妄信くんと尋さん。若い勇者の理想を叩き折る話。
@san_ph7
勝手知ったる顔で「関係者以外立入禁止」の向こう側へ抜けて、舞台裏を歩く。興行を終えたばかりのサーカス団の団員たちとすれ違い、挨拶をしては持っていた紙袋を手渡す。もう中身が何なのか分かっている者たちは皆一様に苦笑いしていた。
団長室の扉の前までたどり着くと、彼は儀礼的にノックをして、それから返事を待たずに中へ入った。
「やぁジン、君の友人ウィルが素敵な土産を持って興行成功祝いに遊びに来たよ」
「ああウィル、今日も来ていたんですね」
促され、彼は椅子を引いて腰掛ける。それから持っていた紙袋をティーテーブルの上に置いた。
「いつものだよ」
「そのようですね」
何となく、彼は尋の魔王がドーナツを気に入っているのではないかと思って、ある一件以来そればかり手土産に団長室を訪ねていた。作り手は彼の世界の小さなパティシエなのだが、かの魔王はドーナツ好きかもしれないと伝えると何やら張り切って、様々なバリエーションを生み出し始めた。最初はシンプルな揚げドーナツだったのが、チョコをかけてみたり生地を変えてみたりと、試行錯誤を重ねている。この少女が”何かを察して”ドヤ顔でドーナツを差し出してくるタイミングで、彼はいつも尋の魔王が座長を務めるサーカスへ遊びに行くことにしていた。
流石にドーナツばかりで飽きないかと問われれば、「飽きるという感情がありませんから」と何でもない顔で――尋の魔王は仮面をつけている為本当に何でもない顔のようにしか見えない――彼にそう言った。つまりこの目の前の魔王には感情が無いために、飽きる以前に好ましいとかそうでないとかいうことも自身で判然とさせられないのである。にも関わらず、彼が手土産にドーナツを選び続けるのは、単純に眷属の少女がわざわざ手作りしているから、という他にも理由がある。彼はドーナツというアイテムを交友の象徴のように感じているのだ。
「どれがいいですか?」
いくつかの茶葉の缶を取り出した尋が彼にそう聞いてくる。彼がふらりと連絡もせず興行後に訪ねて来るために、団長室には常に何種類か茶葉が置かれている。彼はドーナツの味を事前に知っているので、それに合わせたものを選んでいた。といっても、彼はまだそこまで詳しくはないので、持参したドーナツの紹介をしてから結局尋が選んだものを淹れてもらうのだが。
今日のドーナツは生地の中に乾燥させた林檎の果実片が混ざったものだ。リトル・パティシエは彼らがものすごく甘いものを求めているわけではないことをよく知っていたので、いつも適度で控えめな甘さのドーナツに落ち着く。
そうして魔界産のお茶を淹れてくれた尋と共に、ドーナツを頬張りながら世間話をする。大抵は演目の内容に始まり、魔界や聖界の話や、彼らの知る共通の勇者の話などがあがる。
さて、ふたりが和やかに雑談をしていると、扉がノックされ、とある人物が部屋に入ってくる。
「尋様、こんにちは……あ、あれ?」
「おや」
上から下まで真っ白な姿の少年だ。瞳だけが赤い。彼はこの人物のことを知っている。勇者だ。それも駆け出しの。
尋の魔王と交流があることは知ってはいたのだが、ここで出会うのは初めてのことである。向こうからすれば困惑しかないだろう。彼は自己紹介をしていない。ティーカップを持ち上げ、やぁと軽く挨拶をすれば、怯えたような、不可思議なものでも見るかのような表情をして彼を見つめた。この姿、まるで耳の長い小動物だな、と彼は思った。
「え、えっと……」
「ああ妄信さん。こちらは」
「いや、ジン。大丈夫だよ、僕は彼を知っているから」
おかけになっては、と部屋の主に言われ、若い勇者はおずおずと従った。奇妙なお茶会の様相である。彼はゆっくりとお茶を飲んだ。美味しいです、と呟く。少しほっとしたようだ。
「あの、こちらの方は……」
ちら、とジンが彼の方を見た。
「ただの友人同士だよ。よく遊びにくるんだ」
彼は手をひらひらと振って答えた。
戸惑いを隠せない様子ではあったが、それでも妄信の勇者はそうですか、と自分を納得させたようである。
「それにしても、尋様には本当にお世話になりました」
白い頭をぺこりと下げた。
「あのとき、地下国家の人々を救うことができたのは、本当に尋様達の助けがあったからです」
生憎と能力が使えない身である。何かがあったのだろうが、それが何かを彼は知らないし、その以前に未来視していたわけでもない。彼は素直に、何かあったのかな、と勇者に問いかけをした。これに妄信は落ち着いてこう答えた。
「先日、いろいろとありまして、地下国家が崩れかけたのです。幸いそのとき別の用事で地下国家に入ってた尋様や鎮魂さんの手助けがあったので、僕はなんとか地下国家が崩落するのを防ぐことができたのです」
「へぇ」
「前々から、僕はなんで自分が勇者になったのかをずっと考えていました。僕が見てきた勇者の方々は、皆さん自分の使命を果たすために努力しています。それなのに、なぜ女神さまは何もなかった僕を勇者にしたのか。その答えが、先日の一件で分かった気がします」
話しながら、勇者の瞳はキラキラと輝いている。その輝きはなんとも危うげだ。その足元に広がった世界が何たるかを知らないまま、勇者は今理想を掲げようとしている。地表に出たばかりのこの芽は摘み取るに値するだろうか? この理想を踏みにじる権利が彼にあるだろうか? いや、ない。そんなものはどこにだってない。
だが。
「僕の力は、僕が勇者になったのは、人々を助けるためなんだって、そう強く思ったんです。一人でも多くの、僕の手が届く限り、沢山の人々を。そしていつかは、この世界の人々を」
ああ、これは――
「青りんごは熟してりんごパイにでもなるのかと思ったけど」
彼は相変わらず興味の無さそうな顔をして目の前の勇者を見た。
「それではまるでドーナツだな」
「それは……どういう意味なんでしょうか」
スカスカだ、と言ってドーナツを手に取る。
「肝心の中身がないな。いや、中心がない。ジンとは真逆だ。彼は元々あったものがなくなったけど、君はそう、最初から”ない”」
ないまま、ここまで来てしまった。
彼はこの妄信の勇者に期待をかけていた。全ては観察だ。あの狭い世界で生きてきた人間が、地上で何を成しうるのか、見てみたかった。地上に出た少年の目に映った世界はもっと広かったはずだ。もっと当たり前のようにたくさんの知識が世界には満ち満ちて、初めて出会う経験があり、様々な心を持つ人間がいることを知ったはずだ。真っ白なキャンバスにどのような絵が描かれるのか、彼はそれが見てみたかった。無知とは、未知とは、裏を返せばどのようにも染まる可能性を持っているということだ。この世界の鏡のような存在に、つまり、世界に在る人間の心の中には必ず優しい感情があると彼が信じているように、若い勇者もまた彼の信じる世界の普遍的で本源的な人間になっていくのではないかと、淡い期待を寄せていたのである。彼は”世界の善性”と、勇者という人間を信じたかった。
ただ、彼の目の前にいる少年は、少し駆け足が早かった。思ったより、若かった。歪んではいない。折れてはいない。間違っても、いない。だからこそ、独り言のつもりで、彼はこう言った。
「世界を救うことができると、そう言うのならば。こんな話はどうだい?
例えば――この世界がもし、神々による遊戯の盤上に成り立つ世界だったとしたら」
ウィル、と声を出した尋の魔王を静かに制止する。
「勇者と魔王は、単なる遊戯の駒に過ぎず、盤上に暮らす命在るものたちはその事実を知らない。知らず、このゲームに巻き込まれ、害され、或いは命を落とすこともあるだろう。君は何故魔王が聖界の土地を狙い、何故勇者が魔王討伐をその使命とされているのか、不思議に思ったことはないか?」
何故そんなことが宿命づけられているのか、気にはならなかったか? と彼は続けた。
「君の救いたいものたちが生きているのが、もし、そういう世界だったとして、世界に帯びている抗えない運命を誰も変えられなかったとしたら――君はどうするんだ? その世界で何を救う?」
彼は言い終えてから、やっと目の前の勇者をまともに見た。震えた唇が、何事かを呟く。
「そ、そんな、ありもしない仮定の話をして、何に、なるというのでしょうか」
「仮定の話だ。単なる世間話だとでも思ってくれていい」
真実だとは、言ってない。虚構であるとも。
「その、盤上が、ゲームなのだとしても、ぼ、僕のすることは、変わりません」
「たとえ遊戯の駒だとしても、人々を救う、と?」
「たとえ、駒だったとしても。でも、命があることには、変わりないんですよ」
「だが、たとえいくら君が頑張ったとしても。必ず取り零しは出てくるよ。いうなればチェスのようなものだ。より大きな目的のために、多少の犠牲を支払うこともあるかもしれない」
我ながら意地の悪い言い方をしたものだ、と彼は思う。口元にお茶を運ぶ。平静を装う。認めたくない感情がある。何も知らずに星を追って空から堕ちた自分を思い出したなど、口が裂けても言えない。あるいは、単なる同族嫌悪に始まる苛立ちなのか。それらの一切に、見ないふりをした。妄信の勇者は観察対象だ。
「……ですか、それは」
怒りに震えた声が聞こえる。
「なんなんですかそれは! ふざけているんですか!?」
「僕に怒りを向けられても困る。それにあくまで世間話、だよ」
「……人々の命を、多少の犠牲と、言うのですか」
「多いも少ないも犠牲には変わらない、と? しかし君が捉える足元の世界が揺らぐというなら、その上に立つものも相同しい運命にあると思わないか。神々の遊戯は、勇者と魔王という駒のみで構成されたゲームだ。それ以外の人々は駒ですらない。この盤上においては、勝敗を喫すための決定打になったりはしない。もし君がこの世界を肯定できないなら、この盤上にあり、ゲーム上の役目を負わない人々を肯定することもできない。何故ならば彼らは変えがたい運命の元に生かされているからだ。
そうした世界で行われる選択とは、往々にして0か10かの結果を得ることが難しい。1か9か、2か8か、あるいは3か7か。分かるかい。不安定な世界の上に立つ不安定な運命を抱えたいきものが、この世界には多すぎる。君では全てを支えきれない」
「そんなの……」
「君は、世界を肯定できるか? 歪みを孕んだ世界の上に生きる人々ごと、それを認めることができるかい? それらの人々が」
彼は、ため息をついた。自分の希望まで手折ってしまいそうだ。
「……それらの人々が、抗いがたい運命の元でどうしても理不尽に死んでいくことがあることを、君がどうしても救えないものがあることを。その上で、君はまだ君の望むもの全てを『救いたい』と、胸を張って言えるのか? そして、君が盤上にあることを否定するならば、君という存在は、一体何者なんだ。何をも肯定できないというならば、君はこの世界に何が為せる」
赤い瞳が、大きく見開かれた。歯痒さや、絶望や、怒りや、悲哀が綯い交ぜになって、万華鏡のように勇者の顔へ立ち現れた。
――カイは、いつだか僕が真実を告げたときに、しんどいと零したけれど。
この若い勇者は、それらをひとつの感情へと帰結させることができなかったようである。荒々しく席を立ったかと思うと、部屋を飛び出して行ってしまった。
ちらと尋の魔王を見る。伺っても仕方がないことは分かっている。仮面で顔の半分は隠されているし、彼には感情がない。感情はないが、魔王には経験則があった。どうすべきか、何を言うべきか、恐らく考えている。口元にお茶を運びながら。
しばらくとても静かな時間が流れて、ぽつりと彼は言った。
「誰かが間違っているということは、なかった。僕も、彼も」
正解ということもない、と言い切って彼はドーナツを手に取る。
「だが僕の勝手な期待だった」
「知るべき時がきた、ということでは」
魔王は少しだけ笑って、そう言った。きっと誰かが告げることになっただろう、とそう言いたいのだろう。けれども彼はこう思った。”心があったなら、ジンは僕を責めてくれただろうか”。
「どうだろう。僕が何かを……もたらすときは、いつもあまり良くないときだった。軽率だったかも。彼は、何しろとても若い。若いし、まだ知るべきことがたくさんあるはずだ。しかし、知った上でそうするのと、知らないままであることでは、世界の見え方も違ってくるだろうな」
やはり僕のわがままだった、と言ってドーナツを頬張る。
悪意がなくても、人を傷つけることはある。そして人を傷つけるという結果になることを行動する前に予測できるなら、避けるべきだ。だが彼は避けなかった。ならば、結果を了解して行動した彼の意志、それは悪意とはいえないだろうか。
彼の瞳は結果が視えないままだった。確実な未来などなく、彼もそれを保証できない世界に、若い鳥を送り出した。ただの期待だった。世界に対する期待だ。妄信の勇者が生きる世界がどう応えるのかを知りたいと願うことが、或いは悪意と呼ばれても仕方ないかもしれない。
その時は、その時は――