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『ほら。依頼中関係なくむつかしい顔してる』
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【メガフロート10 / シェアハウス『カキツバタ』】
数名の男女が暮らす平屋建てのごく一般的なシェアハウス。
その中にある一つの部屋で一人、姿見に向かう獣耳の女。
この部屋の主であるカルネア・アンサズは姿見に向かいながら、指で口元を左右上下に引っ張っていた。
「……そんな難しい顔してっかなぁ」
そうは言うものの浮かべる笑みはぎこちない。良くも悪くも作り笑顔はあまり浮かべた事がない。
そのことを自覚すると引っ張り上げている口角が下がる。
―なるほど、難しい顔をしている。
諦めて指を離し、よく手入れされたベッドの上に仰向けで倒れ込む。夜空を模した天井を見上げながら思案する。
考えているうちに瞼が重くなり、閉じる。そういえば色々やって疲れたな、と……
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「起きろ、アンサズ」
ばしゃあ、と水が何かにぶちまけられる音で目を覚ます。
それは自分に向けたものではなかった。が、今の声と音には聞き覚えがある……そう思って、振り向く。
そこには仮面を付けた男性と、水を掛けられたのかびしょ濡れで横たわっている黒髪の少女がいる。
けほけほと少女が咳き込みながら起き上がり、涙の滲む金色の瞳で仮面の男性を見上げた。
「稽古を続けるぞ。それとも、今日はもうやめておくか?」
その言葉に目を見開いて数秒の間の後、ふるふると少女が首を振る。
『まだやる。まだがんばれる。』
そう言って立ち上がるが、足元がおぼつかない。数度ふらふらとしたところで男性が少女の手を取った。
「無理だな、休め。続きはまた3日後だ。」
『また、お仕事?』
ぽすん、と少女が地面に座り込む。その隣に、仮面の男性も頷きながら腰を下ろした。
そんな男性の横顔に少女がふにゃりと笑いながら問いかける。
『私も、先生みたいになれるかな。』
―無邪気な問いだった。少女にしては珍しいが、子供らしい憧れを抱いた問い。
―あの時はきっと、ただ肯定して欲しかったんだろうな、と今は思う。
「―俺のようにはならないほうが良い。」
『どうして?人を助けるお仕事は偉いと思うよ?』
「助けるために失うものもある。お前にはまだ分からないだろうが、そういうものだ。」
―そう言った"先生"の横顔はいつもどおり仮面しか見えなくて。でも、何処か寂しそうだった。
男性は少女に向き直り、その小さな肩を大きな手で軽く叩く。
「アンサズ。お前は俺のようにはなるな。」
「その力で多くを救おう、などと考えるな。手の届く身近なものを守れ。」
「俺のように、後悔ばかり抱えるような人生を送るんじゃない。」
不安げな顔で見上げる少女に、男性はそう告げた。
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ふ、と目を覚ます。
気怠さに自分が寝落ちた事を自覚するが、身を起こさずにそのまま横になり続ける。
ややあって左手を天井に向けて伸ばした。あの頃に比べて大きくなった自らの手に目を細めて。
―そうは言ってもよ、先生。
―オレはアンタに助けられて、憧れて、アンタみたいになりたいと思ったからここに居るんだぜ。
ぐ、と拳を握り、下ろす。体を起こして立ち上がり、ふと小棚の上の写真立てに目を向けた。
2つの写真立てにはそれぞれ、母と自分の映っている写真と、破られた痕のある両親の写真。
しっかりと修復されている、自身が破って直した両親の写真を見て目を細める。
ふいに脳裏を寂しそうな先生の横顔がかすめて
「……そんな寂しそうな顔すんなよ、先生。大丈夫だって。」
「アンタが後悔することじゃないさ。オレは後悔してねえし、後悔しねえ。だから、任せとけ。」
ふ、と口元が緩む。慈しむような笑みで両親の写真を見つめて。
「アンタの理想は、私(オレ)が受け継ぐからさ。」
そう言って破られた痕のある両親の写真に映る、父親の笑顔を指で軽く弾いた。