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[雨P♀]腹の上のミケ

全体公開 1 2588文字
2018-07-17 12:53:54

「ミケ、お前さんなあ……

伝統的な日本家屋に住んでるPさんと、たまに遊びに来る雨彦さんと三毛猫のお話です。

Posted by @toasdm

 彼女は伝統的な日本家屋に住んでいた。借家ではなく、人づてに譲り受けたそれは古めかしさを保ちながらもどこか女性らしく、現代的にアレンジされている。例えば水周りはシステムキッチンが整備されているし、風呂トイレなども一般的なものだ。生垣の椿と木製の門扉こそ古きよき昭和中期の面影を残しているが、存外住み心地はいい。……ただし、雨彦にとっては必ずしもそうではなかった。
 最初、男女の仲になってから初めて彼女の家を訪れた時、雨彦は都合六回ほど鴨居に頭を打ち付けた。実家みたいだな、と苦笑しながら五尺七寸の鴨居を潜る六尺三寸の身の丈は、実に過ごしにくい。それでも今では慣れたもので、まるで実家のようにしっくりと空間に馴染む雨彦の姿は、彼女の住まいにとても合っていた。半ば棲みついているような形にすらなっている。湯上がりに浴衣を羽織って畳敷きの床の間でゴロ寝をする雨彦の姿も、彼女にとっては見慣れたものになっていた。起こさないように小さく、雨彦さん、ただいま、と床の間の方へ声をかけて、彼女はキッチンで、買ってきたものを冷蔵庫に閉まって麦茶を氷で満たしたグラスに注いだ。
 炎天下の一人の買出し、きっと雨彦は怒るだろう。目を覚ましてから、お前さん、なぜ起こさなかったんだい、と不貞腐れるのだろう。だって、こんな暑い中。雨彦さんを連れては歩けませんよ、と独り言をぽつりともらして、彼女は麦茶を一口飲んだ。シンクの人造大理石の冷たさが腰に心地よい。乾いた体に染み渡るような麦茶の香ばしい香りが喉を抜けて、ほぅ、と吐息を漏らして彼女は、グラスの中の氷をひとつ、口に含んで噛み砕く。しゃり、しょりと冷たさが砕けて、それもほてった体を冷まして溶け消える。暑い、夏の日。風のよく通る床の間の雨彦は、そろそろ起きるだろうか。脱水を起こしてはいけない、と麦茶を注ぎなおして彼女は、それを手に床の間へと向かった。
 「あ……また……
 くすっ、とひとつもれた笑い。彼女の目線の先には大の字になって眉根を寄せて、少々寝苦しそうな雨彦と、その腹の上で丸くなる三毛猫とが、風鈴の音をBGMに絶賛午睡の真っ最中だった。別に飼ってるわけじゃないんだけど、と笑いをかみ殺しながら、彼女は雨彦のそばににじり寄り、窓にかけられた葦簾に刺さった団扇を手にして、はたはたと扇ぐ。桃色の首輪に金色の鈴をつけた三毛猫は、恐らくどこかの飼い猫なのだろう。雨彦がよく家に上がりこむようになってから、ふい、と縁側に姿を見せるようになった猫だ。雨彦は、安直に『ミケ』と呼んでいたが、本当のところは二人とも、名前も素性もしらない猫だ。ミケは雨彦が気に入りのようで、こうしてたまに、一緒に仲良く寝ていることもある。夕涼みの頃合には縁側で涼む雨彦の膝に、夕飯時には刺身を狙ってちゃぶ台の脇に、そしてこんな昼下がりには――
 「ミケ、雨彦さん寝苦しそうだよ……
 降りてあげて、と腹の上で丸くなったミケを団扇で送ったそよ風でなでると、ミケは心底迷惑そうな目でちらっと彼女を見て、それから大あくびをひとつ。ぐぐぐぐぐぐ、と四肢を突っ張って雨彦の腹の上で、ミケは伸びをしてごろん、と転がる。
 「う…………
 伸びて立ち上がったミケの全体重は、たった四つの肉球でピンポイントに雨彦の腹を押す。巨大な猫、という印象はないが、猫にしてはまあまあ大きめのミケは、よく膝を占拠されている雨彦いわく、ふてぶてしい頼りがいのある重さ、だという。それに押されて息が詰まったのか、雨彦は呻きながらうっすらと目を開けた。
 「また……こいつか……
 「ふふふ、おはようございます」
 麦茶いかがですか?と雨彦の額にグラスの底を押し付けると、彼女の手ごとそれを掴んで、いただくとするか、と雨彦は目を閉じて笑う。結露したグラスが心地よいのか、ひんやりとした感触に目を細めながら雨彦は、それをそっとどけてから頭をもたげて、腹の上のミケに悪態をついた。
 「ミケ、お前さんなあ……
 にゃあ、とひと鳴きしたミケの両脇を抱えて、雨彦はそれを持ち上げて寝転がり、自分の顔の上でぶらぶらと振る。されるがままにおとなしく、なんなら喉もゴロゴロといわせるミケに、昼寝の邪魔をするなよ、と笑いながら言い聞かせた雨彦は、腹筋の力だけで上半身を起こし、ミケを脇において胡坐をかいた。麦茶を受け取るや否や、雨彦の浴衣の裾を踏みつけながら、ここが私の場所ですが?といわんばかりにミケは、雨彦の膝を占拠した。
 「お前さん、ふてぶてしい重量感なんだぜ? ちょいと考えてくれないか……
 「ふふふ……可愛いからいいじゃないですか」
 ちょっと妬けちゃいますけど、と苦笑する彼女をちらりと見て、雨彦はにやっと笑う。ミケ、お前さんどいてくれよ、と膝の上の猫を脇へとどけると、雨彦はすぐさま、今度は彼女の両脇を抱えて自身の膝の上に乗せた。
 「わぁぁ」
 「んっ、お前さんも存外重いな?」
 「ば、馬鹿!」
 「ははは、ミケに比べりゃ、って話さ」
 軽い軽い、とけらけら笑い、雨彦は膝の上の彼女に抱きつく。重たいですから、離してください、と喚く彼女と、いいじゃないか、ミケよりはましさ、とからかう雨彦のじゃれあいが、しばらく続いた。
 「あ……
 「ああ……はは、まあ、あいつはそういうやつだからな」
 不思議な猫だ、といつも思うのだ。ミケは、二人が仲睦まじくじゃれあいはじめると、ふい、と姿を消す。どうせ夕飯時になったらまたひょっこりと顔出すさ、と溜め息をつく雨彦が、ミケを密かに待っているのは、間違いないだろう。この家は猫に対して無防備過ぎるぜ、と彼女を抱きかかえたまま立ち上がった雨彦は、がら空きの縁側に腰掛けた。確かに。この状態では、猫も人も、出入りは自由だろう。そういう構造の家ですから、と笑う彼女を膝に抱いて、雨彦は空を見上げた。
 「……暑いなぁ」
 「ええ、本当に……
 手にしたままだった団扇で、背中の雨彦ごと彼女はそよ風を起こす。チリリン――。風鈴の音に、幾ばくかの涼を求めて、二人は縁側に寝転がった。遠くで、にゃあ、と猫の鳴く声がしたが。それがミケのものなのかどうかは、二人には、わからなかった。
 日差しは、二人の足をじり、と焼き付けるように午後を燃やした。


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