@akirenge
【始まり】
「主が夢野久作のようだな」
そう呼ばれて、彼は今を認識する。
周囲は白く文字だけが浮かんでいる。深い森のような、深海のような場所だ。
目の前に立っている男は自分と同じぐらいに、あるいはそれ以上に金色の髪が長い男、着物姿に紅葉柄の羽織を着ている。
「貴方は」
「我は尾崎紅葉。主は名前ぐらいは知っているかも知れぬ」
尾崎紅葉と夢野は聞き、ある人物を思い浮かべる。
明治時代の作家であり、近代文学を切り開いた紅露逍鴎と纏めて呼ばれる人物の一人だ。
「ええ。知っていますよ。それで、私に何のようです」
とは聞きつつも、やるべきことは解っていた。
「我と共に来てくれ。探している者が居るのでな。侵蝕者から文学を守る仕事だ」
「侵蝕者、ですか。興味があります。行きましょう。尾崎さん」
「我について参れ」
そう言われ、夢野久作は先導する尾崎の後を着いていった。
特務司書の少女がその申し出を聞いたのは、朝早くのことだった。
館長と似たような、あるいはそれ以上に帝國図書館に居ない封印者である花宮諫也からである。
特務司書の少女は仕事場である帝國図書館分館に徳田秋声と共に居た。
諫也と特務司書の少女と秋声は分館の貸し出しカウンターの側で会話していた。
「夢野久作?」
「先行転生だ。坂口安吾とか井伏鱒二と同じタイプの先行転生だな」
先行転生には二種類ある。一つは特定の栞と特定の数量の洋墨を使い転生を試みるもの。
もう一つは特定の栞と墨の暴力で転生させるものだ。暴力を使えば転生は楽な方で転生したのが
梶井基次郎や二葉亭四迷である。
「アカとアオの錬金研究を手伝っていたら出来た召装とかに出て来たあのロン毛のヒトだね」
「顔だけは僕も知っているよ。召装でみたからね」
特務司書の少女は錬金研究を想い出す。本館と分館を往復しつつ行ったものだ。錬金研究とは有碍書の中に潜書して、
中の物質をフラスコで集めてアオの方に錬成して貰うというものだ。
それより前に大雪事件で研究もずれ込んでしまったが天候についてはどうにもならない。
「『ドグラ・マグラ』の人だね。名前だけは知ってるよ」
「……俺も『ドグラ・マグラ』は読もうとして序盤でぶん投げたな。アイツ曰く、読破出来れば凄いらしいが」
「そのアイツって人は、読破したのかい?」
「読むのがきつかった意味では印象に残っているだと」
アイツとは諫也がたまに出してくる友人というか面倒を見ている相手だと特務司書の少女は聞いている。
秋声が聞いてみれば回答が来たが、『ドグラ・マグラ』とは凄まじすぎる話のようだ。
『夢野久作ねぇ。来るとは想っていたけれど、『瓶詰めの地獄』とか『少女地獄』とか、『ルルとミミ』とか独自の世界観を書いているわ』
話し込んでいると割り込むように少女の声が聞こえた。
視線を向ければ手に分厚いハードカバーの本を抱えた外見が十代前半の黒の長髪に黒目の少女が頬笑みながらやってくる。
加護者、特務司書の少女に利害の一致で協力をしているモノ、だ。
「その本は?」
『おっさんが読んでいない本を読み終わったのよ。推理物だったから、犯人を書いて挟んでおくわ』
「館長がいくら買っても積む買ったら満足系の人だからってソレは駄目だよ!? 虐めじゃない!!」
「違う違う。あの人は読書家で読みたいから本を買うんだけど、時間が無くて読めなくて、さらに読む本が増えるタイプだからな」
「加護者、それは辞めた方が良いんじゃ無いかな。楽しみが無くなるよ」
本を買うにしろ積むにしろいくつかのタイプがある。とても忙しい帝國図書館の館長は、読書家だ。
読書家ではあるが読む暇が無いという。諫也がフォローを入れているが、そういえば館長の処は余り訪れないけれど、
訪れる度に本が増えるに増えている気がする。
秋声に言われて加護者は考え込むようにして、
『それなら、間違った犯人を書いておくわ。それなら良いわよね』
「良くないよ!? ……夢野君と言えば彼も推理物を書いていなかったかな」
『いくつか書いているわ。……彼が転生してくるのなら、独自の世界観のイメージが強くなりそうね』
「独自で解決するなとはなるけど、独自は独自なんだよね。文豪って」
だからこその文豪か、と特務司書の少女は想う。
秋声にしろ、何にしろ、自分の独自の世界観を持っているのだ。文豪達は著作のイメージや読者の思いやらが雑じって転生する。
『彼と言えば『ドグラ・マグラ』になるから……ショートショートでも面白い話は書いているのだけれども、『ドグラ・マグラ』のイメージが
とてもとても強いから』
「転生してみてからだけど、ねえ、読みやすくて、なおかつ、これが夢野久作と解るのを……四つぐらいあげて欲しいな。読むよ」
『四つねぇ……読みやすさなら『瓶詰めの地獄』、『猟奇歌』、『人形と狼』『ルルとミミ』にしておくわ』
条件を指定するに指定すれば、加護者はきちんと本を選んでくれる。どうぞ、と来たので手を差し出せば、コピー用紙に印刷された文章が四つ出て来た。
今すぐ作ってくれたのだろう。
「そろそろ、みんなも来るだろうから、話しておかないとね」
「だよね。ところでさ、『ドグラ・マグラ』ってどんな話? 何処か抜粋してよ」
『……お兄様お兄様お兄様お兄様……お兄様のお手にかかって死んだあたしです。そうして生き返っている妾です。
お兄様よりほかにお便りする方は一人もない可哀想な妹です。一人ポッチでここに居る……お兄様は妾をお忘れになったのですか……』
淡々と加護者が読み上げる。図書館が静かになり、そして、
「お兄ちゃん大好きブラコン妹の話かな」
「それで解決してはいけないと想うよ」
「スプーンいっぱいのグロとメルヒェン」
「どれだけでかいスプーンなんだろうな」
『余裕がありすぎるときに読みなさい』
特務司書の少女の感想に秋声と諫也が口を挟む。加護者は警告のように話した。
それから何日かが過ぎて夢野久作の先行転生を試みることとなった。やることは有魂書にひたすら金の栞、もしくは亜種の栞と洋墨を入れて、
転生させるのだが、
「連れてきたぞ。司書」
「紅葉さん、ありがとうなんだよ」
潜書室は全部で最大三冊まで有魂書の潜書が出来る。潜水艦の内部と言ったような雰囲気の部屋だ。前に作り替えたときに書物の絵を元にして作った場所だ。
紅葉が出た後で有魂書に触れると有魂書が淡く輝いてから文字が躍る。
現れたのは茶色い髪を伸ばしたスーツ姿の男だ。手にはオレンジ色の本を持っている。
「名前は夢野久作。夢見がちの変人という意味です 至って常識人のつもりなのですがね……」
「こんにちは。始めまして。特務司書です」
――この人、裏社会に居そうな人だ。具体的に言うとズレた人。
常識人をやっているようで、その実、やっていないというか、そんな印象を受けた。すぐに察せたのは特務司書の少女も裏社会出身だからである。
「主だけか。司書」
「有碍書の潜書とかしたりとかしてたりとか、夢野さん、みんなに紹介したいから、外に」
「解りました。これから、よろしくお願いしますね」
夢野と紅葉を連れて有魂書の潜書室を特務司書の少女は出た。開放的な空間に出る。
「おう。終わったか。そっちが夢野久作だな」
「志賀さん、アイツも一緒?」
『居るわよ。……外に連れ出されるのは苦手なのに……』
出てすぐに出会ったのは志賀直哉と加護者だった。加護者は十代前半の姿をしていて不服そうに黒のテディベアを抱きかかえている。
今日は外に出る日で志賀と共に商店街の方に出かけていたのだ。志賀はよく加護者に構う方である。
志賀の後ろに加護者は居た。
「司書とは違う意味で引きこもりだし。おやつ買ってきたぞ。食うか」
「夢野さん、紹介しますね。志賀さんとコイツは加護者、分館の管理者で……」
笑顔で紹介しようとしたとき、夢野に気を取られた。
あっけにとられているような、止まった、表情。
「――始めまして。夢野久作です。貴方が、管理者なんですか」
『そうよ。――夢野久作だわ。貴方』
「……そうですか」
『食べましょう。甘い物を買ってきたわ』
何かの違和感というか捨て置いてはいけない気配を感じたが、加護者に急かされ、特務司書の少女はそのまま菓子を食べに行くことにした。
(どうして……)
特務司書の少女と言う人間を見た後で夢野が見たのは加護者という存在だった。
心躍る。
黒のドレスに黒いテディベアのぬいぐるみを抱えた少女は……。
(怪物が人間のフリをしているのでしょうか)
アレは怪物だ。
人間の形をかろうじて取っているだけの、怪物。
そんなものが夢野の前に居る。
夢野ははやる気持ちを抑え、まずは図書館に馴染むことにした。それが必要ならば、やるのだ。
【続く】