@toasdm
夏のビーチのライブ営業の後に一日だけ、オフの日を設けたプロデューサーはビーチではしゃぐ担当アイドルたちを目を細めて見守っていた。そろそろビーチバレーではしゃぎ疲れた彼らが喉の渇きを訴えて戻ってくる頃だろうか、とパラソルの下から這い出して、彼女は海の家へと向かう。スポーツドリンクを十本、あとはお茶とコーラとオレンジジュース、流石に酒を飲ませるわけにはいかないから、と冷えたビールはスルーして会計を済ませたが、思いのほか重くなったそれらをひとまとめにして、多少よたつきながら彼女はパラソルを目指して歩いた。
「おねーさんっ」
軽薄さを隠そうともしない声に振り向くのも面倒、と無視して歩く彼女の、今度は前に回りこんできた浅黒い肌の男に、邪魔です、と彼女は冷たく言い放つ。馴れ馴れしく手を触れる男は脳と下半身が直結しているのではないか、と疑いたくなるような下卑た笑いをへらへらと浮かべる金髪頭の上にサングラスを乗せて、重そうだから持ってあげるよー、と彼女の肩を肘置き代わりにもたれかかってくる。
「重たくありませんし、今乗せられてるあなたの腕の方が邪魔です、重たいです」
「うわー性格きっつー! モテないよーせっかく可愛いのにさぁ、モテる方法教えてあげるから、ね? 今友達と来ててさぁ」
「必要ありません」
ギャハハ、と笑い方まで品がなくて不愉快だ、と眉をひそめて溜め息をついて横を通り過ぎようとした時に、少し強めに肩を掴まれる。ふら、とバランスを崩して、手提げに入りきらずに抱えていたスポーツドリンクを一本取り落とした彼女を強引に引き止めようとした男は、下卑た笑いを引っ込めて本性を現してがなりたてた。
「チョーシこばってんじゃねぇよクソアマ」
「どっちが調子ノッてんの?」
え、と振り向いた彼女の目の前を横切って遮って動く影。向き直ると彼女の肩を掴んでいた金髪が、ぎゃあああと叫んでいる。無駄にでかい図体をぐしゃりと砂浜に沈めて悶絶する男の後ろ、みのりは一切の表情が消え失せた顔つきのまま立っていた。指の骨をぐっと押さえてボキ、ポキリと鳴らしながら近付いて、みのりはもう一度、どっちが?と凄んでいる。
「こっちおいで」
呆然と立ち尽くす彼女の腕を優しく引いて、みのりは自分の背中に彼女を隠した。クソがぁ、とゆらり立ち上がった男は、調子のいい事ばかり言っていたさっきまでの余裕を幾分か失った表情でみのりを睨みつける。それに怯むどころかいっそ挑発的ともいえるような鋭い態度でみのりは言う。
「俺の彼女に手ぇ出しといて、タダで済むと思ってんの?」
「ん、だよ……ナヨい男連れて調子ぶっこいてんじゃねえよ、デブスがっぎ、ぎゃっ……!!」
「今なんつった?」
心なしか、周囲の気温が体感5度ほど一気に下がったような気がする程に強い言葉がみのりの口から飛び出した。それと同時に殴りかかろうとした男の拳をパシッ、と乾いた音で受け止めたみのりの手が、筋の浮くほどにギリ、とその拳を握りつぶして、たまらず男は悲鳴をあげる。おい、と冷たく言い放つみのりは繰り返す。今、てめぇ、なんつったんだよ、と。彼女の目からは見えていないみのりの表情はまさに鬼神。ゆらゆらと立ち込める怒りのオーラが陽炎のようにゆれていて、怒りで僅かにみのりの髪の毛が膨らんでいるような錯覚すら覚えるようだ、と背中を見つめて彼女は、固唾を飲んで見守っている。
「俺がナヨいかどうかはどうだっていんだよ、取り消せよ、女の子に言っていい言葉じゃねぇだろ? あ?」
「はっ、離せ、離」
「取り消せっつってんだろがオラぁっ!!」
「渡辺さんそれ以上駄目です!」
拳を固めて殴りかかろうとしたみのりに叫ぶ彼女の声が、男の鼻先でみのりの拳をピタリと制止する。あ、あ、と情けない声を上げて尻尾を巻いて逃げ出した男の背中を見送って、みのりはそこで漸くため息をついてから彼女を振り返った。鬼神の形相が残る顔を向けられて少したじろぐ彼女にパンっ!と手を合わせて、いきなりみのりは勢いよく頭を下げる。
「ゴメンっ! 馴れ馴れし過ぎたよね、俺の彼女とか、勢いで言っちゃって!」
「い、いえ、あの、あのような状況では、仕方ないかと!」
途端になりをひそめた鬼神の代わりに彼女の目の前には、いつもの、普段通りの優しいみのりが顔を出す。怖かったよね、どこも痛くない?と労りの言葉をかけられて、大丈夫です、と答える彼女を眉尻を下げながら見つめるみのりは、ナンパもそうだけどさ、と急にもじもじしはじめて、するりと彼女の手からペットボトルの詰まった手提げを受け取って呟いた。
「ナンパもそうだけど、俺もさ……つい、アツくなっちゃって……怖かっただろ?」
怖かったか怖くなかったかで言えば、さっきのみのりは無茶苦茶怖かった、というのが彼女の本音だ。本気で血を見るかと思いました、と彼女は素直にみのりに微笑んで言う。
「でも、あんな風に守ってもらえると、なんだかお姫様にでもなった気分でしたよ」
みのりさんは王子様ですね、と追加の笑みに気がつけば、みのりは彼女を思いきり抱きしめていた。
「よ、よかったぁ〜……!」
「ちょ、ちょっ、渡辺さんっ?!」
慌てる彼女の耳元で、ほっと安堵のため息を漏らしながらみのりは心底安心しきってぎゅう、っと彼女を腕に閉じ込める。羽織ったパーカー越しに感じるみのりの胸板、きつく抱きしめられた腕の感触、包み込まれるような安心感と急に感じさせられたみのりの男らしさに彼女の心臓は早鐘を打つ。耳元のみのりは、怖がらせてたらどうしようかと思ってた、と弱々しいことをいいながら、ふぅ、とため息をついてから、うわ、と叫んで飛び退く。
「ほ、ほんとにゴメン!」
「え?!」
「勢いで抱きついちゃった、悪気はないからね?!」
「あ、う、あの、はい、なんか、私もごめんなさい」
慌てふためいた二人は口々に、ゴメン、ごめんなさい、と謝りながらふっと目線を合わせて、沈黙の後、吹き出して笑う。
「ふふ、プロデューサーは謝らなくてもいいんじゃないかな」
「あはは、渡辺さんだって、助けてくれた王子様が謝るのもおかしいですよ」
「そうだね、ふふふっ、うん」
戻ろうか、と笑うみのりと並んで歩きながら、彼女は思う。さっきの渡辺さん、すごく怖かったけど、すごくかっこよかった。俺の彼女、と言われて感じた胸の高鳴りを今になって自覚して、一気に赤くなる頬を手にしたペットボトルで冷やしながら、彼女はパラソルの下で待つアイドル達の元へと歩いていった。誰かの為に真剣に怒ることができるみのりの優しさは、そんな彼女の胸にぽつりと、見えない炎を宿していった。
夏のビーチは、燃えるように暑かった。