@toasdm
おはようございます、と声をかける。おはよう、と生真面目な声が返ってくる。生真面目は、生真面目に、事務所で新聞を読んでいた。ふ、と顔を上げてこちらを見ている。柔らかな微笑み、眼鏡の奥の瞳は柔らかで優しい。隣にかけて手元を覗き込むと、見ているのは折込広告。賃貸情報のチラシだ。
「間取り図?」
「うむ。見ていると楽しいものだ」
3LDK、角部屋、南向き。リビングダイニング10.5畳、シャンプードレッサー、IHビルトインコンロ、システムキッチン。実に理想的な間取りに見える。
「例えば、この部屋」
リビングと繋がっている8畳間を指差して、道夫さんは言う。
「君なら何を置くだろうか」
「え……うーん、そうですねぇ」
逡巡をめぐらせて、頭の中で部屋を歩く。ここを寝室にしたら、落ち着かなさそうだ。そうなると、寝室に置きたくないタンスや本棚、書斎のような雰囲気になる、かな?
「書斎みたいな感じに、してみたいですね」
「ほぅ。では、ここが寝室だろうか」
「あ、そうですそうです」
道夫さんが指差した部屋は、ちょうど私が寝室によさそうだ、と思った部屋だ。確かに、楽しいかもしれない。どの部屋をどう使って、どんな家具を置いて、どんな生活をするか。そんな風に考えるのは、結構楽しい。道夫さんの言うとおりだ。
「でも、道夫さん引越しの予定なんてあるんですか?」
「君はないのか?」
「え?」
「うん?」
チラシをテーブルに置くと、道夫さんは私の手を両手で包んでまた、じっとこちらを、覗き込むように見ている。
「私が探しているのは、君と一緒に暮らす部屋だ」
「はいっ!?」
あまりの突拍子のなさに、私は思わず叫ぶようにして声を上げて立ち上がる。座りなさい、と苦笑されて大人しく、すとん、と腰を下ろすと道夫さんは困ったように笑って言った。
「まさかそんな愉快な反応が返ってくるとは思わなかった」
「いやだって、急すぎて」
「なるほど」
ふむ、と顎に手をあてて、道夫さんは納得するように頷いて、それから。
「一緒に暮らそう」
「そっちが先です!」
そうだろうな、と一人で笑い出した道夫さんは、なにがそんなにおかしいのかおなかを抱えて爆笑している。ちょっと、と困惑する私をよそに、道夫さんはとうとう眼鏡を外して涙を拭い始めた。
「な、何がそんなに」
「……私だって緊張くらいする」
ひーひー言いながら涙を拭って、緊張しすぎて笑ってしまった、とようやく落ち着いた道夫さんは、眼鏡をかけなおして姿勢を正す。もう一度、私の手を両手で包んで。
「一緒に暮らそう。目が覚めて、一番最初に君の顔を見ることができたら、私はそれだけで幸せだ」
取った手にそのままそっと唇を触れさせて。道夫さんは上目遣いに私を見つめている。
「……一緒に、暮らしてほしい」
「あの、急で、ほんとに、急すぎて」
ふっ、と目を伏せて、道夫さんが諦めたように溜め息をつく。ぎゅっと握りこまれた手をそっと握り返して、私は道夫さん、と声をかける。もう一度向けられた視線に、私は笑顔で返した。
「嬉しい、以外に言葉が、見つからないんです」
はっと見開かれた目は、予想を裏切って期待通りだ、と言っているように見えた。
早く住む部屋を探さなければな、とニヤリと笑った道夫さんは、賃貸情報のチラシを手にとって私の肩を抱く。
「君は、どんな部屋がいいだろうか」
「目が覚めて、一番最初に道夫さんの顔が見れる部屋がいいです」
その言葉には、誇張も偽りも、なにもなかった。