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初島くんと鴛淵さん

全体公開 1794文字
2018-07-24 11:45:34

MP31での無配『飛行機乗りたちの話』より抜粋。
私情をねりこみながら書きました。敢えて砕けた呼称で失礼しています。話半分にどうぞ。

Posted by @YuriSIO

 初島くんと鴛淵さんは、1945年の7月24日の出撃でともに未帰還となりました。初島機は、エンジンに被弾し煙を吐いて海面近くまで高度を落とした鴛淵機に寄り添い、敵機に追われながら隊長機を守るために最後の反撃を試みたところを撃墜された、と米軍側の証言から明らかにされています。鴛淵機もまたその直後に撃墜され、二人は運命を共にしました。この日、鴛淵隊長が率いて迎撃に上がったのは21機。200機以上の米機動部隊の攻撃機隊に立ち向かいました。
 初島くんは幼いころから養子に出されて育ちました。成績優秀で、中学五年のときには高松高等商業学校に合格しましたが、養母の再婚相手である養父が学費を出してくれず、進学は叶いませんでした。可愛がってくれた養母は初島くんが中学に入ったばかりのころ重病に倒れて亡くなっており、二人の子供を連れて再婚した養父は彼に冷淡だったようです。病気になった養母の看病を下の世話にいたるまで一人で続けた優しい子でした。海軍に入隊したのは18歳のとき。飛行予科練習生として土浦航空隊の門をくぐりました。
 鴛淵さんとの出会いは1944年、厚木の203空。初島くんが飛行練習生教程の訓練を終えて最初に配属された部隊でした。そのおおよそ一年後、松山の343空で初島くんは鴛淵さんの列機として飛ぶことになります。
 初島くんは区隊長として部下を率いるに十分な技量があるとの評価を受けていましたが、343空としての初陣でもあった3月19日の邀撃戦による損害を受けて飛行隊の編成が見直された際、隊長の僚機として鴛淵さんの区隊に選ばれました。この事情については、鴛淵さん自らの強い意向があったと伝えられています。
 要務士の中島さんは年齢が近かったことからか、また予備士官という立場からか、初島くんと親しく付き合いました。不時着から生還した初島くんを指揮所にいた鴛淵さんが駆け寄って出迎えたことや、隊長の区隊に選ばれた誇らしさを照れ臭そうに語る初島くんの言葉を中島さんが伝え残してくれています。
 鴛淵さんと初島くんは、普段から口数が少なくおだやかでいるところが双子の兄弟のようだと評されたこともありました。中島要務士が聞いた初島くんの「隊長は絶対に自分が守り通してみせる」という言葉は、青春の只中を戦場に生きた彼の見た世界の輝きそのもののように思われます。

鴛淵孝/おしぶちたかし
1919年10月22日生まれ、長崎県出身。海兵68期。
ラバウル、北千島などの戦線を経て、343空戦闘701飛行隊隊長を務める。
1945年7月24日、未帰還。

初島二郎/はつしまじろう
1923年5月17日生まれ、和歌山県出身。
第9期甲種飛行予科練習生として海軍に入隊。343空戦闘701飛行隊で隊長僚機を務める。
1945年7月24日、未帰還。


*おまけの用語解説
すごくゆるいので必ずしも正確でない部分もあります。大事なことはぜひ調べてみてください。 

 343空/さんよんさんくう
本項で扱う第343海軍航空隊は、本土防空のために1944年末に創設された日本海軍の戦闘機部隊です。最新鋭戦闘機『紫電改』を装備した701、403、301、の三つの戦闘機隊と、訓練部隊として401、さらに高速偵察機『彩雲』を装備した偵察第四飛行隊によって編成されていました。
 飛行隊長/ひこうたいちょう
各飛行隊を率いて最前線で戦闘を指揮したパイロットたちが飛行隊長です。つねに海軍兵学校を卒業した士官パイロットが任命されました。「隊長」と言ったときはこのひとたちのことを指します。
 区隊長/くたいちょう
343空では四機でひとつのチームを組み、これを区隊と呼びました。このチームを率いるのが区隊長です。各飛行隊長の率いる区隊では、隊長が区隊長を兼任しました。
 要務士/ようむし
飛行要務士は、飛行隊や個人の戦闘の記録といった庶務的な仕事の一切を担当します。パイロットを志して入隊しながら飛行不適格とされた一般大学卒の候補生たちの中から、どうしても飛行隊で勤務したいという強い希望があり、この職種が生まれました。

*参考文献

碇義朗『紫電改の六機』光人社NF文庫、2004年
高木晃治・ヘンリー境田『源田の剣 改訂増補版』双葉社、2014年
三四三空剣会(非売品)『三四三空隊誌』、1981年


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