[葛之葉雨彦]
「はは、お前さん、まだ眠たそうな顔をしているじゃないか…可愛い、な」
寝起きに突拍子も無いことを言うPさんと、それの更に上回る突拍子も無いことを言う雨彦さんの甘々過ぎる朝のお話です。
@toasdm
普段は割としっかりしている彼女が突拍子もないことを言う時は、たいてい彼女が疲れているか暇を持て余しているか、どちらかだと雨彦は思っていた。今回はそのどちらにも該当しない。久々の連休で心身ともに疲れは残っていないはずだし、今日はどこかへでかけるか、などと昨夜寝る前に話していたから、暇を持て余しているとも言えない。優しく抱きしめながら愛おしさを噛み締めて、彼女が目覚めるのを待っていた雨彦の腕枕の中で、ぱちり、と目を覚ました彼女の開口一番に、雨彦は困惑している。
「お前さん、寝ぼけているのかい?」
「んぅぅ…眠たい、には、眠たいですけど…」
眠い目をこするなら俺の胸板じゃなくて自分の手にしてくれないか、と苦笑しながら雨彦は、自分の胸板にすりつけられた彼女の頭を抱えるようにして撫で、先ほどの彼女の言葉を頭の中で反芻する。今朝、おはようよりも先に彼女の口から出てきた言葉は「雨彦さんのわがままを聞きたいです」だった。
「わがまま、か……」
何か妙な夢でも見たのだろうか、と雨彦は思案する。まだ眠たそうな彼女はうつらうつらとしながらも、額を雨彦の肩口に押し当ててむにゃむにゃ何事か呟いている。ん?と抱き寄せた頭をぽんぽんと軽く叩いてやれば、また寝ちゃうからやめてよー、といやいやをするようにかぶりを振っている。
「はは、お前さん、まだ眠たそうな顔をしているじゃないか…可愛い、な」
「そーじゃないのにぃ……」
何がそうじゃないのか、やはり雨彦には思い当たる節もなく、降参だ、と彼女の顔を手でそっと支え持つようにして自分の方へと向けさせた。
「お前さん、なんだって急にそんなことを言い出したんだ。妙な夢でも見たのかい?」
「んんー……幸せだからですー…」
なるほどそうきたか。わからん、と混乱する雨彦を他所に、彼女はぼんやりした顔で雨彦を見上げて、幸せー、と繰り返してへにゃりと目尻を下げている。
「寝る前もー……朝起きてからもー……いっちばん、だぁい好きな人がとなりにいてねー……」
もぞもぞ、と雨彦に体を擦り寄せて、心底安心しきった顔で彼女は雨彦の背中に手を回す。ぴたりと密着する素肌が気だるい朝の香りと温度で彼女を迎え入れて包み、ほぅ、とため息すら幸福感に満ちていて、彼女の言葉が真実であると裏付けている。こいつには敵う気がしない、と苦笑する雨彦がまた強く彼女を抱きしめて、それから?と続きを促す。
「こんな幸せなら、きっと私、なにかいいことしないと、いけないかなぁ、って…いつも私ばっかり、わがまま言ってるから……たまには雨彦さんも」
もう一度雨彦の胸板に顔を擦り付けて、寝起きのぼやけた表情に幸せの色をぱっと広げて笑う彼女は、雨彦さん、と愛しいその名を口にする。
「雨彦さんのわがままも、ききたい……」
愛おしさで胸が爆ぜる気がした。柔らかな朝の光が縁取る彼女の頬の輪郭の丸み、そこにかかる髪の毛の一筋まで、全てが雨彦にとっては愛おしい。そんな可愛いわがままがあるものか、と目を細めた雨彦をきょとんと見つめる視線も、甘えたようにしがみついてくる腕も体もなにもかも、雨彦はすっかり彼女に骨抜きにされてしまっている。お前さんには敵う気がしないな、と唇を重ねあって温もりを分かち合う。触れたそこから胸にまっすぐ、愛情がじわりと伝わるくすぐったさにどちらからともなく漏れた笑いが漂う朝のベッドルームで、雨彦はため息混じりに観念した。
「参ったな…わがままは、聞いてやる方が慣れてるんだがな。お前さんの、たっての望みとあれば仕方がない。今日は一日、お前さんにわがままを言い続けてやるとするさ」
「ふふふっ!なんか、変なの」
ベッドの上に身を起こし、雨彦はうんと伸びをして朝を胸に吸い込んだ。ほら起きろ、と彼女の手を引き胸に抱き寄せると、雨彦は笑いながら彼女に囁く。
「そうだな、まずは朝飯にしよう。それから着替えて出かけて、どこかで昼でも食って買い物をして、帰ってきたら一緒に飯でも作ろうか」
「んー、それ、いつもと変わらない」
ふっ、と息を吐いて雨彦は、それでいい、と彼女の肩に手を置いて、じっと瞳を覗き込む。
「それを、毎日してくれないか。――これから先、一生」
「いっ、しょう……?」
ああ、と目を閉じて微笑んで、それからゆっくり目を開ける。雨彦の瞳は真摯に彼女を見つめる。
「一生、俺のそばで、そんな風に笑うお前さんを見ていたい。…それが、俺の一つ目のわがまま、ってとこさ」
ひゅ、と小さく息をのむ彼女を抱きしめてまた、雨彦は耳元で繰り返す。
「俺のそばで、一生。俺のわがまま、聞いてくれるんだろう?」
「ふ…ぇ、あ……ふ、二つ目、は…………?」
幸せで胸がはち切れそうな彼女の頭を優しく撫でて、雨彦はまた、参ったな、と苦笑する。
「考えてなかった」
「えぇ?!」
まあいいだろう、とベッドから立ち上がり、雨彦はカーテンを開ける。
「どうせ、一生そばにいる。わがままを言う機会なんてこれから先いくらでもあるさ」
そんなプロポーズ聞いたことありません、とベッドで叫ぶ彼女に、雨彦は笑いながら、腹が減ったと朝食を催促する。朝のメニューはお前さんの好きにしてくれ、とキッチンに向かう雨彦の背中を追いかけて、彼女はベッドから這い出した。雨彦のわがままは、恐らく一生、そんな優しい雰囲気なのだろう、と半ば諦めにも似た覚悟で彼女は、早くわがまま言ってください、と雨彦の背中に飛びついた。二つ目のわがままは、なかなか雨彦からは引き出せなかった。