@ciel_tigers
「はぁ、はぁ、はぁ」
走る。
走る。
走る。走る。走る。
僕は走らなければいけなかった。
立ち止まってはいけない。
振り返ってはいけない。
夜空はまだ昏かった。
「おーい、恭介ー! またアレやれよアレー!」
「またかよー」
小学校の教室で僕…越前恭介は友達である高瀬直樹の言葉に口を尖らせる。
直樹の言うアレをすると、結構疲れるのだ。
「一回だけだって!」
僕の前で両手を合わせ拝み倒す直樹。
やれやれ、と一つため息をつく。
「一回だけだからな?」
「わかってるって!」
「あと女子に何かするのはダメ!」
「ええー」
こいつやっぱり女子に悪戯しようとしてたな…。
直樹の言うアレを使うと悪戯にも使えるのだ。
僕は直樹の手を掴み念じる。
そして心の中で呟くのだ。
ー止まれー
そう呟くと僕と手を繋いでいる直樹以外の動きが止まる。
クラスメイトも、先生も、鳥も、風も、全部。
僕と直樹だけが取り残されたかの感覚を感じる。
逆だ。
僕が皆を取り残しているんだ。
これが僕の能力の時間停止だ。
僕以外の時間を停止させてしまう。
とはいっても、10秒(時間を停止させてるのに10秒って言うのが正しいのかはわからない)も保たないんだけど。
時間を停止させるのは凄く疲れるのだ。
全速力で走ってるような感じかな?
それくらい。
「うおーやっぱすげーなー!」
直樹は興奮している。
人の気も知らないで。
「なあスカートめくってもいいだろ?」
「ちょ、手離すなって!」
直樹が近くにいる女子のスカートをめくろうとして、僕の手を離しそうになったのを慌てて握りなおす。
停止した時間の中を動けるのは僕に手を触れているものだけみたいなんだ。
だから僕の手を離した瞬間に直樹も動けなくなる。
「ほら、早くしないと動き出しちゃうだろ!」
「だーかーらー!」
直樹が女子に悪戯しないように腕を引っ張る。
エロガキめ。
これ以上時間を停止してやる理由もないな。
「…ふぅ」
「あ、おい!?」
僕は力を抜く。
そうすると周りの時間も動き出す。
直樹が抗議の声をあげるが関係ない。
クラスメイトも、先生も、鳥も、風も、時間を取り戻した。
皆は何事もなかったかのように元の時間で活動し始めた。
疲れた。
すっごく疲れた。
直樹の手を離し、膝に手を置く。
「何にも出来なかったじゃんかよー」
今度は直樹が口を尖らせる。
約束を破った奴のことなんて知らない。
「僕もう帰るからな!」
「お、おいちょっと待てって!」
鞄を掴んで走って教室を出てくる僕。
それを慌てて追いかけてくる直樹。
これが僕の日常だった。
そして、その日常も崩れ去ることとなる。
「なんだ? あれ」
直樹と遊んで帰ってすっかり薄暗くなった帰り道。
僕は違和感を覚えた。
何かが空へと上がっているのだ。
「煙?」
僕の家の方角から煙が上がっていた。
思わずごくりと息を呑む。
嫌な予感がした。
「ちがう、ちがう、ちがう!」
自分に違うと言い聞かせるながら僕は走り出す。
あの煙の出所が自分の家じゃないことを祈りながら。
刹那。
突然。
腕を掴まれた。
「…お前が越前恭介か?」
顔は見えない。
サングラスとマスクをしていたから。
声で男の人だとわかったけれど。
「は、離して!」
僕は叫ぶ。
しかし離してくれない。
早く家に帰らないといけないのに。
僕は必死にもがくも、男の力は僕なんかよりずっと強かった。
「こっちに来い」
腕を強く引っ張られる。
痛い。
痛い!
くそ、こうなったら…
ー止まれー
僕はそう心の中で念じる。
男の時間は停止する。
それと同時に腕を掴む力も消えた。
「…くっ!」
男の腕から逃れ、距離をとる。
時間を止めたまま動くのはすごく疲れるけれど、仕方ない。
「はぁ、はぁ…」
息が切れる。
頭がくらくらしそうだ。
僕はやっとの思いで建物の物陰に隠れる。
「…ふぅ」
力を抜く。
周囲の時間は動き出す。
男の時間も動き出した。
「…なに?」
男は驚いただろう。
自身が腕を掴んでいたはずの僕が突然いなくなったのだから。
「…これが時間停止能力か!」
!?
僕の能力を知ってる!?
家族と直樹くらいにしか見せたことはないのに!?
男は何処かへと走り出す。
どうやらこっちには気付かなかったみたいだ。
「はぁ…」
大きくため息をつく。
力が抜けたようだ。
しかし、僕には休んでいる暇はなかった。
「…急がなきゃ!」
疲労の色が混じる体に鞭を打ち、僕は帰路を急いだ。
家に着くと
待っていたのは
血まみれで倒れている母親だった。
「…母さん!?」
倒れている母さんに慌てて駆け寄る。
「母さん! 母さん!」
僕は母さんの手を握って必死に叫ぶ。
僕の声に気付いたのか、母さんは弱弱しくも目を開けた。
「きょう、すけ…無事だったのね、よかった…」
「母さん! そうだ、救急車!」
僕は携帯電話から救急車を呼ぼうとする。
が、その腕を誰かに掴まれた。
振り向くとさっきの男が立っていた。
「見つけたぞ」
冷たく押し殺したような声。
僕は必死にもがいた。
「来い」
「離せよ!」
腕を振りほどこうとするも離れない。
大人とはどうしても力の差があったのだ。
どんどん腕を引っ張られる。
「させるか!」
叫び声と共に僕達の視界へ何かが飛び込んでくる。
父さんだった。
その腕の中に岩塊を生成し、男に対して放つ。
「なに…!?」
「父さん!?」
男の体が驚きと共に吹き飛んでいく。
父さんの魔法によって。
「父さん!」
僕は思わず喜びの声を上げる。
父さんは僕の知ってる中でも最強の魔法使いだった。
父さんならこんな男倒してくれるし、母さんも助けてくれる。
そう思っていた。
「恭介、これを持って逃げろ」
父さんは僕に何かを投げて寄越す。
それは父さんの財布だった。
「…え?」
「船賃くらいならある! それを持って逃げろ! 出来るだけ遠くへだ!」
戸惑う僕に父さんはお構いなしに叫ぶ。
すでに目線は先程の男が吹き飛んで行った方へと向けていた。
僕もその視線を追うと、先程の吹き飛んだはずの男がゆっくりと歩いてくるのが見えた。
「え!? 効いてないの!?」
「…ちっ」
父さんは舌打ちしながら再度両手に魔力を込める。
「父さんじゃ奴には勝てない。頼む、恭介…生き延びてくれ」
氷の槍が男へ向かって走る!
しかし、男は半歩位置をずらしただけでそれを避けていた。
「そんな…母さん、何とか言ってよ母さん!」
僕は倒れている母さんへと振り向く。
父さんの言うことは信じたくなかった。
だから母さんに何か言ってほしかったんだろう。
何を言って欲しいのか自分でもわからないけれど。
しかし
「…母さん?」
母さんは動かなくなっていた。
眠ったように。
凍りついたように。
体を真っ赤な血で染めながら。
「行け!恭介!」
父さんは叫ぶ。
父さんの魔法は当たらない。
男は父さんにゆっくりと近付きながらもその攻撃を回避し続けていた。
父さんはこのままじゃ殺される。
僕もこのままじゃ殺される。
選択肢は、なかった。
走る。
走る。
走る。走る。走る。
僕は走る。
方角すら知らずに。
立ち止まらずに。
振り返らずに。
涙で明日すら見えないまま、僕は走り続けた。