人非人の殻・親展

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2018-05-26 09:24:43

『せわしない奴め』
人非人の殻のちょっとした短編です。

※注意※
こちらの話は『人非人の殻:深打』に関する短編です。
本編のネタバレがありますのでご注意を。

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*お知らせ
この話はタテで読めます。
ヨコが苦手な方はこちらからどうぞ!
https://yakumobooks.com/book/read?b=10075&t=cover

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 ――子供は怪我をする生き物だ。

 そんな文章をいつ読んだかはもう思い出せないが確かにその通りだと思い知った時期があり、その時期こそ私があの村で教師を勤めていた頃だ。
 子供――つまり生徒はいつの間にか、若しくは目を離した途端に有りがちな方法で思いがけない様な怪我をする。擦り傷はしょっちゅうで時には捻挫に打撲、そして切り傷を繰り返す。
 そのお蔭で教師になってから早三ヶ月程で粗方の応急手当が出来る様になった。当時の私はそれが良い事なのか悪い事なのか判別を付けられずに若干複雑な心境で居た事を覚えている。
 勿論応急手当ではどうにもならない怪我もある。その場合は私が生徒をおぶり、学校から降った場所にある村医師の元まで走った。そこで的確な手当てをしてもらうと、深刻な時は隣村の医院まで医師が駆け、そうでない場合は、医師の目付きや威圧的な発言、消毒液の痛みに生徒が逃げた。
 そんな医師ではあるがその手腕は本物であり生徒の身体的な特徴は勿論の事、精神面や家庭環境を鑑みた手当をした。迅速かつ丁寧で抜け目無いその手際はつい目で追ってしまうものがあり、それが私の応急手当の技量を上げた要因のひとつと云っても過言ではなかった。また、威圧的な物云いこそすれど生徒を貶める発言は一度もした事は無く、現在においてもそれは続いている。

 その手腕に二度掛かった事がある。
 一つは差し控えるがもう一つは特に変哲も何も無いものだ。ただ単に、酷い擦り傷をしただけなのだが私は何故かそれを覚え続けている。時折思い出しては傷跡も何も残っていない左腕を擦る時が何回かあった。

 ある六月の昼放課。
 学校近くの川岸で生徒が滑って擦り傷を負った。生徒の金切声で仮眠から目覚めた私はすぐさまその場へ駆け込んだが、学校と川岸の間に妙な段差ががある事を忘れてしまい思い切り滑り落ちた。
「せんせが落ちたぁ」
「落ちよった!」
 この様子が面白かったのか、騒いでいた生徒も擦り傷を負った生徒本人も先程までの事故が無かったように私の周りを取り囲みああだこうだとはしゃぎ始める。なんだ元気だったと胸を撫で下ろしながらも、生徒の擦り傷を見てみれば中々のものだったのでいつもの通り医師の元へ走った。
 消毒液による悲鳴が上がった数分後。半泣き状態の生徒を連れて帰ろうとし礼をすれば、
「後の授業は教頭の担当だろう、お前は残れ。何、怪我人はガヤが送るだろう」
 と窓からこちらを盗み見る生徒数人を睨む目線に何かしらの意図があったので大人しく独りで残った。月一の精算が足りなかったか、健康診断の時期でも早めるのだろうかと考えていれば左腕を指差される。
「擦り傷を診せろ」
 はとして泥だらけのたすきを捲れば思った以上の出血が裏面をべったり染めていた為にすっとんきょうな声を上げる事になった。医師は眉間に皺を寄せながら「せわしない奴め」と溜め息を吐いた。

 左腕を一閃する様に出来ていた深い擦り傷は、即刻たすきごと冷水で洗われ、石や砂をピンセットで取り除かれた後に、消毒液で深茶色に塗り替えられた。ひりつくような痛みをじいと我慢し傷口を乾燥させる最中、この痛みが久し振りだった事を思い出した。
 年齢を重ねる毎に掠り傷や擦り傷とは縁遠くなった。物を上手く扱い、転ぶ事は殆ど無い。それは大人になったという訳だろうかと、簡単な単語、明確な線引きを考え出してしまい少し唸ると
「其れほどの痛みでも在るまいに」
 と横から皮肉が降ってきた。お互いに座っていても医師の声は常に頭上から聞こえる。私が下から声を向けるのは普通の事だった。
――いいえ、少し考え事を」
 そうして話してみれば「確かに大人という単語は稚拙だ」という判定を貰った後に医師は云った。
「ただ単に身体の扱い方を知っただけだ。成長と試行錯誤、経験の蓄積とが人を危機から遠ざける。生徒らは試行錯誤中で――そうだな、"体で覚える"というやつか」
 学ばん奴は一生学ばんがな、と眉を潜めながら付け加えると、医師は煙草を吸い始めた。私は医師の言葉を頭の中で反芻させるとぽつりと呟いた。
「先生にとって、学ばない人が多い方が職業的に有利ではないのですか」
 彼は即答した。
「全くもって有利ではない」
 灰を落とし切った煙草がぐしゃりと捻られる。
「そんな輩に阻害されては医術が発達する時間が無くなる。身体の扱いが下手な事より、身体の外から来るものの方がよっぽど恐ろしい事を、そしてそれを防ぐ為に医師という職業がある事をお前は知った方が良い」
 思慮の無さを指摘する様な云い方に、何も感じないと云えば嘘になるが正論なので閉口せざるを得なかった。静かな私に医師は勝ち誇る訳でも憤慨する訳でも無く、また新しい煙草を吸い始めた。

 一度目の診察は以上であり、以後は傷口の様子を見ては膿を取り除いたり再度消毒液を塗り直したりという手当を施された。手厚い診察に三週間後にはほぼ治り掛けた左腕があった。
 その診察の合間には特に意味のある会話は無く、消毒液が乾くまで私はうつらうつらと船を漕ぎ、医師は煙草を吸っていた。しかしその三週間の間に、生徒を連れ出したり村の噂話を聴くにつれ気付いた事があった。医師は患者を診ている際には煙草を吸う事は無い、と。
 私は患者ではなかったのだろうか。
 そんな疑問が沸き、愚直にも私は最後の診察の際にそう質問をした。
「案ずるな、お前も立派な患者だ」
 と医師は訝しげな目付きをしつつもそう答えた。煙草について触れれば「吸いたかっただけだ」と追求も何も出来ない返しが来てそれきりとなった。

 以上が擦り傷に関する話ではある。特に何があるわけでも無いが診察の中で傷を丁寧になぞる指の感覚や体温、薬品を選り分ける視線。六月の若草や日の光に漂う煙草の匂いを良く覚えており、それを思い出す度に不意に眠くなる。
 思えばあの時期は酷く忙しく睡眠もままならなかった。昼放課中に仮眠を取らなければ午後に疲れがよく残り授業をこなすのが辛かった。その為、擦り傷の診察時間は短さこそあれ確かな休憩時間になった。というより一度本気で寝た事があり医師を呆れさせた。
「せわしない奴め」
 眠気眼を擦る私を彼は紫煙を燻らせながらそう評した。その顔は常時のしかめっ面よりも幾分かやわらいで見えたのが今でも不思議に思う。

 彼が煙草を吸う動機は未だに知らない。


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医師は傷にすぐ気付く。

最近擦り傷をした記念に一本。
久々のかさぶたにテンションが上がりました。
捲っちゃいけないことは分かるのですが、
こう、捲りたいあの感じは押さえるのが、こう。


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