@toasdm
気付かないフリも楽じゃないな、とみのりは溜め息を漏らした。これを優しさだって履き違えているつもりはないけれど、でも。楽じゃない。だってそうだろ、と鏡の中でぼんやりと歯を磨いている寝起きの自分に問いかける。
だってそうだろ、相思相愛じゃダメな立場だってあるんだから。
自分がプロデューサーに対して抱いていた思いを自覚したまではよかった。そんなもの、自分勝手な都合でどうとでもできる。一時は、強すぎる恋慕の念に心をかき乱されたり、振り回されたりもしたが今では随分と、みのりは上手に自分の気持ちを飼いならせていた。ただ――…。プロデューサーから向けられた視線や言葉の意味を、私はあなたが好きです、という思いを痛感してしまった瞬間から、みのりは別な悩みも抱えることになってしまったのだ。
相思相愛。本来ならば喜ばしいその間柄は、二人の立場上、許されるものではなかったというだけだ。
アイドルとプロデューサーが恋に落ちるなんて。そんなの、ダメに決まってるだろ。ことみのりに関しては、アイドルという存在そのものの重要性を十二分に理解しているからこそ、その思いは強いものとなる。だからこそ、ここまで上手に包み隠して飼いならしてきたっていうのに……。なんでだろうなぁ、とみのりはぶくぶくと口をすすいで、歯ブラシをコップに投げ入れた。
洗面器に水を張り、ソープを泡立てて肌を滑らせる。そこそこいい年いってるけど、俺もまだまだいけそうかなぁ。ふふっ、と含み笑いを零しながら朝の身支度は進んでいく。ざぶざぶと泡を洗い流してタオルで水分を拭き取って、棚から取り出した化粧水を軽くはたいて、ぺちん、と両頬を強く打つ。鏡の中にいるのは、いつもの見慣れた自分の顔で、みのりはじっとそれを見つめる。
「プロデューサーはさ、こんな男のどこがいいの?」
スカウトされた時も、仕事を取ってきて送り出してくれる時も、最近は、一人の男としてみる時も。渡辺さんは本当に格好いいです、王子様です、理想的です、と、彼女からの評価はべた褒めだ。感傷に浸るような高尚な趣味もないけどさ、とフッと目を伏せて笑いながらみのりは呟いた。
「俺、プロデューサーが思ってるような男じゃないよ」
そういう事は本人に聞くのが一番いい、というのは理解している。それでも、そんな事をしたら彼女は、全力でそれを否定せずに受け入れて、言うのだろう。それでも私は渡辺さんが好きなんですよね、と。あの困ったような笑い方、思い出すだけでどうにかなりそうだよ、とみのりはシャツをぎゅっと掴んで胸を押さえる。洗いざらしの服と肌だけがみのりを包む朝、ぽつりと呟いた言葉に、みのりは自嘲した。
「俺は、プロデューサーの笑顔が、一番大好きだよ……」
そう、言えたらよかったんだけどな。自嘲と共に吐き出した思いが、朝の洗面所に滞留する。今日も思いは胸に閉じ込めて、みのりは着替えて家を飛び出す。いつか胸を張って好きになってもらえるように、そんな自分になれるように。閉じ込めた思いはかなり重いのに、足取りだけは妙に軽い。難しい事は得意じゃないんだよね、と心の中で呟きながら、みのりは事務所へと向かった。