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死神さんの薬問屋(白と彩)

全体公開 1 2585文字
2018-09-25 21:11:20

十夜団長さんと「三途川」の何気ない一日。

 しとしとと、薄暗い石畳を雨粒が濡らす。明々と揺れる黄泉比良坂の燈明の灯も、今宵は珍客の降らせる雨に煙って薄ぼんやりと光っていた。

「御免、」

 からりと戸が開いて、涼やかなよく通る声が店の奥へ響く。雨粒を纏った番傘を閉じる ばさ、という音と同時に、店の奥から生白い顔がひょこりと覗いた。

「ああ、彩の。どうぞ、お上がんなさい」
「では。お邪魔します」

 手招きする白い手に促され、草履から足を抜く。上がり框に足を掛けて床板を踏むと、僅かに年季の入った木の軋む音がした。

「いちしの・・・いや、一太殿は、」
「茶菓子を買いに走らせています。お客人が来ると云うのにもてなしの一つも無いというのは、些か」
「・・・そう、気を遣って貰わんでも」

 奥の座敷に通され、「まあ、お座んなさい」と足元の畳を指されて腰を下ろす。そう言えば、と、店の主人に常に侍っている男の姿が無いことに首を傾げると、僅かに眉を下げた主人が肩を竦めて口布の下から言葉を漏らした。

「いえね、お前さんが来るということで、一昨日に饅頭と煎餅を買っておいたはずなんですが、今朝方茶箪笥を覗いてみれば空っぽでして。私が茶箪笥を覗いた時の一さんがいやに青ざめていたなと問い詰めれば『俺が食いました』と白状したもんですから」
「はは・・・、それはそれは」
「ですから、暫くは茶だけで許してやってくださいね」

 穏やかで静謐な佇まいをしていながら「怒ると誰より怖い」、と話していた今この場には居ない眼前の主人に侍る男を思い浮かべると、苦笑が浮かぶ。

「さて、一さんが戻るまで薬の手習いを進めておきましょうか。先の時は、がまの油と牛頭の角の調合まで話したような気がしましたが」
「ああ。今日は確か馬頭の蹄の・・・・・・」
「ああ、そうでした。馬頭の蹄を鬼火で焙って柑の実と混ぜた咳止め薬の話でしたね」

 居住まいを正し、傍らの帳面を手に取った店の主人は、白銀の睫毛を二度三度上下に瞬いて頁を繰る。
 「これですね」と帳面の一部を生白い指先で指し示すその先を覗き込むと、みみずがのたくったような字と白黒の墨絵で描かれた薬の頁が目に入った。

「少しお待ちなさいな。柑の実はあったはずですが、・・・ああ、花の蜜が足りるかどうか」
「それは、俺の住む世の物でも代替が出来る物なのだろうか」
「ええ、魔除けの作用があるものなら尚良いですよ。馬頭の蹄は、良ければお前さんとこの不思議な坊ちゃんの店に卸しましょうか」
「それは助かる。みつばにも後で話しておこう」

 背後の薬棚をがさがさと探る背を見上げながら頷くと、柔らかな声が返る。程なくして乳鉢と燭台、それから赤茶色の粉末が入った小瓶を手に、店の主人は再び目の前に座した。

「一さんに花の蜜も頼んでおきますか」

 そう零した主人は薄紅の懐紙を取り出すと、傍らの小筆でちょいちょいと何事かを書き込み、手早くそれを折り曲げて形を変えていく。
あっという間に見事な蝶々の形へと姿を変えた懐紙に、主人は ふう、と一息呼気を吹きかけた。

「お行きなさい」

 呼気を吹きかけられた懐紙は、ふる、と小さく震えたかと思うと、店の主人の手の中からゆっくりと飛び立っていく。
 本物さながらの羽の動きで飛んでいく蝶々に感心していると、主人の「さて、」という声に慌てて向き直った。



「たーだいまー」

 暫くの時が経った頃。がらがらと戸を開ける音と共に、低い声が耳に届く。程なくして重たい足音と共に部屋に入ってきた男は、頭の天辺から足先まで濡れ鼠になりながら、それでも両腕の中の荷物を大切そうに抱えていた。

「これ一さん、きちんと拭いてから入っていらっしゃい」
「そりゃねえってもんですよ坊ちゃん。『早急に』なんておっかねえ催促されて、こっちは雨宿りもそこそこに大雨の中急いで帰ってきたんですよ」
「お客人を待たせるわけにはいかないでしょう」

 眉を顰めた主人の物言いに拗ねたように唇を尖らせた男は、二言三言言葉を交わすと、こちらに顔を向けて にい、と口元を上げた。

「よっ、彩の旦那。雨が降ってきたから、もう“こっち”へ来てたのは分かってたンだけどな。茶菓子が遅くなっちまって悪かったな」
「いや、こちらこそ。雨を喚んでしまったばっかりに、不自由をさせて申し訳ない」

 口元だけではどんな表情で笑っているのかを全て窺い知ることは出来ないが、鈍い黄金色の髪から雫を滴らせながら笑う男からは、快活さ以外の感情は感じられない。

「いいさ、これくらい。それより、せっかくの色男が表情曇らせちまっちゃあ勿体ねえ。俺ぁ、これからちぃとばかし風呂に入ってくるけどよ、ゆっくりしていってくんな」
「ああ。ありがとう、いちしの兄さん」

 抱えていた荷を主人に手渡した男は、快活に笑って ひらりと手を振る。その笑みにこちらも笑みを浮かべて応えると、に、と歯を見せて笑った男は廊下の向こうへ去っていった。

「すみませんね、相変わらず”ああいう”お人で」
「いや、俺のような珍客にも気さくに接してくれる、気性の良い人だ。白寿殿や一太殿をはじめとする表街の面々には、うちの連中も世話になっている。本当にありがたい」
「そう云っていただけると、こちらもありがたいです。二見殿やここのつ殿には、千代野さんも世話になっているようですから」

 茶菓子の包みを開きながら目を伏せる主人の表情には、あたたかなものが浮かんでいる。その様がうつったように、こちらにも穏やかな笑みが浮かぶのがわかった。

「おや、一さん気を利かせましたね。河太郎殿の店のお菓子ですか」
「有名な店、ということだろうか」
「ええ、黄泉比良坂では人気の店ですよ。白海老の煎餅、それからよもぎ餅がありました」
「・・・煎餅、」
「お前さんが来るのを楽しみにしていたのは、一さんも同じようですね」

 並べられた茶菓子の中に好物が混じっていることについ反応を示すと、く、と主人が喉の奥で笑った声が耳に届く。それは決して嘲笑などではなく、寧ろ孫を見るように微笑ましい音をしていたものだから、少し照れ臭くなった。

「手習いが終わっても、どうかゆっくりしておいきなさいな」
「・・・そうさせてもらおう」






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