@toasdm
音、聞かれたらきっとわかってしまうと思うから、少し寂しいけれどもここ最近はピアノにも触れていない。僕の音は正直だから、ね。言えるわけないこの気持ち、ずっと秘密にしていたってどうにもならないけど、誰もいないところで溜め息をつくくらいなら、きっと許してもらえるだろうな、って……そういえば、僕は誰にお許しをもらえばいいんだろう。しばらく音を追いかけない生活をしていたからかな……なんだかもうすぐ心が壊れてしまいそうな気がする。
「都築さんっ!?」
あれ、プロデューサーさん…あ、こういう時にはこんなフレーズもありなんだ。慌てて音をメモしようとして、そういえば何も持っていないことに気付く。
「ねえ、紙とペン、ある?」
「馬鹿なこと言わないでください、風邪を引きます!」
早く入って、と促されて手が触れた背中に感じた温もり、ぽぅっと灯る様な温かさを受け止めた時の音色はこんな風に、僕の中に生まれてくるんだね。やっぱり、今すぐ書き留めたい。
「五線譜じゃなくても、いいんだけど……」
「それはいいから!ああもう、全身びしょ濡れじゃないですか!」
びしょ濡れ、そういえば、プロデューサーさんもびしょ濡れだ。雨の中ぼんやりと、頭でも冷やそうかなって思って屋上まで来たけど、流石にプロデューサーさんの体まで冷やそうとは、考えてなかったな。すごく悲しそうな顔をしているね。雨なのか涙なのかわからない雫で、頭のてっぺんからつま先まで、全身びしょ濡れになってる。
「風邪、ひいちゃうから、ね?」
「うわちょっ、都築さん!
」
こうやって、抱きしめていれば大丈夫だと思うんだけど。あれ、でもそういえばなんで――…。
「こんなところで、何してるの?」
「それはこっちの台詞です!っていうか早く中に入って!」
傘もささずにこんなところで、と、真剣に怒るプロデューサーさんをこれ以上濡らしてしまうわけにもいかないから、一旦事務所に戻ろうか。さっき思い浮かんだフレーズもメモしたいし。
タオルを被せられた時には既に、自分で紙とペンは調達できていたのは幸いだと思う。いくらでもすらすらと生まれてくる音色たち、壁をテーブル代わりに立ったままで、それを素早く書きとめながらはっと隣を見たら、随分怒った顔のプロデューサーさんが背伸びをしながら僕の頭を拭いてる。
「何を、そんなに怒っているの?」
風邪でも引いたらどうするんだろう、って思ってるだけです」
怒ってるわけじゃない、って言ってるその声が既に怒ってると、思うんだけど…でも、まあいいや。するすると生まれてきた音符を書き入れながら、やっぱり五線譜が欲しいともう一度隣を見たら、今度は安心したような複雑な顔をしている。百面相、かな?
「今度は、何かな?」
「…もう、曲は書かないのかと思ってたんですけど」
「あ、うん……バレてたんだね」
最後の音符を書き込んで、そういえばプロデューサーさんが来てから急に音が聞こえてきたんだな、って気が付いて少し笑う。うん、そうだよね。やっぱりずっと秘密にしていたって、どうにもならないから。言ってしまおう。これでもプロデューサーですからね、と胸を張るポーズのままのプロデューサーさんを、屋上でしたようにもう一度抱き寄せてみる。
「つ、都築さん…?」
「君の事考えてると、苦しくて、ね」
音ならもっと、曲ならもう少し、自由に伝えられるような気はするけれど。あんまり言葉は、得意じゃないな。ふふ。
「音楽も、沈むような気がして書けなかったよ。でも……君が来てくれて、君が僕に触れた時、本当に自然に音が生まれてきたんだ」
じっと黙って聞いてくれているから、もう怒ったり呆れたりはしていないんだと思うけど。受け入れてもらえるかどうかは、別問題だね。はあ、と自然に漏れた溜め息を向こう側に追いやって、少し力を強くして抱きしめる。
「だからね……音楽は僕の一部で、僕の音楽の一部には君がいるから――もう、君は僕の一部なんだ」
多分これは好きって事。耳元でそう囁いた僕の腕の中でびくりと震えるプロデューサーさんの濡れた髪にそっと口付けた瞬間、また僕の中に音楽が生まれてきた。真っ赤な顔をして僕を見上げているプロデューサーさんは、僕のことをわかってくれているよね。うん、君に触れる度に僕は、新しい音をたくさん拾ってしまうみたいだから、ね。ずっとそばで、僕の音楽を支えてほしいな。新しい紙を差し出してくれたプロデューサーさんの手にそっと口付けてから、僕はそれを忘れないうちに書いてしまおうと再び壁に向かった。雨音はさっきより、小さくなっている気がする。