X以外のSNSでの投稿にはPrivatter+がおすすめです
Xフォロワー限定公開・リスト限定公開の停止について

そして、祈りが燃える 5

全体公開 ムゲンWARS 15159文字
2018-02-20 07:45:15

最終話です。透輝さんと薬師さんお借りしています。冬の長い話、その5。

Posted by @san_ph7

5.墜落する夜明けと星、そして

 彼は何度か意識を浮かびあがらせたり途切れさせたりしながら、また数日が経過した。回復が妙に遅いと感じたのは5日目のことだった。手足が萎えたまま、うまく動かないのだ。いや、痺れているといった方がいいか。末端から伝わる触覚も、何となく心もとない。
「左目、どうしたんですか」
 ヤナギが険しい顔をしながらそう聞いてくる。右目は未だぼんやりとしたままではあったが、幾分か視界に捉えるものの輪郭は追えるようになった。指先が目の周囲の皮膚をなぞる。
「どうなってる? 出血してたりしない? してたらあんまり触らないで欲しい」
 ようやっと声はまともに出せるようになった。
「出血はないですが……これ、刺青ですか? 光ってる」
 それから、触れた指先から伝わる熱に違和感を感じたのか、ヤナギは彼の額に手を当てた。
「発熱してる……。まさか感染症に」
「僕でもそういうの、かかるんだ」
 病気はしたことはなかったのにな、と彼はぼやく。刺青は彼の魔力に反応しているのだ。魔法や能力を行使した覚えはないのに、左目から魔力が漏れ出ているようだ。封印が弱まったとは考えづらかった。どうやら呪いとは別の理由で魔力が流れてしまっているらしい。自分の持っている魔力リソースのほとんどを再生に当てているのに、回復が遅かった理由はそれだろう。
「もしかして、最初から熱があったんですか?」
「よく分かんないけど、多分。イヴが僕の額触って熱いって言ってたし」
「そういうことは早く言ってください。他に、何か違和感はないですか?」
 彼は素直に手足の痺れについてヤナギに話した。
……それは」
 彼女は何か知っているようだった。どうしたの、と声を掛ける。彼女は少し躊躇いながら話してくれた。あの日、襲撃に巻き込まれた従士の何人かに似たような症状が出ている、と。痺れの段階は、手足に僅かな違和感を覚える者から、完全に四肢を動かすことができない者まで様々だった。若者にはこの症状は出ていない。
「うん、疫病だね」
「ですが、周期が……
 そう、流行の周期が回ってくるのは40年から50年に一度のはずだった。最後に発生したのは17年前。早すぎた。これまでずっとその周期が守られてきたのならば、今回に限っては疫病が発生する条件が整ってしまった、ということなのだろう。
……クリスタルは集積の能力しか持っていなかった」
「? どうしたんですか」
「集積というのは、つまり周囲の魔力を集める、ということだね。ゾラがもしクリスタルだったのなら、その役割を負った日からずっと魔力を集め続けていたことになる。クリスタルは破壊されると、溜め込んだ魔力は解放され、付近のクリスタルへ移動する性質がある。もし近くにない場合は、しばらくその場にとどまった後、霧散する」
「それは」
「ゾラは悪くないよ。でも、もしクリスタルとなった人間が死亡した時期に合わせて疫病が発生しているなら、その原因は恐らく汚染魔力だ。あの一帯は汚染地域なんだろう。ゾラはあの村でずっと暮らしてきた。周囲の土地の汚染魔力を引き受けて、発生を遅らせていたのかもしれない。ゾラの死亡により、彼女の中にあったそれは周囲に飛び散った。今回死亡者が出るほど症状が悪化しなかったのは、ゾラがまだ若かくて、蓄積された汚染魔力が少なかったからだ」
 そしてそれが、儀式の本来の目的か。
「でも、それだとつじつまが合わないことがまだある。クリスタルがひたすら集積だけを繰り返していたなら、疫病がきまって冬にだけ発生する理由が何なのか分からない。それに、その場合クリスタル本人が汚染魔力にさらされて、40年以上長生きできるとは……とても思えない」
 しばらく考え込んでいたのだが、ふと目の前の彼女が黙ったまま動かないことに気がついた。不用意な発言をしてしまったか。彼もゾラの死を悲しんでいないわけではないのだが、これではあまりにも薄情に聞こえるかもしれない。
「ごめん、君にこんな話をすべきではなかった」
「いえ、違うんです。クリスタルは、指定範囲の魔力を均一化させる目的で作られたものだと言いましたよね? では、集積だけの役割を負った場合は、土地の魔力はだんだんと一点に集中して、偏りが生まれてしまうのではないかって。その場合は、土地は貧しくなるのではないですか?」
「それは……そうだ。それではかえって土地の魔力格差を作るだけだ。クリスタルの本来の役割からはまるで正反対の結果を得ることになってしまう」
「そうした土地の上でも、人々の生活は成り立つものでしょうか」
……いや、無理だろう。少なくとも、あの村のようにこの厳しい環境の中、あんなに長い間村を存続させることなんて不可能だ」
 だとするなら、欠けた分配の役割を誰かが負っていたのではないか。それが誰かは、安易な発想であることを許すならば、実に簡単に思いつくことができる。
……ダニカか」
 双子のクリスタル。それが本来の彼らの姿だったのではないか。
 何事か告げようとしたヤナギだったが、近づいてくる足音を聞いて牢から外へと出た。複数人の足音が聞こえる。石畳の床を歩く、靴の音が響く。
「下がれ」
 随分横柄な口調だった。王太子だ。意識を取り戻したのか。
「王太子、この者疫病にかかっております。防護のために私の魔法を使っても構いませんか?」
 続いて透輝の声。王太子は透輝の申し出を断ることはしなかった。
 詠唱が始まる……が、それが古い言葉であることは、この場にいる彼以外は誰も分からなかっただろう。これは魔法ではない。ただ、適当にそれっぽく音を並べているだけだ。その中に、文章として聞き取れる言葉が時々混じる。
『この男は、村に兵を差し向けた』
 牢の扉が開く音がする。つかつかと、誰かが彼に歩み寄ったかと思うと、乱暴に髪を掴まれる。これはまずいな、と思った瞬間、腹部に拳が飛んできた。呻きながら浅く息を吐けば、その頬を殴られる。口の端が切れたのか、血の味が広がった。
『悪いけど、耐えてね』
 無言の暴行は数分間に及んだ。床に倒れ込んだ彼へ、囁くようにエリディムレはこう言った。
「剛勇王の血族が長子、名ばかりか、と言ってくれたな。そうだ如何にも。長子とはいうが、俺は都から遠ざけられて久しい。父が俺を疎ましく思ったように、俺も父を疎ましく思っているのだ。だが、血などこの際問題ではない。此度の件、やはり王の仕業であったと分かった。従ってお前には俺から聞かねばならないことはない」
『父王は他の兄弟たちのところへも襲撃者を送ったようだ。王太子は今とても気が立っているんじゃないかな』
……彼女がクリスタルだと、君は明確に知っていたんだな」
「まだ口が聞けるのか? まぁいい。冥土の土産程度には教えてやろう。お前が何故そのようなことを知っているのか、いささか疑問ではあるが。今となってはどちらでもいい。いいか、そうでなければ、何故あのような村から妻を迎えることがあろうか」
「その情報をもたらしたのは誰だ?」
「ほう、なるほど。お前、ゾラだけでなくあのロアンとも知り合いなのだな? 馬鹿な男よ、あれもお前と相同じい運命を辿ることになろう」
『王太子がいってる男、どうやら二重に間諜をさせられていたらしい。元々は王太子直属の従士で、王太子がこの地を治めるようになった後に、父王下の王国駐留兵として改めて召し抱えられていたようだ』
 つまりロアンは、王太子側にとっても父王側にとっても重要人物だったのだろう。
「あれに村を長い間探らせていた。父に気取られぬよう、ほとんど放逐するような形であれを村にやったが、やはりクリスタルがあることが判明したときに、『村は父王の前より代々続く盟約により守られている。いくらあなたと言えど、この村に手を出すことは破滅を意味する』と言われたときは笑ったよ。代々の首長と王が何を取り決めたのかは、俺は興味が湧かぬ。さりとて、村からひとつ俺が必要なものを貰い受けるのに、何もそれを滅ぼすことはあるまい。何より、そのような盟約がある村を滅ぼせば間違いなく父にも俺のしたことが耳に届いてしまうだろうからな。だが」
 エリディムレは彼の胸ぐらを掴むと、強い力で引き起こした。
「これほどの惨禍を浴びながら尚雌伏して時を待つのは、もはや馬鹿げている。計画は早まったが、残る兵を掻き集め兄弟たちと共に王都を攻め落とす。あのような男を玉座に座らせ続けておくことが我慢ならぬ。その手始めに、あの村だ。盟約の子細のほどをロアンから聞くことはなかったが、それほど王国にとって重要な場所なのであればいい狼煙にもなろう。疫病を撒き散らす村ひとつ燃やすだけだ。長い間不安に思っていたことが解消されれば民も安心するだろうよ。
 全く、もうあの瞬間には裏切られていたのだとしたら、どちらか片方だけをと懇願する首長共々その場で殺していたものを」
「やはりクリスタルはふたりいたのか――
「その片方もいずれ奪うつもりだった。実に都合がいいことよ。全てが早まってしまったが、問題はない。市壁の中にいた賊の始末も終わっている。お前が宿屋で飛脚から手紙を受け取り、それを賊のもとに運んだことも分かっている」
 この口ぶりだと、どうやら例の飛脚は父王側の手先だったらしい。見事に巻き込まれている。発覚を遅らせるために、飛脚と襲撃者の間に全く関係のない人間をひとり挟みたかったのだろうが、まさかその人間が燃え上がる邸に向かうとは考えもしなかっただろう。
「わざわざ火を付けた邸に戻ったのは、クリスタルが回収されない不手際があったからか? まぁいい。お前が父王の手の者であろうと、そうでなかろうと関係ない。言っただろう、冥土の土産程度には話してやると」
『彼女、今にも止めに入りそうなんだけど』
 視界を王太子の体に遮られていて分からないが、ヤナギが動こうとしているようだ。確かに彼は殺される寸前なのだろう。数は正確には分からないが、牢の外に従士が何名か控えている。抵抗すればこの狭い場所で乱戦は必死だ。
『どうするの。村へ向かうつもりはある? あるよね。ならやっぱり”のす”しかないよ』
『僕にやらせて』
「何?」
 彼が何事か言葉を発したが、それを聞き取ることができなかった王太子は怪訝な顔をする。胸ぐらを掴んでいるその手を彼が掴み返した。この牢の外にいる者には聞こえないように、囁く。毒のように甘い、呪いの言葉だ。
「君の恐怖は、この僕だ。君はここにいたくない。一秒だって僕を見つめることはできない。いや、君は『僕に見つめられるのがひどく恐ろしい』」
 次の瞬間、王太子は彼を勢い良く突き飛ばしてその場から離れた。
「なんだ、それは……! どうしてそんなものがいる! 何故そんなものがここにある!」
 荒い息。動揺した言葉の端々に得体の知れないものに対する恐怖が滲む。よろめきながら彼が体を起こせば、王太子が息を飲む音が聞こえた。叫びながら牢を飛び出してどこかへ逃げ去っていくその男を追って、何が起きたのか分からぬまま牢の外にいた従士たちも出ていく。後には、彼とふたりの勇者以外は残らなかった。
「何したの……
 若干呆れた声で彼に近づいてくる透輝。遅れてヤナギも牢の中へ入ってきた。少し横になって下さい、と言われて従うと、彼女は手に大きな鋏を持った。そのまま、その刃先で首枷の鎖を砕かれる。手首も同様に自由にしてくれた。
「ありがとう。囚人の気分が少し味わえたけど、一生このままはやっぱり嫌だな、僕は」
「何言ってるんですか、一生どころか死ぬところでしたよ」
 立ち上がると彼はうん、と背伸びをする。あちこちが痛い。それに歩こうとするとふらつく。手足の痺れは相変わらず収まっていないし、加えて熱が上がっているらしい。
「村に急がないと」
「でも、そんな状態で……
「僕には結末を見届ける義務がある。ヤナギにもあいつの言ってたこと聞こえてたでしょ? このまま何もしなかったらただ村の人々は皆殺しにされるだけだ。ダニカを、除いて……
――ロアンまで唆してしまった!
――死体を残さないで。
「そうか、そういうことか。全部計算ずくだったのか、こうなることも……!」
「ま、待って下さい、あなたは何を知ってるんですか」
「こうなることを全て仕組んだのはゾラとダニカだ! ロアンを巻き込んで自分たちがクリスタルであることを王太子に伝えさせた! 父王の領域で目立ったことをしたくなかった王太子は、ロアンからクリスタルの全てを村から取り上げてしまえば村は滅んでしまうと言われて、ゾラだけを輿入れさせようとしたんだ。だがロアンは同時に父王側の内通者でもあった。盟約の存在と、クリスタルがもうひとりいることを王太子に理解させておけば、襲撃の報復と失ったクリスタルを補充する口実でもって、村を滅ぼす行動にすぐに移せるようさせたんだ……!」
 この計画は王太子の殺害が目的ではなかった。ゾラが王太子にナイフを向けたのは危害を加えるためではなく、父王が放った刺客であると錯覚させるためだ。そこに現れた彼の存在は想定外ではあったが、結果ゾラは王太子から解放され、望みどおり死ぬことができた。あの場にもし彼がいなかったのなら、王太子に捕らえられたままでも、ゾラは生きていたかもしれない。
「待て待て。そんなことを仕組んだとして、彼らに何の利があるというんだ。このままじゃ人死も怪我人も山ほど出るし、戦争にだってなる」
「そうだ。彼らはそれを全て承知の上で行動している。彼らが望んでるのは、破滅だけだ!」
「そんな馬鹿な……!」
 言葉を失った透輝を置いて、彼は牢からひとり出ようとした。その行く手をヤナギが遮る。
「待って下さい! あなたはまだ隠してることがある。ちゃんと話して下さい! もしゾラが誰のせいでもなく自分の意思で命を断って、ダニカも同じようにそうなることを危惧しているというなら、その理由はなんだっていうんですか! こんなにたくさんの人を傷つけて、自分の命まで手に掛けて……! 私には、何も分からない!」
 叫びのようなヤナギの訴えは、頭に血がのぼったままだった彼を少しだけ冷静にさせた。濁ったままの黄緑色の瞳を細めて、彼はヤナギにこう告げる。
「おとぎ話を覚えてる? 魂が望む場所。彼らが全て還る場所。白い星の海、ウルハイマート。彼らが叫ぶのは、ほとんど本能だ。肉体という器を失った後、この広い世界でちゃんと見つけてもらえるように。でも助けを求める声が届かないことを知ると、やがてそれば絶望になり、憎しみになった。彼らはただ、帰りたかっただけなのに」
 天の灯台は、地に落ちて砕けたのだ。
 ならば、これは。
「先に行くよ。悪いけど、ふたりは後から来て。透輝、君にまた頼みたいことがある」
 ヤナギの横をすり抜けて、彼は牢から出た。
 地下の階段を上がると、神殿の外へ出た。この地下牢と神殿自体は繋がっていなかったようである。夜の闇が厳しい寒さと共に彼を出迎えた。空は晴れ渡り、月が出ている。
 人気のないことを確認すると、彼は自分にかけていた魔法を久しぶりに解いた。ばきばきと嫌な音を立てて背中が盛り上がるのが分かる。脂汗が流れた。両翼を広げるとそのまま垂直に飛び上がる。夜目が効くとはいえ、右目の心もとない視界では目的の村まで辿り着けるか心配になったが、それはただの杞憂だった。西の方角、地平線近くに明るく輝く星のような光源を見つける。
 叫びが聞こえる。悲哀を、憎しみを、絶望を、魂があるべき場所を求めてただ叫んでいる。
「ごめん、今行くから」
 呟くと、彼はまっすぐにその場所へと飛び去っていく。


       ****


――我々がどんな結末を迎えても、気に病まれないでくれ」
 禿頭の老人はそう言ったのだ。彼は扉にかけていた手を降ろして、向き直る。
「どのような意味でしょうか」
「そのままの、意味だ。このひなびた村を見れば分かるだろう。我々はこの地でずっと暮らしてきたが、それは決して故郷に愛着があったから故ではない。この厳しい気候の元、僅かな実りを分け合い、耐えるように生きてきた。許されるなら、この生活から解き放たれたいとすら思う。……だが我々という集団は、年月を経て段々と縮小しつつある。成人すると街に移り住む者も増えた。この村がなくなってしまうのも、時間の問題かもしれぬ」
 老人は深いため息をついた。疲労の滲んだ吐息は、暗い部屋の中で霧散せずに沈んでいくようだった。
「このような地に我々のようなものが住んでいたことを、どうか気にかけないでくれ。あなた方がいつかそれを思い出したときにこの村が存在しなくとも、何か思うことはない。いずれにせよ、どんなものにも終わりは来るものだ」
……ですが、今日という日に」
 老人は伏せていた顔を少し上げた。
「今日という素晴らしい祝いの日に立ち会えたことを、僕が時々思い出すことぐらいは許されたいと思います」
 彼は老人の濁った赤い瞳を見つめてそう言った。老人は、これに答えることはなかった。


       ****


 彼は地面にふわりと降り立った。着地した瞬間に、力が入らずにがくんと膝を折る。伏せた目が捕らえたのは雪に染み込んだ大量の血痕だった。顔を、上げる。
 村の中にある建物は全て燃えていた。家畜小屋も、井戸も、風呂小屋も。天を焦がすように燃え上がる炎があたりの惨状を照らし出している。彼は片っ端から扉を開けた。
 一軒目は若い夫婦の住む家だ。まだ幼い乳飲み子がいたはずだった。中は激しい炎に包まれて、人の痕跡を見つけることが困難である。梁から下がっていた揺り籠が床に燃え落ち、火の粉を撒き散らした。
 二軒目は街の中を案内してくれた若者含む家族がいる家だ。部屋の隅で抱き合うようにしてひとつに燃えている黒い何かがある。彼がそちらへ歩み寄ろうとすると、天井が崩落した。熱風が火傷の治りかけた皮膚を遠慮容赦なく焼いていく。
 どの家の扉を開けても、小さな地獄が燃え上がる光景以外を見ることはなかった。死体の多くが性別さえ判断のつかない状態で、血痕の多さから考えても殺害した後に死体に直接火を放っただろうことが分かった。これは、単に憎しみに駆られて行われた所業ではない。邪なるものの復活を許さないために、器となる肉体を焼くのだ。ここを襲った街の従士たちは女神教徒だ。彼らからすれば異教徒の祀る神とその信徒など魔王や魔族同然で、勇者の使命がそうであるように、やはり徒人の間の認知でさえも、そうしたものは”排除せねばならない悪しき脅威”として映るのだろう。これは憎しみではなく、恐れからくる行為だ。
 彼は最後に首長の家へ踏み込んだ。火を付けられたのが最後であったのか、この建物はそこまで炎が回っていない。入って左手の大きなテーブルが燃えている。そこに突っ伏したまま動かない死体は、禿頭の老人のようだ。周囲に血液が飛び散った様子はない。首長は自らの結末に抵抗することはなかったのだろう。
 村中を探しても、ダニカを見つけることはできなかった。目を擦る。正常な視界が戻らないためか、光の糸を捉えることさえできないでいる。
 村がこんなことになっているのだ、駐留兵たちが応戦しなかったはずがない。しかし、彼らの死体はなかった。村の入口の辺りまで出てみる。雪の上に真新しい何人かの足跡を見つけた。森の中へ続いているようだった。
 白樺の道を駆け抜ける。視界が開けた先の異常な光景に彼は立ち尽くした。
 周囲には武装した男たちが血を流し転がっている。ほとんどは既に事切れているようだ。父王が置いた駐留兵も王太子が放った従士たちも、まるで綺麗に相打ちになったかのように全てが倒れ伏している。広場の中心に、彼らがいつか助けた若者と、ダニカを庇うようにそれと対峙するロアンがいた。双方とも、剣を構えている。
「隊長、おかしいですよ、こんな……!」
「すまん」
 ロアンは事務的にそういうと、何の躊躇いもなく目の前の同胞に刃を振るった。鋭い金属音がしたかと思うと、若い兵士の手から剣が弾かれた。二撃目が容赦なく繰り出される。そこへ、銀の剣を構えた彼が割って入る。振り下ろされたそれを受け止めると、横薙ぎにして弾いた。
 驚愕に目を見開いたロアンが何か言う前に、彼はロアンの胸ぐらを掴んで叫ぶ。
「何してんだお前はッ!」
「ウィルか? その姿は……
 その場にへたり込んだ兵士も後ろで小さく困惑した声を上げる。だが彼はこの質問には一切答えなかった。
「これは君がやったのか?」
 この周囲の状況を作ったのはロアンなのかと、彼は問うた。
……乱戦だったからな。敵味方入り乱れてる中で、疲弊した人間を狙ってわざと襲っていくのは、別に難しくはなかった」
 拳を強く握る。
「ウィルなの?」
 ロアンの後ろからこちらを伺うようにしている赤い瞳と目が合う。ロアンの服の裾を掴んだその手は、血塗れだった。
「ダニカ……!」
「どうしてここへ? 背中の翼で飛んできたの? あなたは魔族だったの?」
 ひどい怪我をしているわ、と手を伸ばしたが、それをロアンが制止した。
「ウィル、お前は何の目的でここへきた。……いや、どんな目的があろうと、お前が魔族であるなら排除する」
「この期に及んでまだそんなことを言うのか!? 周りを見れば分かる、君はもう父王の手先でも王太子の従士でもない! 何故ここまでする必要があった!」
「答えるつもりはない」
 再び剣を構えるロアン。ダニカは静かにそこから離れた。いつのまにか、手には小さなナイフを握っている。
「ダニカ、駄目だ……!」
 彼女は小さく首を振った。
 銀の剣を振るいながら、彼はロアンの攻撃を弾き返し続けた。防戦である。こちらにはロアンを傷つけるつもりなどないからだ。だがロアンの方はそうではなかった。無駄のないお手本のような動きで、的確にこちらを狙ってくる。一瞬の油断もならない。ダニカの方を確認することができなくなる。
 攻防はしばらく続いた。息が上がる。ここ数日、体の回復にばかり魔力を使っていた上に、どういうわけかそれが流れ出しているおかげで体に余計な負荷がかかっていた。彼は、自分が疲労しているのだと気がついた。腕が上がらなくなる。間に合わない。
「待って!」
 背後から声がする。動揺して動きを止めたロアンの腕首へ拳を叩きつけると、握力の弱まった手から瞬く間に剣を取り上げる。飛び上がり、後ろへ下がった。
 どうやら透輝とヤナギが到着したようだった。透輝は肩で息をして、彼の隣にきてしゃがみこんだ。ヤナギは彼の横を通り抜けて、ダニカの名前を呼びながら駆け寄ろうとしたが、手首を抑えたロアンに行く手を遮られる。
「どうしてこうも……!」
 歯がゆそうに顔をしかめたロアンに、後ろから声がかかる。
「待ってロアン。もういいよ。少し、お話しよう」
 ダニカがそういうと、ロアンは彼らにも彼女が見えるように横にずれた。
「ウィルはどこまで知っているの?」
 ダニカは彼にそう尋ねた。
「確信の持てることは何もない。正直、何も信じたくはない」
「ダニカ、どうしてこんな……!」
 ヤナギの方を少し悲しそうに眺めて、ダニカは言った。
「どうして、か。どうしてって聞きたいのは、いつも私たちの方だった。何故私たちだけこんな目に遭うのか、何故私たちだけに声が聞こえるのか。何故、儀式が私たちの家系にだけ伝わっているのか。それでね、私たち首長を問い詰めたことがあるの。あの人、泣きながら謝ったわ。実の娘を孕ませて産ませた不義の子が私たちだった、って。それも、この家系はそれが珍しいことでも何でもなかったんだ、って。
 曰く、『我ら血族がこの土地の均衡を保つ要とならん』。古い盟約なんだって父さんは言ってた。この村と国とで交わされた約束。私たちはこの村を土地の魔力の均衡を保つ堰として、発生する疫病が広がるのを防ぐ。国はこの村の安寧を守る。これが決められた当時は、それでよかったんだ。もう、何百年よりずっとずっと前の話。誰も、忘れてしまったようだけど」
「魔力の均衡を保つ堰、というのが、クリスタルだったのか」
 息を整えた透輝が立ち上がりそう呟く。見覚えのない顔にダニカは少し首を傾げたが、そのまま話を続ける。
「私たちは、儀式によって代々クリスタルを受け継ぎながら、この土地から疫病が流れ出てしまうのを防いでいたの。でも儀式は完璧じゃなかった。クリスタルを受け継がせる人間が死亡している必要があったし、クリスタルとなった人間が死んでしまうと、どうしても疫病は発生した。
 私たちの家系はね、あの村の中でも特に疫病に対する抵抗が低いの。だからクリスタルが死んでしまっても、すぐに儀式を行うことができれば、小さな被害で済む。国まで届くことはない。そういう血筋を保たせるために、どういうことが必要だったか、分かる?
 私たちのお母さんも体が弱いひとで、儀式の対象者だった。17年前、お母さんはクリスタルを受け継ぐと、私たちを出産してすぐに死んでしまった。けど、継承の儀式を再度行っても疫病は止まらなかった。それが、私たちふたりが、ふたりでクリスタルを継承してしまったせいだと気づいたのは、春になってからのことだった。
 私たちが双子であることは色々な問題を呼んだわ。クリスタルとしての機能を二分してしまっているために、私たちは常に一緒にいなければならなかった。別に、そうされなくても離れることはなかったでしょうけど。ゾラが冬の間に土地から魔力を集積して、春に私が土地へ魔力を配分する。私たちはふたりだったけど、代々のクリスタルたちも同じような周期で機能していたんじゃないかな」
「冬に汚染魔力を集積するから、クリスタルが死亡するのも、疫病が発生するのも冬だったのか……
 彼はそう言って、ロアンから奪い取った剣を地面へと突き刺した。
「私たちが一番に不思議に思っていたことは、この心の中にある強い衝動だった。声が聞こえるの。あの場所へ帰りたいって、あの場所へ還らせて、って。その声はどんどん大きくなっていった。私たちの中にたくさんの人たちがいる。その人たちの魂ごと、ずっとずっとクリスタルを継承してきたの。こんなことが、これから先また何十回と繰り返されるとしたら……。そんなことは、耐えられない。だって、それじゃあ私たちが死んでもクリスタル継承の儀式は行われて、他のクリスタルたちと同じになる。ずっと、還りたいって叫び続けることになる……! 還りたい、辛い、悲しい、どうして……。そんな声がいつも聞こえるの。いつもよ。わかる? こんな、日々を、私たちが疫病で死ぬまで、ずっとよ! そんなの耐えられるわけがない……!」
 ねぇウィル、と彼女は彼に話しかける。
「私たちの村には、神様を祀る小さな祭壇がどのお家にもあるのを知っているでしょう?」
「春の女神だろう?」
「儀式はね、私たちの家系以外には……春の女神をその身に降ろす、”神降ろしの儀”として伝わっているんだよ。おかしいでしょう? 私たちは命を削りながら、声に苛まれながらこの土地を守っているのに、みんなは私たちをただの豊穣の化身か何かだと思ってる! もうこんなことやめたかった。終わりにしたかったの。
 そのためにどうしたらいいか、ゾラとずっと考えていたんだよ。みんなが生きている状態で死体を残したら、また継承儀式に使われてしまう……。これを終わりにするってことは、もうこの土地の均衡を守るのを辞めるってこと。私たちは、この呪われた盟約を結んだ村も国も憎らしくてたまらなかった。
 だから、私たちは、全部滅ぼすことにした。もう誰が傷ついても、誰が死んでしまっても、構わないの。最初、ロアンにこれを打ち明けることにしたときすごく迷ったけど、ゾラが上手く話をまとめてくれた。どうせ死ぬつもりだって言ったのに、それでもロアンは最後まで私を守ってくれた。ちゃんと、姉さんの分まで、私たちが選んだ結末がどういうものだったか知っておきたくて、私はすぐには死ななかった。でも、もういいの。もう十分見たわ。私たちが望んだことは決して許されることじゃない。別に許されなくたっていい。それでも、私は今ここで死にたいの」
 ダニカは、そう言って笑った。自分の望んだことの結果を全て受け入れた上で、彼女は笑ったのだ。誰も、その場から動くことはできなかった。燃え上がる火に照らされて、あたりは夕暮れのように明るい。森の入り口に延焼し始めたようだった。月が燃え落ちそうだ。
……う、うわああああああああああ!」
 突然、叫び声を上げたのは若い兵士だった。ゾラに飛びかかると、その手からナイフをむしり取る。白刃が炎に当てられて煌めいた。そのまま、ダニカの体へと振り下ろされる。血が飛び散った。ヤナギが横で膝から崩れ落ちる。
「やめろ!」
 駆け出そうとした彼を押しとどめようと、ロアンがその手を伸ばして彼の体を掴んだ。
「離せ……!」
「これがダニカの望みだ、頼む、もう何も言わないでくれ……!」
「そんなわけあるか……!」
 揉み合いになっている横を、透輝がするりと通り抜けた。
……ッ、落ち着きなさい!」
 執拗にナイフを突き刺し続ける手を掴み、その頬を強かに打つ。
「この……! ロアン、どけッ!」 
 彼は力任せにロアンの手首を捻り上げた。痛みに怯んだ隙を狙って、彼はロアンを横に蹴り飛ばす。そのまま転倒させると、ダニカの元へ駆け寄る。
 彼女は腹部を滅多刺しにされていた。出血が夥しい。弱々しく呼吸を続ける彼女の身をそっと抱え起こす。
「ちょっと、お嬢さん!」
「ダニカ!」
 呼びかけにも応答しない。意識は朦朧とし始めている。もう命を繋ぎ止める術はない。
 このままダニカが死亡すれば、クリスタルは消滅して、やがて堰のなくなった川を通る濁流のように疫病が広がっていくだろう。これを止めるためには継承儀式を行う必要があるが、彼らは儀式内容を知らない。何より、ダニカを含んだたくさんの魂たちをまた縛り付けてしまうことになる。
 彼はダニカの血まみれの手を握った。きっと、この手で自分の父親を殺したのだろう。
……魂を還そう。透輝、君、覚えてるだろう?」
 透輝は驚き目を見開いた。彼はいつだったか、若い魔法使いと共に魂を星の海へ還したのだ。彼はその時、若い魔法使いを通して道標を作った。
「ああ覚えてるよ、覚えてるけど。だからって」
「僕じゃもう無理なんだよ、頼む」
……わかった」
「ああ、”お釣り”があるならそっちを使え」
「君は? 君はどうするの」
 問われて、彼は一瞬黙った。
……勇者が魔王を討伐したとき、勇者の故郷に力が流れる。実は、魔王側にもクリスタルを破壊するメリットが、ある」
「また何の話?」
「侵略さ。今からクリスタルの範囲ごと、土地を魔界へ落とす」
 魔力は、濃度の高いところから低いところへ流れる性質がある。侵略により聖界の土地が奪われると、そこは――穴になる。村のクリスタルが堰の役割りをしていたというのなら、汚染魔力がどこにもいかないように、魔力の低いところを無理やり作ってしまえばいいのだ。
「高濃度で汚染された魔力は、きっと一番魔力の存在しない地帯、穴へと流れるはずだ。いや、一帯を落とすなら僕の世界へ汚染された土壌ごと持っていくことができる。これで魔力汚染も疫病の発生もそれほど心配しなくていいだろう」
「いや、でも、それって」
 透輝は、本当にやるのか、と問うように彼を見つめた。
「この場にいる僕だけが、できることだ。ヤナギ」
 彼は膝を折り、地面に座り込んだままの彼女の方を見た。困惑しきって、どうしたらいいのか分からない、という表情で、彼女は顔を伏せてしまう。
「ごめんね。僕は魔王なんだ」
 返事はなかった。
「僕は今からダニカを殺す。何か、最後に言っておきたいことはある?」
 立ち上がり、薬師の勇者は駆けた。勢いのまま、手を高く振りかざした。その手を透輝の勇者が掴む。
「よしなよ。薬師さん、彼女を見て。私たちでさえ、もう助からないことが分かるぐらいだ。君だったら、もっとよく分かるでしょ。誰だってこれが一番いい方法だなんて思っちゃいない。何か別の、誰も悲しまなくていい方法があるなら、本当はその方がいいに決まってるんだ」
 怒気を孕んだ竜胆色の瞳から、涙がこぼれた。がくりと膝をつく。それから、ダニカの片方の手を握った。何事か小さく呟いたようだったが、彼には聞き取れなかった。……また、悲しませてしまった。
 彼は、彼女の浅く、ごくゆっくりとした呼吸の間隔が長くなっているのを見て、彼女の口を自分の手のひらでそっと塞いだ。弱かった呼吸はそれだけで自発的に息を吸うことを放棄して、やがてその瞳からは光が消えた。
「おやすみ、ダニカ」
 瞼を閉じさせてやる。
「ロアン」
 立ち上がり、こちらをじっと見ていたロアンに彼は話しかけた。
「彼を連れてできるだけ遠くへ逃げろ」
 彼は血塗れの手を震わせたまま放心状態になっている若い兵士を指差した。
「俺は、罪人だ」
「知ってるよ。君はもうどちらの陣営にも戻れない。どちらに戻っても、君はきっと処刑されるだろう。でも――もういいだろ。君は、君の大事に思った人間の願いを守りたくて、ここまでしたんじゃないか。僕には全然分からないよ、その気持ち。分かりたくもない。だけど、君まで死ぬ必要はないよ。……もうたくさんだ」
 ロアンは、しばらく黙っていたが、近くまでくると自分をひどく慕っていた若い兵士を無言で担ぎ上げる。最後にダニカに一瞥をくれると、やはり何も言わずにその場から立ち去った。
「死体は残さないでくれって、言われてるからね。彼女は僕が連れてく。ヤナギは透輝の詠唱が終わったら、一緒にここを離れて」
「でも」
……元気でね」
 ヤナギは、目元を赤く腫らした様子で彼を遠慮がちに見た。何か言おうとして、しかしやはりそれが言葉になることはなかったのか、また口を閉ざした。


 その日、街の西にある森林地帯の方で、不可思議な光景を見た。森の中から現れた無数の光の粒が、まるで天に吸い込まれるように消えていき、その後、森がざわざわ揺れたかと思うと生暖かい風が吹いた。
 にわかに――墨のように黒い影が周囲から染み出す。それは森を覆い、何かを形作っていく。ある者は、それを大きな竜だと言った。ある者は、大きな鳥だと言った。ある者は、あれは魔王だったと言った。ある者は、天使のように見えた、と言った。
 それから一際大きな音がして、気がついたら森と平原の境目は、すっぽりと土地が抜け落ちていた。その辺りには村がぽつんとひとつだけ存在していたらしいが、それは跡形もなくなっていた。


       ****


 焼けるような熱を感じて、彼はぼんやりとした意識を取り戻した。
 炭化した木の匂い。火傷の痛み。死の匂い。彼は、自分の世界に帰ってきた。頭が熱い。左目から体液が流れ出ていくのが分かる。彼は自分が魔王として聖界を侵略するのに、左目の封印を解く必要があった。自分の中に蓄積させていた”正常な魔力”はもうほとんど残っていなかったからだ。
 ひどい疲労感だった。周囲の木々は未だに燃え続けていた。橙色の闇の中を玉屑が舞う。
 彼の中には希望も絶望もなかった。あるのは結果だけだ。彼は、自分の意思で人を殺した。他の可能性は見つからなかった。あらゆる可能性を提示し尽くしてその選択肢しかないのなら、それが選択しなければならない未来。理想ではなく、あるべき未来だ。
 だがその未来の中に、彼がいて欲しかった人々はいない。

 ただ、幸せでいて欲しかった。

 祈りは潰えた。望まぬ結果を得たことに悲しみも苦しさも湧き上がることはない。頭の中は熱いのに、体の芯は急速に冷え切っていった。不透明の赤い液体が白い大地に染み渡っていく。
───何故、いつも。
 何故いつも、届かない。何もかも、あとほんの少しがどうしようもなく遠い。もしかしたらを心の中で反芻する。これでよかっただなんて、口が裂けても言えない。もしかしたら、もっと他の! それともこうした考えでさえ、無駄な足掻きだろうか? 様々な思いが胸中を巡ったが、どれもこれも風に吹かれる砂のようにさらさらと流れ出していく。思考がまとまらない。
 これをただ悲しいと感じるには、悲しみだけを受け取るだけには、あまりにも彼の心は複雑過ぎた。後悔だったのだろうか? いや、違う。これは瑕疵だ。真っ黒に燃え上がる、あるいは復讐心にも似た執念だ。彼は地面に拳を叩きつけ、虚空に向かって吠えた。
「もう、二度と……!」
 しかし、その叫びは唐突に途切れた。彼はその場にうずくまると、意識を奈落の底へ手放した。
 あたりは雪に混じって、灰が飛び始めていた。







投稿にいいねする


© 2026 Privatter All Rights Reserved.