私たちの愛は永遠であると誓います。
光が鎮まり、僕は締め付けるように痛む頭を抑えながら起き上がった。さっきの衝撃波で吹き飛ばされていたようだ。少し離れたところにピーコくんが屈みこんでいた。そのすぐ傍に、元通りの姿になった吹雪姫が倒れている。
「っ、……吹雪姫さん!」
ドレスはボロボロで、長い髪はすっかり乱れている。投げ出されたように伸びている華奢な腕の先に粉々に砕かれた王冠が落ちていたが、電子ジュエルは破片の上で本来の大きさと美しさのままそこに転がっていた。
「大丈夫、能力の使い過ぎで気絶しているだけだ。しばらく安静にさせておけば、すぐに……」
あまりにもわけが分からなさすぎて、僕は冷酷な管理人に掴みかかった。
「なんてことしたんですか。死んでたかもしれないんですよ? こんな小さい女の子なのに! 変身していたってモンスター退治に馴れていたって、中身は心の脆い少女なんですよ!」
「……解っているさ。しかし情に流されて最善の選択を誤れば、さらなる被害を別の領域に流出させかねない。医者と同じさ。管理人はこの仮想空間デンシるを守るためならなんだってする。たとえそれが、モンスター化したアバターの『駆除』だとしても」
「駆除? 人をなんだと思ってるんですか! あなたそれでも人間なんですか?」
「当然。デンシる内のおおまかなことはAIに始末させてもいるが、最終的な決定権を持っているのはいつだって人間だよ。それにさっきのアレに与えたダメージは、彼女自身に影響するものじゃない。ほとんどが異常増殖したデータ群だったよ。まさかと思って電子ジュエルを強制的に引き剥がしたら、やっと大人しくなってくれた」
呻き声が聞こえて、僕は急いで駆け寄った。吹雪姫が乱れた髪を掻き上げて、よろよろ起き上がるところだった。
「あ、れ……私、なにして……」
「姫! 吹雪姫! 大丈夫ですか?」
「あら、デメキンさん……こんな時間に、ご機嫌よう……」
「姫、お怪我はありませんか? 本当になんともありませんか?」
「おかしなこと、仰るわね……ちょっと頭が痛いけど、寝すぎたのかしら……今は何時?」
ようやく安心した僕が時間を答えたのと、領域内にライフルの銃声が響いたのはほとんど同時だった。
「えっ、は? 今の音は? ああっ、あの人は誰?」
「いやあの、それは……」
「やあ、吹雪姫さん。毎週末かかさず討伐参加と稽古場でのセミナー参加いただいておられるそうですね。いつもありがとうございます。私は稽古場で訓練の監督を行っております、ピーコくんと申しまして……」
ピーコくんはさっきまでの形相とは打って変わって、穏やかな営業スマイルで姫に握手を求めてきた。さっきのライフル銃は上空に漂っていた積乱雲に向けたものだったようで、撃たれた場所からみるみる縮んで、あっと言う間に消えてしまった。姫は管理人の挨拶に注意を取られて、雲があったことすら気付いていなかった。
「……というわけで、あなたのアカウント内で不審なログイン履歴があれば、運営ではなく私に直接お知らせいただければと思います」
「ふうん、やっぱり運営は役に立たないってことね。いいわ。手伝ってあげる。まさかあれがモンスターだったなんてね。電波人間と一緒にいたから、てっきり人間かと思っちゃった」
吹雪姫はまだ先ほどの件でイライラしている様子だったが、気を取り直して管理人と共にアバターの衣装や真っ白になってしまった領域内の修復作業を始めた。
「そうめい、もう出てきても平気? お外、寒くない?」
背中のあたりから声がして、しのぶが襟の下から顔を覗かせた。いつの間にか服の中に潜り込んでいたらしい。
「大丈夫だよ。なんとかなったみたい。それより僕らも帰ろう。さすがにクタクタだよ」
吹雪姫に挨拶をして、僕らは自宅に戻ってきた。
洗濯機はかなり前に仕事を終えていたようで、しばらくシャツのしわをのばす作業に熱中した。肉体的な疲労は綺麗さっぱりなくなっていたものの、頭の中ではまだ、あのおぞましい光景と痛々しい叫びとが渦巻いている。
あれはなんだったのだろうか。現実世界に現れるモンスターとは結局、なんなのだろうか。僕はモヤモヤとした想いを抱えながら、今日は早く寝ようと心に決めた。
***@REDWINDS
「いやぁ~とても興味深いものを見させてもらったよ。うむ、なるほど。やはりこの問題には、別のシステムが絡んでいると見て間違いないだろう」
「兄貴、一体なんのことだか俺にはさっぱりですぜ。なにかすごいことでも分かったんですかい?」
「はっはっは、いつきよ、君もさっき見ただろう。麗しいお姫様が醜悪な蛾の化け物になったのを。管理人と名乗る男がユーザーに無許可で鍵アカウント内にあがりこんで、化け物になった姫様を何度も銃で撃ったところを! これがなにを意味しているのか、果たして君には理解できたかね?」
「いや……さっぱりだ。俺はただ寒かったのと痛かったのとで、まだ腕や足の感覚がマヒしちまってるってことくらいしか分からねぇ」
「おやおや可哀相に。ならば私の熱~いハッグで温めてやろう」
「うっぐ、兄貴、人間ってのはなんでそんなに図体ばかりでかいんですかね?」
「……やれやれ、話を逸らしてくれたな、いつきよ。しかし案ずるな、いずれ答えは見えてくる。今日の一件で随分と解ってきたことがある。しかしそれには、彼らが仮想空間の中で他のアバターにない特殊な権限をどうやって受けているのかを調べる必要がありそうだな」