@toasdm
月の綺麗な夜だ。濃紺の空に煌々と、丸い月が浮かんでいる。酔い覚ましには丁度いい春の風が頬を撫でる感触と月明かりに、私は目を細める。賑やかな宴の余韻が残る繁華街の電飾さえなければ、もっと明るく見えただろうか。山下くんも舞田くんも、上機嫌になっている。いつもなら山下くんの家で打ち上げなどをするのだが、今日に限っては珍しい人が参加する事になった為、久し振りの宅飲み以外の飲み会となった。その珍しい人は今、私の目の前で笑いながら山下くんに絡んでいるのだが。
「次郎さんは酔っ払っても次郎さんなんですねぇーーー」
「んー?そーだよぉ?プロデューサーちゃんは酔っ払うと吹っ切れちゃうタイプなんだねぇ」
そーなんですよぉ、と言いながら言葉でも体でも文字通り【絡んでいる】彼女には、恐らく危機感はないだろう。あんな風にされてはいくら山下くんとはいえ、邪な思いを抱かずにはいられないのではないか、と私は思う。下戸というほどではないにせよ、そこまでアルコールに強いわけでもない彼女があまりにも楽しそうに飲んでいたから止められなかったとはいえ、気付いていたのなら私も合間合間に水でも飲ませればよかったのではないだろうか。後悔したところで状況は変わるわけでもなく、ましてや、そこに自分の下心がなかったとは言い切れない後ろめたさがあるともなれば、泥酔した彼女に声をかけることも憚られてしまう。
「あーはっざまさぁん酔っ払ってますーーー?」
「程よく、といったところだろうか」
だからこうして、彼女が私の背中に抱きついてきてくれた事については感謝しかない。山下くんと舞田くんは隣同士だから自然と固まって歩き、私はいわば役得のような形で彼女を背負ったまま彼らに声をかける。
「プロデューサーは私が送って行く」
「あー、じゃあお願いしちゃおっか」
「Wow!送り狼にはならなさそう!」
手を振って彼らと別れた私は、去り際の舞田くんの言葉を反芻する。――送り狼、か。なるほど、今まさに私がしようとしていることだ。相変わらず私の背中に抱きついたままふわふわと、とりとめもないことを呟いて勝手に笑っている君を、今夜私は狼になって食べようとしているのだから。
「プロデューサー」
「んぅえーーい、はいはいー」
「わかりやすい程に泥酔しているな。…ではこちらも、わかりやすくいこう」
背中から前に回された腕にそっと自分の腕を重ねて、アルコールで熱くなった肌に優しく触れる。少しだけ、ほんの少しだけ背中に張り付いた君の体がびくりとなったのを、私は見逃さなかった。…最も、先ほどから背中に押し当てられている柔らかさの方に意識が向いてしまっているのだから、見逃すも何もないのだが。
「流石に今の君を一人で帰らせる訳にはいかない。送って行く」
「あーーありがとうございますーーー」
ふわふわとした口調のまま、しがみつく腕の力をさらに強めた君を、私はできるだけわかりやすく、至って冷静に理知的に絡めとっていく。
「ただし――送るのは君の家ではない。私の家だ」
「はざまさんのー?」
そうだ、と答えながら私は退路を立っていく。退路を立たれているのは、君であり、私だ。抱きついてきた腕を引き剥がし、私は彼女の方へと向き直り、とろんとした目で私を見上げる顔を覗き込んで言う。
「この意味がわからない程、君も子供ではないだろう?」
「んーーー…?」
「こんな往来で私に抱きついても平気でいられるまで酔っ払うほど酒が飲めるのだから、子供ではないだろう」
じりじりと、心の距離を詰めていく。もう君に、逃げ場などない。冷静な判断能力もそうだ。私を見上げる表情に少し変化が現れて、どうやら私の言葉の意味は理解できているようだ。ならば、あと一押し。
「君も私も大人だ。大人の男女が一晩同じ部屋で過ごすという意味がわからない、などと言わせるつもりはない」
「は…ざま、さん……?」
向き直ったまま、私は彼女を腕の中に閉じ込める。先ほどまで背中で感じていた君の柔らかさが胸の下にあたり、その奥から鼓動が伝わってくる。……恐らくは、私の鼓動も、そうなのだろう。もう隠す必要などどこにもない。最後の一手は、既に私の手の中にあるのだから。
「……ついてきなさい。私の家につくまでは優しくしよう」
耳元でそっと囁くと君の手が私の背中にまわされて、背広をぎゅ、っと掴んで抱きつく。……答えと覚悟は、決まったようだ。彼女を腕から解放して手を差し出すと、おずおずとそれを取って指を絡めて握り返してくる。
「…家についてからも、優しくしてくださいね」
「……善処はしよう」
その言葉に、嘘偽りはなかった。繁華街に背を向けて濃紺の空に浮かぶ月の光を浴びながら、満月の下、私は狼になった。