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[古論P♀]虫除けと花火

全体公開 1 1791文字
2018-07-09 15:21:22

「浴衣で花火、実は憧れていたのです」

クリスさんと浴衣で花火大会に行くお話です。

Posted by @toasdm

 大丈夫でしょうか?と姿見の前で心配そうな表情を浮かべながらクリスは何度も確認する。しゅ、と角帯を貝ノ口に結んでやりながら、彼女はその度に、大丈夫ですよ、お似合いですよ、と苦笑した。男性の浴衣は帯の位置を低くする方が格好がつく、と割と低めの位置で締めたはずなのに、隣に並んだ彼女の浴衣の帯と同じか、それより若干高いくらいの位置にあるクリスの帯に、彼女は団扇を挟んで微笑んだ。
 「よく似合ってます」
 「そうでしょうか……浮かれた外国人観光客のようには、なっていないでしょうか?」
 鈴を転がすようにコロコロと笑い、そんなことないです、と彼女はクリスと腕を組む。姿見の中に映るのは、すらりとした長身の、浴衣姿の美丈夫とその連れ合いだ。違和感ないでしょう?と鏡の中で目線を合わせて、二人は花火大会へと出向いた。
 カラコロと下駄を鳴らして歩く道すがら、クリスは何度もプロデューサーに声をかけた。足は痛くありませんか、着崩れてはいないでしょうか、日差しがなくてもやはり暑いですね。言葉ひとつとってもクリスは柔和で優しくて、紳士的で理知的だ。その度に、大丈夫です、と彼女も律儀に答えているものだから、会話の内容としてはあまり実のない、というか、優しさばかりで刺激のないものになっているが、それでも二人は満足していた。優しさを交わす言葉のやりとりが、二人の毎日を染めている、そんな関係が二人とも、二人そろって気に入っているのだ。
 花火大会の会場はまさに絵に描いたような人込みで、頭ひとつ飛びぬけたクリスの目立つ特徴を、宵闇にうまく溶け込ませてくれている。誰も気付かない、有象無象にひしめき合うカップルの一部になって二人は堤防の石階段に腰掛けて花火を待つ。
 「浴衣で花火、実は憧れていたのです」
 あなたと一緒に来られて嬉しいですよ、と微笑むクリスの髪が闇の中の僅かな光を集めて輝いているように見えた。トクン、と胸を躍らせて彼女も、浴衣の袖から手を伸ばしてクリスの腕に触れて、私も嬉しいですとにっこりと笑う。
 「……おっと」
 「?!」
 ぺち、と突如クリスは彼女の伸ばした腕を叩く。すぐさま慌てて、すみません、と言うクリスの手には、ぷち、と潰された蚊が一匹、平たくなって張り付いていた。
 「蚊……?」
 「蚊、ですね。すみません、痛くありませんでしたか?」
 「いいえ、ちょっと、びっくりはしましたけれども」
 手をティッシュで綺麗に拭って、クリスは口元に手をやってくすくすと笑う。
 「私の恋人に手を出すとは、命知らずな虫もいたものですね」
 「虫も殺さないような顔して、怖いこと言わないでくださいよ……
 「おや? そう見えていましたか?」
 「はい」
 笑う彼女につられて笑って、クリスも冗談を言う。
 「そうでしたか……でも、全ての虫に聞いておいていただきたいのですが、私の恋人に手を出すのでしたら、命がけで来ていただかなくては」
 適者生存、自然の摂理です、と笑うクリスは巾着の中からスプレーボトルを取り出して、それをシュっと彼女に吹き付ける。あたりに漂うミントの香りに目を細める彼女にそれを吹き付けてからクリスは自分にも同じように吹き付けて言う。
 「ミントオイルには害虫の忌避作用があるのですよ。すっとしますし、気持ちいいでしょう?」
 「ふふ、そうですね、ちょっと気持ちいいです」
 清涼感に汗が引き、爽やかな風が二人を撫でる。これで虫も寄ってこないでしょう、と巾着にスプレーボトルをしまい込むと、クリスは徐に腕を伸ばして、隣の彼女の肩を優しく抱き寄せた。
 「あの」
 「こうしておけば」
 クリスの囁きに被せて、花火大会の会場アナウンスが花火の開始を告げる。身を寄せ合った二人の頭上、鮮やかな大輪が花開く。ドン!と腹に響く衝撃を受け止めながら、クリスは耳元にそっと唇を寄せる。

 「他の悪い虫も、寄り付かないでしょう」

 思わず振り見たクリスの瞳に映り込む、空の濃紺のベルベットと、色彩の輝き。綺麗ですね、と言ったのは、果たしてどちらの声だったのだろうか。どこへ向けての、声だったのだろうか。
 虫除けを纏った二人は、夜空を彩る無数の光と音の渦に巻き込まれたまま、しばし無言でその煌めきを見守っていた。夏の夜は、賑やかに静かに、あっという間に過ぎていった。


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