@kakurinohate
The Garden-Partyにおける印象的な台詞の一つとして、主人公Lauraが荷馬車屋の男性の遺体に対面して口にする “Forgive my hat,” が挙げられる。彼女は道中からも華やかなおめかし用の帽子を気にしている描写があるが、それは彼女が貧民街に住む人々の視線をしのんでのことである。遺体を前にした彼女は何故悔やみの言葉よりもそのような言葉を選んだのか。帽子に込められたSheridan家の人々の階級意識と、それに対するLauraの心情の変化について考察することにする。
Sheridan家の人々の特徴としてまず挙げられるのが、order,やarrange,といった命令的な行動の数々と、それに伴った物質的豊かさについてである。cream puffsやpink liliesを、partyだけでは持て余すほどに注文するのは彼らにとっては当然のことであり、そのような意識は冒頭の、 “They couldn’t had a more perfect day for a garden party if they had ordered it.” という一文にもよく表れている。また、彼らは人を動かすことにも慣れている様子がMrs. SheridanやJoseに現れている。しかし、Lauraだけは例外だ。彼女はmarquee の設置場所についてworkmenの指揮を取ろうとするが今一度上手くいっていない。これは “she loved having to arrange things.”という描写に反するようだが、その直前で姉が “you’re the artistic one.”とLauraをおだてている。つまり、実際には人の上に立つのがあまり得意でないLauraに何とか力を付けようと、家族ぐるみで根回ししていることが仄めかされているのだ。
では、どうして彼女は人に指示を出すことが得意ではないのか。それは、彼女が階級差別に不満を持ちつつも、自分の意志をはっきりと通すことが出来ない性格であることと関係している 。workmenに親近感を抱いたり、近所の事故に心を痛めたり、雇った演奏隊は何か飲まなくていいのかと気にかけたりするのはSheridan家でLauraただ一人だけだ。しかし、同時に彼女は周囲の人間、とくに母親に逆らえない立場に居るのもまた事実である。彼女がpartyを中止しようと持ちかけたときも、荷馬車屋の遺族に残り物を持っていくのが間違っていると感じたときも、Lauraは結局“She hoped her mother was light” と自分自身を納得させながらMrs. Sheridanの指示に従ってしまう。
ところで、Sheridan家の庭にもたくさん植えてあり、またMrs. Sheridanが余分に註文したliliesは 純潔、美しさの象徴として有名である。また、party中止を求めるLauraをかわして彼女に与えた黒い帽子を飾っていたdaisiesも、キリスト教圏では同じく純潔、無垢の象徴として現れている。つまり、Mrs. Sheridan が好んで子供達の周囲に置きたがる花には子供達がそうあってほしいという呪縛のような意味合いが見て取れるのである。そして、庭師によって朝早くから整えられ、liliesが咲き誇る庭は、母親が娘を閉じ込めておくエデンの花園と言える。
そのような束縛が込められた母の帽子を被らされ、母の手によって山盛りに詰められていくのを見守ることしかできなかったbasketを持たされたLauraは、母の操り人形も同然である。Mr. Sheridan, Laurie, Kitty, workmen, は思い思いに帽子を被っているが、彼らは自ら選んでそれを被るので、Lauraとは意味が違う (寺本) 。ここで興味深いのは、帽子を被ったLauraを褒めるMrs. Sheridanの表現 “I have never seen you look like a picture.”が、後に荷馬車やの男の遺体を形容する表現 “ ‘e looks a picture.”として再登場することである。つまり、Lauraと亡くなった男性が対比される形となっているのだ。 “Oh, so remote, so peaceful. (…) What did garden-parties and baskets and lace frocks matter to him? He was far from those things. He was wonderful, beautiful.” というLauraの心の声には、常に母親の影がつきまとい、自分の意志を貫けず心安らかでないままEm’s sisterに導かれてやってきた自分自身のあり方を、一人きりで安らかに眠る男に対面することで改めて意識する様子が表れている。 人の手が及ばない場所にある安らかな幸せというものを知ることなく、人の言いなりになるばかりであった彼女の自省の念が、“Forgive my hat,” という言葉には込められているのではないか。
以上の点をまとめると、Lauraは自分の意志を通すことが出来ず、母親の操り人形のような部分があった。しかし、亡くなった男との対面を通して、人生とは何かを見つめ直し、自分の意志ではないものの象徴としての帽子について謝罪の言葉を口にしたのだと考えられる。
(1740字)
参考文献
Katherine, Mansfield. “The Garden-Party.” 田中英史編. 『現代イギリス短編集』. 成美堂. 1976年.
寺本明子. 「キャサリン・マンスフィールドの『生』の見方」. 『東京農大農集報』. 53(1)号, 2008年. 5-12頁.
インターネット, http://www.whats-your-sign.com/symbolic-meaning-of-daisy.html
(2014/07/29にアクセス)