@toasdm
年がら年中、どこかの誰かが勝手に決めた記念日じゃないか、と笑う雨彦さんは、私の頭にポンと手を乗せてそのまま、顔を覗き込んでくる。
「記念日のせいにして、俺と何がしたいんだ、お前さんは」
「う…………その……」
今日は恋人の日なんだってー、と外回りの最中にどこかの誰かがニコニコしながら話していたそれを耳聡く拾って、私はすぐさまネットで検索をかける。ブラジルでは、縁結びの聖アントニウスの命日前日の六月十二日を「恋人の日」として大切に扱い、互いに写真立てに自分の写真を入れて贈り合う風習があるらしい。
雨彦さんの写真なら、たくさん持っている。その全てが仕事で使うものばかりだけれども、オフショットの写真もいくつか、あるにはある。今更写真が欲しいかと聞かれれば、まあ、欲しいといえば欲しいけど、欲しくて欲しくてたまらない、というほどではない。雨彦さんだってそうだと思う。スマートフォンのシークレット壁紙を私の寝顔にしていた事件は記憶に新しい。曲がりなりにもアイドルが、特定の女性の存在を匂わせるような不手際をしないでほしい、と仕事上注意はしたけれど、本当は、無茶苦茶恥ずかしかっただけだ。
「まさかとは思うがお前さん、特に要望はない、なんてことはないだろうな?」
「うぅぅ……」
はい図星。そうです私は特に何も考えてないです。ただ毎日を特別な人と過ごせるだけで満足してしまうような安上がりな女です。今日は二人ともこの後は時間もあるし明日はオフだし、このまま家でだらだらと過ごしているだけでも幸せです、満足です。はぁ、と困ったようなため息をついて、黙り込んだ私の頬に軽くキスをして、雨彦さんはさて、と私の手を取った。
「お前さんは恋人の日に、何をしたいと思うんだい?」
「恋人……恋人っていうくらいですから、こう……恋人っぽい、こと?」
「恋人っぽいこと、か……例えば?」
例えば。私の頭の引き出しにある恋人らしいことといったら、なんだろうか。恋人だからできること、恋人とだからしたいこと、恋人らしく見えること。
「恋人繋ぎ、とか」
「こうか」
指を絡ませてしっかりと、私の手を取る雨彦さんの手はがっしりとしていて、とても大きくて安定感がある。悔しいけれど、結構満足してしまっている。
「あとはなんだい?」
「え、えーと……思いつかない、です」
からからと笑う雨彦さんは、誰もいない駐車場の車の中でハンドルに突っ伏すようにして身を屈めた。
「結局何もないくせに、恋人の日だなんて言い出したってことかい?」
ぷるぷると笑いで肩を震わせて、雨彦さんはそのまま、顔だけをこちらに傾ける。笑いすぎて涙目になってるあたりが憎たらしい。
「いいじゃないか、何の日だろうと。毎日恋人気分で過ごそうぜ?」
「嬉しい、ですけどでも、なんというか……こう、特別感?」
特別ねぇ、といいながらニヤリとして、雨彦さんは腕を伸ばして、助手席の私の頭をぐい、と引き寄せる。目の前数センチにある雨彦さんの顔が、すごく、すごくなんというか。言葉がうまく見つからない。ドキドキする。
「お前さん、既に俺の特別だろう?」
射抜くような視線、かかる吐息、少し潤んだ切れ長の目と、すっと通った鼻筋と。車の中で時間がぴたりと止まったかのようで、息が出来ない。直視できない、と閉じた瞼の向こうで、またくすりと笑う声がする。
「俺は毎日、お前さんを特別な恋人だと思ってるぜ」
お前さんもそうだと嬉しいんだがな、と呟いた声に思わず目を開けた瞬間に、唇にそっと触れた温もり。……キスをしながら、瞳を合わせて。これが特別じゃなくて何が特別なんだろう、と。
「これは、恋人っぽいことに含まれそうかい?」
「……は、い」
そうかい、と満足気に笑う雨彦さんはふっ、と息を吐いて体を戻して、エンジンをかける。
「連れて行ってやるさ。欲のないお前さんを恋人らしく甘やかせそうな場所まで」
それはどこですか?と問いかける私にシートベルトを締めろよ、と笑いながら、ちら、とこっちを見た雨彦さんは、ウィンクしながらこう言った。
「俺の家さ」
車はゆっくりと、恋人たちを乗せて走り出した。