@risa_natsuko
ユタ視点
MK「……ヒョン、大学は?」
JW「単位は足りてるからいいの」
MK「暑いんだけど」
JW「心配させたんだから我慢して」
げっそりした顔のマークをジョンウが抱き締めて離さない。ヨンホに頼まれレモンを買いに行った帰り、店を窺う怪しい連中にマークが気付いたそうだ。裏口も見張られていたためいろはを連れて屋根部屋に隠れたのだが、風通しの悪い屋根部屋は蒸し暑く、熱中症になってしまった。軽くすんでよかった
「…ごめんなさい」
しょんぼりした様子のいろはに答えたのは意外にもジョンウだった
JW「マークが巻き込まれたことが気に入らないとはいえ、君に責任がないことはわかってる。責めはしない。ただ聞く権利はあると思ってる」
「もうちょっと待ってやってくれへんかな、さっきまで点滴打ってたんやで」
「大丈夫だよ、話せる。悠太くんにも最初から言うべきだったかも…」
そういうものの、いろはの顔色は悪く、話すのをためらうようなそぶりを見せている。やっぱり後にしようと思ったが、マークが言った
MK「さっきの連中、ただの雇われでしょ」
「…ッ何でわかるの」
MK「店を窺ってる時、何度も写真でいろはちゃんを確認してた。写真でしか顔を知らないってことは事情を知らないただの雇われ者。つまり雇い主は野放しだ。話したほうがいいよ」
するといろはは涙目になって俯いた
「私、料理も語学もどっちも勉強したくて、一本に絞れなくて、家族と相談したんです。バイトをして学費の一部を家に入れることを条件に、学校を掛け持ちしてもいいと言われたんです」
JW「でもそれ、日本の学校だよね?」
いろはは頷く
「高校のうちからバイトを始めました。近所の図書館で読み聞かせのバイトと、お弁当屋さんです。お弁当屋さんはビルの1階にあって、2階から上は大手法律事務所が入ってました。悠太くん、昔近所にお屋敷みたいな大きいお家あったの覚えてる?」
よく覚えている。いろはの家の斜め向かいにあって、塀の隙間から季節になると紫陽花が見えて、いろはや俺の姉妹たちははそれが好きだと言っていた
「その家の人、持ち主が3年前なくなって新しい人が入ったの。その人がビルの所有者で法律事務所のシニアなんとかって人らしくて」
JW「シニアパートナーだ。事務所に出資している人の中でもトップって意味」
MK「それってすごいの?」
JW「パートナーになるだけでも事務所に多額の出資金が必要だし、パートナー会議で認められなければシニアパートナーにはなれない。その座を維持するのだって容易じゃない。そいつは金持ちなだけじゃなく弁護士としても有能だ」
「親の代から偉い人でお金持ちだってももかちゃんが話してた。その人、娘さんが図書館の読み聞かせ会に参加してて、私のことも覚えてたみたい。バイト増やそうと思ってた私に声をかけてくれたの」
―――料理を勉強したいなら、うちのビルの弁当屋でバイトしたらいい
―――私の紹介なら必ず雇ってもらえるから
「在日2世の人らしくてね、休憩時間に韓国語を教えてくれたりしたの。すごくいい人だと思ってた」
春休みに入り、ある日のバイト上がり、店主に客の忘れ物を届けてやってほしいと頼まれた。ファイルのようなものだ。いろはにとって初めて入る法律事務所は緊張するし、夜遅くで灯りはほとんど消えていて怖く感じた
「だけどファイルは重要な書類っぽかったし、奥の大きな部屋から明かりが漏れてたからその人に預ければいいと思って……でもなんかバタバタ音がしてて忙しそうだったから、ブラインドの隙間から中をのぞいたの」
男が着替えているところだった。前身頃が血に染まったシャツを脱ぎ、ナイフの血をそれで拭っていた。いろはは怖くなり、ファイルを受付に置いて逃げた
「家に帰って自分がどんな人に雇われてたのか怖くなって、調べてみたの。家族にも何かあったらと思うと話せなくて…」
ネットでの評判はすこぶる悪かった。報酬は高いが勝訴は確実。どんな手を使ってでも勝利をもぎ取り、そのためなら相手を陥れることも辞さない。優しいあしながおじさんの正体がこれだ
「次の日がゴミの回収日だってわかってたから、朝早くに行って外のゴミ箱をのぞいたら……黒い袋にシャツだけ入ってた。どうしたらいいかわからなくなって…」
「…持ち出したんやな」
MK「警察には?」
いろはが首を振ったのですぐに勘付いた。どんな犯罪ももみ消し報酬のためには汚い手も使う。そんな弁護士なら警察にも強いパイプを持っているはずだ。実家も有力者なら、在日というから韓国でも顔が利く。いろはがテヨンたちと知り合っても頼らなかった理由がわかった。警察組織を信用出来なかったのだ
「家族には韓国語を勉強したいから、ソウルの学校に行きたいって言ったの。私の様子がおかしいって気付いてたみたいだけど、しつこい男の人がいるって言って誤魔化したら、悠太くんのところの方が安全だって言ってくれた」
「今どこにある、証拠品」
「それは…」
その時俺のスマホが震えた。ドヨンからだ
「どうしたドンス…」
DY『ユタ兄、今2人と一緒?今すぐ病院を出て。店を襲った連中の雇い主がソウルに来てる。それから』
それに続く言葉は想像出来た。店を襲った連中が吐いたらしい
DY『そいつは韓国警察にコネが利く。警護につけた警官は頼るな、ぶちのめしていい俺が責任をとる。ジェヒョンが先に向かってるし俺達も応援に行くからそれまで耐えて』
俺は携帯を切ると、窓に駆け寄った。血の気が引く。遅かった
「いろは、俺と来い。マークもや、お前も目をつけられとる」
MK「来てるの!?」
「外は囲まれとるから出られへん。ジェヒョンが来るまで病院の中で隠れてるしかない。ジョンウ、頼みがある」
俺は病室の棚を漁ってティッシュの箱をジョンウに投げた。ポケットのライターもだ(薬に使ってるわけじゃない、火と刃物は探偵の必需品)
「東側の階段近くでボヤ騒ぎ起こしてくれ。例の弁護士が警察に顔利くんやったら警護の警官にも息かかっとるはずや。引きつけてくれ」
JW「わかった。向こうがコネならこっちもだ。病院に顔は利くし黙らせられる。ヨンホさんの病室も移すよ」
ジョンウが服の下に箱を隠して病室を出て行く。しばらくして廊下が騒がしくなり、火災報知器が鳴り響いた。マークの携帯が鳴る
MK「ジョンウ兄からメール。警護の警官が火災の方に行ったって。だけどどこかに連絡してる」
「周囲の目もあるし火事を放っておけんからな。陽動やとわかっとる。すぐに逃げんと例の男が来るで」
3人で混乱する廊下に出る。俺はいろはの手を繋ぎ、マークはその後ろだ。非常階段を見つけ、そちらへ向かう。2つ下りて再び廊下に出た。上よりは混乱していない
「悠太くん、裏口こっちだよ」
「裏口も絶対見張られとる。除細動器ある部屋に籠る」
MK「心肺停止前提!?AEDこっちだよ!!」
「AEDは一般市民が使えるやつ!!病院用のでかいやつならチャージすれば即席スタンガンや……ッ敵さんは人たくさん雇ってるやろうからずっと隠れるのは無理や」
俺は震えている小さな手をぎゅっと握り締めた
使われていない手術室に入った。病院には悪いが、これも人命のためだ
「め、メスとか武器に持ってた方がいいのかな」
「あかん。メスは扱い慣れてないと怪我するし、刃物としては優秀でも小型やからリーチ短い。お前じゃたいした武器にならん」
除細動器を入り口近くに持って来る。外を窺うと、2人組の男がドアをひとつひとつ開けて確かめているところだった。除細動器のチャージに必要なのは20秒弱、今からではタイミングが早すぎる
「マーク、いろはと2人で棚の陰に隠れとけ。警棒は?」
MK「持ってるけど…」
「ドンスの訓練信じたいけど、名前さんの腕知っとるからなぁ……いろはを頼んだわ」
俺は口に指を当て、2人に息をひそめさせる。手持ちの武器はナイフ2本と除細動器だけだ。慎重にタイミングを計り、足音が近付いて来たのと同時に俺は除細動器のスイッチを入れた
「おい、この部屋も駄目だ。次」
「ったく…ガキが手間かけさせやがって」
ドアが開いたと同時に俺は入ってきた大柄な男の体にパドルを押し付けた。バンッと音がして男が後ろに倒れていく。俺はすかさずテヨンに教わった動きで2人目の男の腹に蹴りを叩き込んだ
「階を変えるぞ、急げ!!」
男達が倒れているうちに急いで非常階段へ向かう。後方を警戒しすぎて前方がおろそかになっていたらしい。いろはが悲鳴をあげた
「…ッいろは」
MK「大丈夫!!」
出会い頭に警棒で殴ったらしい。少なくとも名前さんよりは訓練の成果が出ているようだ。すぐにマークが叫ぶ
MK「上に行け!!早く!!」
前方に男が2人見えて俺はとっさにマークの体を引いて前に出た。ナイフを開くと同時に、今度は背後から頭を思いきり殴りつけられた。感触からして銃だが、この距離で気付けないとは探偵としても従兄としても情けない。状況は言い訳にならない
「…ッ悠太くん」
いろはが怯えたように縋りつく。マークが庇うように立つが、挟み撃ちだから分が悪い。いろはは俺を殴りつけた男を見て震え上がっている
『あんたか……俺の可愛い従妹を怖がらせるストーカーは』
『警護に守ってもらえなくて残念だったな?諦めろ』
やはり手が回っていた。ドヨンの電話が役に立ったが、それにしても遅かった。銃を持った男に囲まれているから動けない。いろはやマークが撃たれる可能性が高い
『中本さん、私から盗んだものを返してほしい。今どこだ』
『…ッここにはありません!!私や私の周りに何かあったら然るべき手に渡るようになってます!!』
『それはそこにいる探偵君のことか?それともその恋人か。私と君、どちらがより強固なパイプを警察に持っているかな』
日本は銃社会じゃない。警官と暮らしているマークや俺と違い、いろはにとって銃は見慣れないものだ。恐怖で震えている
『…隠し場所を知っとる』
『悠太くん!!』
『いろはからさっき聞いた。2人を解放してくれたら俺が案内したる。ブツさえ回収できればええやろ、どうせいろはが何言うたってもみ消せるくらいの金は持ってるんやから』
『……いいだろう』
俺は何とか立ち上がり、2人を非常階段から出そうとした。だが弁護士の合図で男がいろはの腕を掴み上げる
『やめろ!!』
『そっちの少年は帰っていい。だが彼女はシャツを回収するまで一緒にいてもらうぞ。心配するな。さっき君が言った通り、彼女には殺すほどの価値も…』
パァンッ
パンッ
いろはが悲鳴をあげてしゃがみ込む。彼女を掴んでいた男が肩を押さえて倒れ込むのを見てすかさず俺はいろはを引っこ抜いた。マークの足元にもう一人の男が蹲っている
JH「警察だ。全員銃を下ろせ」
『…ッこの』
弁護士がジェヒョンに銃を向けると彼はすかさずその腕をとって、笑った
JH「銃を向けたな……警官に」
『…ッやめ、やめろ』
JH「耳を塞げ!!」
何があるか気付いて俺はいろはの耳を塞いで自分の胸に引き寄せた。ジェヒョンが弁護士の腕をねじり上げると、ボキボキと不自然な音がして弁護士が濁音だらけの悲鳴を上げる。それでも銃を離さないのを見てジェヒョンは男の顔面を階段の手すりに叩き付けた
JH「ユタ兄、もういいよ」
「ジェヒョン……ヨンホとジョンウは無事か?」
JH「そっちにはドヨン兄が行ってる。こいつが雇った他の連中はテヨン兄が片付けてくれた……といっても、ちょっと癪なんだけどね」
ジェヒョンはてきぱきと男3人の手に手錠をかけていく。無線で連絡を入れてから壁にもたれて苦笑した
JH「ソウル・ストリート・イレギュラーズってところかな」
MK「…ベイカーじゃなくて?」
JH「ナ・ジェミンだよ。店での事件があってすぐ仲間達を病院周辺に張り巡らせてたらしい。逃げられないように連中の車をパンクさせたりしてくれたんだ」
「どこまでしたかによってはジェミンあいつ首だ」
相手は銃を持ってるんだぞ!!
JH「うん、だから遠巻きに見てるだけで、俺が来た時侵入経路を教えてくれた。病院内部の様子もね。だからここがわかったんだ。ただ…」
ジェヒョンが笑う理由はわかる。実を言うとジェミン含め彼の仲間数人はこの病院を出禁になっている。薬をやった状態で運ばれた際、錯乱して暴れた挙句に治療費を踏み倒したからだ。彼らは意識のある状態でこの病院に立ち入れないことになっている
JH「いろはちゃん、怪我はない?」
「わ、私は平気です……でも悠太くんが」
JH「もう大丈夫。ヒョンもすぐに診てもらえるからね」
やがて警官たちがやって来て男3人を引き摺って行った。半泣きですっ飛んで来たテヨンに抱きかかえるようにして運ばれていく中いろはを見ると、ようやく気が抜けたのかジェヒョンに抱き付いて子供のように泣いていた
「……テヨン、俺歩けるんやけど」
TY「姫抱っこがいい?」
「俺今回無茶したわけちゃうやん…」
TY「調書で大まかな筋はわかったよ。とりあえずあの弁護士の野郎は痛めつけてやる」
「いや、ダメやろ」
TY「カメラのあるところでやったりしないよ。腕の一本でも折ってやらないと気が済まない」
ジェヒョンが既にベッキベキに折っている
TY「じゃぁもう1本だな」
JN「え、そんなヤバいことになってたの?」
ヨンホが見舞いの林檎を自分で剥きながら言った
JW「腹立つったらないよ。僕はマークが心配ですぐにでも駆けつけたかったのに、この人起きないんだもん」
JN「無茶いうなよ、蹴られ殴れらしたせいで前に刺された傷が悪さしたんだ。痛み止めうたれて意識はなかった」
JW「マークは疲れ切って爆睡。お姫様は改めて警察で聴取。ユタさんは?」
いろはは証拠品のシャツを駅のロッカーに隠していた。それはジェヒョンの手に渡り、然るべき仕事をすることになる。事件はドヨンの管轄となったし、あの分署の警部は上層部の圧力にも強い潔癖な人だというから信じていいだろう
「あの弁護士、日本のアパートで不倫相手を刺しとったんやって。職場で着替えてから帰ろうと思ったところをいろはに見られた」
シャツを捨てたもののしばらくして心配になり、取りに戻った時にはなかった。ファイルのことを知っていろはに見られたと思った彼は口封じを考えたわけだ
JN「とにかく……店はまた休業になるね。俺もこんな状態だし、店はあちこち壊れちゃったし」
「いろはを守ってくれて感謝してる。治療費は出すし、店の改装費も…」
JN「あーいいよ、大丈夫。保険は下りるし店の改装は名前ちゃんに頼むつもりだから。大丈夫かな」
さっきドヨンに電話して聞いた。彼女は分署で相当心配していたらしく、病院での一件を聞いて貧血を起こしてしまったそうだ。そして医務室で事情を聞き、「私のいろはちゃんを殺そうだなんて、地獄に落ちればいい」と息巻いている
JW「さすが探偵の従妹ちゃんですね。殺人事件を解決に導くとは。雇えば?」
「冗談のつもりか」
JN「心配はいらないだろ。ナイトがいっぱいいるみたいだし」
泣きじゃくるいろはを抱き締める時、ジェヒョンは困ったような顔で腕を回そうとし、結局髪を撫でていた。ジェミンは病院に突撃しようとして警備員に蹴り出され、駐車場でずっとロンジュンとチソンの2人がかりで押さえつけられていたらしい
JN「どうするの、過保護なお兄ちゃんは」
「絶っっっ対許さへん」
JW「何故?物件としては悪くないでしょう。片や優秀な警官で、片やあなたの助手ですよ。何が問題?ナ・ジェミンの前科?チョン・ジェヒョンとの歳の差?」
「テヨンに言われた。姉貴や妹に電話で言われた。俺といろはには共通点がある」
いろはの無事を伝える電話で、彼女の母親はからからと笑っていた
―――中本家の人間はモテるのよ、それも変なのにね
―――悠太といろははよく似てるわね
「男運がない」
JN「別に弁護士とはそういう関係じゃなかっただろ」
「そういう意味じゃない。男難の相があるんや。トラブル引き寄せる」
JW「確かに。ユタさんはイ・テヨンなんて嫉妬深くて絶倫のヤンデレ男に一生縛られるわけだからね」
「どの口が言うねんどの口が」
ジェヒョンもジェミンも信頼のおける友人であり弟分だが、それとこれとは話が別だ
いろははそう簡単に渡さない。指一本触れさせるつもりはない