@toasdm
関係者以外立ち入り禁止のドアを開けてパーク内に戻った雨彦は、さて困ったぞ、とその場に立ち竦んだ。テーマパーク内の【掃除】の仕事、その下見に訪れた雨彦の目の前には、今にも泣き出しそうな小さな男の子がひとり、ぽつんとベンチに座っている。膝の上で拳をぎゅっと握りしめ、心細さと闘うその瞳にはうっすらと涙を浮かべている。このご時勢、下手に子供に声でもかけようものなら通報されてもおかしくない。随分と世知辛い世の中になったもんだと溜め息をつきながら、さりとて無視もできまいて、と意を決して雨彦は子供の前にしゃがみこむ。
「どうした坊主、はぐれたか」
小さくこくりと頷いて自分をまっすぐ見つめる子供の視線に、雨彦はなるほど、と感心したように呟いた。雨彦自身は別段子供に対して苦手意識はないのだが、子供からしてみれば首が痛くなるほど高い位置にある顔に見下ろされるのがよくないのだろう、大抵泣かれるか逃げられるか、泣きながら逃げ出していくかの手厳しい反応が返ってくるのだ。であるにも関わらず、迷子の心細さを抱えた目の前の子供は雨彦に怯えることもなく、じっと真正面から雨彦の目を見て頷いた。なるほど、芯の強い子供だ、とニヤリと笑い、長い腕を伸ばしてよしよし、と子供の頭を撫でてやる。極力怖がらせないように表情を作り、雨彦は子供に語りかける。
「お前さんは偉いな…心細いだろうに、泣かない強い子だ。どれ、おじちゃんが一緒に探してやろう、かーちゃんか?とーちゃんか?」
「…おかあさん」
「そうかい、だったら迷子センターまで連れてってやるさ、よっ、と」
軽々と左手で抱き上げると、やっと人心地ついたのだろうか、子供は甘えるように雨彦の首にしがみついてくる。よく今までがんばったな、もう大丈夫だ、と右手でもう一度頭を撫でて、雨彦はパーク内地図看板の方へと歩いていく。なにせ仕事の下見のつもりだったのだ、迷子センターの場所なぞ頭に入っていない。歩く道すがら、相変わらず首にしっかりとしがみついたままの子供に雨彦は尋ねる。
「お前さん、いくつだ」
「ごしゃい」
小さな掌をぱっと広げてそう言う子供の、陽だまりの匂いをさせた髪の毛を撫でつけるように、雨彦は自身の大きな手で子供の頭をよしよしとやる。撫でられると安心するのだろう、緊張感の取れた表情には余裕が出てきて、しがみついていた腕は右腕だけになり、腕の中の子供はあっち、と地図看板を指差す。芯の強さだけでなく、察しのよさまで兼ね備えているか、と雨彦はまた頭を撫でて地図看板の前に立った。
「よく見えるだろう、さて、迷子センターはどこだ」
「ん」
地図看板の右下、パークエントランスの一角に迷子センターの表示を見つけた子供が指し示す。お前さんは賢いな、と雨彦は子供を抱きかかえ直して再び歩き出す。穏やかな春の陽気がぽかぽかと、雨彦と子供の背中に降り注ぐ。すっかり懐いた様子の子供は雨彦の腕の中からきょろきょろと、パーク内のあちこちを見渡している。高さのある分新鮮な景色に目を見張る様子は、年相応でいいもんだな、と雨彦は目を細めた。
「あ……」
「ん、どうした」
ふるふると首を振った子供が一瞬だけ視線を向けた先には、パーク内キャラクターをモチーフにしたアイスクリームショップがあった。一丁前に遠慮はしてみせたが、こりゃ相当甘えてやがるな、と苦笑しながら雨彦はその店に近付き、子供の目線の高さに作られたショーケースの前にぽん、と下ろしてやる。目の前に広がる色とりどりのアイスクリームに、ぱぁ、っと瞳をキラキラさせながら、子供は無言で雨彦を見上げる。いいぜ、と微笑む雨彦は目線を合わせ、どれがいいんだ、と一緒にしゃがむ。指差したアイスクリームを注文し、再び雨彦に抱きかかえられた子供は、店員からそれを受け取ると夢中で食べ始める。
「なんだお前さん、腹でも減ってたのかい」
雨彦の言葉も聞こえていないのか、はぐはぐと音でも立てそうな勢いで一気にそれを平らげる子供の口元がチョコレート色に汚れて、雨彦はやれやれとポケットからハンカチを出して優しく拭いてやる。服まで汚すなよ、と声をかけて迷子センターへと再び歩き出しながら雨彦は思う。俺が二十五の時の子供か……ぼんやり重ねて思い描いてみるが、全く実感は湧いてこない。
「ん?あそこにいるのは、お前さんのかーちゃんじゃないのか?」
「あ!」
迷子センターの窓口で、今まさに迷子放送を頼み込んでいる母親らしき女性が目に入る。間に合ったな、と子供を地面に下ろすと、一目散に母親めがけて走っていく。転ぶなよ、と声をかけた雨彦を振り返ることなく親子は無事再会、遠くで何度も頭を下げる母親に軽く会釈をしてから、雨彦は踵を返す。
「おじちゃん、ありがとう!」
「…せめてお兄さんにしといちゃくれないか」
苦笑しながら振り返る雨彦に、千切れそうなほどぶんぶんと手を振る子供がしっかりと母親と手を繋いでいるのを確認してほっと胸をなでおろし、雨彦はもう一度、未来と記憶を重ねてみる。いつか俺にもあんな風に、妻や子供ができたとしたら――…。
「柄でもない、か……?」
左肩に残る、陽だまりのようなあの子供の髪の残り香だけが、そうでもないさ、と雨彦の照れを否定していた。ふぅ、と充足感に満ちた溜め息をつき、まだ重さの残る左肩を回しながら雨彦はテーマパークを後にした。