@toasdm
いつも遅くまで残っている君と話をする口実を、うまく見つけた私を出迎えてくれた山村君から、君が風邪を引いたと聞いたときは驚いた。いつも元気に笑っていて、私達に元気を与えてくれる君に元気がないというのなら、私のすべきことはひとつしかない。
そんなそぶりなど見せずに君は、いつもと同じように仕事をこなしていたように思う。レッスンと収録を終え、山下くんと舞田くんと別れて事務所に寄った私に課せられた今日の最後の使命は、君を労わる事だ。
「はい……?」
電話口に出た君の声は確かに熱っぽい。仕事仲間とはいえ夜に女性の部屋を訪ねるのだから、と先に連絡を入れたのだが、いつものような覇気が全く感じられない君の声に私は胸が締め付けられる思いをする。
「山村君から、君の具合がよくないと聞いたのだが、大丈夫だろうか?」
「すみません、ご心配をおかけしまして……」
聞き方を間違えた、と謝罪する君の反応から自分の失態を感知する。大丈夫ではない者に大丈夫か、と聞くのは間違いだ。
「いや、構わない。食事は摂っているだろうか?」
「いえ……ただの風邪ですから、少し休めばすぐによくなります」
「そんな無理をするから風邪などを引いてしまうのではないだろうか」
「……すみません」
怒っているわけではない、と努めて優しく言葉を選び、なにかほしいものはないかと聞いてみる。どうにも私の口調は硬過ぎるようだ。見舞いに行きたい、と素直に言葉を発してみれば、電話口の向こうで君が小さく息を呑む。
「え、でも」
「もう近くまで来てしまった。喉越しの良いものなら食べられるだろうか?」
君の事だ、こうでも言わなければ遠慮して、きっと断るに違いない。私のその判断は正しかったようで、控えめな声でプリンなら、と告げた君に、わかったと返して私は電話を切る。
プリンと言う食べ物に別段感慨もなにも感じたことはないが、君が言うだけでそのたった三音は随分と可愛らしいものに感じられるのだな。笑いを混ぜた溜め息が漏れた自分にまた笑い、私は買い物かごにプリンとスポーツドリンクを入れて会計を済ませた。君の家がある駅まであと四駅。電車の窓ガラスに映る私の顔は、何やら楽しそうに見えた。
「すみません、わざわざ」
「問題はない、ちょうど近くまで来ていたついでなのだから」
こんな嘘なら咎められないだろう、と踏んで、私は不誠実を働く。何か飲み物でも、ともてなそうとする君を制止して、私はコンビニの袋を掲げてみせる。
「病人はおとなしく寝ていなさい。差し入れのついでに自分のものも買ってきているから、さあ」
でも、と踏みとどまる様子に、少し強引なくらいでなければ休んでくれそうもないと判断し、いいから、とに触れた君の肩は想像以上に熱を持っていた。
「む……熱が酷いのではないか?」
「薬は飲みましたから……そのうち、下がります」
熱で潤んだ瞳と赤い頬、前髪が少し汗で張り付いた顔は確かに熱っぽく、私は再び胸を締め付けられる。くらりと倒れそうになる君の体を思わず抱きとめた、腕の中はすぐに熱で満たされる。
「すみません」
「済まない」
気まずい沈黙の中、思わず漏れた謝罪は同時で、その後零れた笑いも同じタイミングだった。
「……ここでこうしていても仕方がない、もうベッドに戻りなさい」
本当は――本当は、このまま抱きしめていたい、と言えるわけもなく。しかし君を労わりたいと思う私の気持ちも本物で、名残惜しさを押しやって私は腕の力を緩めた。
「……」
「歩けないだろうか?」
「あ、いえ……」
解放したはずの私の腕の中から動かない君に、私は問いかけるが、君の口から飛び出してきた言葉は私の予測をはるかに超えていた。
「ちょっと、気持ちよかったので」
この場合の気持ちいい、とは恐らく、男女のそれとは関係のない、気分が軽くなったことを指しているのだろうが、私の腕は意志とは関係なく、折角離した君の体をもう一度、私の方へと抱き寄せてしまう。先ほどよりも心なしか上がったように感じられる君の体温に、どうやら私の気持ちは翻弄されかけているようだ。
「そのような事は言わない方がいい」
「す、すみません……」
でも、落ち着くんです。硲さんの匂いがして。
君が付け足したその言葉に、自然と抱く腕の力は強くなる。ん、と少し苦しげな声を上げる君を見下ろしてみれば、随分と安心しきった顔で私に体を預けている様子が見て取れて、おずおずと背中にまわされた君の熱い手のひらに昂ぶる気持ちを抑えるだけで精一杯になってしまう。
冷静に状況を分析するならば、きっと、恐らく君は今風邪を引いていて心細いのだろう。その心細さの近くにいた私に対して、甘えるような感情を抱いているだけに過ぎないはずだ。
きっとこれは、私の片思いのままで状況は変わらないはずだ。
「…………休みなさい、君が眠るまで私がそばについているから」
「はい……」
やっと納得した君を今度こそ解放して、のろのろとベッドに向かう君の体を支えながら私は思う。今は片思いでも、それでいい。しかし、君が元気になったらその時は、今君が言ってくれた言葉ひとつに縋って、思いを打ち明けてみるのも悪くないのではないだろうか。可能性の先にあるまだ見ぬ君の表情に思いを馳せて、ベッドに潜る君への思いを、私はまたひとつ、自分の中に積み上げた。