@toasdm
一歩外に足を踏み出しただけで全身から汗が噴き出るような日中の酷暑がまだ残る夕暮れ、ちらほらと浴衣姿の人々を見かける街路を連れ立って歩く。熱気の尻尾が巻き起こした温い風が次郎の浴衣の裾を抜けるついでにひらと揺らし、素足の下駄がカラコロと、小気味良い音を立てている。
商店街の掲示板で見かけた「納涼花火大会」の文字に胸を躍らせて、一番最初に思い浮かんだ彼女の顔。浴衣とか着てくれるのかねぇ、とにやける口元を知らず押さえて愛の巣に戻った次郎は、ただいまと同時に彼女を抱きしめて、花火大会へと誘った。
「あの、実はそのポスター、私も見てたんです……」
「えぇー、プロデューサーちゃんもだったの」
「はい、だからその……」
する、と腕から抜け出した彼女はクローゼットから、浴衣を二つ取り出して言った。
「浴衣買っちゃいました」
行動早!とひとしきり笑って、次郎は彼女に浴衣を着付けてもらった。似合います、と目尻を下げた彼女とだいたい似たような顔をして、次郎も同じことを言う。似合うねぇ、と笑う次郎は、眼福眼福、と浴衣姿の彼女をしげしげと眺めながら会場へと歩いた。
「あー、いいもんだよねぇ、浴衣」
「そ、そうですか……?」
「夏ってあっついしお金かかっちゃうしさぁ、あんま好きって感じじゃないんだけど」
徐々に濃くなる宵闇と人混み、はぐれないでね、と自然に手を繋ぎ次郎は空を見上げて呟く。
「涼しいし快適、プロデューサーちゃんの可愛い姿も拝み放題、ってねぇ」
少し頬を赤くしながら隣の彼女も、次郎さんだってかっこいいですよ、とうつむいて呟くのが次郎にとってはたまらない。そぉ?と口では軽く流してみるものの、内心はどうにも落ち着きがない。
会場は既に人だかり、隙間を縫って手を繋いで二人はなんとか桟敷の一角を確保して座る。ざわめきの中にうまく溶け込んで、そこでぼんやりと花火を待った。
「あーーー……あのさぁ」
「はい?」
手を繋いだまま次郎は、じっと彼女を見つめて言う。
「花火、炎色反応がーとか、言った方がいい?」
「え?!」
これでも元化学教師だからさ、とくしゃっと笑う次郎に釣られて彼女も笑う。そんなこと期待してませんよ、とぎゅっと繋いだ手を握り、彼女はこてんと次郎の肩に頭を預ける。
「リアカー無きK村で、動力に馬力を借りようとするもくれない、でしたっけ?」
「あー、懐かしいねぇ」
目を細めた次郎は彼女の手をふっと解いて肩を抱き寄せると、今度は反対側の手で彼女の手を優しく握る。絡めあった指を自身の浴衣の膝に置き、はぁぁ、と溜め息をついて次郎は頬を彼女の頭につけた。
「あれは紫だからストロンチウムだー、とか言うよりもさ、楽しみたいよねぇ純粋に」
「ふふ、はい」
暑くない?と気遣う素振りはみせるものの次郎は彼女を離すつもりはなさそうで、彼女の方も大丈夫です、と答えて離れるつもりはなさそうだ。
「浴衣、花火、夏。それでいいよ、それがいい」
「そうですね……」
会場のアナウンスが、間もなく花火が上がると告げている。いつの間にかとっぷりと日の暮れた夜空は濃い色で、大輪を待ち構えている。
「おじさんさぁ」
アナウンスに紛れて次郎はこっそり、彼女の耳元で囁く。え?と顔を上げた彼女の鼻先にちょんと唇を触れさせて、たはは、と照れたように笑う次郎も空を見上げた。
「今までで一番、花火楽しみなんだよねぇ」
誰のおかげだろうねぇ?と呟きながら人差し指でぽりぽりと掻いた次郎の頬は、まだ花火など上がっていないというのにほんのりと、色染めている。ぎゅっと次郎の袖を掴んで「私もです」と呟いた彼女の一言が、その色をほんの少しだけ、濃くしていた。
楽しもっか?とへらっと笑った次郎は夏の夜空を彩る花火と人々の歓声の中、一言も、炎色反応については話さなかった。