@toasdm
特になにも予定のない休日を持て余した私は、家でぼーっとしているのももったいないかと一念発起して外へ出た。何も考えていないからメイクも服も全く気合いは入っていない。誰かと鉢合わせたら恥ずかしくて死んでしまうというほどではないけれど、できれば誰にも会いたくなかった。特に、仕事で見知った美男子には。
「まさかお休みの日にまであなたとこうしてお話ができるなんて、思ってもみませんでしたよ」
私の隣で穏やかな微笑みを浮かべて歩くクリスさんは、一応アイドルらしくお忍びルックスの変装をしている。普段下ろしているまっすぐ伸びた綺麗な髪の毛はハットの中に上手に隠して、細いフレームの眼鏡をかけて服装も普段と印象が違っている。ただし、暴力的なまでに整った容姿とスタイルは隠しきれなくて、見る人が見れば一発で「Legendersの古論クリスだ」と気付いてしまうだろうし、そうでなくても、どこかのハーフモデルさんかな?と視線を集めてしまうだろう。つまり、無茶苦茶イケメンのクリスさんと、必要最小限のラフな出で立ちの私とがいるわけで、なんとも居心地が悪い。その居たたまれなさにため息をついた私の様子に、クリスさんは眉尻を下げる。
「はしゃいでしまって申し訳ないです、お見かけしたのでつい声をかけてしまいましたが…」
お邪魔でしたよね、と本当に申し訳無さそうにするクリスさんに、私は慌てて弁明する。
「ち、違います違います!その、私ほんとに、適当な格好で出てきてしまったので…」
恥ずかしいです、と言うとクリスさんは立ち止まってこちらをじっと見つめたかと思うと、ニコッと笑ってそんな事でしたか、と言う。
「すごくナチュラルで素敵だと思いますよ」
ナチュラル、という言葉がするりと出てくるところもクリスさんらしくて、なんだか少しほっとする。気になりませんか?と聞いてみたけれども、別にこの後一緒に行動するなんて一言も言っていないのに、勝手にそれを期待してしまっている自分に気が付いて、私は再び俯いてしまう。
「私は気になりませんが、そうですね…」
でしたら、と両手を胸の前で合わせて、クリスさんは満面の笑みで私に提案してくれる。
「でしたらこの後、一緒にこちらへ行ってみませんか?」
トレンチコートの内ポケットから出てきたのは、展覧会のチケットが二枚。海をモチーフにした芸術作品を集めた美術展なのです、と嬉しそうに言うクリスさんに誘われるまま、何が"でしたら"なのかいまいち理解できないまま私はついて行くことにした。
館内はひっそりと静まり返っていて、人はそこそこいるけれども皆じっと静かに観賞している。はぐれるといけませんから、とナチュラルに繋がれた手にドキドキしたのも最初だけで、クリスさんに手を引かれるまま私は、美しい青が広がる一枚の絵画にしばし目を奪われる。タイトルは『恋に落ちる青』と書いてある。
「自然の青って、こんなに透き通っていて綺麗なんですね…」
と顔を上げて隣を見ると、クリスさんは真剣な表情で、絵画の詳細を食い入るように見つめていた。その横顔はやっぱりすごく整っていて、変装のための眼鏡を外した素顔の瞳にはキラキラと、海の青が映りこんでいる。吸い込まれそう、と錯覚した私は慌てて視線を逸らしてもう一度、海の絵画をじっと鑑賞する。
「……誰も」
「え?」
耳元で囁いているのは多分、周りの迷惑にならないようにという配慮だとは思うけど、かかる吐息のこそばゆさとドキドキに、一瞬硬直した私に、クリスさんは話を続ける。
「誰も、私達なんて見ていませんよ」
そういえば、と辺りを見渡すと、皆展示に夢中だ。誰も私たちを気にする人なんていない。変装を解いたいつものクリスさんがいるというのに、誰も気にしていなかった。皆さん夢中ですからね、と長い髪を耳にかけながらクリスさんはかがめていた腰をすっとまっすぐに伸ばす。
「ここならきっとあなたも、気にならないと思ったんです」
「あ……」
これは、クリスさんなりの素敵な気遣いだったんだ。展覧会ならナチュラルな服装でも恥ずかしくないでしょう、という、クリスさんの優しさだったんだ。気付いた途端にこみ上げてくる、クリスさんを思うこの優しい気持ちに名前をつけるとしたら……。
「私、クリスさんのそういう優しいところ、好きですよ」
「…そういう事はきちんと、目を見て言ってくださいね」
目の前の絵画から目を逸らさずに言う臆病な二人はまだ、名前のついたばかりの気持ちを見つけたばかりだけれども。いつかこの絵のタイトルのように、素直に言えたらいいな、と思って、私はクリスさんの大きな手をそっと強く握ってみる。深い青に包まれた空間で私は、クリスさんと恋に落ちた。