@toasdm
抜けるような空色のキャンバスに二筋の、白。ビル群に紛れて四角く歪に切り取られた都会の空にも、飛行機雲はまっすぐまっすぐ、描かれて、伸びていく。翼と二人で見上げた、梅雨の隙間の僅かな晴れ間に、ラッキーですね、と彼女は無邪気にはしゃいでいる。
「あーあれは、777かな?」
「え、機体の名前までわかるんですか?!」
流石は元パイロット、と感嘆の声を上げる彼女の隣、事務所の屋上で同じく空を見上げた翼は空を指して、二本あるでしょう?と続けた。
「エンジンの数で、できる飛行機雲の本数が変わるんです」
「へー……」
「747みたいなジャンボジェット機なら四本、767とか777なら二本できます」
懐かしいなぁ、と目を細める翼の横顔は、過去を乗り越えて今に立つ、凛とした力強さがあって、素直に格好いいと思えるような、そんな表情をしている。最高の景色は空でも地上でも見られますから、と彼女の方に向けた笑顔も、どきりとさせるような魅力がある。
「そういえば、飛行機雲ってなんなんですか?」
ジェットエンジンの排気ガス?と素朴な疑問を投げかけた彼女に、近いけど少し違うんですよ、と翼は青の世界に伸びた白を眺めながら説明を始めた。
「ほら、飛行機とか乗ると、外の気温とかがモニターに表示されたりするじゃないですか」
「あ、見たことあります!」
「何度くらいか覚えてます?」
「うーん、そこまでは……でも、びっくりするくらい寒かった気が……」
「はい! 飛行機が航行する高度一万メートルの世界だと、マイナス四十度くらいですね」
「マイナス四十度?!」
確か、北海道で記録された日本最低気温がそのくらいだったはずです、と、翼は驚く彼女に付け加えて、寒いですよね、と笑った。
「ジェットエンジンから噴出する排気ガスはだいたい三百度から六百度くらいで、それが冷やされて、あんな風に雲になるんですよ」
「わー……じゃあ、本当に雲なんですね」
「そうなんですよ、雲とおんなじなんです」
他に、主翼が巻き起こした空気の渦が冷やされても同じように飛行機雲になる、と淀みなく説明を続ける翼は、ふ、と隣の彼女に視線を移して、それから恥ずかしそうに頬をぽりぽりと掻いてから、あの、と意を決して彼女の手をぎゅ、と握った。
「え、あの」
「あの飛行機雲が、消えるまででいいんで」
繋いだ手をそのまま、翼は徐々に薄くなる飛行機雲を見つめてぽつりと呟いた。
「……消えるまで、こうして、手を繋いでても、いいですよね?」
誰かに見咎められでもしたら、という懸念は、無きにしも非ず。それでも、翼は空に吸い込まれて消えてしまいそうな気持ちを打ち明ける。
「こんな風に、恋人と手を繋いで飛行機雲を眺めてみたいな、って、思ったんです」
オレの小さなワガママです、と頬を染めて翼は、少し困ったように眉尻を下げて、ダメですか?と彼女をちらりと横目で見る。いつもこの表情に絆される、と半ば諦めの境地で彼女はそっと、優しく手を握り返した。
ふっ、ともれたため息はどこまでも優しく、青と白とが分ける空へと吸い込まれていくようだった。消えなかったらいいのに、と願いを口にした翼が、誰よりも、その飛行機雲が消えるまでの時間を把握していることは明白だというのに、その口調は本当に、心底穏やかで、純粋だった。
空はいつまでも、抜けるように青かった。