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七海家!!

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2018-08-28 17:49:15

お試し七海家その2。今度は二人だよー。



 3歳時と0歳児

「さーっちゃん」
 朝。起きたばかりの長女が、真っ先にベビーベッドに駆け寄った。寝室とリビングに一つずつ置かれたベッド。今次女が眠っているのは寝室の物だ。
 いろはによく似た色素の薄い髪に柵の外から手を伸ばし、そっと撫でてはくすくすと笑う。妹ができてからの、彼女の日課だ。ごく小さい声で妹を呼び、頭を撫でるというより髪を触るだけの動きは、長女なりの気遣いだろう。
 その姿に目を細めて、やちよは手招きした。
「ほら、お着替え」
「うん!」
 寝ぐせだらけの細く柔らかい髪が、長女の動きに合わせてふわふわ揺れる。駆け足で近寄って来たちはるは、やちよの前で元気に万歳をした。
「ばんざーい」
「ばんじゃーい!」
 その体から寝間着と肌着をはぎ取って、新しい肌着と、この夏におろしたTシャツをかぶせてやる。娘が自分で選んだシャツには、前に大きくウサギの顔、そして背中側にはウサギのお尻が描かれていた。
「んふふー、かぁいいーねぇ」
「そうねぇ。可愛いねぇ」
 何かをねだったり駄々をこねたりする事がない長女が、初めて欲しいと言った物だ。よほど彼女の琴線に触れたのだろう。これを着る度、にこにこと笑顔になる。
「きょーは、おしりこっちする?」
「しません」
「なんれ?」
「お尻は前についてないからよ」
「きょーはさ、おしり、おしりさ、まえにあったらだめ?」
「そうしたら皆でごはん食べる時、うさちゃんだけ反対向きよ?」
「あー」
「あー」
 いろはに良く似た下がり眉をもっと下げて、長女はこてんと首を傾げた。それに合わせて首を傾げながら、今度は寝間着のズボンに手をかける。
「ちはるのお尻はどこかなー?」
「きゃー!」
「みーつけたー」
「まーだだよー!」
「ふふ、もう見つかってるのよー」
「あれれー?」
「あれれー?」
 今度は二人揃って反対側に首を傾げ、ズボンをするりと引き下ろす。軽くお尻に触れておねしょをしていないのを確認し、足から寝間着を抜き取りにかかった。
「はい右ー」
「みぎは、スプーン」
「次は左」
「ひだいは、おたわん」
「よくできました」
「んふふー」
 やちよの肩に捕まって交互に足を上げる娘のおでこに、ちゅっと小さくキスをする。あと数ヶ月で四歳になる娘は、最近だいぶ色んな言葉を覚えてきた。今日、昨日、明日、という日付の前後がはっきりし、左右の区別や文脈の理解が進んでいる。数は五つまで数えられるようになり、絵本を読み聞かせるうちに少しのひらがなも覚えたようだ。まだ書けるわけではないが、たまに自分で絵本を開いて、知っている文字だけ拾い読みをしている。
「ズボンとスカート、どっちですか」
「きょーは、こえんいくからじゅぼん!」
「あら、いつそんな事決まったの?」
「あのね、あのね、きのーね、おやちゅのとき、おやちゅ、ほっろけーきらったんらけろ、ろろろ」
「おちついて。おやつの時に、なぁに?」
「ほっと、けーき、ほっとけーきたべてるときね、おかーしゃんがね、あしたはママもいるし、おてんきいいから、こえんいこっかって」
「あらそう」
「きのーの、あした、きょーれしょ?」
「そうよ。よくできました」
「んふふー」
 やちよの問いかけに何度も首を傾げながら、必死になって、少ない語彙と回り切らない舌の力を振り絞った娘。懸命に昨日あった出来事を話す姿に、目尻が下がる。
 ご要望通りに短パンを穿かせてやってから、小さな体を抱きしめた。娘はきゃーと嬉しそうな声を上げて、やちよの首に縋りつく。遠慮なく膝に飛び乗ってくるので、お尻を抱えて立ち上がった。
「いっくわよー!」
「んんんーー!!」
 そしてその体を強く抱きしめると、その場でぐるぐると回り出す。ぶんぶんと振り回されながら、長女は高い歓声を上げた。
「もう……またやってる」
 何回転くらいした頃だろうか。二人してふらふらと座り込んだところで、寝室の入り口から呆れた声が聞こえた。
「あ! おかーしゃ、あらら」
 その姿に気付いて駆け寄ろうとした娘が、数歩歩いたところでべちゃりと倒れ込む。その後ろで荒い息を吐いているやちよも、絶賛ぐるぐる状態だ。
「ご飯冷めちゃうよ? せっかく今日はオムレツ作ったのに」
「おむれちゅ!」
「オムレツ!」
「贅沢に分厚いポークハムもつけたのになぁ」
「ハム! はーむ!」
「あれ美味しいのよね」
「パン屋さんのデニッシュなんだけどなぁ」
「ふあふあ! おいしーの!」
「素敵」
「なんと! 昨日届いたシャインマスカットまでついちゃうんだけどなぁ」
「ちぃおーきた!」
「ママだっておーきた!」
「ふふ、よろしい」
 がばりと起き上がった二人に、いろはが優しく微笑みかける。そのままベビーベッドに近づく姿を眺めてから、母子は顔を見合わせた。
「ちぃ隊員」
「あい!」
「靴下を履いてください」
「あい!」
「ママはパジャマをたたみます」
「あい!」
 二人の大騒ぎで目を覚ましていた次女のオムツを変えてやりながら、いろはは目を細める。微笑ましいやりとりだ。
 やちよに靴下の左右を確認してから足を通す長女と、その横で小さな寝間着をたたむ伴侶。そしてその喧騒を好ましく思って、にこにこと笑っている次女。
 幸せだな、と思う。
「じゃあ下におりましょうか」
「あい!」
「うん」
 それぞれがそれぞれのやるべき事を終えて、やちよがベビーベッドに近づいてくる。素直に場所を空けて次女を任せながら、いろはは長女と手を繋いだ。階段を上るのはまだいいが、おりる時は少しだけ不安だ。
 四人全員、その内三人で足並みを揃えて階段を降りながら、長女が楽しそうにうふふと声を上げた。
「おっむれっちゅふわふわおいしいなー! しゃらだはちょっと、いっやだっけどー! たっべなっきゃおやちゅがたべれないー!」
 即席の歌に、やちよといろはは顔を見合わせてくすりと笑う。最近少しずつ好き嫌いが見え始め、この間初めてサラダを残したのだ。食べたくないだけだとはわかっていたが、おなかが痛いと言うのでその場では無理強いしなかった。
 その代わりにきっちりおやつを抜いたいろはに、娘は相当懲りたのだろう。おなか痛いんでしょ? 心配だし病院行こうか? とまで言われ悲痛そうな顔をした娘を、やちよは多分一生忘れる事ができない。娘はやちよに似て、食に対して積極的なのだ。一日の内、三時のおやつは特に楽しみにしている。いろはが作るおやつは、どれもとても美味しい。
 焼き立てのクッキーの匂いまでかがされてからのお預けは、運命共同体となったやちよにも相当辛かった。
「ぜんぶたべたらおやつある?」
「うん。今日はカップケーキだよ」
「しゅてき!」
 最近は真っ先に野菜類をやっつけて、好きな物を最後に食べるようにしているようだ。必死になって野菜を押し込む姿に、いつも微笑ましくなる。
「はい到着ー」
「じゃあ」
「あい!」
「「「おはようございます」」」
 リビングに入り、三人で頭を下げた。いろははそのままキッチンに入り、手を洗ってから料理の続きに戻る。やちよは長女と次女をそれぞれの席におろしてやって、いろはの後を追うようにキッチンに入った。
「野菜ジュースと牛乳、どっちにする?」
「ぐーぬー! おなないします!」
「はーい」
「さっちゃん、さくー? きょーはね、こえんにいくよー。おそとはね、もみじってゆーのがれ、れれ、きれーなんらよ?」
 やちよの返事を確認してから、長女は次女に話しかけ始める。
 長女は二人の対面、そこから角を挟んだいわゆる誕生日席に次女が座り、姉妹は顔を見合わせている。手を振って妹の注意を自分に向け、舌をこんがらがらせながらも、楽しそうに話をする姿。それに小さく微笑んで、やちよは長女用の牛乳と、二人の分の紅茶を用意する。
 次女は、長女に比べて少しだけ気難しかった。人見知りはしないのだが、寝かしつけだけは絶対にいろはでないと駄目だし、他にも泣き出した時やちよがあやすと時間がかかるが、いろはが抱くと一瞬で治まったりする。
 長女に比べたら随分簡単にすぽんと生まれてきたが、いろはへの執着心が少しだけ強かった。
「だいぶ楽になったわよね」
「さっちゃん? そうだねぇ」
 娘用のプレートに小さな料理を盛り付けていく姿に、やちよはそっと話しかける。それに眉を下げたいろはは、会話にならない会話をしている二人をちらりと見て、それから吐息だけの笑みを零した。
「ちょっと前までは今の時間は大泣きだもの」
「ねー」
 ちゃんと椅子に座れるようになる前は、一人ベビーベッドの中にいた。それが余程気に入らないのか、三人が食事をしている間は泣き通しだったのだ。結局いろはが片腕で次女を抱き、片腕だけで食事をするような時期もあった。
 けれど椅子に座って食事の席に参加できるようになってから、だいぶ穏やかになったと思う。いろはによく似た姉が、ずっと話しかけてくれているおかげかもしれない。
 意味はわかっていないだろうに、けらけらと笑う姿は微笑ましかった。
「はい、これでおしまい」
 できた料理をカウンターに並べ、いろはは最後に離乳食を器に盛る。手のひらで温度を確かめてから、そこに小さなスプーンを刺した。
「じゃあ、頂きましょうか」
 それらをテーブルに並べ、最後にいろはが離乳食を持って次女の傍に椅子を引く。それを待ってから声をかけ、三人はそろって食前の挨拶をした。
「さっちゃん、あーん」
 落下防止のベルトをむしゃぶっている次女に、いろはがそっとスプーンを差し出す。無抵抗にあーんと開いた口にとろりとしたおじやを入れてやって、いろはは小さく微笑んだ。
「おいしい?」
 先程までの笑顔が一転。すんと評論家のような表情になった次女に問いかけて、少しだけ首を傾げる。もぐもぐと動き続ける口が何よりの答えと受け取って、次を所望されるまでとりあえず自分の食事だ。
「オムレツどうですかー?」
「おいしい!」
「美味しいわ」
 こぼさず食事ができるようになってきた長女の満面の笑顔と、きりっとした評論家のようなやちよの表情を受け取って、耐えきれずに肩を震わせる。何度見ても、本当によく似ていた。
 やちよが産んだ長女はいろはに、いろはが産んだ次女はやちよによく似た面差しをしている。髪と瞳の色だけが逆だなんて、本当に奇跡のような確率で上手い事産み分けたものだと思った。
 これは心配のしようもないだろうなぁ、という、ももこの言葉を思い出す。産まない側の産後のマタニティブルーとして有名なのは、本当に自分の子供なのか? という物だ。幸せであればある程、人は悲観しやすくなる。決して伴侶を疑いたい気持ちなどないのに、そう思ってしまう人は多いと聞いた。
 けれどこの二人に至っては、そんな心配をする必要など微塵もない。だって相手が産んだ子供が自分にそっくりなのだ。これでもなお疑うならば、本格的な療養が必要になるだろう。
「このドレッシング美味しいわね」
「そう? よかった。この間ネットで見つけてね、やちよさん好きそうだなって」
「こら」
「あ、ごめん」
 細かい所までちゃんと褒めてくれるやちよに微笑みかけたところで、うっかりに気付く。お互いを、ママ、お母さん、と呼ぶようになっても、たまにどうしても癖が出てしまった。そもそも子供のいない所では名前で呼んでいるのだ。十年もそれを続けていれば、うっかりも増える。
「やっちょしゃん!」
「こーら」
 しゃっちょさん、みたいな言い方だな、と思った。意味が解らない人はそのままの貴方でいてほしい。
 ママと呼ばなかった事を怒られても、長女はにこにこと楽しそうだ。両親が仲良しであるという事実がただ嬉しいのだろう。長女はいろはがやちよを名前で呼ぶのを、どこか喜ばしく思っているらしい。
「ママはどうしてママなの?」
「あなたとさくのママになったからよ」
「ちぃとさくのママにならなかったら、ママじゃなかったの?」
「そうよ。二人が私をママにしてくれたの」
「それって、いいこと?」
「とっても」
「しゅてき?」
「とっても素敵」
「おかーしゃんも?」
「そうだよ。ちぃちゃんとさっちゃんが私をお母さんにしてくれたし、それはとっても素敵なこと」
「んふふー!」
 嬉しそうだ。眉を下げてくしゃりと笑った娘に、二人も目を細める。
 少し大きめに盛り付けてやったハムに力一杯かぶりつく姿を見てから、いろはは再び次女に向き直った。
「あーん」
 おじやを主食、ベルトをおかずに食事を進める次女に、にっこりと微笑みかける。一々ベルトを拭いて次を入れるのは面倒ではあったが、いずれはこれもおさまるだろう。長引くようなら躾けてやらなければいけないが、今はまだ親が頑張ってやればいい。
「代わるわ」
「ありがとう」
 デザートを残して大体の食事を終えたやちよが、いろはの肩を叩く。殆ど減っていない皿を持って席替えをしながら、次女に向き直る背中を少しだけ眺めた。
「おかーしゃ?」
「うん?」
「きょーさ、こえんいったら、ごろごろしていい?」
「うーん。ママに聞いてみて?」
「ママー。ごろごろしていい?」
「芝生の上だけよ? あと、ごろごろするならうさちゃんは脱いでいきなさい」
「あーい!」
 食に関する事はいろはの管轄。遊びと躾けは、基本的にやちよの管轄だ。いろはが躾けをできないというわけではなく、単純に最終ラインなだけ。
 こら! と怒るのはやちよだとして、それでも言う事を聞かなかった場合にいろはが出る。いつもにこにこと優しい母からすっと表情が消えるのは、娘にとって相当恐ろしい事らしい。なんだったらやちよもちょっと怖い。
 やちよに怒られていろはの所に逃げていくのが常なので、逃げ場を失う形になる長女は、それがどれ程いけない事なのか理解する。そういう図式だ。
 とはいえ、今までその装置が働いたのはほんの数回。階段の上から本を投げて遊んだ時と、わざわざ台を持ってきてコンロの火を入れた時、あとはキッチンの引き出しから持ち出したハサミを片手に、海賊ごっこをした時だけだ。
 どれも、危ないからダメだと言われていた事だった。その注意を聞かずに行動を起こした時、いろはの静かな怒りが降り注ぐ。
 いろははいつも、何も言わない。肩を掴んでじっと黙りこみ、たっぷり二分近くは沈黙する。視線を逸らし続ける娘がその空気に耐えきれなくなって目を合わせたら、そこでやっと、駄目だって言ったよね? と声がかかる。
 その間は、やちよも何も言えない。極力気配を殺して背景と同化するだけだ。やちよだって怒ったいろはは怖い。
「ぼーるもってく?」
「いいわよ。ボールだけでいいの?」
「もっともってっていいの!?」
「久しぶりだから特別ね」
「んんんー!!」
 今日はきっと、お昼は公園で食べる事になるだろう。冷蔵庫の中、密かに用意されているサンドイッチの具を知っているので、やちよは少し楽しそうだ。少し悪戯っぽい横顔を見たいろはも、内緒にする流れなのだと理解する。
「なーににしよーかなー!」
 全部! と言い出さない部分に成長を感じたところで、全員の食事が一通り終わった。あとは中央に置かれたデザートだけだ。
「ちゃんと噛んでね」
「あい!」
 大きな粒に嬉しそうにかぶりついて、長女はにこにこと満面の笑顔を浮かべる。その姿に微笑んでちらりとやちよを見ると、彼女も穏やかな表情で娘を見ていた。
 ――今日は、三輪車に乗った長女と乳母車に乗った次女をそれぞれ押して、公園までのんびり歩いていく。遊歩道を少しだけ散歩してから、持ってきた玩具でたっぷり遊んでやろう。疲れたら休憩をしてお昼を食べ、その後は思う存分芝生で転がらせてやりたい。
 だいぶ涼しくなってきたから、昼寝をしてもいいだろう。草滑りのエリアはいつも長蛇の列だが、炎天下ではなくなったので並んでみるのもいいかもしれない。怖がるだろうか、癖になるだろうか。
 一日中遊んでいいと言ったら、きっと奇声を上げて喜ぶはずだ。それで夕方に突然電池が切れて、小さな体を背負って帰る事になる。
 熱い体温同士で汗まみれになるやちよまで容易に想像がついて、いろはは面白くなった。
「食べ終わったら歯を磨いて、ママと一緒にお着替えしてね」
「あい!」
 元気な返事にやちよと二人で顔を見合わせて、くしゃりと笑う。
 以前より、もっともっと休日が楽しみになった。それは家族が増えたからだと思うと、本当に嬉しい。
 今にも歌いだしそうな長女と、それにつられてきゃらきゃらと笑う次女。それを眺めながら、二人はただただ穏やかに微笑んでいた。



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