@toasdm
いつも飄々としていてつかみどころがない、と思っていた雨彦さんの意外なところはたくさん見つけたけれども、一緒に暮らし始めて気がついたのは、彼は意外と定番のシチュエーションが好き、というか――ベタに弱い、というところだ。意外すぎて最初はなかなか気がつかなかったけれども。
例えば「いってらっしゃい」と送り出す時にキスをすると、ん、と頬にキスのお返しが降ってきて、いってくる、とこちらに背を向けてひらひらと右手を振る所作が、格好いいなと思っていたけど実はそれが照れ隠しだったと気付いた時。ちらっと見えた横顔と耳が少しだけ赤くなっていて、あ、もしかして、と思った瞬間。私の中に積み上げられた雨彦さんへの好きの気持ちが一気に爆発して、その大きな背中に飛びつくようにして抱きついてしまった。
「雨彦さん、もしかしてこういうベタなの好きなんですか?」
「……さあ、な」
口元を隠していた大きな手の隙間からにやけて上がる口角が見えて、もう行くぜ、と逃げるようにして家を出た雨彦さんの態度から、私はそれを確信した。回した腕をぽんぽん、と叩いてくれた手の温もりを抱きしめながら、私はあの時玄関で、しゃがみこんで愛しさに震えた。そんなのずるい、絶対ずるい、格好いいのに可愛いとか、本当にずるい、と。
だからきっと、今疲れてぐっすり眠っている雨彦さんを、ベタな起こし方で起こしてあげたら、喜ぶんじゃないかな?と思ってしまうのは、仕方がないと思う。悪戯心と大好きの気持ちがないまぜになった朝のたくらみに、私はにんまりと笑ってしまう。着替えてエプロンを身につけて、そろりと忍び足で近付いたベッドの中、柔らかな朝の光に包まれた雨彦さんは穏やかな寝息を立てている。…といっても、狸寝入りの可能性は十分にある。慎重に近付いてベッドにそっと腰掛けて、私は雨彦さんの広い肩をぽんぽん、と叩いて声をかけた。
「あなた、起きて。ねえ、もう朝よ」
「んっふ……ん…」
あ。今ちょっと笑った、っていうか、吹いた?もしかしたら刺さってるのかな?とにやける私はそのままもう一度、雨彦さんの奥さんになりきって起こしてみる。っていうか多分、最初から起きてた?
「もう、お寝坊さんしないで、ほら…朝ごはん冷めちゃいますよ?」
「んー……」
私の方に背中を向けるように寝返りを打った雨彦さんは、絶対絶対、にやけてる。二人分のにやにやが満ちた朝のベッドの寸劇は、なんだかとってもくすぐったい。
「ねえ、あなたー」
「んん……もう少し、あと五分、寝かせてくれないか…」
返しもベタだー!と私は思わず吹きだして、起きてくださいーと肩をゆする。笑っている私の肩もゆれているけれど。
「昨日の晩、頑張り過ぎたんだ…」
「え、うぁ、ちょ、昨日なんにもしなかっ――」
突如ぐるりと体を反してベッドに腰掛けた私の腕を、強い力でぐっと引き寄せた雨彦さんの腕の中、いつの間にか私は抱きすくめられている。
「そうかい?じゃあこれからするかい?」
「な、何、言っ――…!」
そしてそのままキスをして、雨彦さんはゆっくりと目を開けて私を見つめている。ドキドキしすぎて頭がどうにかなりそうな視線の交わりに、時間も呼吸も止まってしまったようになる。ゆっくりと顔が離れて、まだ眠たそうな雨彦さんがニッ、と笑っている。
「ベタなら、ここまでやらないと、な?」
お前さんも好きなんだろう?と抱きしめられた耳元に囁かれて、そういえば、と気がついた。そうだ、そういえば、私もこんな、ベタな幸せが大好きなんだ。今の今まで気がつかなかったけれども、私も大概、ベタが好きだ。
「嬉しそうなお前さんを見ていると、悪くない、なんて思ったのさ」
「うぁぁ……」
ベタもいいもんだろう?と私を抱きしめる雨彦さんから、温もりと優しさを纏った朝の匂いが立ち込める。抱え込まれた頭を優しく撫でる雨彦さんの手が、ぽん、と私の頭を軽く叩いて、さて、起きるか、と身を起こしてから私の手を引き、立たせてくれた。
「朝飯、冷めちまうんだろう?」
寝室を出る雨彦さんの、ちらりと見えた横顔と耳は、ほんのり赤く染まっていた。