@raixxx_3am
ほんの短いあいだ、ささやかな夢を見ていた気がした。
目を覚ました瞬間にかき消えてしまうような、やわらかに吹き抜けていく風のようにはかない夢を。
軋む身体をゆっくりと慎重に起こし、重く塞がったまぶたを押し開く。
ピントのぼやけた視界にゆっくりと浮かび上がってくるのは、ぴったりと寄り添うようにして体温を分け与えてくれながら安らかな眠りに就く恋人の姿だ。
「おはよ」
喉の奥だけでそう呟いて、すこし汗ばんで額に張り付いた前髪をさらう。
すうすう寝息を立てる姿は子どもみたいに無防備で、もうとっくに見慣れてるそのはずなのにちっともあきない。
――こんな瞬間が『あたりまえ』になっていることが、いまでもまだ不思議だ。
出来るだけ物音を立てないように気遣いながら身支度を済ませたところで、冷蔵庫のドアを開ける。しまった。きのうの晩に最後のひとつの卵を使い切ったのを忘れていた。それに、トーストも切れている。
なにか買いに行こうか、おとなしく寝てるうちに。
そう思い立ったところで、椅子にかけたままの財布だけ入ったポーチへと伸ばした手を止める。
聞いてからにしよう、取り残されたなんて思わせたくないから。――いつか、忍がそうしてくれたみたいに。
「……忍、」
ゆるく身じろぎをしながら、子どものように安心しきった様子で眠りに就くむぼうびな姿をぼんやりと眺める。
あんなにむやみに傷つけて、不安にばかりさせてきたのに。
いまだって『変われた』自信なんてすこしもないのに。
なんでこんなにも穏やかな顔で、こうしてそばに居続けてくれるんだろう。
胸を詰まらせるような息苦しさと共に、いとおしさとしか言いようのない思いがひたひたと募るのにただ身をまかせる。
いびつに震える身体の芯で、ぐらりと過ぎ去ったはずの熱がわずかに揺らめく。
らんぼうなくらいぎゅうぎゅうきつく抱きしめて、縋り付くみたいにきつく腕を回されて――すこしも隙間が出来ないように重なり合って充たし、充たされている時間になによりも安心する。
そうしている間なら、幾重にも重なった迷いが振り切れる気がするから。
――なんて情けなくて、みっともない。
それでも、そんなどうしようもない弱さすら受け止めて愛してくれているのを、周だけが誰よりも確かに知っている。
抱き合うたび、求められているとそう信じさせてくれるたび、折り重なりあい、幾重にももつれた感情がたちまちにほどけて、あたたかなものだけが空っぽの胸の内を満たしていくのを感じる。
見せられるはずなんてないと思ったものみな――初めからぼろぼろに欠けていたメッキのすべてが、忍の前でならいつしかあんなにもあっけなく剥がれ落とされてしまっていた。
ひび割れた心の隙間そのすべては、忍が手渡してくれた想いのひとつひとつで満たされている。
こんな感情に出会えるだなんて、思ってもみなかった。
大切にしなくちゃ。
おだやかに寝息を立てる姿を見つめたまま、ただそう思う。
なによりも確かなたったひとつのものをくれるのは、いつだって忍だから。
こんなおろかな願いをすべて受け止めて応えてくれるのを、ちゃんと知っているから。
目を覚ましたらちゃんと伝えよう。さっきも言ったばかりの「おはよう」と、その続きを。
おはよう、忍。
きょうはこれからどうする? どうしたい?
答えるかわりみたいに、ぎこちなく身じろぎをしてみせる姿を目を凝らすようにしてじっと眺める。
もうすぐきっと、目を覚ましてくれる。いまここにある、なによりも確かなものを分かち合うために。