@toasdm
さっぱりと清浄な空気を漂わせて、雨彦は心地よさに目を細める。息をするだけで汗が噴き出すような日中の不快感も夕刻ともなればすっかりとなりを潜めて、風呂で汗を流して麻の葉模様の浴衣に袖を通せば、長身を撫でる風が心地よいばかりとなる。橙色が影を落とした縁側の板の間を裸足でぺたぺたと歩けば、そこも冷えていて心地よい。先に湯浴みを済ませた彼女は縁側で、蚊取り線香をもくもくとやりながら団扇をパタパタと扇いで雨彦を待っていた。
「隣、失礼するぜ」
「どうぞどうぞ」
藍染の木綿に朝顔の桃色がよく映える彼女の浴衣姿が、雨彦の目を惹きつけて奪う。桔梗色の半幅帯は腰で文庫に結ばれて、よく見れば垂れの端は朝顔のように帯の上でちょこんと一輪咲いている。お前さん器用だな、と横で胡座をかいた雨彦は、その朝顔にちょんと触れてそれを褒めた。照れと夕陽に頬を染め、縁側から足をぶらつかせて彼女は、雨彦さんの隣にいたくて、とぽつりと漏らす。
「俺の隣、かい?」
「あ、いえあの……つりあうように、というか、見栄えのするように……」
縁側の淵に添えていた手でそっと自分の浴衣の袖口を掴んで、雨彦さん格好いいから、と上目遣いの彼女に見つめられて、雨彦は思わず息をのんだ。職業柄、人に褒められることは珍しくはないが、自分が思いを寄せた相手に真正面からそう言われてしまうと、さしもの雨彦も照れるより他にない。何よりも、公私共に常にそば近くで見守ってくれる彼女が言うのだから、それはもう、本当に、心底そう思っての言葉だろう。それに見合うだけの自分になりたい、とさり気なく努力を重ねているのか、と考えれば考えるほど、雨彦は言葉に詰まる。愛おしさで満ちた胸がどくどくと全身に血液をハイスピードで送り出して、雨彦は、風呂上がりである事を差し引いても真っ赤になっている。わざとらしく咳払いをしながらあーー、と空を見上げると、風鈴をチリンと鳴らす風がほんの少しばかりの援護射撃で、雨彦の頬に滞留した熱を冷ましてくれる。
「照れてるんですか」
「さあ、な」
「可愛い」
「お前さんだって可愛いじゃないか」
す、と雨彦は手を伸ばし、彼女の肩にかかる髪をそっと払いのけ、うなじをするりと撫でる。せっかく浴衣を着てるんだったらうなじを綺麗にみせたらどうなんだ、と雨彦はおろしたままの彼女の髪をひとつに束ねてから、そういえば、とそれを離して立ち上がって引き出しを漁る。ああ、あった、と一本足のシンプルなかんざしを携えて戻った雨彦は、彼女の後ろに膝立ちになる。
「え、かんざし?」
「ああ、どうせ親戚のお下がりだからな、こういう機会でもねぇと活躍の場もない」
雨彦はかんざしを口に咥えると彼女の髪を両手でまとめる。伏せた目とその仕草から匂い立つ色香に思わずぼう、っと見惚れる彼女の頭を軽く小突いて、ちゃんと前向いてな、と雨彦は苦笑する。ふわ、と香木の甘い香りが漂うかんざしは先にひすい色のトンボ玉がひとつついているばかりの華奢なつくりで、雨彦はそのかんざしを挿してくるりとまわしてすっと返し、高い位置で彼女の髪の毛を固定した。器用ですね、と驚く彼女を少し身を引いて眺めて雨彦は、まあこのくらいならな、と笑いながら観察して、感嘆の吐息を漏らした。
「……へえ、似合うじゃないか」
「馬子にも衣装、なんて言わないでくださいよ?」
「言うわけないだろう」
雨彦はそのまま彼女の背中を抱きしめて、露わになったうなじに満足そうに軽く歯を立てて笑う。
「俺好みの好い人さ、お前さんは」
んぅっ、と身をよじって雨彦を振り返る彼女のうなじの後れ毛に優しく唇を押し当てて、雨彦は満足そうに微笑んできつく彼女を抱きしめた。
「よく、似合うぜ」
耳元で聞こえる雨彦の声の心地よさと気恥ずかしさに目を細めた彼女は、自身の体に回された雨彦の腕にぎゅっと掴まって、雨彦さんがそう言ってくれるなら、と嬉しそうに溜め息を漏らした。ふ、と遠くに聞こえ始めた祭囃子に、そういや近くで縁日があるって話だぜ、と立ち上がって雨彦は、彼女に手を差し伸べて誘う。
「神様に自慢でもしに行くかい? 俺の好い人はこんなに別嬪さんなんだぜ、ってな」
ニッと笑う雨彦は照れる彼女の手を引き起こす。夕闇迫る縁側で寸暇の夕涼みを終えて二人は、遠くの神社を目指して仲睦まじく、下駄を鳴らして手を繋いで歩いた。徐々に夜の帳が下り始めた外の空気は、照れた二人の頬を冷ますのにちょうどいい温度になっていた。