@toasdm
「お疲れ様でしたー!」
挨拶は好きだ。ライブが跳ねた後の三々五々も。熱狂に包まれていたステージがしんと静まり返っているのも、そこにひとりでぽつんと立つのも。全てが無事に終わった、そんな実感が得られるこの静寂が私は好きだ。はあ、と吐いた溜め息は落胆じゃなくて充足感。満たされていたものが溢れ出てきた達成感の溜め息は、広いステージとホールの天井に響いて吸い込まれていく。
本当に、いいステージだったな……所属アイドルそれぞれの個性を前面に押し出して、観客と一体になって盛り上げて、全国にあるライブビューイング会場も大盛況だったと聞いている。スタッフの表情も明るくてやる気に満ちていて、届いたフラワースタンドも数え切れないくらいで個性的で愛がこめられているのがよくわかって、こんなに愛されている彼らが心底満足していたのが本当に本当に嬉しくて。すべてやりきった、とステージの上で私は大の字になって寝転んだ。高い天井、あそこまで膨れ上がった歓声と熱気は、目に見えないのにまだ残っているみたいで、目を瞑ると全身で受けた音と光と熱の圧力が呼び起こされる。全部、やりきった。強烈な二日間は忙しかったけれど、今はただただ疲れよりも満足感が全身を支配している。
「お前さん、こんなところでなにしてるんだい?」
「雨彦さん……!お疲れ様でした」
「ああ、お疲れ」
ひょっこりと、舞台袖から姿を見せたのはLegendersの葛之葉雨彦さん。もはやトレードマークになっているデッキブラシを担いで、さっきまで自分も立っていた舞台に上がってこちらへやってくる。
「無事終わったなぁ、って、噛み締めていたんです」
「へえ……そうかい」
雨彦さんは?と水を向けると、俺は掃除でも、とデッキブラシを掲げて見せる。雨彦さんは綺麗好きですね、と転がったまま言うの私の横に並んで、雨彦さんも足を投げ出して座り込んだ。うちの事務所で一番背が高いだけあって、その足はすらりと長くて存在感がある。この足が踏み出したステップで、雨彦さんは今日もファンの皆様を魅了した。
「雨彦さん、格好よかったですね」
「ん?」
「開幕早々の挨拶です」
昨日は最高だった、だが今日はもっと最高になるはず――。そんな風に会場を盛り上げて煽って始まったステージは確かに、最高だった。
「ファンの皆様の瞳、しっかり奪っちゃいましたね」
はあ、とまた溜め息が漏れる。今度は満足感にプラスして、ほっと安堵の気持ち。雨彦さんがいるとなんとなく、気持ちが落ち着く気がする。雨彦さん自身がもっている空気感みたいなものなの、それ自体が雨彦さんの魅力なんだと思う。
「そうだな、うまくいってよかったぜ」
雨彦さんも同じように溜め息をついて、私の横に寝転び始める。達成感で満たされたこの時間と空間を共有できているようで、ひとりきりの満足感が二人分になった不思議な感覚に、私はくすりと笑う。
「何を笑っているんだ」
「雨彦さんだって笑ってるじゃないですか」
顔だけを横に向けて雨彦さんを見ると、雨彦さんもこちらを見て笑っている。綺麗な瞳だな、とぼんやり眺めていると、ニッ、と笑って雨彦さんが言う。
「お前さんの目は綺麗だな」
「そうですか?」
「ああ。まるで、このライブ会場のように澄んだ空気を思わせる」
そんな風に言われるのは初めてだから、どう返していいのかわからなくて、あいまいな、はあ、どうもなんていう間の抜けた返事をする私の頭を撫でて、雨彦さんは続ける。
「今度は俺の番、か」
「何がですか?」
お疲れさん、と最後に頭をぽん、とたたいて、雨彦さんは立ち上がる。俺はそろそろ行くぜ、と捌けていく雨彦さんは舞台袖、ふ、と立ち止まって振り返る。
「今日このステージで観客の瞳を全て奪った俺の目を、たった一人奪った奴がいるんだ」
「え?」
今度は俺が奪われる番だった、と少し照れたような口調で前に向き直り、歩き去りながらぽつりと言った雨彦さんの言葉が、聞き間違いでなければ。
「……お前さんの事さ」
そんな、まさか。
とっとと帰れよ、と振り向かないで手を振って、デッキブラシと共に消えていく雨彦さんの背中は、何にも教えてくれなかった。