@atarou_jinrou
置いて行かれた。
堂々と言うべきことでもないが、俺の人生において置いて行かれるというのはそう珍しい事でもない。
小学校の遠足で迷子になって置いて行かれたり、
高校の修学旅行でお土産屋を見ていたらもう先に出たと勘違いされて置いて行かれたりした。
今思い出しても悲しい。いや良いんだ、もう過ぎたことだから。
だが。まさか異界に置き座られるとは思わなかった。
「えっ、えぇ……」
嘘だろ……という想いのままに倉庫の壁をぺたぺたと触る。
悲しいほど何の変哲もない倉庫である。
異界の「い」の字の気配すら見当たらない。
異界とは本来地続きのはずのものだ。
規模や性質に違いはあれど、「入ろうとして入れない」ことは無いはずである。
はずなのだが。
「……」
異界が消えたわけではなさそうなのだが、入り口から侵入を果たそうとすると、
どうしてか俺はその入り口にたどり着けない。
AとBの道があるとして、Aに向かおうとしても自動的にBに辿り着くようにされてしまっている。
思い浮かぶ可能性と案としてはそんなところである。
仮にその過程が正しかった場合、俺が辿り着けないのはまだいい。
あの5人はどうしたのだろう、という不安な疑問は、嫌な予想へと変わる。
まるで隔離されているかのようだ。誘い込むための罠だとしたら、説明がつく。
「……」
せめて、何が起こっているかだけでも把握しておこうと、俺は倉庫奥へ向かう。
此処に危険はないか?本当に異界に他に侵入する手段は無いか?これを仕掛けた原因となるものはいないか?
杞憂であってほしい。臆病な心根がそうだと言い切れないから、ありとあらゆる可能性を探る。罠でない可能性を見つけておきたかった。
扉を開く。整えられた荷物以外に何もない。
扉を開く。積み上げられた荷物以外には何もない。
扉を開く。かなり空いている倉庫の空間以外に何もない。
扉を開く。黒い布が宙に浮いている。
話に聞いた。
もう一人の自分。それがいた場所に、この布も置き去られていたのだという。
ではアレがここにいたのか。何故、何のために。
あまり強くない自分の第六感は、少なくとも目に見えた脅威を告げてこない。
これはいったい何なのか、掴むために腕を伸ばして、触れた。
「い゛、ッ……!!」
瞬間、酷い頭痛がした。
耳鳴り。眩む視界。遠のきかける意識。
この感覚には覚えがある。
いつかの夜、「ドッペルゲンガー」を目撃した夜のことだ。
だが、あれよりはるかに酷い。
脳を押しつぶされているんじゃないかと思う錯覚。
圧縮された脳から水分が押し出されて、代わりに何かが染み込んでいく。
それが酷い頭痛を齎す。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
一周回って吐き気に至る。全部吐き出して受け入れれば楽なのに。口から中身を全部出して空っぽにできないだろうか、そうしたら、という思考が過る。
自分でも不可解なことを考えている不自然さに気づき、先日からの記憶の混乱、あの夜の昏倒。やっと何が起きているかを理解した。
拒絶反応。なるほど、異物を受け入れればそれは辛いわけである。
本来、人の魂や脳は他者を許容するようにできていない。なんだったか、白骨座禅。
白虎の違法使いリストで見た、他者の骨格に自身の肉と魂を移し替える違法使い。
近いことが起きている。と言っても、これは異物だと言い切れるかどうかは怪しい。
何せ、自分だ。異なる自分自身。
断片的な情報と感情を、魂の断片から受け取る。
時間を超えた。許せないものがあって、認めてはならない結末があって、それを覆す。
溢れんばかりの執念と怒り、憎悪は時間こそかかったが良く馴染んだ。この感情には覚えがある。
初めから自分のものだった。
何が起こったかまでは解らない。
思い出そうとすると朧な光景ばかり浮かんで、どの日に何が起こったのか、まではちっとも思い出せない。その光景の端々を思い出そうとするたびに、ひどく悲しい気持ちになり、同時に激情の方が先に立つ。
失敗している。一番肝心なところが摩耗して消失して、どうすることもできない。
過去を切り替えるためのポイントがどこにあるかを、俺は覚えていなかったのだ。
だからか、と思った。
エデン世界に関連する組織を殺す。襲い来る眷属を殺す。
何をすれば世界が変わるかを覚えていないから、考えられる可能性を片端から潰すしか、俺には方法がなかった。
そうでもしないとやっていられなかった。
「馬鹿なことを」
している。してしまった。
他人事であるが、自分の事である。二重の感想が口をついて出た。
首を振る。頭の中でまだ記憶がミミズのように這って動くような感覚があるが、痛みはもうない。
手の中に収めた布切れは消えかかっていた。
当然だ。あるべき場所に戻りつつあるのだから。
倉庫の入り口の方を見つめる。
未だ動き続けている、未来を変えようとして、誰かにそれを告げようとして、失敗してしまった俺自身。
考えられる可能性を片端から潰す。その爪はいつか、眷属や組織には留まらなくなる。
イツビ組が、普通の市民が、敵になり得ることを知っている。
きっとその牙は、近いうちに向けられてしまうだろう。
その前に。
「?」
手に持っている布切れが不自然な動きで吹き飛んだ。
「あれ?」
手からこぼれていったそれを追いかける。
なんだろう、この動き。見覚えがあるような。
そうそう、ティッシュを力いっぱい団扇で叩いたらこんな動きするよな。と思った矢先。
びっ、びびびっ、びっ
布切れに5本の切れ込みが入る。
「えっ」
切れた。ドライアイスの粒よろしく、細切れになった布切れは溶けやすくなったのだろう。
先ほどよりも速い速度で消失していく。
それはいい、それはいいんだが。
何が起こったのかと思って周囲を見渡した直後。
異界に向かったであろう5人組が、その異界の壁を割ってその中から突然に、平然と現れた。
「ホァ!!!!????!!!?」
死ぬほどびっくりした。変な声が出た。
「たっだいまー」
「あっおかえり」
モモカに明るい口調であいさつされて反射的に挨拶を返す。
お帰りじゃないだろう俺。もっと他に言うこととか返す反応があるだろう俺。
「今まで何やってたんすかシュヴァさん」
「…アンタもしかしてずっとここにいたの?」
「えっ……そっちもどこに行って……ええ……」
「いやそこは俺ら異界探索で来てんだから異界入ったことくらい想像してくださいよ」
「そこまで頭回らないなんてどんだけ動転してたのよ」
「えっなんか俺は入れなかったんだけど、人数制限……?」
あっこれ悪いテンパり方してる。落ち着け、落ち着くんだ俺。
その間にシラハさん事情を……あっ、いない。もういないぞあの人。早すぎる。
「入んなくていいわよ」
涼しげな声で、念を押すようにシオがそう言った。
「ドッペルゲンガーになんか、会いたくねーだろ?」
ああ、そうか。
異界で見たものは、きっと。
「シュヴァさん。アンタは知るべきだ」
いや、と。他の面々の動向を見ていた土御門が、その流れを変えるように告げる。
何を見たかは俺にはわからない。だが、今ならわかる。
きっと”俺”を見たのだろう。ドッペルゲンガー。敗北した戦士。もう一人の自分。未来の自分。
それを、何かの形で。
よく見れば全員所々、肌が赤かったり焦げていたり。
異界の中で何かがあったことは窺い知れた。
それでも告げるべきことを告げようと、或いは、慮ってくれることに、俄かに申し訳なさが募る。
そうだ。知らなければならない。
俺の喪失した”俺”を、思い出さなければいけない。
“俺”は失敗した。俺の手元にはほとんど何も残っていない。
だが、憎悪と怒りの底で、今も変わらない確かな感情がある。
彼らに別れを告げて、階段を這い上る。
煤と土埃のない常夏島の空は、まだ澄んで青く遠い。
運命を、変える。
俺は、諦めない。