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『神様ゲーム』読後感想文

@oieueo
戯村影木 Ver28.0
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2014-07-27 09:48:02

 0

 神様ゲームを読んだ。
 1から3までは、僕の個人的な文章なので、読み飛ばされたし。
 4からざっとした『神様ゲーム』の概要。
 5からは、確信的なネタバレになる。
 注意されたし。

 1

 麻耶雄嵩著、『神様ゲーム』という本を読んだ。講談社ミステリーランドという、児童向けのミステリ小説として刊行された本。で、五年くらい経ってから、講談社ノベルスになった本。僕はそもそもこの麻耶雄嵩という作家の本を、そこまで熱狂的に読んでいるわけではなかった。というのも、漠然とした苦手意識というか(それは作家性や中身とは関係ないものだけれど)、「僕が熱狂的ファンになる作家ではないな」という意識があった。なんでかっていうと、いわゆる『古い作家』だから。
『古い作家』なんて言い方は、多分、いや、確実に失礼な言い方なのだけれど、この感覚は僕が小説を——しかも日本の作家の小説を読み始めたのが、高校生になってから、というところが大きい。その当時、僕は二千年以降に出版された本以外受け付けない体質だった。というか、信じてなかった。まるで歴史の一ページみたいなもんだ。「織田信長が」とか「真田幸村が」とか言うのと同じような感覚。いや、もうちょい行けば、「太宰治が」とか「芥川龍之介が」くらいのイメージか。とにかくもう、歴史上の人物に近い扱いだった。二千年以降に出版された小説の中には僕の琴線をガンガン刺激してくる本も当然あって、そういう本を書く作家たちのインタビュー記事なんかを読んでいる最中に、先輩作家(あるいは影響を受けた作家)の話なんかが出てくると、「おいおい、スゲェ歴史上の人物じゃん」くらいの印象しか受けていなかった。
 だから、麻耶雄嵩は過去の人——というか、少なくとも高校生当時の僕が感じた「古い人」だった。
 けれどそのうちに二千年以降に書かれた本ばかり読んでいると流石に在庫が尽きてくるし、いい加減面白いミステリが読みたいなという気もしていて、少し丸くなった僕が『名作』と名高い『十角館の殺人』を読んだあたりで、「ああ、名作は時代に左右されたりしないのだな」という気にもなった。まあ、僕が読書慣れしたというのもあるのだろうけれど。それを機に、そこら辺に現れた作家たちの本を貪るように読むようになって、大体同時期にデビューした麻耶雄嵩の『翼ある闇』という本を読むようになって、「なるほど、読めるわ」という思いを抱いた、程度に過ぎなかった。要するに、「シリーズ買い」をする程度で、「作家買い」には至らない作家の一人だった、ということなのだけれど。

 2

 ひょんなことからそんな麻耶雄嵩の名前をネット上で目にすることが多くなった。
 僕は前述した『翼ある闇』から始まる、メルカトル鮎という探偵が出てくるシリーズが好きで読んでいたので(いわゆるキャラ萌えで読んでいる)、その辺は追っていたのだけれど、残念ながら(というべきか当然ながらというべきか)他のシリーズ、あるいは他の単発作品には手を出していなかった。理由は単純に、『読む本が多すぎる』から。他にも名作と名高い本は多くあるし、好きな作家もいれば、神と崇めている作家も多くいる。平均して、一週間に三冊は読んでいるし、どれだけ本を読んでいない時期でも読んでいる(多い日は、一日に二冊くらい読んでいる)ので、とにかく手が回らない。なので、麻耶雄嵩の本は、あんまり意識していなかった。
 が、とにかく名前を目にすると読みたくなるのが読者心情であるし、自分が読んでいない本の名前が挙がっていると、「俺が読んでいないのは意味がわからない」という対抗意識というか、持ち前の扱いにくい本性が顔を出す。要するに、「お前らが読んでるものを俺が読んでないのは不公平だ」という、些か意味のわからない性根の腐った感傷ということだ。それが発揮されてしまったために、僕は『神様ゲーム』を読むことにした。本当の本当に、僕は麻耶雄嵩という作家は知っていても、狂信的ファンであったわけではないし(前述したメルカトル鮎シリーズのファンではある。というか、メルカトル鮎のファンだ)、作家の新刊も別段チェックしていなかったので、『神様ゲーム』という本の存在自体、知らなかった。いや、もし僕の記憶がきちんと整理されていて、記憶媒体として優秀なら、検索を掛ければ、高校生の時にこの本のことをインプットしていた可能性は非常に高い。何故なら、僕が敬愛する作家(綾辻行人、乙一、森博嗣)が、『ミステリーランド』に小説を書き下ろしていたからだ。で、当然僕はその三冊を買っていた。だから、「俺が知っていないのはおかしい」根性でミステリーランドの既刊を網羅していた可能性は非常に高く、麻耶雄嵩、ひいては『神様ゲーム』の存在を認識していても、何らおかしくはないのだ。
 ……まあ、話が逸れに逸れたけれど。
 とにかくその程度の認識だったのだ。が、来月(今これを書いているのは二○一四年、七月二十七日である)この『神様ゲーム』の続編にあたる本が出版されるらしいので、普段古本とか人からもらった本とか辞書とかを読んでいる僕が、「たまには昔のように、新刊を発売日に買うのも一興かもしれない。というか、僕が目にする範囲に属する人間が読んでいるのに僕がそれを読まないのはおかしい」と思ったので、『神様ゲーム』が偶然手に入ったということもあって、読むことにしたのだ。

 3

 単純な感想としては、面白かった。
 ……これではまるでバカの感想みたいだが。
 いや、面白かった。というか、僕が読後感想文みたいなものをしたためることは、ほぼない。僕の読書スタイルは、「効率の良い暇潰し」以外の何物でもない。例えば古本屋に行ってめぼしい掘り出し物を見つければ、実に三冊で百円なんていう値段設定のところも存在する。要は投げ売りだ。大抵そういう本は面白くなかったり、逆におもしろすぎて売れすぎて、売りに出されることが多いという側面はあるのだけれど、別にどうだっていい。汚れていたっていいし、線が引いてあってもメモが書かれていてもいい(流石にネタバレを書かれるのは心外だが)。だから僕は読書に対してそこまで敬意を払っていないと言っていい。いっそ、本に対して敬意なんてものは今まで一度だって抱いたことはないんじゃないだろうか。文庫本の定位置はジーパンの尻ポケットだし、カバーは外して読むし、平気でそこら辺に放り投げる。今や本棚すら捨ててしまった始末だ。だからそんな僕が読後感想文を書くこと自体、それだけ面白かった、という意味なのだけれど。
 面白かった。
 なんだろう、面白かった。
 いっそ二万字くらい「面白かった」という意味の言葉を並べたいくらいに面白かった。僕が本を読んで面白いと思う基準は、まあ色々あるけれど、基本的には「読んだあとに終わらない」ということだ。謎が残るというか、考察出来るというか。要するに新世紀エヴァンゲリオンを見て育ってしまった人間の悪い癖だ。「これはこういうことだったんじゃないのか」とか、「ん、待てよ、こういう見方が出来るんじゃないか」みたいなことを延々と考えてしまうところが、面白い。一度読んで幸福な読後感に包まれながら「あー面白かった、素敵な本だったわね」程度の本は、順当な意味での『暇潰し』でしかない。そんな本は記憶にすら残らず消去されていく。読む意味なかった、とまでは言わないけれど、「素敵な物語だったわね」で終わる。なんだろう、東野圭吾の『告白』とかが、割と僕の『面白い本』の基準だ。「ん? んん? 結局それどういうことなの? んん?」みたいな。
 麻耶雄嵩の本はそういう、読み終えたあとで「ん? 何? どういうこと?」という、一度構築された世界をぶっ壊されたあとそのまま投げっぱなしジャーマン、という趣がある。しかも投げっぱなしにされたあと縋るものもない。あとは愚民と化した読者たちが、それぞれ知恵を絞って「これはつまりこういうことなんですよ」と見当外れな談義で茶を沸かすくらいのことしか出来ない。結局のところ、翻弄されている。それがこの本にはあった。

 4

 話の筋としては、警察官の父を持つ小学生の主人公が、近所で起きている連続猫殺害事件の犯人を、同じ学校の生徒たちと結成した子ども探偵団的な組織で調査をしていく、というもの。その探偵団には、主人公が思いを寄せる女の子(まあヒロインだ)がおり、その女の子が可愛がっていた猫(飼い猫ではないんだけれど)が、事件の被害者になってしまっている、という前提がある。言ってしまえば『動機と環境が揃っている』前提で物語が始まるわけだ。
 しかし、物語が始まってしばらくすると、『神様』が出てくる。タイトルの『神様ゲーム』にある神様という言葉は、まんま言葉通り、神様だ。全知全能の神様。そんな神様が、主人公と同じクラスにいて、同じ掃除当番で二人きりでトイレ掃除をしている。トイレの神様である。全知全能なので当然、全てを知っている。そんな神様が、連続猫殺害事件の犯人の名前を言い当てて、それを主人公が探偵団で報告し、事件が展開していって……ひょんなことから殺人事件に発展してしまう、という筋書き。
 メインは殺人事件に関するミステリなのだけれど、とにかく内容を小出しにしつつ、関係性をハッキリさせつつ、同時に「わかりやすいキャラクター配置」をしているおかげで、読みやすい。最近読んだ本の中でも、僕の中ではトップクラスに読みやすかった。はっきり言って、前文で触れた「過去の人」というイメージが、ほぼ覆った。無論、僕がこの作家の作品で最初に読んだ「翼ある闇」もそこまで読みにくかったわけではないのだけれど、それでも時代的な読みにくさ、堅さは感じた。それが今作ではすっかり感じなかった。
 恥ずかしいけれど言おう。
 この作家のファンになった。
 多分、今後、作家買いをすることだろう。

 5

 で、ネタバレなのだけれど。
 もしこの読後感想文を、「こいつが書いた読後感想文とかどんななんだろう、試しに読んでみるか」と思っている人がいるなら、是非本作を読んで欲しい。
 多分、本作を読んだあとにこの感想文を読んだ方が面白いし、何を言ってるかわからんと思うので、もったいないので、是非読んで欲しい。
 はっきり言って僕は相当面白かった。
 普通の本読みには面白くないかもしれないが、よくわからねえ、ただ面白いだけの本が読みたい人種には面白い本だと思うので、そういう人は是非読んでからこの感想文に目を通して欲しい。
 という前置きをした上で。
 あのオチどうなの。
 ここからはむしろ読んだことを前提に話すので、ざっとした概要は語らないけれど、あれどうなの。
 はっきり言って面白かったから僕としてはどうでもいい。フェア・アンフェア論争とか、犬に食わせろ。僕が食ってもいい。どうだっていいんだ、面白ければ。だけど、それを踏まえた上で、フェアであれば尚面白いという立場に立って、この話を考察したい。
 最初、僕は秋屋甲斐のことについて、読む手を休めてちょっと考えた。この頃の僕は、まだ純真だったと言っていい。猫の死体が奇怪な殺され方をしていて、アルファベットを表していて、AKIYAKAIとなる。最初の時点では四匹殺されていたから、AKIYまで判明している。ってことはもう、残りはAKAIなのだから、AKIYの時点で全てのアルファベットが出揃っていて、(これは……そういうことなのでは!?)と思った。
 全然違った。
 というか本筋と関係なかった。
 でもこれはひとつの、ある種『小説内でのサブリミナル効果』として念頭に置いておきたい。
 さて、その後殺人事件が起こったとき、僕は閃いた。「あ! 実は秋屋甲斐は犯人ではなくて、英樹が犯人だったんだ! それで、神様は英樹に天誅を下した! なあるほどお、オチが読めたぞ!」なんて興奮していた。まだ僕が可愛かった頃の話だ。遠い昔の記憶のように思える。実際、自分のことを天才か何かだと思っていた。流石、自分でも小説を書くだけのことはある、意外性のあるオチを考えつく才能においては引けを取らないな、くらいのことを思っていた。
 全然違った。
 顔から火が出そうだった。
 というかちょっと漏れた。
 後半になっていくにつれて、実はミチルちゃんが犯人だという流れになっていくと、「おいおい……この作者天才なのではないのか」と思うようになった。大体この辺りで、ただの読者に格下げ。その後「実は共犯者がいたんだ」という辺りで、小学生に戻った。で、それが主人公の父親だというくだりに至ったところで僕は本を読むのを中断して、「ビバ! 神は実在した!」と思った。神様が出てくる本を読んでいながら、作家を神格化するとは、呆れてものも言えない。というか僕はすぐに作家を神格化しすぎだ。多分、もう二十人は神がいる。
 で、最後。
 ロウソクの火が燃え移ったところで、当然父親が死んだと思った。当然、ごくごく当たり前に、男女がいたら恋をする、くらいの必然さで、父親が死んだと思った。「くそったれ、俺のミチルちゃんに手を出しやがって、天誅だ!」くらいのことを思っていた。もう既に僕の中でミチルちゃんは可愛い女の子だったし、僕は主人公そのものになりきっていたので、息子を裏切って小学生とエッチなこと(鈴木談)をしていた父親(しかも偽の父親!)はくたばってしまって、程よい読後感で読み終われると思っていた。
 現実は甘くはなかった。
 死んだのは母親だったからだ。
 ちょ……ちょっと待ってよ麻耶先生……もうこれ以上は耐えられないです……そんなことを思いながら本を読み終えた。多分、最後の章は五回くらい読み直した。「はて、乱丁本か」と何度か思った。「シリーズ物かな?」とも思った。実際シリーズ物なのだけれど、いわゆる漫画的な『引き』かと思った。そうじゃない。現実なのだ。受け入れなきゃ、現実を。母親が共犯者だったのだ。同時に、ミチルちゃんの蜜月の相手は、主人公の母親だったのだ。

 6

 しばらく呆然とした。
 ん? 何それ? は?
 とか、そんな感じだったと思う。
 で、いくつか思考したあと、根負けしてレビューサイトを何件か巡った。知恵袋的なサイトも巡った。「真相が知りたい」という病に侵されたのだ。しかし残念なことに、ネット上でも議論が巻き起こっていた。何ひとつとして真実はない。父親共犯者説と、母親共犯者説が、天秤に掛けられていた。「どちらを信じるかこそが読者に向けられた『神様ゲーム』なのである」くらいのことが、いくつかのサイトに書いてあった。
 冗談じゃない。
 そんな曖昧な答えがあってたまるか。
 真実はいつもひとつ。
 僕は『母親共犯者説』一点に絞って、この本の結末を紐解いてみることにした。
 まず、順序よく解決していこう。僕は昔遊戯王のカードゲームにハマったときに、ひとつだけ大切なことを教わった。『チェーンは後ろから解決していく』というものだ。つまり、モンスターの攻撃に対して何らかの魔法カードが発動され、その魔法カードに対して罠カードが、さらにその罠カードに対してカウンター罠カードが発動されてチェーンが四つ重なった場合は、最後に発動した『カウンター罠カード』から解決していく、ということだ。
 これは人生において大きく役立っている。
 さて。
 母さんは死んだ。小さな躰をのたうち回らせて。
 要は小さいのだ、この母親は。
 そんな母親がミチルちゃんの共犯者たり得たのかどうか、という問題になるが、これは一度主人公が到達した推理である、『井戸の蓋の内側に隠れられるかどうか』という点について、大きな問題になる。
 いくつかのレビューサイトで、「いくら小さくても大人が隠れられるわけがない」みたいなことを言っていたけれど、アホなことを言うなと思う。
 本の中で言及されているけれど、あの井戸の蓋の中には、考志くらいなら隠れられそうな余裕がったのだ。考志は小学生にしてはでかいという。一方、母さんは小柄だ。主人公たちは小学四年生。僕は小学四年生の頃、実際に百五十センチくらいあった。かなりでかかった。考志がそれくらいだと考えれば、妥当なサイズだろう。
 で、僕の従妹は極端に背が小さく、百五十センチない。ロリ体型だ。顔も可愛いんだがまあそれはさておき、そのまま結婚して子どもでも産めば、百五十センチ代のお母さんの出来上がりである。
 現実的に不可能な問題ではない。
 しかし、女性は子どもを産むと肉付きがよくなるとか、そういう問題もあるかもしれない。なるほど、小学生とは体つきが違うかもしれない。けど結構大切な問題が、この本にはある。
 そもそも主人公は両親の本当の子どもじゃない。
 お母さんは子どもを産んだ経験がない可能性もある。
 いや、はっきり言おう。
 いっそ処女でもおかしくないのだ。
 それこそ『小説的』な考え方だけれど——アンチミステリ的な、『現実的に考えておかしいけれど実現不可能じゃない』というとんでもミステリ理論だけれど、あり得ない話じゃないし、あったって平気だ。
 だって、お母さんはミチルちゃんとエッチなことをしていたんだから。
 重度の同性愛者(しかも少女趣味)であっても、なんらおかしくはない。少なくとも、矛盾はない。
 そんなお母さんがそれでも好きで、お父さんは結婚したという考え方だって、不思議じゃない。けれど子どもは欲しいから、主人公を養子に取ったのかもしれない。さて、さてさて。そうなってくると面白くなってくる。主人公が引き取られたのが——つまり女の子ではなく男の子が引き取られたのが、お母さんが少女に対して性愛を抱いてしまうという問題点から起きた選択だったのかもしれないと考えると、ややこしいものの、面白くなってくる。
 要はこの母親、変態なんだ。
 その証拠に、息子の親友を殺す手伝いを平気でするどころか、密会相手だったミチルちゃんが死んでも、平気な面をして息子の看病をしている。これ、息子への愛情が強い、家族愛が優先されているという考え方も出来るし、ミチルちゃんはただいたずらの対象であって、どうでも良かったと考えることも出来る。
 まあさておき。
 ミチルちゃんとお母さんの関係性はそんなところだろう。
 では事件当時の話になるけれど。
 ミチルちゃんが学校をサボっていたり、屋敷に集まるのが遅かったり、井戸へ行かせないように工作したり、『何故か一番最初』に「死んでる!」と叫んだり、探偵団を煽るように叫び声を上げたり、かなり目立った行動をしているのがよくわかる。つまりその時点で、かなり頭のキレる、言わば「大人びた」少女だということがよくわかるのだ。
 それが何を意味するのか。
 ミチルちゃんが、主人公の父親に助けを求めるように示唆した点が、なんというか、「母親を人質に取る用意が出来ている」とでも言うような悪意を孕んでいるように思えること。
 レビューサイトの反応なんかを見ていると、警察に通報する際に、父親に連絡した方が良いんじゃない? とミチルちゃんが訴えた点が、「父親と性的関係にある(=父親が共犯者である)から、父親に連絡させた」というもので、もし母親が共犯者であるならそうすることは間違っている、みたいな論調があったのだけれど、そういうことばかりとは思えない。要するに、だ。ミチルちゃんはもしかしたらその辺も織り込み済みだったのではないか。つまり、母親と性的関係があることを父親はもしかしたら知っていて、自分と母親に危害を加えない可能性について考慮していたのではないか。
 ……考えすぎか。
 まあ考えすぎだとしても、もしミチルちゃんとお母さんの性的関係のことをお父さんが知らなかったのであれば、『知らないが故に』お父さんを利用した、という考え方も出来る。盾に取るというか、なんというか。それくらい、ミチルちゃんは狡猾な人間だったと思うのだ。狡猾で、尚且つ、聡い。
 さて、そうなってくると、たかが猫が死んだくらいでショックを受けていたミチルちゃんの方が、いっそ不思議に思えてくる。
 本当に猫の相手をしていたのだろうか。
 いや、猫の相手はしていたのだろう。しかし僕には、もしその犯人が——いや、神様の言葉に「もし」なんて言い方は相応しくない。猫を殺した犯人が秋屋甲斐なのだから、そちらの方に注目した方が、物語が面白くなる気がする。
 ミチルちゃんが、秋屋甲斐とも関係を持っていたとしたら。
 そして同様に、光一兄ちゃんとも。
 ……どうだろうか。
 これは流石に考えすぎという自覚はあるのだけれど、秋屋甲斐はミチルちゃんから拒絶された腹いせに猫殺しをしたと考えても、おかしくはない。要するに警告的な意味合いだ。じゃあ何故ミチルちゃんはそれを訴えなかったか? 小学生女子が、大学生の男と肉体関係を持っていれば、小学生が訴えるだけで話は終わる。それが出来なかったのは、弱みを握られていたからではないだろうか。
 主人公のお母さんとの関係や、あるいは光一兄ちゃんとの関係。
 光一兄ちゃんの秋屋甲斐への憤りは、マンションを経営しているという点と、あまりに鬱陶しい、うるさい、迷惑だという点でなんとなく納得は出来るものの、それにしたって経営者は親なのだし、中学生の光一兄ちゃんが怒るにしても、ちょっと過激に嫌いすぎではないだろうか。
 秋屋甲斐の動向がよくわかる部屋に住んでいる光一兄ちゃんが、サボり気味なミチルちゃんと秋屋甲斐との逢瀬を目撃していても、不思議はない。
 光一兄ちゃんは、その時点でミチルちゃんと関係があったのか、あるいはそれの口止め料として一度限りの関係を持ったのか……いずれにせよ、探偵団が光一兄ちゃんにお願いをするシーンでのミチルちゃんの迫り方は、ちょっと異常だ。いとこ関係にある聡美が甘えたポーズでお願いするのはまだしも、ミチルちゃんまでもがアップで一段迫ってやる……いくら猫のことに熱心だとは言え、前述した通り、『友達の親友を殺した上に偽装工作までする』ミチルちゃんが、たかが猫の死でそこまでするだろうか。
 やはりミチルちゃんの最大の関心は、お母さんとの関係ではなかったのだろうか、と考える。
 チェーンはあとから解決する理論に則れば。
 まあそういうわけで、僕の中では「変態妻を受け入れた正義のお父さん」と「快楽に溺れた変態お母さん」に「ロリコン大学生」や「性欲旺盛な中学生」という、大人たち(主人公から見て)が、ミチルちゃんという魔性の女に惑わされる図が見えた。
 けど、そんなミチルちゃんの行動も、わからなくはない。
 幼くして両親が離婚したことで擦れたことも考えられる。記号的な『東京出身』ということから、あるいは母親が放任主義で尚且つ派手な仕事をしていた経歴から、性に対して積極的でも、まあ納得は行く。尚且つ放任されたことで母性を求めて、主人公のお母さんに縋ったということだって、なくはない。
 全てはミチルちゃんとお母さんの関係性を考慮すれば、まあ無理が多少あれど、一応は(僕的には)納得の行く説明がつく。
 ……いや、無理だらけか。
 まあでも、僕はそんな風にこの話を読んだ。
 で、だからこそ、「面白い」と思った。
 そんな風に、僕の想像力を刺激してくれて、まったく見当違いの馬鹿げた空論を繰り広げられるだけの余地を残してくれる作品が、とても面白いし、とても好きだ。
 だから僕は、読後感想文を書いているのだ。

 7

 余談に入ろうか。
 僕がこの作品を読んで思ったこと。
『色』の比重が、ちょっと高い。
 特に『赤』と『青』なんだけれど……これはもう、単純に、僕の勝手な想像だ。被害妄想と言っても良い。読んでいる最中に、サブリミナル的に受け付けてしまった、身勝手な空想だ。
 まず、主人公の誕生日ケーキのロウソクの中で、赤いロウソクだけが消えない。赤いロウソク。去年も赤いロウソク。赤、赤、赤……。
 次に秋屋甲斐のアルファベット、AKIYAKAI。五匹目以降に示されるであろうアルファベットが、AKAI。赤い。赤。
 リーダー格の考志はいつもレッドの服に身を包んでいる。うん、赤いのだ。そのことが、まるで必要事項のように、記されている。
 最終的に、お母さんは炎に包まれて死んで行った。その光景も、きっとあかあかとしていたことだろう。別にこれは本筋とは一切関係ないのだけれど、ただの感想として、僕はそんなことを思った。
 あと、冒頭で『かなりブルー。』と書かれていたのが、なんか印象に残っているせいもあって、青さが入り込んだ。登場人物の名前の中で、ミチルちゃんだけがカタカナで表記されているせいもあるだろう。チルチルミチル、青い鳥。まるでこんなに身近にいたのだよと言わんばかりのネーミング。
 別にだからと言ってどうというわけではないんだけれど……のび太と言われて黄色い服を着せられた子だっているのだから、色なんて関係ないんだろうけれど……そんなことを、僕は思った。
 蛇足も良いところな感想だけれど。
 とりあえず、思ったことを書いておこうと思った。

 8

 最後に。
「神様の電話番号は誰も知らないんじゃないか。」
 この一文が妙に心に残った。
 というか、この一文のためにこの小説があったと言っても良い。
 そのくらい、シビれる一文だった。
 それだけに金を払う価値はあった。
 そんな感じだ。
 つらつらと書いたら感想文が一万字を超えていた。はっきり言って気持ち悪い。しかも前半まったく関係ないし。まあでも、それくらい面白かったのだ、ということが伝われば幸いだ。
 今二十五歳の僕が三十六歳で死ぬと言われても、きっと困惑するだけだろう。
 小学生の主人公の困惑は、尚更だ。
 神様はいじわるだな、けど憎めない。だって神様だから。そんな小説だった。


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