@toasdm
一通りの挨拶周りと顔出し、打ち合わせが終われば、待っているのは事務作業だ。企画書の整理や確認、スケジュール調整に情報収集、etc…。数え上げればきりがないけれど、複数の仕事を同時にこなしたり誰かに(だいたい山村君に)仕事を振ったり振らなかったりしてやっつけていけば、日付の変わる前にはなんとか帰宅できそうだ。プライオリティの高いものから順番に、こつこつと仕事をこなしていくのも楽しいと思えるし、やっぱりきちんとできたらかっこいいと思う。などと自画自賛している余裕があるのだから、今の内にちゃちゃっとやっつけてしまおう。デスクの前で気合を入れて、フッ、と鋭く息を吐く。よしっ、とパソコンに向かって作業を始めた十七時、最近長くなってきた日が傾いて、ブラインド越しに橙色の光の縞々を描き出して壁に映している。
お先に失礼します、と山村君が帰ったのを背中で聞き流して、今日の分の仕事はほぼ片付いたところでうーん、とのびをする。ちらっと見た時計の針は思ったよりも進んでいなくて、誰も褒めてくれない仕事の速さを自分で褒め称える。よしよし、よく頑張りました。さて、少し休憩でも、と立ち上がった私は、急に立ちくらみのようなふらつきを覚えて思わずデスクに手をつく。うわ、貧血かな、でもそんな時期でもないし、と未だ半分ほど暗転した視界を落ち着かせようと、私はその姿勢のまま動かない…というか、動けない。膝から力が抜けそうで、視界も安定しないから椅子に座ることもできないし、ああ、なんだか耳鳴りもひどい気がしてきた。
「大丈夫ー?」
くらくらと揺れる意識の中、耳鳴りの向こうから聞きなれた声がする。落ち着いた調子で、椅子ここだから座ってねー、と椅子を勧められ、私はようやく体を落ち着かせることができた。デスクの上の書類の山がどけられた気配がして、少し休んでてー、と椅子をデスクに寄せてくれた想楽さんの気配が、私の背中から少し離れてどこかへ行って、またすぐに戻ってくる。デスクに突っ伏した私の肩に、ふわりと掛けられたブランケット、冷や汗の滲む額にそっと添えられた想楽さんの手、気の抜けた体がまたがくりと椅子の上で揺れて、バランスを崩しかけた私の体を、想楽さんの腕が支えてくれる。
「全然大丈夫じゃないねー」
熱はないみたいだけど、と私の隣にガラガラと椅子を寄せてきて、そこに座った想楽さんがブランケットを掛けなおしてくれる。
「寝てないんでしょー?そんな顔してたから気になって、戻ってきちゃったんだよねー」
…おっしゃるとおりです、とようやく口の利けるようになった私が白状すると、想楽さんは私の眉間を人差し指でぐりぐりと押してくる。
「ここにしわしわが寄ってるよー」
「うぅ、痛いです……」
「僕達のために頑張ってくれてるのは知ってるんだけどねー」
見過ごせないなー、と少し怒ったような口調の想楽さんが、立てそうー?と聞いてくる。さっきよりは少し楽になってはいるけれども、まだ無理そうだと素直に言うと、しょうがない、と気合を入れた想楽さんが、私の体を抱きかかえる。
「よっ……こ、ら、せっっ!!」
抵抗するほど元気はないのに、今ものすごく抵抗したい。信じられない、想楽さんに、お姫様抱っこされるなんて。普段背の高い二人に囲まれていることが多いから、想楽さんのことを小柄な方だと思っていたけれど…軽々と、とはいかないけれども、普通に、成人女性をお姫様抱っこできるだけの力があるなんて。口から心臓飛び出てしまう、とはまさにこのことなんだろう、バクバクうるさい音を立てる私の胸は、今想楽さんの目の前にある。
「怖かったら、つかまっててねー…っと」
「わっ」
すわりが悪かったのか、想楽さんは一度私を大きく上に持ち上げて体制を整えなおす。これでよし、と私を抱いたまま、想楽さんがソファの方まで歩いていく。おろすよー、と優しく声をかけられて、私の体は事務所のソファに着地した。
「ここで少し休んでから、帰ろっかー」
「や…休め、ません…」
こんな、ドキドキしたままで、休まるわけが、ないのです……!そんな私の気持ちを知ってか知らずか、想楽さんはうーん、と考え込んで、私をおろした体制のまま、みしりと音を立てて私の顔を見下ろす。
「うーん、じゃあねー……」
そしてそのまま私の顔を覗き込むようにして近付いてきて、鼻先の触れる距離でニコッと笑って、それから――…。
「ん……」
唇が、重なった。
「……おやすみのちゅーとかしたら、少しは眠れるー?」
余計眠れません、と真っ赤になった私の上に、想楽さんがそのまま覆いかぶさるようにして体を重ねてくる。
「じゃあ、掛け布団になるねー」
「く、苦しくて、余計、休めません…っ!」
そっかーと心底面白そうに笑う想楽さんの体がゆっくり離れて、やっと元気出てきたねー、と立ち上がる。これならもう帰れるかなー?と手を引く想楽さんに促されて、私はなんとか立ち上がる。
「家まで送るよー」
いつの間にまとめたんだろう、私の荷物を手にした想楽さんが耳元で囁く。
「お姫様抱っこ、ちょっとはドキドキしたー?」
おうちまでは流石に無理だけどねー、とからかうように私を見つめる想楽さんに手を引かれて、私は事務所を後にした。ドキドキしたに決まってます、と呟く私の隣で、よかったー、とため息をつく想楽さんの優しい温もりが、繋いだ手からじわじわと伝わってくる。歩きながらあくびをする私にニッコリ微笑んで、想楽さんはとんでもないことを言う。
「…ちゃんとしたおやすみのちゅーは、おうちについたらねー」
…目は、一気に覚めた。