@toasdm
すうすうと穏やかな寝息を立てて、助手席のクリスさんは窓にもたれかかっている。まだ上がりきらない太陽、早朝ダイビングに付き添って早起きをした私のご褒美は、このクリスさんの寝顔だ。とはいえ、運転中だからまじまじと見るわけにもいかないのだけれども。時折ちらちらと横目で確認してみても、何から何まで完璧な、神様の手仕事みたいな整った顔立ちとそれを縁取る長くて綺麗な髪の毛が描き出す光景は、まるで絵画のようだといつも思う。普段より少し暗めのミルクティー色をした長い髪の毛はまだ生乾きで、おうちについたらまずはシャワーを浴びてもらって…と、海を背にして私は車を走らせた。
「クリスさん、つきましたよ」
「んん……ぁ、あぁ、すみません」
また寝てしまいましたね、と申し訳なさそうな表情はまだ眠そうで、お疲れだったんですから気にしてません、と声をかけると、そうですか……としょんぼりする。せめて私が運転できればいいのですが、としょげるクリスさんは、普段からあまり運転をしないせいか、免許は持っているけれどもほぼペーパードライバーのようなものらしい。こちらでは電車の方が身動きが取りやすいですからね、と話してくれたのを思い出して、私は思い出し笑いをする。
「なにを笑っているんですか?」
脱いだ靴をきちんと揃えて脇に置くその仕草からも伝わってくる育ちのよさも素敵だと思う。小首を傾げてこちらを見るクリスさんに、なんでもありません、と答えて私はシャワーを促した。ざあざあと流れるシャワーの音を背中に聞きながら、食器棚からマグカップを取り出してコーヒーの用意をする。この前雑貨店で見つけたイルカのマグカップがとても可愛らしくて、きっと海が大好きなクリスさんが喜んでくれるだろうと思ってつい買ってしまった。今日は君の初出勤だよ、とマグをぴん、と指で弾いて私はコーヒーを落とし始める。
「はぁ、ありがとうございます」
「あ、また髪の毛濡れたままにしてますね?」
放っておけば乾きますから、と言うクリスさんに、きちんと手入れするのも仕事のうちですと言い聞かせて私は髪の毛を乾かそうとする。
「ですが、せっかくコーヒーも用意していただいたことですし、一息ついてからでも構いませんよね?」
「うーん……まぁ、そういえばそうですよね」
冷めてしまうのももったいないですし、と微笑むクリスさんにマグカップを差し出すと、きょとん、とした顔でそれを受け取る。もしかして、気に入らなかったのかな?と不安になる私に、クリスさんは慌てて鞄の中から包みを取り出した。
「あの、実は……」
「え……えー?!」
がさがさとラッピングを解いて出てきたのは、同じイルカのマグカップ、それも二つ。
「実は先日、雑貨店に立ち寄った時に…お、お揃いでどうかと、思いまして……」
こんな偶然ってあるだろうか?というよりも、二人とも同じ事を考えていたという事実に、私達は目を合わせて同時に笑い出してしまった。
「ふふ、おかしいですね、同じこと考えていたなんて」
「ええ……でも、思いが同じというのもなんだか嬉しいものですね」
「はい、でも……」
どうしよう、うちにマグカップは三つも必要ない気がする。ひとつあまったマグカップをひょい、と持ち上げて、クリスさんは迷いなくきっぱりと言う。
「では、これはいつか生まれてくる私たちの子供のために、とっておきましょうか」
「えっ!?」
言ってから、はっ!とした顔になって、クリスさんは急に慌て始める。いやあの、深い意味はなく、としどろもどろになりながら、一生懸命説明を始めるクリスさんが可愛くて、私は思わず抱きついてしまう。
「すみません、プロポーズもまだでしたね、気が早すぎました……」
「ふふふ…いえ、嬉しいから、いいですよ」
手にした未来の子供の分のマグカップをテーブルに置いて、クリスさんは私をそっと抱きしめてくれる。温かくて居心地のいいこの場所に、もう一人増えるくらいなら大歓迎だ。きっとそこもあったかいはずだから。
「でも、子供が生まれるとなると、やはり私も運転ができた方がいいですよね……」
おでことおでこを合わせて目を閉じて何か考えている様子のクリスさんに私はそっとキスをしてもう一度抱きつく。
「……今度のデートは、私の運転でどこかへ行ってみませんか?」
「……はい、おまかせします」
よかった、と嬉しそうに言うクリスさんの腕の中で、私は幸せをかみ締めた。部屋に満ちていくコーヒーの香りと幸せの温もりが、心地よい休日の午後をふんわりと包んでいた。