「あなたの事も海の事も、今日のこのデートでもっと、好きになってしまいました」
クリスさんと夏の夕方、波打ち際をお散歩する海デートのお話です。
@toasdm
視界の端から端まで続いた水平線はほんの僅かばかり湾曲していて、地球が丸い、と教えてくれるようだと彼女は思う。波の音が麦藁帽子の広いツバに反射して、いつもよりよく聞こえるようで目を細めながら波打ち際で、彼女を待つクリスのところまでゆっくりと、歩く。ヒラ、と潮風にたなびくナチュラルコットンの生成り色の裾が、夏の夕映えにその色を、オレンジ色へと染め上げている。沈む夕日は水平線に、ちょうどその端をつけはじめたころだ。
「お待たせ、しました……」
「……ああ、本当に」
投げ出した長い足を波打ち際で遊ばせながら彼女を待っていたクリスが、声に振り返り目を見開いて、立ち上がる。一歩、二歩、と歩み寄る足取りは歩数を増やすごとに早くなり、しまいには駆け出す。うわ、と驚く彼女を腕に閉じ込めて抱きしめて、クリスは感無量といった様子で彼女に囁いた。
「本当に、よくお似合いですよ」
「くっ、クリスさん、苦しいです」
腕の中で真っ赤になってもがく彼女の抵抗に、慌てて体を離してクリスは、失礼しました、とはにかんで笑う。あなたがあまりにも可愛らしくてつい、と多少悪びれた様子は見せているものの、本当は、その腕に今すぐにでもまた閉じ込めてしまいたい、という衝動をクリスは抱えていた。
営業で訪れた海、仕事とはいえ自分の大好きな海での仕事に小躍りをしながら喜んだクリスは、仕事を持ってきた彼女にこっそりと耳打ちしていた。もしよろしければ、仕事の後で私と海デートをしてみませんか?と。二つ返事でそれ受けた彼女に次の日、クリスはプレゼントを渡した。それも、随分と大きめの。
「あの、これは」
「よろしければ、それを身につけて私と、夕方の浜辺を歩いていただきたいのです」
きっとサイズはぴったりですよ、と微笑んだクリスの言うとおり、あつらえたかのようにそれは、彼女に体にしっくりとなじんだ。ナチュラルな素材感を活かした麦藁帽子はシルクの白いリボンが大人びた印象を漂わせていて、子供っぽさを払拭している。脛の中ほどまである長い着丈の生成り色のワンピースは、ふわりとフレアに広がる裾が優雅で美しい。風に揺れる裾を濡らさないようにしながら、彼女はそれに着替えてクリスの元へと歩いた。そして、抱きしめられて、デートが始まった。
「あの、どうしてサイズが?」
「私が今まで何回あなたを抱きしめてきたと思っているのですか?」
夕映えをその瞳に映して、クリスはゆったりと微笑む。頬に赤みが増したのはおそらく、夕焼けの色とそのクリスの言葉のせいだ。うつむく彼女の足元に、サラサラと砂を巻き上げて穏やかな波が打ち寄せる。濡れてしまいますね、とサンダルを脱いで片方ずつ手に持った彼女は、クリスの隣でクリスの望んだ格好のまま、歩いている。腕があなたを覚えているのですよ、と追い討ちをかけたクリスは、心底ご機嫌で波打ち際のオレンジを踏みしめて歩く。ふと振り返り後ろを指して、クリスは彼女に促した。
「見てください、私たちの足跡です」
点々と跡をつけて、砂浜に二つの足跡が並ぶ。今まで見たことがないくらいに嬉しそうで、穏やかで、幸せそうなクリスが、幸福感を吐き出した溜め息と共に、彼女の手からサンダルをすっと取り上げて片手でまとめて持ち、空いた手でそっと彼女の手を取る。
「見たい景色はたくさんありますが、あなたと見たい景色のひとつが、これなのです」
「この、足跡が?」
ええ、と上品に微笑んで、クリスは彼女を見下ろす。
「私たちの歩んできた軌跡を、あなたと共に振り返る……そんな幸せが、私にとっては本当に、宝物のようなものでして」
恥ずかしげもなく言ってのけるクリスが本当に幸せそうで、まるで潮のように満ちてい温かな気持ちに胸を詰まらせた彼女をもう一度じっくりと見て、クリスは言う。
「麦藁帽子とワンピースなんて、ベタもよいところですが……でも、そんなあなたとこうして歩くことができたなら、私は」
ぐっと肩を抱き寄せて、クリスは彼女の顔を覗き込み、鼻先が触れ合う距離で囁いた。
「私はそれだけでもう、本当に幸せなのです」
柔らかく優しく、触れるだけの唇。触れただけで幸せを、分かち合える唇。もう何度もしてきたキスが、シチュエーションひとつで特別なキスに変わる。夕映えに互いの頬を染めあって、クリスは長いキスを名残惜しそうに離して、また、微笑んで。
「私の夢を叶えてくださった海と、あなたの優しさに感謝しますよ」
幸せそうなクリスはそのまま彼女を抱きしめて、彼女の耳に囁く。
「あなたの事も海の事も、今日のこのデートでもっと、好きになってしまいました」
私も、そうかもしれません、と呟いた彼女を見つめるクリスが、あまりにも幸せそうで、嬉しそうで。ぱたり、と落としたサンダルが寄せる波にさらわれる隣、彼女はうんと爪先立ちをして、今度は自ら、クリスの頬に手を添えて、唇を重ねる。
夕日は既に、その半分を水平線の向こう側へと隠していた。