@toasdm
へぇ、今日ってキスの日なんだ。休憩中、コーヒーを片手にスマホのニュースサイトを眺めていた私の目に飛び込んできた『キスの日』の文字。調べてみたら、日本で初めて、キスシーンのある映画が封切られた日だとか、なんだとか。
「へぇ、キスの日かい?」
「……葛之葉さんここ、事務所です」
気配なく近付いてくるのにも慣れてきたくらい、付き合うようになってからそれなりに日の経った私達ではあるものの、立場上隠し通す必要があるので、仕事中の接触はご法度だ。
「仕事とプライベートはしっかり分けてください」
「つれないなぁ」
喉奥を鳴らしてくつくつ笑い、雨彦さんは大人しく私の背中から離れて隣に座る。誰もいないからいいだろう、なんていう甘い考えは捨てなければいけない。仕事は仕事、ときっちり線を引かなければ。咳払いをして私は、葛之葉さん、と呼びかける。
「今日はこのあとレッスンの予定が入っていますが」
「ああ、レッスンの後は夕方からドラマの打ち合わせだったな」
「はい、打ち合わせといっても顔合わせ程度ですし、そこまでかからないと思いますよ」
「なるほどな……わかった、そうしよう」
「はい、お願いいたします」
全てを言わなくても雨彦さんは、今日の夕飯は私の家で、という私の意志を汲み取ってくれた。こういう聡いところは本当に、助かる。…そういうところも含めて、好きなんだけどね。
打ち合わせを終えて事務所に戻らず直帰する連絡を入れて、私の運転で家へと向かう。あまり疲れた様子のない雨彦さんは、信号待ちのちょっとした隙にハンドルを握る私の手をとり、指先にちゅっ、とキスをする。
「雨彦さん今、運転中です」
「少しくらいいいじゃないか、こっちは昼からずっとお預けなんだぜ?」
「運転に集中できなくなります、んっ…あ、雨彦さん、聞いてますかっ?!」
「あァ……聞き流してるぜ」
聞き流さないでください、とつかまれた手首をくるっと返して、前を向いたまま雨彦さんの太ももを軽くつねる。痛い痛いと笑う雨彦さんを乗せた車はもうすぐ我が家に到着する。
軽いながらも手作りの、愛情を込めた夕飯を振舞って一息ついた私達は、ソファの上でゆっくりと、やっと恋人に戻る。肩を抱かれて引き寄せられて、触れ合う温もりを分け合うこの時間が、私にとっては何物にも変えがたい大事な時間だ。肩に回された大きな手で顎をとらえて、雨彦さんは私の顔を自分の方へと向けさせる。
「今日はキスの日、なんだろう?」
「ん……っふ、ぁ…」
「ずっとしたかった」
「んっ…ふふ、私も、です…ぁ、んっ」
ちゅ、ちゅ、と角度を変えて何度も繰り返し、唇を合わせて雨彦さんは嬉しそうに切なそうにそう呟いた。ずっとしたかった、なら私だって一緒だ。徐々に深くなるキス、舌にくすぐられた口の中から喉の奥まで全部、私の中身はすっかり雨彦さんでいっぱいになっていく。
「いい顔だ……」
「雨彦さんだって……ふふ、いい、表情ですよ……あ、そういえば今日の打ち合わんんっ!?」
まだ終わってない、といわんばかりに私の唇を塞ぐ雨彦さんに邪魔をされてしまったけれども、私としてはまだもう少し、なんというか、今日の打ち合わせを振り返りたい。あっさりと離れた雨彦さんに内心首をかしげながらも、私は話を続ける。
「ん…ええと、今日の打ち合わせで少んんんっ?!」
そしてまた塞がれる。いつも反射的に閉じてしまう目をうっすら開けてみると、目の前の雨彦さんは少し楽しそうな、挑発的な目をしている。……も、もしかして……。
「は、はぁ、ちょ、ちょっと雨彦さん!お話の腰を折らないでください」
「お前さん、ここは家だぜ?」
……やっぱり!意趣返しだ!!多分そうだと思ってたけど!!
「お前さんが言ったんじゃないか、仕事とプライベートはしっかり分けてください、ってな」
「んっ、ふ……ぁ、雨彦さ、んっっっ」
「…………今はプライベートタイムだろう?仕事の話を持ち込むなよ」
俺だけ見てな、と耳元で囁いて、雨彦さんはいっそうキスを深くする。キスの日らしいことをしようじゃないか、と笑って私を組み敷いた雨彦さんは、いつもと同じ毎日を唇ひとつで塗り替えていく。ああ、この人には敵わないな、と苦笑しながら、残り少ないキスの日時間をゆっくりと味わうように、私達は舌を絡めあった。きっと、それだけじゃ、終わらないかもしれないけれども。