@toasdm
「へぁっ!?」
バツン、といきなり暗くなる事務所に、自分の情けない声が響く。目の前のモニタとパソコンがブラックアウトして、ドアの上の非常灯、緑が淡く光っている。こまめに保存しておいたから仕事に影響はないだろうけど、でも、突然のことに頭は軽くパニックになる。
「停電か…?」
ギシ、と革張りのソファが音を立てて、雨彦さんの声と気配が近付いてくる。お前さん、スマホあるだろう、と声をかけられて、そこで私は少し冷静になった。電源を入れてライトをオンにすると、心もとないながらも眩い光がデスクの周りを照らしてくれて、私ははぁ、とため息をついた。
「ああ、停電じゃなさそうだな。外はついてるぜ」
ブラインドの隙間から外を覗いた雨彦さんは街灯を指差して、外の明かりを教えてくれる。でも、だったら事務所だけが…?とまた少し混乱した私の隣に、雨彦さんがすっと寄ってきて、こいつか、と一枚の紙を山村君のデスクから持ってきた。
「電気設備点検のお知らせ…?」
「この時期よくあるだろう、こんな夜中にやってくれるのは珍しいがな」
でも、こんなお知らせ初耳です、といったそばから私は、心の中で山村君に悪態をついていた。こんなことなら今日は早めに切り上げて、残業もしないでおうちに帰ったのに。怖がる私の頭を撫でながら、雨彦さんは後ろにまわって私を背中からぎゅっと抱きしめてくれる。
「まったくだ…俺がいなかったらお前さん、一人でこんなに震えてたんだろうからな」
言われて初めて、自分が少し震えていることに気付く。怖いか、と優しい声が耳元に響く。……怖いか怖くないかでいえば、少し怖い。真っ暗な事務所の中、ぽつんと光るスマートフォンのライトと非常灯だけの、暗い怖い静かな夜。抱きしめられた腕に掴まるようにして、私は雨彦さんに縋った。
「ビル全体の設備点検なら、三十分もしないうちに終わるだろうさ」
作業中のパソコンは大丈夫だったかい?と仕事の心配もしてくれながら、雨彦さんは私の頭に顎を乗せている。あたたかさが連れてきたほっとする気持ちが、私の震えを少しずつ、落ち着けるようになだめていく。大丈夫です、と答えると、雨彦さんはほっとため息をついてから頭を離して、ゆっくりと私の頭を撫でてくれた。
「安心しな。俺がついてるさ、怖くないだろう?」
「は、はい……」
震えが徐々に収まってきて、私はようやく人心地ついた気分になる。残業で遅くなるなら送るぜ、と残ってくれた雨彦さんがいてくれたのは、不幸中の幸いだ。山村君にはあとで文句をいってやろう、と決めて、私は雨彦さんの方を振り向いた。
「ん?どうした」
「…いえ、あの…このままじゃ、仕事もできませんし……」
きっと、暗くて怖くて心細いから、なんだと思う。急な停電のせいにして、私は少しだけわがままを言う。
「キス、したいなぁ、って……」
「仕事中は邪魔しないで大人しくしてろって言ったのはお前さんの方だろう?」
意地悪そうに笑う雨彦さんの顔が、淡い光に照らされて目の前にある。意地悪しないでください、と少し膨れた私の頬に、雨彦さんは軽く唇を寄せてくれた。…そう、だけど、そうじゃない…。もやもやとしながらも恥ずかしくてなかなか言い出せない私を笑いながら、雨彦さんは暗闇の中、私の唇にそっとキスを落としてくれた。その瞬間、一瞬にして事務所の明かりが復旧する。ピッ、とパソコンの起動音。ガコッ、とプリンタの駆動音。一気に明るくなった事務所の中で、目の前の雨彦さんの顔がはっきりと、見える。
「うわ恥ずかしい!」
「お前さんなあ」
用が済んだらもうそれかい?と、突き放された体を揺らして笑いながら、雨彦さんはデスクに手をついて顔を近づけてくる。
「いいぜ、恥ずかしがりな。…その顔も、俺は好きだからな」
「ん、んっ…!?」
すっかり明るくなった事務所の中で、雨彦さんはもう一度キスをする。きっと、顔をじっと見ているんだろうな、と閉じた瞼の向こう側、雨彦さんの視線を感じながら私は心の中で呟いた。
雨彦さんの、意地悪。
私の背後で、モニタの明かりがパッとついた気配がした。キスが終わる気配は、まだなかった。