@akirenge
【春はもうすぐ】
二月の夜、空腹を覚えた川端康成は居住区を出て食堂に向かっていた。
ふらふらしてきたときは睡眠不足か空腹を疑えと親友である横光利一には言われているが、睡眠では無く、空腹である。
倒れたりしたら心配をされたため、川端は心配を掛けないようにしている。
導かれるようにしてたどり着けば、広々とした食堂には灯りがついていた。
暖房もかかっている。
「川端君」
暖かみのある声がした。声の主は川端が大尊敬をしている人物である。
「徳田先生」
「どうしたの。もしかして、君も空腹なのかな」
「君も、と言うと」
「僕もなんだ。これから夜食を作ろうとしていたんだけれども……良かったら、川端君の分も作るよ」
「いただきます」
気が抜けたような微笑を徳田が浮かべていた。彼の申し出を全力で受け入れながら、はっきりと川端は言う。
空いた席に川端が座ると、テーブルの上には本が置かれていた。
ハードカバーの本の上に布製のブックカバーがかかっていた。徳田が作ったものだろう。
布製のブックカバーは端切れを組みあわせたパッチワークであった。
最初のページをめくれば本の帯を切ってはったものがあり、裏面には蔵書印が押されている。
正方形の中に『帝國図書館分館』と書かれた文字に桜のような花が描かれていた。
ようながついているのはこれは桜花では無い。
浄化専門図書館である帝國図書館分館の主が言うにはアーモンドの花らしい。
「待っていてね。作るから」
「この本は」
「借りてきたんだ。おすすめされてね」
徳田が厨房に行く。
おすすめされたということは分館の主だろう。帯の内容だけで判断をすると、幕末京都伝に人魚の肉を足した話であるようだ。
すすめたのは分館の主の方だ。
特務司書の少女がすすめるとするならば、もっと軽い内容というか、文庫サイズのものになる。
軽くページをめくっていると間に紙製の栞が挟まっていた。長方形で、絵柄は梅の花柄だ。
上の真ん中にはパンチで穴が開けられていてピンク色の紐が通してある。
本自体に水色の紐がついているため読みかけの処はこれを挟んでおけば良いのだが、徳田はそれを使っていなかった。
「栞ですか……」
梅の花の栞を川端は手にとって眺めた。
栞だけを長い間見つめていると、
「出来たよ。……川端君? その栞、珍しいのかい?」
「……何故か、目を引かれまして」
「適当に買ってきたって、あの子がくれたんだよ。その栞」
あの子、と呼ぶのは特務司書の少女のことである。徳田と彼女は文豪と特務司書としてみれば一番付き合いが長い。
徳田は丼を二つ、お盆に盛ってきていた。
「うどん、ですか」
「簡単なものしか出来なくてごめんね。出汁は、きちんと取ってみたから」
川端からすると大尊敬をしている徳田が作ってくれるだけで嬉しいのであるがそれを伝える前に徳田は箸と丼をテーブルの上に置いた。
「徳田先生が作ってくれるならば何でも……」
「お、大げさだな。うどんは楽に出来るし、本は避けておくよ。本に何かあると……」
「煩い方が居ますからね」
徳田が本と栞を手に取り、栞をページの間に挟んで、別のテーブルに置いた。
向かい合って、徳田と川端はいただきます、をしてからうどんを食べる。うどんはシンプルなもので、斜め切りにされたネギとおあげがのっているものだ。
軽くうどんをすすってから汁に口を付ける。
「……どうかな」
「関西風、ですか」
「川端君は、関西のヒトだから、あわせてみたんだ。良かった。飲めたみたいで」
飲めたみたいでと、低評価をしている徳田だ。
関東と関西では出汁の取り方が違う。うどんは食堂の定番メニューの一つであるが、出汁が関東風か関西風か選べる。これは出汁で喧嘩になっては困ると
特務司書の少女が決めたものだ。関西風の出汁には煮干しに削り節に薄口醤油である。
「私に合わせてくれたのですね。嬉しいです」
「せっかくだからね」
川端の嬉しいを聞いて自分も嬉しくなったのか徳田が顔をほころばせた。
「梅の花が、咲いたようです」
「え?」
「徳田先生が、笑ってくださいましたから」
川端も川端で精一杯の笑み、微笑を浮かべる。
「君が僕を笑わせてくれたんだよ」
さらに徳田が言うと川端は咽せた。何度か咳をする。
「水を持ってくる!!」
慌てて徳田が水を取りに行く。大尊敬をしている徳田がこうしてくれているだけで、川端にとっては夢心地だ。
しばらくはこの時間から抜け出したくは無いと考えながら、川端は作ってくれたうどんをすすった。
【Fin】