@toasdm
「なんだお前さん、人懐こいじゃないか、ん?」
すらりと伸びた長い脚にすりすりと、尻尾を立てたご機嫌な子猫がまとわりついてくる。別珍のように滑らかな質感の黒い毛並みに翡翠のような緑の瞳、尻尾の先は鍵型にちょん、と曲がっている。柔和な表情で目を細めて、雨彦はその場に立ち止まり、じっと子猫を見下ろしている。にゃあ、と見上げて目を合わせて鳴く子猫の姿に、雨彦は目尻を下げてたまらずしゃがみこむ。
「ははは、そーら撫でてやろう、ここがいいのかい?どうした?別嬪さん」
ゴロゴロと鳴らして機嫌のよさを知らせる喉元を、雨彦のしなやかな指先がくすぐる。子猫もその場に座り込み、もっと撫でろといわんばかりに雨彦の手の甲にゴンゴンと頭を擦り付けている。よしよしよし、と手のひらで頭を撫でつけながら、お前さんの額は猫だけあって狭いな、と雨彦は、自分で言って自分で笑う。ぴるぴると細かく動く耳の後ろもこしこしと、指先でこするようにくすぐってやれば、翡翠色の瞳を細くして、子猫は機嫌よくにゃあとまた鳴く。
「ははは、随分積極的なお嬢さんだな、どれ、うちに来るかい?」
立ち上がりながら雨彦は、ひょいと子猫を抱き上げる。両脇に手を差し込んで目の高さまで掲げて持つと、首を傾げて笑って言う。
「おっと、なんだ…お前さん、雄かい。立派なモンくっつけてやがるじゃないか」
そのまま胸に抱き寄せると、黒い子猫は雨彦の肩に、ちょこんと両前足を乗せてまたゴロゴロと喉を鳴らす。左腕で抱きかかえながら右手で背中をポンポンと叩き、まあ雄だろうが雌だろうが構わんさ、と言う雨彦の頬に、子猫は頭をゴツンとぶつけて完全に甘えている。
「ここまで人慣れしてるんだったらお前さん、どっかの飼い猫かなんかじゃないのかい?どっから逃げ出してきたんだ、迷子の子猫ちゃんは……」
子猫を抱いてあたりを見回してみるが、迷い猫のポスターのようなものは見当たらない。首輪もしていないことからもしかしたら本当に、ただ人懐こいだけの野良猫かもしれない、と思いながら雨彦は、肩によじ登る子猫の処遇について思いを巡らせ始める。
「はは、こーら、おいたをするんじゃない、くすぐったいだろう」
腕の中からするりと抜け出し、雨彦の広い肩によじ登った子猫は、雨彦の首の後ろに回りこんでふんふんと、鼻を鳴らしながら雨彦の耳の匂いをかぎまわっている。ひげが当たってくすぐったいのか、雨彦は思わず肩をすくめる。乗る場所のなくなった子猫は、雨彦の肩とほぼ変わらない高さの塀にぴょん、と飛び移ると、再び雨彦に向かってにゃあ、と鳴き、そのまま塀伝いにどこかへと走り去ってしまった。
「はぁ……フッ、やれやれ、ふられちまったか」
子猫の温もりとひげの感触が残る体、その後頭部をがしがしとかきながら、雨彦は溜め息混じりに笑う。
「迷子の迷子の、子猫ちゃん~……ってな」
耳に馴染んだ童謡の一節を口ずさみながら、雨彦はその場を歩き去る。遠くでにゃあ、と聞こえた気がしたが、雨彦は振り返らなかった。情が移っちまったら大変だからな、と独り言を言いながら、しんと静まり返った住宅街の夕映えの中、雨彦の長い影だけが伸びていた。