@toasdm
お前さん、星は好きかい?と聞かれたのは二回目だ。一回目は、雨彦さんが私を連れ出す口実だったと後から言っていた流星群が見える日で、二回目はついさっき。廊下ですれ違った時の立ち話ついでに、今夜星を見に行かないかと誘われて、私は二つ返事で快諾した。
「夜、迎えに行くさ」
特に深い意味があるわけじゃないはずのその言葉も、雨彦さんにかかると意味深に聞こえてしまう。ふわりとにおい立つような雨彦さんの色っぽさが、多分そう思わせているんだろう。ぽん、と優しく手を置かれた肩に残る雨彦さんの感触に、私は一人で恥ずかしくなる。早く仕事が終わって夜になったらいいのに、と待ち遠しい時間を追いかけて、私は午後の仕事を片付けた。
「星、って……」
雨彦さんの車に攫われて、ついた場所は星の見えるくらい場所ではなく、都会の喧騒の片隅だ。ガチャ、と重たいドアを開けてくれた雨彦さんに促されて私が入ったその空間は、ドーム状にくぼんだ天井、その真下に黒いメカニカルな球体。
「プラネタリウムさ…ここなら、人目も気にせずお前さんとゆっくり過ごせると思ってな」
解説員もいないから、本当に俺と二人きりだぜ。たくさんのつまみが並んだ操作卓で照明と音楽を調整した雨彦さんは、呆然と立ち尽くす私の手を取って席に着く。わずか六席しかない小さなプラネタリウムを貸しきって、雨彦さんと私の初デートが始まった。
「時刻は夕方から始まる。これはみんな、春に見える星達だぜ」
胸ポケットからレーザーポインタを取り出すと、雨彦さんはそれをドームに向けて空を指し示す。
「こっちが北で、この高い位置にあるのが北斗七星だ」
お前さんも知ってるだろう?と言う雨彦さんに肩を抱き寄せられて、鼓動がどきりと強く跳ねる。今気がついたけれども、雨彦さんは一切の解説テキストを持っていない。星の名前、覚えているんですか?と聞いてみると、上を見上げたままぼそっ、と雨彦さんは呟いた。
「お前さんに、格好いいところみせたくてな…全部頭に入れてきた」
照れたように笑いながら言う雨彦さんの横顔に見惚れていると、横目で私をちらりと見た雨彦さんが、ニッと笑って空を指す。
「ちゃんと聞いてくれよ、結構頑張って覚えてきたんだぜ?」
それもそうかな、とくすっと笑って、私は雨彦さんに肩を抱かれたままゆったりとドームの星空を見上げる。雨彦さんのレーザーポインタがゆっくりと星を追い、小さなオレンジ色の星のひとつを指し示す。
「うしかい座の一等星、アークトゥルス。ここからさらに伸ばしていくと…」
ポインタの赤い点がドームの天井に円弧を描き、その先にある少し明るい白い星をくるりと囲む。
「おとめ座の一等星、スピカだ。この曲線の並びを、春の大曲線って言うらしいぜ」
春の星座を見つけるときに道しるべになるらしい、と淀みなく解説する雨彦さんの優しい声が、星の名前を読み上げるたびに胸がドキドキする。
「で、こいつがしし座。こいつの尻尾の部分にあるのが二等星のデネボラで、こいつと、アークトゥルス、スピカを繋いで――…」
ポインタの軌跡が星空に、大きな三角形を描き出す。きらめきを結んで浮かび上がる天空の図形を指して、雨彦さんが言う。
「春の大三角」
いつまでも聞いていたくなるような、優しくて低い、落ち着いた雨彦さんの声。星を天井に映し出す投影機がゆっくりと回り、徐々に星空が明るくなっていく。
「もう朝だ。星は見えなくなっていく……」
ギッ、とシートが起きる音に、天井を見上げていた顔をふと横に向けると、雨彦さんは身を起こしてじっとこちらを見つめている。今日一番のドキドキに、一瞬呼吸が止まったその時、雨彦さんの口がゆっくりと言葉を紡いで動きだした。
「…目、閉じな」
大人しく目を閉じて、雨彦さんの唇を待つ。きっと、そういう意味なんだろう、と思うくらい、私だって大人だ。もう一度、ギッ、ミシッ、と音を立ててシートが揺れる。私の両肩に置かれた雨彦さんの手は、大きくて温かい。重なる唇は、たとえようもないくらい柔らかくて、優しい。フッ、と笑うように息を吐いて、雨彦さんの顔が離れると、私の体はこの上なく優しく雨彦さんに抱きしめられる。耳元に頬をすり寄せるようにして、雨彦さんはまるで宝物のように私の頭をゆっくりと撫で、囁いた。
「…今度は、本物の星空の下でキスをしよう」
なんて、俺らしくないかい?と茶化しているのは、きっと照れているからなんだろう。徐々に明かりを取り戻したプラネタリウムのシートの上で、少し赤い頬を寄せ合った私達は、星と太陽に見守られてもう一度、唇を重ね合った。