@toasdm
仕事の疲れかな、それとも最近、ときめきがないからかも。誰かの為だけに生きているわけじゃないけれど、誰にも必要とされていないような気がして少し寂しい。体も気持ちも落ち着かなくて、夜の長さがいつもよりも辛く感じられる錯覚に、ぽつり、と私は独り言を漏らす。
「寂しいな……」
こんな夜中じゃ友達だって、気軽に声は掛けられない。みんなきっと、口を揃えて同じように、気にしなくていいのに!って言ってくれるのはわかっているんだけど、でも、それに甘えてしまうのはなんとなく、やっぱり気が引ける。変なところで遠慮をするのはあなたの悪い癖ですね、と穏やかに笑って頭を撫でてくれたのは、誰だったっけ……ああ、そうだ、クリスさんだ。
別に恋仲というわけでもないし、一方的に私が片思い未満の淡い気持ちを抱えているだけなのはわかっているけれど。クリスさんはだって、私なんかより、というか、女性なんかより?海が好きな、海に囚われた人だから。気持ちに自然とふたをして、仕事としてのお付き合いだけで十分と、私は私を見ないフリしてやり過ごしている。
実際容姿は格好良いし、好みか好みじゃないかの基準で見たとしても、私はクリスさんの顔が大好きだ。でも顔だけじゃなくて、海に関すること限定だけれども造詣の深さから垣間見える知的な部分とか、男女分け隔てなく接する思いやりとか丁寧なところとか、人間としての魅力も十分にある、素敵な人だな、と思う。素敵過ぎて近寄れないかといったら、実はそうでもなくて、一直線すぎて空回りする暴走特急なところとか、少し世間からズレているようなものの捉え方とか、育ちのよさと完璧じゃなさがないまぜになった古論クリスという男の人は、色々な意味で、総合的にいって、魅力的な人だと思う。
「はぁぁ……なにもこんな夜に思い出さなくたっていいじゃない…」
ベッドの上で膝を抱えて、私は溜め息と共にスマートフォンの時計を確認する。もういっそ寝てしまったら、また朝が来て何事もなく忙しさに追い立てられて、こんな寂しい気持ちなんて忘れてしまえるだろうし。頭の中のクリスさんを無理やり隅に追いやって、でも完全に追い出しきれていないあたりが、未満とはいえ、片思いと言う表現を使ってしまうところなんだろう、とにかく私はベッドに入って寝ることにする。
はぁぁ、と深い溜め息をついた私の手の中で、スマートフォンが突然震える。え、と思わず漏れた声に自分でも驚きながら画面を確認すると、まさかの表示にどきりとする。嘘でしょ、ねえ。なんてタイミングなんだろう、と慌てながらも、私は通話を取る。
「も、もしもし」
「ああ、よかった……夜分遅くにすみません、私です」
電話越しですら柔らかな、クリスさんの温かみのある声。あったかいな、と気持ちが緩んだ私の耳に、ゆったりとしたクリスさんの声が夜の静寂に広がるみたいにじわじわと染み透る。
「もしかしたら、お休みになられているのではないかと思ったのですが」
「いえ、これから寝るところですが…どうしたんですか?」
「あの…自分でも、よくわからないのですが」
用件を聞けばすぐに答えるいつものクリスさんらしくない口ごもり方に、私は少し首を捻る。どうしたんだろう、何か緊急な用でもあるんじゃないかと思っていたのに。もしかしたら言い出しにくいことなのかもしれない、とじっと続きを待つ私に、クリスさんはとんでもないことをいきなり言い出した。
「今から、あなたに会いに行ってもよろしいでしょうか?」
「はいっ!?」
今何時だと思っているんですか、とか、こんな夜中に女性の部屋にですか、とか何から言い出せば良いのかわからなくなる私に、クリスさんは恥ずかしそうに言う。
「笑わないでくださいね、その……寂しい夜、とでもいうのでしょうか」
「は、はぁ…え?」
「なんとなく、うすら寂しいような気がしたのです。それに気付いた時に、一番最初にあなたの顔が思い浮かびまして、だからその……急に、会いたくなって、しまいまして」
おかしいでしょうか?と聞き返してくるクリスさんの声色は、どことなく緊張しているように感じられて、別におかしくないですよ、と答えながら私は少し笑う。笑って力が抜けたのか、私も同じことを考えていました、と口をついて出てしまう。
「私も、今日はなんだか寂しい感じがして、さっきまでぼーっと、クリスさんのことを考えてたんですよ」
「ほ、本当ですか?!」
急に嬉しそうな反応が返ってきて、なんだかそれも悪い気はしなくて、そうなってくると今度は、どんどんクリスさんに会いたいな、と思う気持ちが強くなってきてしまう。
「仕事の打ち合わせ、ということにして、会いにきてください」
「ふふふ…そうですね、仕事の打ち合わせということにして、今から伺います」
二人の寂しい夜の波長が、ぴたりとあったことが嬉しくて、通話を切った私は勢いよくベッドから立ち上がる。片思い未満の気持ちが、もしかしたら別な気持ちに変わってしまうかもしれない、となんとなくぼんやりと思いながら、私はコーヒーを落とす準備を始めた。クリスさんが来るまで、あと三十分くらいだろうか。